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【5158】 検証 福地桜痴と日本新聞事始め
▼日本人は、いつ、どのような事情から西欧で発達していた「新聞」というものを知り、それが必要と、思うまでになったのか? これは非常に興味深い問題です。今日は少し、詳しく、資料を点検しながら、【日本での新聞事始め】を探訪しましょう。
▼明治維新当時は未だ、「江湖」すなわち世間・うわさ話を収録した”かわら版”が庶民の情報源でした。現在の我々が知っている「新聞」というものなどは全く無かった時代です。未だ江戸時代の鎖国が色濃く残ってもいました。そんな時の事、何か調べる手がかりはないか? ありました。明治研究の必読本。 ▼『懷往事談附・新聞紙實歴』(東京 : 民友社 1894)という本です。著者は、日本最古の歴史を誇る毎日新聞の前身『東京日々新聞』の初代社長・福地源一郎(1841-1906) 本名より、「桜痴」の号で広く世に知られる人物です。日本最初の近代的ジャーナリズムを創立した人として有名です。 ▼全248ページの大著ですが、「円銀引替並通用の事情」 「露国使節の渡来 」 「井伊大老の不人望」 「外交困難の状況」 「米国公使書記官殺害の葛藤」と言ったテーマを掲げて 明治維新直後の世情を記録しています。その中で、第11,第12の2章は、「生麦事件」の賠償金をめぐる薩英戦争について、報道した英『タイムス紙』の非常に興味深い”ニーウエス”を紹介し、そのとき、自分自身が新聞記者になる決意をした、と書いています。 ▼このテーマを考える時、この著者が15歳の少年にまで戻ります。なぜ? どうして? その辺りの事情からお話ししましょう。 ▼福地源一郎は、弱冠15歳の時、生まれ故郷の長崎で、オランダ通詞・名村八右衛門の塾に入門し、若い頃から貿易・通訳補助を務めており、その問題を解くのに恰好の人物なのです。 ▼源一郎が名村塾に入門した頃、長崎にオランダ商館が置かれており、出島には通詞会所があって、通訳を仕事にしている人は、「通詞目付」と言う役人の監督の下、大通詞、小通詞、小通詞並、小通詞末席などの階級に分けられていました。源一郎は、間もなく末席のさらにその下の「稽古通詞」に採用されました。源一郎は『新聞紙實歴』にその時の状況を次のように記しています。 ▼**** 和蘭人より年々来舶の度ごとに風説書と名付けたる書面を出して海外の事情を長崎奉行に報告したり 名村先生は右書面を和蘭甲比丹より請取りて和解(翻訳)を成せるに臨み常に余をして筆を採て其筆記を為さしめたり。**** つまりオランダ商館長が『風説書』(ふうせつがき)と称する書面を提出するが、師である大通詞は若い源一郎にその翻訳文作成を任せた、と言うのです。 ▼『風説書』は、幕府の鎖国政策と同時に始まった公文書です。最初はキリシタンに関する情報収集が目的で用いられたのですが、オランダが対日貿易を独占するようになってからは、オランダ商館に海外情報の提供を義務づけ、幕末には国際情勢の緊迫と共に最重要のニュース源として重宝されていました。源一郎は、長崎奉行が幕府に献上するその国際ニュースの翻訳と文書作成を担当したのです。 ▼ところが、長崎・出島にあったオランダ商館のオランダ人は島から外に出ることは厳しく規制されていました。「なのに、どのようにして、これだけ詳しく世界のことが分かるのか?」 疑問に思い、名村大通詞に訊ねると、 **** 先生去ればなり、西洋諸国には「ニーウエス」(NEWS・新聞紙)と唱え毎日刊行して自国は勿論他の外国の時事を知らしむる紙あり甲比丹は其ニーウエスを読んで専ら其の中より重立ちたる事柄をば斯は書き記して奉行所へ言上いたすなりと告げ其座右にありける和蘭新聞紙の反古を出して余に与えられたりき **** ▼源一郎はいただいた「オランダ古新聞」を字引片手に読もうと格闘したが、文章が複雑、かつ海外事情の基礎知識もないため「力及ばずして之を断念」と記しています。が、「是余が初めてニーウエスの語を聞きて其物を見たる始めなりき」と、衝撃的だった新聞体験を回顧しています。以来、オランダから船が入港する度に出島におもむき、新しい新聞を見せてもらいながら新情報を収集した、と書いています。 ▼源一郎は、1858年、江戸に出ます。17歳。翌1859年には外国奉行支配通弁御用御雇となり、江戸に出てきたシーボルトの通訳をしました。江戸では最初に漢学を学び、後、ペリー来訪の時、通訳をした森山多吉郎の塾に寄宿して森山やジョン万次郎(中浜万次郎)から英語を学びましたが、”同級生”には福沢諭吉がいたそうです。 ▼1861年、20歳の時、外国奉行・竹内下野守保徳を正使とする交渉使節団が渡欧しました。英国で初めて英字新聞を手にした驚きを『新聞紙実歴』に次のように書いています。 **** 現に我使節の一行の挙動を記し或いは其来意を説き或いは其談判の趣意を論じたる箇条を見て的面我が身の上の事なれば其興味を覚え如何なれば新聞記者は斯も我らの事を詳細に知り得るものなる平然のみならず昨日の事を今朝既に其紙上に載せたる迅速さよと驚嘆したりき **** ▼源一郎がハッキリと自分は新聞記者になる、と決意したのは、2度目の渡欧の時でした。2度目の渡欧は1865年5月から翌年にまたがる9ヶ月もの長きにわたりましたが、出発前に源一郎は信じられない”新聞の公正”に心を揺さぶられる事実に出くわします。それは、1862年に薩摩藩士が英国人3人を殺傷した「生麦事件」を報道した『タイムズ紙』の報道でした。 ▼1863年7月、足踏みする外交交渉に業を煮やした英国は軍艦7隻を鹿児島湾に配して「犯人の死刑と、賠償金支払い」を要求、薩摩藩がこれを拒否したため薩英戦争が開始されました。折からの台風で艦隊の艦砲射撃にあった鹿児島市は大火になり町は全滅しました。『タイムズ紙』は、その模様を詳細に報道しました。 ▼源一郎は、オランダ商館で手に入れた『タイムズ紙』でつぶさに戦闘の客観報道と、社説で展開された”中立的論評”を読み、敵国が自国に不利な報道を自由に行い、しかも、その新聞報道が議会で取り上げられ、その結果、「鹿児島の町の焼き討ちは、戦争の慣行に背く行為で遺憾とする」との決議案が下院に提出された、という事実を知り、ビックリ仰天。その感慨を次のように綴っています。 ▼▼**** 英国軍艦が償金1条よりして鹿児島を砲撃したる挙動は、英国議院の問題に上がりて、其非挙を鳴らして当時の内閣を攻撃したる記事を新聞紙上にて読み、併せて新聞記者が此件に関せる意見を読みて大いに其議論の正大なるに驚き、直言して憚る所なきに感じ、更に欣羨の情を加えたりき **** ▼政府、議会さえ動かす新聞の影響力と言論の力、その感動を押さえることが出来ず、「欣羨の情を加えた」上、こう結んでいます。「余にしてもし才学文章あらば、時機を得て新聞記者となり、時事を痛快に論ぜんものと思い始む」と。源一郎の決意は、この時に固まったようです。 ▼1865年、2度目の渡欧は9ヶ月もの長い旅行になりました。かなり余裕があったようで、パリではフランス語も学習、欧州各地で、「内外の政治に関して与論を左右するものは即ち新聞の力なり」と教わります。新聞は近代国家を動かす基本的な機関と確信します。 ▼そして役人を辞めた源一郎は、1868年4月、『江湖新聞』を創刊しました。27歳でした。後に『東京日々新聞』を始める条野伝平、広岡幸助、西田伝助もこれに協力しましたが、記事は源一郎一人で書き、木版刷り1冊10ページ、3~4日に1回発行しました。 ▼『江湖新聞』創刊号1ページには次の創刊の辞が記されています **** 新聞は隠事秘説といえども普く書記為すを以て大いに有益となれるものから各国此局あらざるはなし **** 隠し事もあらいざらけ書くからこそ有益なのである、と宣言した上で、子どもや女性も世の中の出来事が分かる新聞を、とイラストやマンガを沢山用いました。 ▼ところが、1868年5月5日付の第16号で、明治維新の尊皇・大政奉還について「幕府が倒れて薩長が第二の幕府になるだけならそれは賛成しかねる」との論説を掲げました。それが「反政府的”空説”虚報」と問題になり、源一郎は直ちに逮捕、投獄されます。 我が国初の筆禍事件です。未だ新政府も出来たばかりで「審問法廷は死罪か放免か」の二者択一の危機に立たされましたが、友人達が助命運動に奔走し、1週間後に放免されましたが、『江湖新聞』は勿論、当時、いろいろと試みられていた”新聞”も全部、発行禁止の憂き目をみることになりました。日本最初の政府による言論弾圧でした。 ▼それから5年後、日本に初めて、本格的な新聞が登場します。『東京日々新聞』の発刊です。 明治5(1872)年のことでした。そして編集中枢に迎えられた源一郎は、論説記者、主筆を経て初代社長に就任し、日本最初の日刊新聞の原型を完成します。 ▼日本のジャーナリズムは、自由な言論に命を賭けて闘った言論人・福地源一郎桜痴が身を以て切り開いたのでした。この事実は、永遠に記念されるべきでしょう。新聞社を退いた後、劇作・小説等の著述に専念しましたが、明治39(1906)年に66才で亡くなられました。 by zenmz | 2005-10-12 00:05
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