2010年 06月 07日
【10016】 点字新聞の話(1)・・・ 「点字毎日」の88年 |
★ 日本には視力を失った全盲者のための点字新聞があります。「点字毎日」といって、毎日新聞が1922年(大正11年)に創刊したものです。それからもう88年もの間、あの太平洋戦争の物資難の時でさえ、1号も欠かさず発行を続けて来た世界でも類のないユニークな新聞です。
★ 私は、若い頃、この新聞の編集長を15年間、勤めました。そういうことから今なお、研究者や、福祉関係、特に視覚障害者の教育・福祉の関係者から、いろんなお問い合わせが続いてあります。が、私ももう80歳。この新聞について知っていることをすべてこのブログに書き残しておきたいと思います。
★ 幸い、3年前、「大阪社会福祉史研究会」が企画された市民講座でお話しする機会がございまして、その折り、調べた資料もありますので、その折りの講演記録を用いて暫くこちらでお話しさせていただきたいと思います。
***** 「点字毎日」の88年 *****
★ 先ず、「点字毎日」誕生の事情から始めましょう。
日本最初の点字新聞、世界でも、その類を見ない、失明者に特定した新聞は、大正11年、西暦1922年に大阪で創刊されました。今はその姿がなくなりましたが、「毎日新聞」 当時は「大阪毎日新聞」、略して「ダイマイ」の名でしたしまれていた新聞社が発行したのです。
★ JR大阪駅北の繁華街に堂島という目抜き場所があります。ここに「大阪毎日新聞」が当時としては超近代的な5階建て新社屋を完成しました。その記念事業の一つとして創刊されたものです。関西では、長年に亘って、「ダイチョウ」(大阪朝日新聞) 「ダイマイ」(大阪毎日新聞)の2大新聞が日本を2分する大きな勢力を持ち、お互いに競い合って来ました。
★ それが頂点に達した”大正デモクラシー”の昂揚期に、「ダイマイ」が社業一大発展のシンボルとして建設したのがこの新社屋でした。そして記念事業として、「英文毎日」 「サンデー毎日」 「点字大阪毎日」(後・点字毎日と改題) などの新しいメディアを誕生させたのです。
★ もう88年も前のこと。新聞の姉妹誌として、これらの新しい言論を誕生させたのが、東京ではなく大阪であった、これは特筆しておかねばなりません。言論を育む新しいメディアが次々と大阪で誕生した。この事実は、”大正デモクラシー”の高揚期に大阪人の心意気を感じさせるものがあります。
★ 1922年(大正11年)という時点で、失明者に特定した点字の新聞を発行する。その当時は、と言えば、未だ盲学校も満足に整備されていません。テレビどころかラジオも無かった時代の話です。当時、世界を見渡しても、アメリカに「マディルダ・チルダ」という月刊点字雑誌がたった一つ、あっただけでした。
★ しかし、この雑誌は、点字のジャーナル、というよりも、一般に普及している活字版の雑誌から失明者の興味を惹くような記事を拾い集めて点字に直して、失明者の教養に提供する、という、どちらかと言えば、キリスト教の慈善事業の一環でした。
★ 「点字毎日」は、そんな中で、新聞社の中に独立の編集室を持ち、独自の記者を配置して、失明者の言論を育てる、そんな本格的な”点字新聞”を目指したのです。しかも、それを指導した初代編集長は全盲のエリート。明治末期に日本最初の文部省留学生として英国で福祉を勉強した全盲の青年でありました。
★ その名は、中村京太郎。この方のことは、のちほど詳しくお話しします。ここでは、”点字新聞”と言う世界初のユニークな本格的な新聞は、自ら全盲者であった盲目のジャーナリストによって創刊されたことを記憶に留めていただきたいと、思います。
★ では、1922年、大正11年という時代に、誕生したばかりの「点字毎日」は、何をしたのか? 生まれただけではあまり意味はありませんね。それで何をしたのか? それが大切です。
★ 先ず、「点字毎日」という新聞ですが、誕生当時からA4版、創刊以来、今日までずっとこのサイズは変わりません。その内容は、後ほど詳しくご紹介しますが、中村編集長は、全国の失明者に覚醒と奮起を促す自ら論説を毎週、掲げ、更に、自ら編集した点字新聞を教材に使って、全国で、点字普及運動を展開します。第一号は僅か800部。盲学校も十分、整備されておらず、点字が読める失明者も、非常に少なかったのです。
★ 幸い、翌年の大正12年、国は、「盲聾唖学校令」という勅令を発しました。これは、全国の府県に盲聾唖学校を設置する義務を課した我が国の教育史上、画期的な出来事でありましたが、盲学校を作ったものの点字の教科書はありません。そこで「点字毎日」は、姉妹団体である「大毎社会事業団」と連携して、文部省に協力して点字教科書を刊行し、国の盲児童の就学奨励と教育の裏付けの支えをしました。
★ 更に盲児童・生徒は、その障害のため運動不足が問題でした。そこで「全国盲学校体育大会」(大正14年)を始め、更に家庭の片隅にかくまわれていた盲青少年に社会に進出する督励として「全国盲学校弁論大会」(昭和3年)など、次々と文化事業を起こしました。
★ 最も”点字新聞”らしい一大キャンペーンは、母紙「大阪毎日新聞」の協力を得て、全国で展開した「点字参政権運動」です。すべての国民に参政権を与えた”普通選挙”は昭和3年から始まりました。「点字毎日」は、その第1回普通選挙で、「点字投票開票の手引き」を編集・出版して、全国1万2500余の市町村投票所に送り、同時に全国の失明者に点字投票を呼びかけたのです。これは我が国の政治史上、特筆すべきキャンペーンでした。
★ 88年も前、僅か800部の発行部数で始まった”点字”新聞が、僅か数年で、これだけの事業を興して、その後の日本の盲人福祉・教育の基礎を創った。「点字毎日」創刊の意味は、一言で言って、そういうことであった、と、私自身は今、この原稿をまとめながら、改めて感慨を噛み締めております。
★ 中村編集長の夢は、その後の後継者によって引き継がれ、多種多様の文化事業を興し、次々と失明者の目覚めと社会啓発のための運動を展開します。ここで、もう一つだけ、触れておきたい重要なことがあります。それは、「声の点字毎日」の録音版の発行です。
★ 元々はカセットテープで作成されていましたが、今はCD盤になっています。これは、ハンセン氏病で失明だけでなく、指も失い、点字が読めない方々のため「点字毎日」の全記事を音声に直して再編集したものです。それまでハンセン氏病失明者は、舌で点字を読んでおられました。
★ また「点字毎日」そのものは全文、点字で書かれていますから、一般の方は読めません。そこで最近は、「点字毎日」(活字版)も出ております。こちらは、一般の方でも購読出来ます。お近くの毎日新聞販売店にお申し込みになれば、ご自宅に配達してくれます。
【追記】
「点字を舌で読む」とは! 全く知りませんでした」と、早速、お問い合わせをいただきました。このことについては、私自身、大学を卒業する頃に岡山・邑久光明園と長島愛生園という二つのハンセン病療養所を訪ねて、失明の上、両手の感覚がマヒした人たちが舌で点字を読んでいる姿に接した思い出があります。当時、ハンセン病失明者が「舌で点字を読む」運動を展開しておられたのを見た強烈な思い出を記録しておりますので、ご関心のある方は、こちらをご覧ください。4年前の記事です。
【6154】 自己解放目指して・・舌で読む点字
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** ご挨拶 ** ブログ【傘寿を生きるロマン日記】公開に当たって
私のネット生活に寄せる想いです。ご理解賜りたくご一読をお願い申し上げます。
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★ 私は、若い頃、この新聞の編集長を15年間、勤めました。そういうことから今なお、研究者や、福祉関係、特に視覚障害者の教育・福祉の関係者から、いろんなお問い合わせが続いてあります。が、私ももう80歳。この新聞について知っていることをすべてこのブログに書き残しておきたいと思います。
★ 幸い、3年前、「大阪社会福祉史研究会」が企画された市民講座でお話しする機会がございまして、その折り、調べた資料もありますので、その折りの講演記録を用いて暫くこちらでお話しさせていただきたいと思います。
***** 「点字毎日」の88年 *****
★ 先ず、「点字毎日」誕生の事情から始めましょう。
日本最初の点字新聞、世界でも、その類を見ない、失明者に特定した新聞は、大正11年、西暦1922年に大阪で創刊されました。今はその姿がなくなりましたが、「毎日新聞」 当時は「大阪毎日新聞」、略して「ダイマイ」の名でしたしまれていた新聞社が発行したのです。
★ JR大阪駅北の繁華街に堂島という目抜き場所があります。ここに「大阪毎日新聞」が当時としては超近代的な5階建て新社屋を完成しました。その記念事業の一つとして創刊されたものです。関西では、長年に亘って、「ダイチョウ」(大阪朝日新聞) 「ダイマイ」(大阪毎日新聞)の2大新聞が日本を2分する大きな勢力を持ち、お互いに競い合って来ました。
★ それが頂点に達した”大正デモクラシー”の昂揚期に、「ダイマイ」が社業一大発展のシンボルとして建設したのがこの新社屋でした。そして記念事業として、「英文毎日」 「サンデー毎日」 「点字大阪毎日」(後・点字毎日と改題) などの新しいメディアを誕生させたのです。
★ もう88年も前のこと。新聞の姉妹誌として、これらの新しい言論を誕生させたのが、東京ではなく大阪であった、これは特筆しておかねばなりません。言論を育む新しいメディアが次々と大阪で誕生した。この事実は、”大正デモクラシー”の高揚期に大阪人の心意気を感じさせるものがあります。
★ 1922年(大正11年)という時点で、失明者に特定した点字の新聞を発行する。その当時は、と言えば、未だ盲学校も満足に整備されていません。テレビどころかラジオも無かった時代の話です。当時、世界を見渡しても、アメリカに「マディルダ・チルダ」という月刊点字雑誌がたった一つ、あっただけでした。
★ しかし、この雑誌は、点字のジャーナル、というよりも、一般に普及している活字版の雑誌から失明者の興味を惹くような記事を拾い集めて点字に直して、失明者の教養に提供する、という、どちらかと言えば、キリスト教の慈善事業の一環でした。
★ 「点字毎日」は、そんな中で、新聞社の中に独立の編集室を持ち、独自の記者を配置して、失明者の言論を育てる、そんな本格的な”点字新聞”を目指したのです。しかも、それを指導した初代編集長は全盲のエリート。明治末期に日本最初の文部省留学生として英国で福祉を勉強した全盲の青年でありました。
★ その名は、中村京太郎。この方のことは、のちほど詳しくお話しします。ここでは、”点字新聞”と言う世界初のユニークな本格的な新聞は、自ら全盲者であった盲目のジャーナリストによって創刊されたことを記憶に留めていただきたいと、思います。
★ では、1922年、大正11年という時代に、誕生したばかりの「点字毎日」は、何をしたのか? 生まれただけではあまり意味はありませんね。それで何をしたのか? それが大切です。
★ 先ず、「点字毎日」という新聞ですが、誕生当時からA4版、創刊以来、今日までずっとこのサイズは変わりません。その内容は、後ほど詳しくご紹介しますが、中村編集長は、全国の失明者に覚醒と奮起を促す自ら論説を毎週、掲げ、更に、自ら編集した点字新聞を教材に使って、全国で、点字普及運動を展開します。第一号は僅か800部。盲学校も十分、整備されておらず、点字が読める失明者も、非常に少なかったのです。
★ 幸い、翌年の大正12年、国は、「盲聾唖学校令」という勅令を発しました。これは、全国の府県に盲聾唖学校を設置する義務を課した我が国の教育史上、画期的な出来事でありましたが、盲学校を作ったものの点字の教科書はありません。そこで「点字毎日」は、姉妹団体である「大毎社会事業団」と連携して、文部省に協力して点字教科書を刊行し、国の盲児童の就学奨励と教育の裏付けの支えをしました。
★ 更に盲児童・生徒は、その障害のため運動不足が問題でした。そこで「全国盲学校体育大会」(大正14年)を始め、更に家庭の片隅にかくまわれていた盲青少年に社会に進出する督励として「全国盲学校弁論大会」(昭和3年)など、次々と文化事業を起こしました。
★ 最も”点字新聞”らしい一大キャンペーンは、母紙「大阪毎日新聞」の協力を得て、全国で展開した「点字参政権運動」です。すべての国民に参政権を与えた”普通選挙”は昭和3年から始まりました。「点字毎日」は、その第1回普通選挙で、「点字投票開票の手引き」を編集・出版して、全国1万2500余の市町村投票所に送り、同時に全国の失明者に点字投票を呼びかけたのです。これは我が国の政治史上、特筆すべきキャンペーンでした。
★ 88年も前、僅か800部の発行部数で始まった”点字”新聞が、僅か数年で、これだけの事業を興して、その後の日本の盲人福祉・教育の基礎を創った。「点字毎日」創刊の意味は、一言で言って、そういうことであった、と、私自身は今、この原稿をまとめながら、改めて感慨を噛み締めております。
★ 中村編集長の夢は、その後の後継者によって引き継がれ、多種多様の文化事業を興し、次々と失明者の目覚めと社会啓発のための運動を展開します。ここで、もう一つだけ、触れておきたい重要なことがあります。それは、「声の点字毎日」の録音版の発行です。
★ 元々はカセットテープで作成されていましたが、今はCD盤になっています。これは、ハンセン氏病で失明だけでなく、指も失い、点字が読めない方々のため「点字毎日」の全記事を音声に直して再編集したものです。それまでハンセン氏病失明者は、舌で点字を読んでおられました。
★ また「点字毎日」そのものは全文、点字で書かれていますから、一般の方は読めません。そこで最近は、「点字毎日」(活字版)も出ております。こちらは、一般の方でも購読出来ます。お近くの毎日新聞販売店にお申し込みになれば、ご自宅に配達してくれます。
【追記】
「点字を舌で読む」とは! 全く知りませんでした」と、早速、お問い合わせをいただきました。このことについては、私自身、大学を卒業する頃に岡山・邑久光明園と長島愛生園という二つのハンセン病療養所を訪ねて、失明の上、両手の感覚がマヒした人たちが舌で点字を読んでいる姿に接した思い出があります。当時、ハンセン病失明者が「舌で点字を読む」運動を展開しておられたのを見た強烈な思い出を記録しておりますので、ご関心のある方は、こちらをご覧ください。4年前の記事です。
【6154】 自己解放目指して・・舌で読む点字
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** ご挨拶 ** ブログ【傘寿を生きるロマン日記】公開に当たって
私のネット生活に寄せる想いです。ご理解賜りたくご一読をお願い申し上げます。
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by zenmz
| 2010-06-07 08:07
| 歴史との対話