2005年 10月 31日
【5179】 定年・束縛から解放されて自由に |
【同文縦書】(PDF9Kb) ★団塊の世代、と言われる年代の友人からメールが届きました。「後、2年、今の束縛から解き放たれたら、いよいよ好きな念願の釣り竿三昧に生きてみようと思います」 好きに生きる、自由に生きる・・・私も、定年前に同じように想い、定年後のバラ色の余生を描いたのを思い出しました。
★物心ついてから今日に至るまで私も「自由に振る舞いたい」想いを抱き続けてきました。こどもの時には親がらみ、学校がらみ、教師がらみ・・・長ずるに及んでは職業がらみ、上司がらみ・・・家に戻ると、妻子、家族、親戚・・・血縁がらみと、とにもかくにも、回りを取り巻く人間がらみの煩わしさから逃げ出したい想いを棄てきれずに来ました。
★そして定年。最初の新聞社定年は55歳の誕生日。縁あり、続いて大学教員がその後、22年も続きました。そして更に2度定年を重ねて今、子育て、仕事も終え、豊かな自然環境の中で、ゆったりと暮らしています。言葉にするか、どうかは、別として、回りは私にそれを許してくれます。「どうぞ、ご自由に」 人間とは、困ったもので、そう言われてみると、さて・・・? 何をしてよいのやら、さっぱり分からない。
★「自由とは何か?」 それは、政治学の基本課題だ、と、教えて下さったのは、岡本清一先生でした。私が学んだ同志社大学法学部教授でしたが、後、京都の精華大学長になられた方で、「岡本・自由論」は南原繁・東大総長が激賞され、1950年代から60年代にかけて大評判になったものです。
★「岡本・自由論」によれば、私の、このような“自由”は、free from <○○からの自由> つまり、束縛や拘束からの自由を意味します。しかし、国家・社会の中で人間が求める”自由”には、これとは違った free to <○○への自由>がある、のですね。
★<○○への自由>・・?? 一つ、例を挙げると、参政権。女性の政治参加は戦前には認められていませんでした。政治に参加出来る自由の獲得は、新憲法が出来て初めて実現しました。福祉を求める権利も人間らしく生きる生存への自由を実現する手段として認められるようになりました。
★束縛から逃げ出すのではなく、新たな充足を実現する積極的な行動を起こす”自由”もあるのですね。これは、やはり、余程、冷静な内観がないと自覚されません。凡人の悲しい所です。しかし、政治概念としての”自由”は、それで整理出来るでしょうが、もう少し、基本の所はどうか?
★「真理は汝に自由を得さすべし」・・・例えば、キリスト教の聖書には有名な言葉があります。この”自由”は、どの「自由」なのでしょう。仏教経典には「諸仏、各々自由にして端正殊妙」と説いています。この”自由”は? 同じく「自由」と言うのですが・・・・
★つらつら考えるに、宗教で説かれている”自由”は、どうやら「諸々の執念の囚われ」からの自由と、その結果、得られた”救い”としての”自由”の考え方があるようです。手段と目的の関係でしょうか?例えば、仏教の
『月燈三昧経』には、悟った仏は何事にもとらわれない真の”自由人”とし、「仏・如来であると」は、【自由自在力を得るが故】と教えています。
★ナルホド! “自由”は、もともと漢語ですね。「由」は”もとづく” 「他に由らず、独立して、自存する」 それが自由の本義なのですね。
友人のメールに触発されて想いここに止まる感じ。
「ここまで、考えてみたが、自由に生きるのは本当に難しい。早い話、老妻なくしては3食もママならぬ身。自存など”夢のまた夢”。 まあ、当分、新生活をどう創るか? 奥さんと仲良く連れ添う工夫が第一」
と、メールの返信を打ちました。
★物心ついてから今日に至るまで私も「自由に振る舞いたい」想いを抱き続けてきました。こどもの時には親がらみ、学校がらみ、教師がらみ・・・長ずるに及んでは職業がらみ、上司がらみ・・・家に戻ると、妻子、家族、親戚・・・血縁がらみと、とにもかくにも、回りを取り巻く人間がらみの煩わしさから逃げ出したい想いを棄てきれずに来ました。
★そして定年。最初の新聞社定年は55歳の誕生日。縁あり、続いて大学教員がその後、22年も続きました。そして更に2度定年を重ねて今、子育て、仕事も終え、豊かな自然環境の中で、ゆったりと暮らしています。言葉にするか、どうかは、別として、回りは私にそれを許してくれます。「どうぞ、ご自由に」 人間とは、困ったもので、そう言われてみると、さて・・・? 何をしてよいのやら、さっぱり分からない。
★「自由とは何か?」 それは、政治学の基本課題だ、と、教えて下さったのは、岡本清一先生でした。私が学んだ同志社大学法学部教授でしたが、後、京都の精華大学長になられた方で、「岡本・自由論」は南原繁・東大総長が激賞され、1950年代から60年代にかけて大評判になったものです。
★「岡本・自由論」によれば、私の、このような“自由”は、free from <○○からの自由> つまり、束縛や拘束からの自由を意味します。しかし、国家・社会の中で人間が求める”自由”には、これとは違った free to <○○への自由>がある、のですね。
★<○○への自由>・・?? 一つ、例を挙げると、参政権。女性の政治参加は戦前には認められていませんでした。政治に参加出来る自由の獲得は、新憲法が出来て初めて実現しました。福祉を求める権利も人間らしく生きる生存への自由を実現する手段として認められるようになりました。
★束縛から逃げ出すのではなく、新たな充足を実現する積極的な行動を起こす”自由”もあるのですね。これは、やはり、余程、冷静な内観がないと自覚されません。凡人の悲しい所です。しかし、政治概念としての”自由”は、それで整理出来るでしょうが、もう少し、基本の所はどうか?
★「真理は汝に自由を得さすべし」・・・例えば、キリスト教の聖書には有名な言葉があります。この”自由”は、どの「自由」なのでしょう。仏教経典には「諸仏、各々自由にして端正殊妙」と説いています。この”自由”は? 同じく「自由」と言うのですが・・・・
★つらつら考えるに、宗教で説かれている”自由”は、どうやら「諸々の執念の囚われ」からの自由と、その結果、得られた”救い”としての”自由”の考え方があるようです。手段と目的の関係でしょうか?例えば、仏教の
『月燈三昧経』には、悟った仏は何事にもとらわれない真の”自由人”とし、「仏・如来であると」は、【自由自在力を得るが故】と教えています。
★ナルホド! “自由”は、もともと漢語ですね。「由」は”もとづく” 「他に由らず、独立して、自存する」 それが自由の本義なのですね。
友人のメールに触発されて想いここに止まる感じ。
「ここまで、考えてみたが、自由に生きるのは本当に難しい。早い話、老妻なくしては3食もママならぬ身。自存など”夢のまた夢”。 まあ、当分、新生活をどう創るか? 奥さんと仲良く連れ添う工夫が第一」
と、メールの返信を打ちました。
by zenmz
| 2005-10-31 00:00