2005年 07月 06日
[5037] 現代社会の悪所 |
私は外食が大嫌いです。「時にはどう・・・やはり美味しいもの食べてみないと私のウデも落ちるし」 老妻はからめ手から攻めますが、どうも気乗りがしません。
★一番の原因はやはり外食で満足したタメシがないことでしょう。ひと頃は、値段と味が連動していてそれなりに外食の楽しみがありましたが、今は、そのような店を見つけること自体、困難。
★しかし、雰囲気が良ければ、それはそれなりに足も向くのですが、毛嫌いする最大の理由は、店の内外で見る食べ残しの凄まじさです。客も、店も、平気で捨てます。それを見るだけで気分が悪いのです。
★時たま、つき合わされるスーパー、コンビニになると更に悪い。夕方になると店員がセッセと賞味期限をチェック、時間切れ商品をどんどんゴミ箱に捨てています。品物によって、廃棄基準が違うようで、特に生ものは日に3回、4回。これは12時間、1日、4日、1週間などと賞味期限を明示して鮮度を競っています。
★めったに入らないコンビニでビックリしました。目の前でおにぎり、卵サンド、幕の内弁当……売れ残りを捨てています。こんなの見ると、気分が悪い。
★私は少年時代、お米のご飯など滅多に食べられないヒモジイ日々を過ごしました。飢餓の時代です。飢餓と言っても分からない人も多いでしょう。飢餓は空腹とは違います。
★ある日、久しぶりにコメのご飯が出ました。兄弟3人むさぼるように食べました。フト気がつくと母は口にしていません。「お母ちゃんはいいよ。もうこれまでにたくさん、たべたからね。3人で仲良くお上がり」 終戦の日が近かった夏の夕方のことです。
★戦争が終わってどう生きたか? 当座は、ただガムシャラに飢餓から抜け出すもがきの歳月だったと思います。飽食の退廃をこの目で見るのは悲しい。だから私は外食が嫌いです。
★見るのも気分が悪いです。どうか飽食退廃の象徴・外食関連悪所に誘わないでください。私は家の粗食で十分です。ここでは私は一粒のコメも食べ残したことはありません。
★夏の日差しが強まる頃になると、「これまでにたくさん食べた」と夕食を口にしなかった母を思い出します。父は外地に在り、女手一つで11歳、13歳、15歳の食べ盛り3人を育て上げた母の姿を想います。
★一番の原因はやはり外食で満足したタメシがないことでしょう。ひと頃は、値段と味が連動していてそれなりに外食の楽しみがありましたが、今は、そのような店を見つけること自体、困難。
★しかし、雰囲気が良ければ、それはそれなりに足も向くのですが、毛嫌いする最大の理由は、店の内外で見る食べ残しの凄まじさです。客も、店も、平気で捨てます。それを見るだけで気分が悪いのです。
★時たま、つき合わされるスーパー、コンビニになると更に悪い。夕方になると店員がセッセと賞味期限をチェック、時間切れ商品をどんどんゴミ箱に捨てています。品物によって、廃棄基準が違うようで、特に生ものは日に3回、4回。これは12時間、1日、4日、1週間などと賞味期限を明示して鮮度を競っています。
★めったに入らないコンビニでビックリしました。目の前でおにぎり、卵サンド、幕の内弁当……売れ残りを捨てています。こんなの見ると、気分が悪い。
★私は少年時代、お米のご飯など滅多に食べられないヒモジイ日々を過ごしました。飢餓の時代です。飢餓と言っても分からない人も多いでしょう。飢餓は空腹とは違います。
★ある日、久しぶりにコメのご飯が出ました。兄弟3人むさぼるように食べました。フト気がつくと母は口にしていません。「お母ちゃんはいいよ。もうこれまでにたくさん、たべたからね。3人で仲良くお上がり」 終戦の日が近かった夏の夕方のことです。
★戦争が終わってどう生きたか? 当座は、ただガムシャラに飢餓から抜け出すもがきの歳月だったと思います。飽食の退廃をこの目で見るのは悲しい。だから私は外食が嫌いです。
★見るのも気分が悪いです。どうか飽食退廃の象徴・外食関連悪所に誘わないでください。私は家の粗食で十分です。ここでは私は一粒のコメも食べ残したことはありません。
★夏の日差しが強まる頃になると、「これまでにたくさん食べた」と夕食を口にしなかった母を思い出します。父は外地に在り、女手一つで11歳、13歳、15歳の食べ盛り3人を育て上げた母の姿を想います。
by zenmz
| 2005-07-06 14:41