2010年 07月 09日
【10050】 『功過挌』・・・身を慎んで長寿を目指す |
★ トシをとりますと、不思議と小学生時代を生々しく思い起こすことがよくあります。尊敬すべきは学校の先生たち。中でも校長先生が、世の中で一番、エライ人に見えていた頃の話。満10歳、4年生のときでした。
★ ある日の朝礼で、ヒゲの校長先生が、「善行を積むべし」と、諭されて、それを日記に記して、自らを省みるよう命じられました。即日実行。修身の時間に「5の善行、5の悪行」が示されて、日記帳に”反省採点”するように求められました。
★ こまかいことは、もうすっかり忘れましたが、毎日、父母への挨拶をしたか? (天皇陛下の皇居に向かって)東方遙拝をしたか? 呼ばれたら大声でハイと返事をしたか? 人が見ていなくても掃除をしたか? 人の悪口を言わなかったか? ・・・・
★ そういった当時の子どもが守るべき道徳徳目が並べられ、
「毎日、なすべきこと、してはならぬこと。それぞれ5つづつ、2列に合計10項目」
が示され、日記帳に毎日、それを書き写して、善悪別に自己採点するようになっていました。
★ 採点は、善悪ともに1項目1点で、最下段に「善行+1」 「悪行-1」で小計を出し、それを合計して、その日の「評価」とするやり方です。口やかましく毎日反省を求める教育でしたから、「自省の実践」を習慣化させるのが狙いだったのかもしれません。
★ ともかく、先生や、級長、上級生が目を光らせていて睨んでいるからウソを書いても直ぐ分かる、と脅されていましたから、かなりマジメに正直に書いていたことを思い出します。
★ 今、何故、それを思い出したのか? 10年前、古希を迎えた頃から私は、「記紀・万葉」や中国の儒教や道教の教えの”一言一句”に惹かれて想いを巡らせることが多くなりました。最近は、ちょっと風変わりな仙人・老子に入り浸っています。有名な中国の道教の祖ですね。
★ 天地開闢の時から万物の歩むべき「道」は備わっている、とする道教の実践倫理を学び直しているうちに『功過格』というものがあることを知りました。東洋学の泰斗・窪徳忠先生の『道教百話』(講談社学術文庫)を手にして、「功過格」の3文字に触れた途端、母校・京都市立深草第一小学校での70年前が甦ってきたのです。、
★ 思わず一人、ニンマリしました。
「校長先生は、これを真似られた、のかも・・・きっと、そうだ」
★ 「功過格」の解説は、『道教百話』を直接、ご覧いただきたいのですが、道教には人の寿命を決める点数計算があります。道徳・倫理の実践法を示したもので、人間、日々の「行い」を得失点で評価する一覧が「功過格」。
★ 善行には得点(功)、悪行には失点(過)がつくのですが、具体的な行いは(功)(過)に分けられ、それぞれ数字評価が付与されています。それに従って、一定期間の得失点を計算し、得点が多ければ多いほど長生きするというワケ。
★ 手元にある資料を見ると、例えば、善行は全部で【功50種】
「人の善行を褒める」 「非行や争いを諭して止めさせる」 「 忘れた文字を1000字写し取る」などが【1功】 「誹られても弁解しない」と【3功】 「無法者を教化する」と【30功】 「寄るべなき者を養育する」と【50功】 「他人を救助し一人の死を救う」と【100功】などのプラス点数が与えられます。
★ 悪行も【過50種】
「権勢を借りて物を求む」 「人の悪を言い広む」 「無知の者を欺く」 「人の物を無断使用」 「人の善行を無効ならしむ」 「約束違背」 「不作法な行い」 「巧みに方法を設けて、人に金銭物品を出させる」などは【1過】ですが、「公序良俗の破壊」「風俗壊乱の書物を作る」は【5過】 「誹謗で人を傷つける」が【30過】 「死体破棄、婚姻破談」は【50過】 「殺人、婦人凌辱、捨て子・堕胎」は【100過】などのマイナス点数がつきます。
★ 『功過格』は、国際的にかなり広く普及いることも知りました。数年前、マレーシアのマラッカで1ヶ月を過ごしました折りに、熱心な道教信奉者と出会い、『功過格』を持ち出したら、色んなマジナイをしてくれて、「あなたの長寿は祝福される」と言われたのを思い出します。
★ マレーシア・マラッカの、その道教寺院では点数記入用の「功過格図」を見せてもらいましたが、誠に煌びやかでした。中国人は今も、このようにして”不老長寿”の夢を乗せた生活文化を楽しんでいるのですね。
★ まあ、実際に体験されれば、実に分かりよいです。一般民衆に社会の倫理、道徳を具体的に示した実践倫理体系ですが、理屈抜き。今でも、仏教・儒教・道教の「3教一致」道徳律として台湾や東南アジアで広く用いられています。
★ 分かりよいと言えば、これほど分かりよい規準はありませんね。
それにしても、道徳・倫理までもそろばん勘定でするとは!
★ 「世界広しといえども倫理や道徳を説くのに、その実践を長生きにむすびつける上に、点数の多少によってその軽重をあらわしているところは、中国よりほかにはないだろう」
と窪徳忠さんも、ご自身の著書の中でコメントしておられますが、事実、中国には,古くから善悪の行為を計量化して、それに吉凶禍福の応報を受けるという思念を練り上げる。
こじつけもここまで練り上げると、立派な哲学ですね。
★ 西洋人と東洋人では、「老い」についての感じ方が全く異なります。
西洋人は加齢を忌み嫌い、年齢を話題にすることを努めて避けており、絶対タブー。私が若い頃には「オトシは?」などと訊ねると、”無教養な無礼者”とさげすまれました。
★ しかし、アジアでは、今でも「老い」は尊敬すべきものとして生きています。「オトシは?」は、敬意を込めた問いかけです。日本ではもう薄れましたが、東南アジアや中国・韓国に行けば、今なお敬老思想は生きています。私などは、トシを言うだけで、アジアでは居心地がよくなります。だから私は海外旅行はアジア地域に決めています。
★ 最古の『功過格』は,1171年に浄明道玉隆万寿宮道士又玄子(ゆうげんし)が夢得したと伝えられる『太徴仙君功過格』だそうです。ひょっとしたら・・・と、思ってみたりします。
★ もう900年もの間、中国人はそろばん勘定で徳を積み、長寿をその総決算と考えて来ました。だから「老い」は価値あるもの、として一般大衆の中に定着し、尊敬されるようになったのではなかったか? 、と。
★ 西洋人が”老い”を忌み嫌うようになったのは、人間の生産能力にのみ着目する現代資本主義社会がもたらした人間疎外の結果。人は”老い”ると無価値とされる。それを恐れて社会関係で、人々は”老い”を話題にすることをタブーとした・・・もう40年以上も前に、フランスの小説家・シモーヌ・ボーヴォワールが、自らに迫り来る”老い”を直視した名著『老い』(人文書院、1970)の中で、そう喝破しています。
★ ”老い”を語れば、何となく悲壮感が漂いますが、そろばん勘定の”功過格”、何と陽気なユーモアたっぷりの老人観ではありませんか。出来れば、その原本を読んで見たい、と、ネット上で探してみましたが、出てきませんでした。
★ その代わりに、青森県の高校の先生で中国思想を専攻された若い書道家、鎌田舜英さんが、自分で確かめられる『功過格』を公開しておられました。
★ 注記によれば、最古の「太微仙君功過格」を参考に翻刻されたそうです。こなれた現代語訳で、随分、分かりよく、参考になります。自分の『功過格』計算で長寿度を確かめる工夫もなされており、楽しめます。一度、お試しを。
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私のネット生活に寄せる想いです。ご理解賜りたくご一読をお願い申し上げます。
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★ こまかいことは、もうすっかり忘れましたが、毎日、父母への挨拶をしたか? (天皇陛下の皇居に向かって)東方遙拝をしたか? 呼ばれたら大声でハイと返事をしたか? 人が見ていなくても掃除をしたか? 人の悪口を言わなかったか? ・・・・
★ そういった当時の子どもが守るべき道徳徳目が並べられ、
「毎日、なすべきこと、してはならぬこと。それぞれ5つづつ、2列に合計10項目」
が示され、日記帳に毎日、それを書き写して、善悪別に自己採点するようになっていました。
★ 採点は、善悪ともに1項目1点で、最下段に「善行+1」 「悪行-1」で小計を出し、それを合計して、その日の「評価」とするやり方です。口やかましく毎日反省を求める教育でしたから、「自省の実践」を習慣化させるのが狙いだったのかもしれません。
★ ともかく、先生や、級長、上級生が目を光らせていて睨んでいるからウソを書いても直ぐ分かる、と脅されていましたから、かなりマジメに正直に書いていたことを思い出します。
★ 今、何故、それを思い出したのか? 10年前、古希を迎えた頃から私は、「記紀・万葉」や中国の儒教や道教の教えの”一言一句”に惹かれて想いを巡らせることが多くなりました。最近は、ちょっと風変わりな仙人・老子に入り浸っています。有名な中国の道教の祖ですね。
★ 天地開闢の時から万物の歩むべき「道」は備わっている、とする道教の実践倫理を学び直しているうちに『功過格』というものがあることを知りました。東洋学の泰斗・窪徳忠先生の『道教百話』(講談社学術文庫)を手にして、「功過格」の3文字に触れた途端、母校・京都市立深草第一小学校での70年前が甦ってきたのです。、
★ 思わず一人、ニンマリしました。
「校長先生は、これを真似られた、のかも・・・きっと、そうだ」
★ 「功過格」の解説は、『道教百話』を直接、ご覧いただきたいのですが、道教には人の寿命を決める点数計算があります。道徳・倫理の実践法を示したもので、人間、日々の「行い」を得失点で評価する一覧が「功過格」。
★ 善行には得点(功)、悪行には失点(過)がつくのですが、具体的な行いは(功)(過)に分けられ、それぞれ数字評価が付与されています。それに従って、一定期間の得失点を計算し、得点が多ければ多いほど長生きするというワケ。
★ 手元にある資料を見ると、例えば、善行は全部で【功50種】
「人の善行を褒める」 「非行や争いを諭して止めさせる」 「 忘れた文字を1000字写し取る」などが【1功】 「誹られても弁解しない」と【3功】 「無法者を教化する」と【30功】 「寄るべなき者を養育する」と【50功】 「他人を救助し一人の死を救う」と【100功】などのプラス点数が与えられます。
★ 悪行も【過50種】
「権勢を借りて物を求む」 「人の悪を言い広む」 「無知の者を欺く」 「人の物を無断使用」 「人の善行を無効ならしむ」 「約束違背」 「不作法な行い」 「巧みに方法を設けて、人に金銭物品を出させる」などは【1過】ですが、「公序良俗の破壊」「風俗壊乱の書物を作る」は【5過】 「誹謗で人を傷つける」が【30過】 「死体破棄、婚姻破談」は【50過】 「殺人、婦人凌辱、捨て子・堕胎」は【100過】などのマイナス点数がつきます。
★ 『功過格』は、国際的にかなり広く普及いることも知りました。数年前、マレーシアのマラッカで1ヶ月を過ごしました折りに、熱心な道教信奉者と出会い、『功過格』を持ち出したら、色んなマジナイをしてくれて、「あなたの長寿は祝福される」と言われたのを思い出します。
★ マレーシア・マラッカの、その道教寺院では点数記入用の「功過格図」を見せてもらいましたが、誠に煌びやかでした。中国人は今も、このようにして”不老長寿”の夢を乗せた生活文化を楽しんでいるのですね。
★ まあ、実際に体験されれば、実に分かりよいです。一般民衆に社会の倫理、道徳を具体的に示した実践倫理体系ですが、理屈抜き。今でも、仏教・儒教・道教の「3教一致」道徳律として台湾や東南アジアで広く用いられています。
★ 分かりよいと言えば、これほど分かりよい規準はありませんね。
それにしても、道徳・倫理までもそろばん勘定でするとは!
★ 「世界広しといえども倫理や道徳を説くのに、その実践を長生きにむすびつける上に、点数の多少によってその軽重をあらわしているところは、中国よりほかにはないだろう」
と窪徳忠さんも、ご自身の著書の中でコメントしておられますが、事実、中国には,古くから善悪の行為を計量化して、それに吉凶禍福の応報を受けるという思念を練り上げる。
こじつけもここまで練り上げると、立派な哲学ですね。
★ 西洋人と東洋人では、「老い」についての感じ方が全く異なります。
西洋人は加齢を忌み嫌い、年齢を話題にすることを努めて避けており、絶対タブー。私が若い頃には「オトシは?」などと訊ねると、”無教養な無礼者”とさげすまれました。
★ しかし、アジアでは、今でも「老い」は尊敬すべきものとして生きています。「オトシは?」は、敬意を込めた問いかけです。日本ではもう薄れましたが、東南アジアや中国・韓国に行けば、今なお敬老思想は生きています。私などは、トシを言うだけで、アジアでは居心地がよくなります。だから私は海外旅行はアジア地域に決めています。
★ 最古の『功過格』は,1171年に浄明道玉隆万寿宮道士又玄子(ゆうげんし)が夢得したと伝えられる『太徴仙君功過格』だそうです。ひょっとしたら・・・と、思ってみたりします。
★ もう900年もの間、中国人はそろばん勘定で徳を積み、長寿をその総決算と考えて来ました。だから「老い」は価値あるもの、として一般大衆の中に定着し、尊敬されるようになったのではなかったか? 、と。
★ 西洋人が”老い”を忌み嫌うようになったのは、人間の生産能力にのみ着目する現代資本主義社会がもたらした人間疎外の結果。人は”老い”ると無価値とされる。それを恐れて社会関係で、人々は”老い”を話題にすることをタブーとした・・・もう40年以上も前に、フランスの小説家・シモーヌ・ボーヴォワールが、自らに迫り来る”老い”を直視した名著『老い』(人文書院、1970)の中で、そう喝破しています。
★ ”老い”を語れば、何となく悲壮感が漂いますが、そろばん勘定の”功過格”、何と陽気なユーモアたっぷりの老人観ではありませんか。出来れば、その原本を読んで見たい、と、ネット上で探してみましたが、出てきませんでした。
★ その代わりに、青森県の高校の先生で中国思想を専攻された若い書道家、鎌田舜英さんが、自分で確かめられる『功過格』を公開しておられました。
★ 注記によれば、最古の「太微仙君功過格」を参考に翻刻されたそうです。こなれた現代語訳で、随分、分かりよく、参考になります。自分の『功過格』計算で長寿度を確かめる工夫もなされており、楽しめます。一度、お試しを。
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by zenmz
| 2010-07-09 07:30
| 奴雁の目