2010年 08月 31日
【10111】 文章を書くために (5)・・・ 社説でまなぶ立論作法 |
★ 大学の初級ゼミや、卒業研究、さらに進んで大学院生の論文作成に共通する基礎・基本は立論です。これから何を明らかにするのか? 問題所在を提起し、その論を客観的資料に基づいて論証する。そして問題解決へのいくつかのシミュレーションを吟味し、より望ましい問題解消案を提示する。
★ この筋道は、大衆向け実用文の社説も、専門家の学術論文も、立論に当たっては、基本的に同じ方法を踏みます。だから、社説を読みながら、日常的に、モノの見方、考え方、さらにそれを他者に伝え共感を求める表現法・・等々、それを意識的に学ぶ態度は、学校の勉強にも、即、役立ちます。
★ 社説をじっくり読む。そこで学ぶことは、問題のとらえ方、その根拠となる客観的事実の確認。そして解決へ仮説の建て方と、そのメリット、デメリットの吟味、そして提言へ・・・読者を説得する論理の組み立て方に留意して読んで欲しいのです。
★ この吟味は、自分の知らない事柄をテーマに取りあげた社説では難しいです。だから最初は、自分が理解できる身近な事柄を取りあげた社説をじっくり読み込む練習をするといいと思います。そして何編か試みて、慣れて来たら、より難しいテーマと、取り組んでみるのがいいでしょう。
★ 一通り慣れると、立論には、その根拠となる客観的事実の確認が先ず必要、ということが分かります。”問題”として取りあげる以上、それは、一般に知られている常識内の事柄ではなく、「異常」 「不正」 「反社会的」な現象であるはずです。では、その問題状況はどうなのか? 文章書きが先ず確認すべきはそれを立証する第一次資料です。
★ ”資料”と言えば、ひとまとまりの書かれた文書を思われるかも知れませんが、第一次資料で、最も良質のものは、自分が現場で目撃、あるいは観察したものが一番、信頼性が高く、貴重です。その同じ立場で他の人が、現場で目撃、観察した報告文・・・こうしたナマの情報が第一次資料。
★ 現代社会において、第一次資料的価値の高い重要情報は、政府、行政各省庁に集まり、”官”が独占的に握っています。ですから社説が論拠とする資料は、どうしても政府、官公庁、政財界に集まった情報や調査に依拠することが多いです。
★ IT情報革命の急速な進行で、幸いなことに、それらの情報はネット上で誰でも利用出来るようになりました。そこで社説を読むときには、論拠にどんな資料を用いているのか? それを常に確認し、その元資料に必ず当たってみる努力を惜しまないで下さい。その記事に含まれているキーワードで検索すると、かなり簡単に確認できます。
★ この作業を、少し念入りにすると、恐らく、誰もが、お気づきになると思います。
数種の新聞で、同じ問題を取りあげたニュースが、書かれている内容も、時には見出しも横並び全く同じ・・・??? ということに気付かれるでしょう。
★ 新聞作りの”限界・欠点”とも関係することですが、最近の新聞は、情報源の発表モノに大きく依存しているように思います。よくテレビなどを見ていると、報道記者が「未だ発表がありません」などと平然と言っていますね。「発表がない」などという言い訳は、私のような老記者は絶対に口にしなかったものです。記者は発表を書くチラシ代書屋ではありません。
★ ニュースとは何か? それを言い出すとキリがないので触れませんが、ともかく報道者は自ら現場を踏んで、自らの目で確かめたことを書く。それが原則。それをしないで警察や官庁、金融機関などの”広報官”の発表を待って書く。最近は、そんな”ご用聞き記者”が随分、ふえましたね。私は、嘆かわしい言論の堕落だと思っています。
★ 新聞を読むとき、気になって仕方がないのは、中央官庁、都道府県のいわゆる行政ダネ。その殆どは行政広報と考えてもいいです。もっともらしい解説まで、”広報官”が、こういえば、新聞はこう書くだろう、との計算の上で”発表”しているものが多いです。不勉強な記者は、配られた素資料をそのまま写して出稿。だから、どこの新聞を見ても、同じ記事になるのです。
★ 発表モノを鵜のみにして書くのでなく、その根拠をなす第一次資料を自分の目で確認し、納得して書く記事では雲泥の差があります。各社がそれを誠実にやっているなら、どこの新聞も同じ記事、などという”奇跡”は絶対に起こらないです。
★ 一つ試みに総理大臣の官邸ホームページを開いてください。
菅総理とその閣僚の動きは一目瞭然です。現下のホットな政策特集に関する情報はワンサと出ています。中でも毎日のように更新されているのが「総理の演説・記者会見」
臨場感のあるビデオで最初から終わりまで全部、見ることが出来ます。
★ 会談のあと、発表された発言内容と記者との質疑、みんな、漏らさずこうかいされています。これを元に自分なりに記事を書いてみる。そして実際に記者が書いた記事と見比べる。自分でやってみたらイロイロ、問題点が見えてきます。 まあ、新聞をどう読むか? 論より証拠、この”お試し実践”の経験が一番、勉強になります。
★ 中央の官庁だけではありません。全国都道府県のホームページ・知事室をみれば、記者会見は全部、公開されています。その記者会見(第一次資料)を確認しながら、報道された記事を読み込む。何回か、その努力をなされば、多分、新聞を見る目は随分、肥えて来るはずです。手抜きせず、是非、やってみて下さい。
★ 気楽に書けるエッセーとは異なり、いわゆる論文と称せられる文章は、厳密な論理展開を要求されます。最初の立論から大事なことは、その論拠となる第一次資料の確認です。これを欠くと、単なる思いつきでしかありません。思いつきにどんな美辞麗句の文章を乗せてみても全く無価値です。
★ 昔から、学問の道は「温故知新」 つまり「古きを温ねて新しきを知る」 2500年前の孔子の言葉ですね。これが、文章としての論文の王道です。立論に当たって、自分の発想が独自性のあるものか、どうか? 方法論を含めて 先行研究で吟味されねばなりません。(古きを温ねる)その確認は論文に明示されねばなりません。(新しきを知る) 大学院レベルで、それが出来ていないようでは研究者としての資質を問われかねませんね。
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★ 「文章を書くために・・・」 5回続けた随想記も、そろそろ終わりにします。
最後に、歴史的大文筆家の名声が高い、「ドクター・ジョンソン」の文章修行エピソードをご紹介しておきたいと思います。昔の方々は、このように文章修行された。その模範例です。
★ 通称、「ドクター・ジョンソン」で、英国人に親しまれているこの方の本名は、Samuel Johnson。今から250年前の1755年に、英語最初の辞書『英語辞典』(全2巻)を独力で完成され「英文壇の大御所」と尊敬されている方です。政治嫌いの徹底した自由人で「腐敗した社会には、多くの法律がある」という有名な語録を残しておられます。
★ この方はまた達意の名文家として歴史に名を残していますが、若い時には文章が下手で、それを克服するため、少年時代に自ら発案して試みた”ユニークな練習”がエピソードとして残っています。
★ それは、気に入った文章に出会うと、それを何度も、繰り返して熟読し、そこに盛り込まれたメッセージやイメージを頭に叩き込み、翌日、それを自分の言葉で再現する文章を綴る。そして出来上がった文章と原文を付き合わせて比較、検討。
★ ”ユニークな練習”と言われる由縁は、それで、終わるのではなく、それを引き出しにしまい込んで、1週間後に同じ状況イメージを思い出して、再び、自分の言葉で文章を書いてみる。そしてしまい込んだ前の文章と新作を付き合わせて、吟味し、推敲を重ねて完成文に仕上げる。 これを何年か、続けて、文章を磨いたのだそうです。
★ 日本最高の文章論は、文豪、谷崎潤一郎先生の「文章読本」だと言われていますね。私も全く同感です。 「文章とは何か」 「文章上達法」 「文章の要素」 の3章に分けてありますが、先生のご主張は単純・明快です。要するに
★ 決して独りよがりの造語作りを安易に認めるものではありません。逆に、それを厳しく戒めるものと言わねばなりません。言葉に限界があるからこそ推敲するのです。「ドクター・ジョンソン」の故事も、その努力をしておられるのです。これを正しく学び、受け止め、心してまいりましょう。
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** ご挨拶 ** ブログ【傘寿を生きるロマン日記】公開に当たって
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★ この筋道は、大衆向け実用文の社説も、専門家の学術論文も、立論に当たっては、基本的に同じ方法を踏みます。だから、社説を読みながら、日常的に、モノの見方、考え方、さらにそれを他者に伝え共感を求める表現法・・等々、それを意識的に学ぶ態度は、学校の勉強にも、即、役立ちます。
★ 社説をじっくり読む。そこで学ぶことは、問題のとらえ方、その根拠となる客観的事実の確認。そして解決へ仮説の建て方と、そのメリット、デメリットの吟味、そして提言へ・・・読者を説得する論理の組み立て方に留意して読んで欲しいのです。
★ この吟味は、自分の知らない事柄をテーマに取りあげた社説では難しいです。だから最初は、自分が理解できる身近な事柄を取りあげた社説をじっくり読み込む練習をするといいと思います。そして何編か試みて、慣れて来たら、より難しいテーマと、取り組んでみるのがいいでしょう。
★ 一通り慣れると、立論には、その根拠となる客観的事実の確認が先ず必要、ということが分かります。”問題”として取りあげる以上、それは、一般に知られている常識内の事柄ではなく、「異常」 「不正」 「反社会的」な現象であるはずです。では、その問題状況はどうなのか? 文章書きが先ず確認すべきはそれを立証する第一次資料です。
★ ”資料”と言えば、ひとまとまりの書かれた文書を思われるかも知れませんが、第一次資料で、最も良質のものは、自分が現場で目撃、あるいは観察したものが一番、信頼性が高く、貴重です。その同じ立場で他の人が、現場で目撃、観察した報告文・・・こうしたナマの情報が第一次資料。
★ 現代社会において、第一次資料的価値の高い重要情報は、政府、行政各省庁に集まり、”官”が独占的に握っています。ですから社説が論拠とする資料は、どうしても政府、官公庁、政財界に集まった情報や調査に依拠することが多いです。
★ IT情報革命の急速な進行で、幸いなことに、それらの情報はネット上で誰でも利用出来るようになりました。そこで社説を読むときには、論拠にどんな資料を用いているのか? それを常に確認し、その元資料に必ず当たってみる努力を惜しまないで下さい。その記事に含まれているキーワードで検索すると、かなり簡単に確認できます。
★ この作業を、少し念入りにすると、恐らく、誰もが、お気づきになると思います。
数種の新聞で、同じ問題を取りあげたニュースが、書かれている内容も、時には見出しも横並び全く同じ・・・??? ということに気付かれるでしょう。
★ 新聞作りの”限界・欠点”とも関係することですが、最近の新聞は、情報源の発表モノに大きく依存しているように思います。よくテレビなどを見ていると、報道記者が「未だ発表がありません」などと平然と言っていますね。「発表がない」などという言い訳は、私のような老記者は絶対に口にしなかったものです。記者は発表を書くチラシ代書屋ではありません。
★ ニュースとは何か? それを言い出すとキリがないので触れませんが、ともかく報道者は自ら現場を踏んで、自らの目で確かめたことを書く。それが原則。それをしないで警察や官庁、金融機関などの”広報官”の発表を待って書く。最近は、そんな”ご用聞き記者”が随分、ふえましたね。私は、嘆かわしい言論の堕落だと思っています。
★ 新聞を読むとき、気になって仕方がないのは、中央官庁、都道府県のいわゆる行政ダネ。その殆どは行政広報と考えてもいいです。もっともらしい解説まで、”広報官”が、こういえば、新聞はこう書くだろう、との計算の上で”発表”しているものが多いです。不勉強な記者は、配られた素資料をそのまま写して出稿。だから、どこの新聞を見ても、同じ記事になるのです。
★ 発表モノを鵜のみにして書くのでなく、その根拠をなす第一次資料を自分の目で確認し、納得して書く記事では雲泥の差があります。各社がそれを誠実にやっているなら、どこの新聞も同じ記事、などという”奇跡”は絶対に起こらないです。
★ 一つ試みに総理大臣の官邸ホームページを開いてください。
菅総理とその閣僚の動きは一目瞭然です。現下のホットな政策特集に関する情報はワンサと出ています。中でも毎日のように更新されているのが「総理の演説・記者会見」
臨場感のあるビデオで最初から終わりまで全部、見ることが出来ます。
★ 会談のあと、発表された発言内容と記者との質疑、みんな、漏らさずこうかいされています。これを元に自分なりに記事を書いてみる。そして実際に記者が書いた記事と見比べる。自分でやってみたらイロイロ、問題点が見えてきます。 まあ、新聞をどう読むか? 論より証拠、この”お試し実践”の経験が一番、勉強になります。
★ 中央の官庁だけではありません。全国都道府県のホームページ・知事室をみれば、記者会見は全部、公開されています。その記者会見(第一次資料)を確認しながら、報道された記事を読み込む。何回か、その努力をなされば、多分、新聞を見る目は随分、肥えて来るはずです。手抜きせず、是非、やってみて下さい。
★ 気楽に書けるエッセーとは異なり、いわゆる論文と称せられる文章は、厳密な論理展開を要求されます。最初の立論から大事なことは、その論拠となる第一次資料の確認です。これを欠くと、単なる思いつきでしかありません。思いつきにどんな美辞麗句の文章を乗せてみても全く無価値です。
★ 昔から、学問の道は「温故知新」 つまり「古きを温ねて新しきを知る」 2500年前の孔子の言葉ですね。これが、文章としての論文の王道です。立論に当たって、自分の発想が独自性のあるものか、どうか? 方法論を含めて 先行研究で吟味されねばなりません。(古きを温ねる)その確認は論文に明示されねばなりません。(新しきを知る) 大学院レベルで、それが出来ていないようでは研究者としての資質を問われかねませんね。
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★ 「文章を書くために・・・」 5回続けた随想記も、そろそろ終わりにします。
最後に、歴史的大文筆家の名声が高い、「ドクター・ジョンソン」の文章修行エピソードをご紹介しておきたいと思います。昔の方々は、このように文章修行された。その模範例です。
★ 通称、「ドクター・ジョンソン」で、英国人に親しまれているこの方の本名は、Samuel Johnson。今から250年前の1755年に、英語最初の辞書『英語辞典』(全2巻)を独力で完成され「英文壇の大御所」と尊敬されている方です。政治嫌いの徹底した自由人で「腐敗した社会には、多くの法律がある」という有名な語録を残しておられます。
★ この方はまた達意の名文家として歴史に名を残していますが、若い時には文章が下手で、それを克服するため、少年時代に自ら発案して試みた”ユニークな練習”がエピソードとして残っています。
★ それは、気に入った文章に出会うと、それを何度も、繰り返して熟読し、そこに盛り込まれたメッセージやイメージを頭に叩き込み、翌日、それを自分の言葉で再現する文章を綴る。そして出来上がった文章と原文を付き合わせて比較、検討。
★ ”ユニークな練習”と言われる由縁は、それで、終わるのではなく、それを引き出しにしまい込んで、1週間後に同じ状況イメージを思い出して、再び、自分の言葉で文章を書いてみる。そしてしまい込んだ前の文章と新作を付き合わせて、吟味し、推敲を重ねて完成文に仕上げる。 これを何年か、続けて、文章を磨いたのだそうです。
★ 日本最高の文章論は、文豪、谷崎潤一郎先生の「文章読本」だと言われていますね。私も全く同感です。 「文章とは何か」 「文章上達法」 「文章の要素」 の3章に分けてありますが、先生のご主張は単純・明快です。要するに
出来るだけ多くのものを繰り返して読む。★ 最後の言葉の限界を知る。の1項に注目したいと思います。 現在、マスコミ界だけでなく、ネット上で、これまでの慣用語では表現出来ないと、言葉もじりの造語ブームが巻き起こっています。谷崎先生は、これを戒めておられるのです。 文章修行で大切なひとつは推敲すること。忽せに出来ない大切な基本ですが、それは、どう言うことか?
そして実際に自分で、書いてみる。
他人に読んでもらうのだから分からせるように書く。
そして、言葉の限界を知る。
★ 決して独りよがりの造語作りを安易に認めるものではありません。逆に、それを厳しく戒めるものと言わねばなりません。言葉に限界があるからこそ推敲するのです。「ドクター・ジョンソン」の故事も、その努力をしておられるのです。これを正しく学び、受け止め、心してまいりましょう。
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** ご挨拶 ** ブログ【傘寿を生きるロマン日記】公開に当たって
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by zenmz
| 2010-08-31 01:28
| 言霊