2005年 07月 14日
[5049]=[5051] 【縁】(えにし)を想う |
「エェー、ゴワサンデェー願いましてヮー」
昔、小学生だった頃の先生の声が生々しく聞こえるような気がします。残り少ない老後人生をどう作り直すか? 思いがそこに至ると、その都度、聞こえるのがこの声です。
★そろばんのこのかけ声は、「ここからは新しい計算だよ」という合図ですが、もともと「”ご破算”で願いましては」と言うべきところでしょう。
★念のため調べてみると、(1)算盤(そろばん)で、珠を払って零の状態にすること。新しい計算に移ること。「~で願いましては」 (2)今まで進めてきたことや状態をすっかり元に戻すこと。白紙の状態にもどすこと。「今までの話はすべて~にしたい」「計画がすっかり~になった」と『大辞林』に意味と用例が出ています。
★退職とともに社会生活の責務から外れて私生活だけの世界に戻った私の心琴にそろばん教師のかけ声が響くのは、(2)用例の意味をくみ取るからだと思います。IT時代の今、流行語を使えば、【人生の初期化】 ヒトとして生を享けた当初の自然のママの自分に戻って再出発、との思いがこもっています。
★事実、切実に願うのは、これまでの柵(しがらみ)から解放されること。特に虚礼はかなぐり捨て、義理人情の束縛からも解き放して欲しい。そして何事にも囚われない自由が欲しい。
★比較的簡単なのは物欲からの自由です。これはほぼ思い通りに実現しつつあります。枯れた、とでも言うのでしょうか、モノが欲しくないのです。新商品が次々と開発され、あらゆるメディアを総動員して購買意欲を掻き立てますが、何一つ、心が動きません。
★問題は、日本語の深層に沈んでいる【縁】(えにし)に関わる情念です。”ご破産”で一番、厄介なのはこれだとシミジミ思います。
★人間は一人で生きてはいけません。理屈を超えて自然発生的に連携し、社会集団ををつくります。ヒトとして生を享けたその瞬間からその結合は始まりますが、それを促すのは【縁】という目に見えない大きな力。私たちの祖先は、早くからその力の源を血縁、地縁、出会い縁などと言ってきました。
★子が成長するに連れて、この原初的自然形態の【縁】には、更に結び合うことが自分の利益になる。それが動機で他人と結合し成り立っている社会集団が重なり合ってきます。商売、就職、学校、会社、市町村、最終的には国家。そして成人すると、日本社会の隅々が私を包み込みます。
★今から60年ほど前、ちょうど私が大学生だった頃、ドイツのテンニースという社会学者が、社会集団の類型を分析して「ゲマインシャフト」(自然発生集団)と「ゲゼルシャフト」(契約集団)の2類型区別しました。そして「ゲマインシャフト」こそが揺るぎない社会基盤としました。「ゲゼルシャフト」はあくまで利益追求の必要に根拠を置く限定的な社会集団だと言うのです。
★日本人祖先伝来、【縁】の感情で説明してきた血縁、地縁、出会い縁は、丁度、テンニースの【血縁】=「血のゲマインシャフト」(家族生活共同体) 【地縁】=「場所のゲマインシャフト」(村落生活共同体・習俗) 【出会い縁】「精神のゲマインシャフト」(精神生活共同体・宗教)という説明に照合します。
★テンニースによれば、”ゲマインシャフト”は、人々が一体的な融合のなかで愛しあい慈しみあって、互いに離れがたく結びあっているのが特徴で、そこに打算の働く余地はない、とされます。
★また、”ゲゼルシャフト”では、ただ単なる利益を契機に結合するだけで個々人を規律するのは【契約】という合理精神だけ、だといいます。
★ナルホド、説明されるとよく分かる理屈です。私がつき合った多くの欧米人の生活態度は、その説明通りで、この人々の日常生活を見るだけでも、テンニース理論の正しさが簡単に証明出来るようにも思います。西欧社会の分析理論としては定説なのだろうと納得もします。
★簡単な話、西欧人の老後は見事に”ゲゼレシャフト”から離脱し、個の確立に向かいます。それは見事なものだと感嘆します。
★ついでにイスラム社会に言及しておきましょう。ヒョンナことからお知り合いになったハシム中村さん。この方は岡山出身のイスラム教徒です。ペナン島対岸のマレーシア半島ケダ州に住み、マレー人の奥さんがいます。結婚に当たってイスラム法に則り割礼を受けた筋金入りのイスラム教徒。
★「日本人はよく柵(しがらみ)を断つと言うがトンデモナイ。イスラム宗教法では共同体の絆が一番、大切で、これを断ち切り隠遁生活に入った人は天国に最も遠い所にいる」と、教えてくださいました。イスラムではどのような社会集団もアラーの統御の下にあります。ゲマイン/ゲゼレの区分はあり得ないのですね。だから隠遁は神から目を反らす好ましからざる行為なのです。日本人の感覚から随分、かけ離れています。
★日本に紹介された頃、大学はマルクス主義学者全盛期でした。テンニース理論も「ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへ」と歴史的発展類型として把握し,紹介される混同もありました。この理論もかなり議論が右往左往したように思いますが、ともかく長い間、私は、テンニースの理論を無批判に受け入れ、それに被れてきました。
★しかし、今、ジックリ自分のある姿を見る時、私は、かつて出雲大社で教わった日本古来の【結びの縁】の土着信仰的感情の方がピッタリ来ます。血縁、地縁、出会い縁・・・【縁】(えにし)と総称される目に見えない力が、ゲマインシャフトだけでなく、ゲゼレシャフトをも支配していた事実を我が日常体験の中で感じ取っています。
★早い話、私が壮年期を過ごした毎日新聞社は、テンニースの言う「利益社会集団」(ゲゼレシャフト)であるはずですが、私にとって我が利益追求の結社、と言う実感はありません。むしろ自己実現の同士的結合社会、出会い縁に結ばれた社会という感じがピッタリ来ます。「ゲゼレシャフト」と説明されると???? 疑問がいっぱい出てきます。
★次に勤めた大学はどうか? 教師と学生の制度的関係は確かにゲゼレシャフトですが、師弟の関係となると、精神のゲマインシャフトに近い関係が出てきます。
★例えば、私の学生は、卒業後も私の誕生日に寄り集い、「励ます誕生会」を開いてくれます。今年は、その9回目を迎えますが、来週19日の私の誕生日に例年通り開催されます。これを思うとき、先ず私の脳裏をかすめるのは【出会い縁】の不思議です。西洋の借り物概念は全く、出番はありませんね。
★ゲマインシャフト、ゲゼルシャフトは今や社会学の基礎概念になっており、入試・入社試験問題に必ず出題されるのですが、多分、キリスト教契約原理で動いている欧米諸国では矛盾のない理論なのでしょう。しかし、日本に当てはめるのはかなり無理があります。私には【縁の結び】情念の方が分かりよいです。皆さんは如何、お考えでしょう。
★と、いう次第で、人生初期化、自由に自らの第二の人生再構築、と張り切って見るのですが、どうも、この【縁】(えにし)の絡みはなかなか解けません。人生の柵(しがらみ)とやや迷惑顔で疎んずるのですが【縁】がその本源をなす情念なのかもしれません。何を捨て、何を土台に再出発するか? 思案を巡らす今日この頃です。
昔、小学生だった頃の先生の声が生々しく聞こえるような気がします。残り少ない老後人生をどう作り直すか? 思いがそこに至ると、その都度、聞こえるのがこの声です。
★そろばんのこのかけ声は、「ここからは新しい計算だよ」という合図ですが、もともと「”ご破算”で願いましては」と言うべきところでしょう。
★念のため調べてみると、(1)算盤(そろばん)で、珠を払って零の状態にすること。新しい計算に移ること。「~で願いましては」 (2)今まで進めてきたことや状態をすっかり元に戻すこと。白紙の状態にもどすこと。「今までの話はすべて~にしたい」「計画がすっかり~になった」と『大辞林』に意味と用例が出ています。
★退職とともに社会生活の責務から外れて私生活だけの世界に戻った私の心琴にそろばん教師のかけ声が響くのは、(2)用例の意味をくみ取るからだと思います。IT時代の今、流行語を使えば、【人生の初期化】 ヒトとして生を享けた当初の自然のママの自分に戻って再出発、との思いがこもっています。
★事実、切実に願うのは、これまでの柵(しがらみ)から解放されること。特に虚礼はかなぐり捨て、義理人情の束縛からも解き放して欲しい。そして何事にも囚われない自由が欲しい。
★比較的簡単なのは物欲からの自由です。これはほぼ思い通りに実現しつつあります。枯れた、とでも言うのでしょうか、モノが欲しくないのです。新商品が次々と開発され、あらゆるメディアを総動員して購買意欲を掻き立てますが、何一つ、心が動きません。
★問題は、日本語の深層に沈んでいる【縁】(えにし)に関わる情念です。”ご破産”で一番、厄介なのはこれだとシミジミ思います。
★人間は一人で生きてはいけません。理屈を超えて自然発生的に連携し、社会集団ををつくります。ヒトとして生を享けたその瞬間からその結合は始まりますが、それを促すのは【縁】という目に見えない大きな力。私たちの祖先は、早くからその力の源を血縁、地縁、出会い縁などと言ってきました。
★子が成長するに連れて、この原初的自然形態の【縁】には、更に結び合うことが自分の利益になる。それが動機で他人と結合し成り立っている社会集団が重なり合ってきます。商売、就職、学校、会社、市町村、最終的には国家。そして成人すると、日本社会の隅々が私を包み込みます。
★今から60年ほど前、ちょうど私が大学生だった頃、ドイツのテンニースという社会学者が、社会集団の類型を分析して「ゲマインシャフト」(自然発生集団)と「ゲゼルシャフト」(契約集団)の2類型区別しました。そして「ゲマインシャフト」こそが揺るぎない社会基盤としました。「ゲゼルシャフト」はあくまで利益追求の必要に根拠を置く限定的な社会集団だと言うのです。
★日本人祖先伝来、【縁】の感情で説明してきた血縁、地縁、出会い縁は、丁度、テンニースの【血縁】=「血のゲマインシャフト」(家族生活共同体) 【地縁】=「場所のゲマインシャフト」(村落生活共同体・習俗) 【出会い縁】「精神のゲマインシャフト」(精神生活共同体・宗教)という説明に照合します。
★テンニースによれば、”ゲマインシャフト”は、人々が一体的な融合のなかで愛しあい慈しみあって、互いに離れがたく結びあっているのが特徴で、そこに打算の働く余地はない、とされます。
★また、”ゲゼルシャフト”では、ただ単なる利益を契機に結合するだけで個々人を規律するのは【契約】という合理精神だけ、だといいます。
★ナルホド、説明されるとよく分かる理屈です。私がつき合った多くの欧米人の生活態度は、その説明通りで、この人々の日常生活を見るだけでも、テンニース理論の正しさが簡単に証明出来るようにも思います。西欧社会の分析理論としては定説なのだろうと納得もします。
★簡単な話、西欧人の老後は見事に”ゲゼレシャフト”から離脱し、個の確立に向かいます。それは見事なものだと感嘆します。
★ついでにイスラム社会に言及しておきましょう。ヒョンナことからお知り合いになったハシム中村さん。この方は岡山出身のイスラム教徒です。ペナン島対岸のマレーシア半島ケダ州に住み、マレー人の奥さんがいます。結婚に当たってイスラム法に則り割礼を受けた筋金入りのイスラム教徒。
★「日本人はよく柵(しがらみ)を断つと言うがトンデモナイ。イスラム宗教法では共同体の絆が一番、大切で、これを断ち切り隠遁生活に入った人は天国に最も遠い所にいる」と、教えてくださいました。イスラムではどのような社会集団もアラーの統御の下にあります。ゲマイン/ゲゼレの区分はあり得ないのですね。だから隠遁は神から目を反らす好ましからざる行為なのです。日本人の感覚から随分、かけ離れています。
★日本に紹介された頃、大学はマルクス主義学者全盛期でした。テンニース理論も「ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへ」と歴史的発展類型として把握し,紹介される混同もありました。この理論もかなり議論が右往左往したように思いますが、ともかく長い間、私は、テンニースの理論を無批判に受け入れ、それに被れてきました。
★しかし、今、ジックリ自分のある姿を見る時、私は、かつて出雲大社で教わった日本古来の【結びの縁】の土着信仰的感情の方がピッタリ来ます。血縁、地縁、出会い縁・・・【縁】(えにし)と総称される目に見えない力が、ゲマインシャフトだけでなく、ゲゼレシャフトをも支配していた事実を我が日常体験の中で感じ取っています。
★早い話、私が壮年期を過ごした毎日新聞社は、テンニースの言う「利益社会集団」(ゲゼレシャフト)であるはずですが、私にとって我が利益追求の結社、と言う実感はありません。むしろ自己実現の同士的結合社会、出会い縁に結ばれた社会という感じがピッタリ来ます。「ゲゼレシャフト」と説明されると???? 疑問がいっぱい出てきます。
★次に勤めた大学はどうか? 教師と学生の制度的関係は確かにゲゼレシャフトですが、師弟の関係となると、精神のゲマインシャフトに近い関係が出てきます。
★例えば、私の学生は、卒業後も私の誕生日に寄り集い、「励ます誕生会」を開いてくれます。今年は、その9回目を迎えますが、来週19日の私の誕生日に例年通り開催されます。これを思うとき、先ず私の脳裏をかすめるのは【出会い縁】の不思議です。西洋の借り物概念は全く、出番はありませんね。
★ゲマインシャフト、ゲゼルシャフトは今や社会学の基礎概念になっており、入試・入社試験問題に必ず出題されるのですが、多分、キリスト教契約原理で動いている欧米諸国では矛盾のない理論なのでしょう。しかし、日本に当てはめるのはかなり無理があります。私には【縁の結び】情念の方が分かりよいです。皆さんは如何、お考えでしょう。
★と、いう次第で、人生初期化、自由に自らの第二の人生再構築、と張り切って見るのですが、どうも、この【縁】(えにし)の絡みはなかなか解けません。人生の柵(しがらみ)とやや迷惑顔で疎んずるのですが【縁】がその本源をなす情念なのかもしれません。何を捨て、何を土台に再出発するか? 思案を巡らす今日この頃です。
by zenmz
| 2005-07-14 14:30