2005年 10月 12日
【番外:改訂版実験】 検証 福地桜痴と日本新聞事始め |
▼日本人は、いつ、どのような事情から西欧で発達していた「新聞」というものを知り、それが必要と、思うまでになったのか? これは非常に興味深い問題です。
▼明治維新当時は未だ、「江湖」すなわち世間・うわさ話を収録した”かわら版”が庶民の情報源でした。現在の我々が知っている「新聞」というものなどは全く無かった時代です。未だ江戸時代の鎖国が色濃く残ってもいました。そんな時の事、何か調べる手がかりはないか? ありました。明治研究の必読本。
▼『懷往事談附新聞紙實歴』(東京 : 民友社 1894)という本です。著者は、日本最古の歴史を誇る毎日新聞の前身『東京日々新聞』の初代社長・福地源一郎(1841-1906) 本名より、「桜痴」の号で広く世に知られる人物です。日本最初の近代的ジャーナリズムを創立した人として有名です。
▼今日は、この資料を吟味しながら、少し、詳しく、【日本での新聞事始め】を探訪しましょう。詳しくは、こちらの【問わず語り】に続きます。
▼明治維新当時は未だ、「江湖」すなわち世間・うわさ話を収録した”かわら版”が庶民の情報源でした。現在の我々が知っている「新聞」というものなどは全く無かった時代です。未だ江戸時代の鎖国が色濃く残ってもいました。そんな時の事、何か調べる手がかりはないか? ありました。明治研究の必読本。
▼『懷往事談附新聞紙實歴』(東京 : 民友社 1894)という本です。著者は、日本最古の歴史を誇る毎日新聞の前身『東京日々新聞』の初代社長・福地源一郎(1841-1906) 本名より、「桜痴」の号で広く世に知られる人物です。日本最初の近代的ジャーナリズムを創立した人として有名です。
▼今日は、この資料を吟味しながら、少し、詳しく、【日本での新聞事始め】を探訪しましょう。詳しくは、こちらの【問わず語り】に続きます。
【注】例えば、長文掲載の場合は、このような形式になります。PDFファイルで作成してあります。このファイルはモニター画面いっぱいに拡大してご覧下さい。ブラウザの最上段右隅に三つある小さなボタンの真ん中をクリックするとそのように開らきます。
by zenmz
| 2005-10-12 19:58