2005年 12月 03日
〔5212〕 いよいよ街へ |
◆ 「よく眠れましたか?」 午前10時、トニーさんがホテルへ訪ねてくださいました。すぐ近くにお住まいだそうです。
「今日の日程です。 先ず、円をマレーシア・リンギッドへ両替、交換率のいい良心的な店にお連れします。次にショッピング・センターへ行ってデジカメやパソコンの環境つくりに必要なアタッチメントを購入し、インターネットが使えるようにしましょう。
それから鄭和文化歴史記念館へご案内します。あいにく館長は不在で、記念館補修を担当しておられる建築技師の劉さんとおっしゃる方が館内案内をしてくださいます。その後、車で観光地の位置をぐるりと廻りますので土地勘を養ってください。夜は現地の友人を招いていますので、ご一緒にパーティを楽しみましょう」
◆ ショッピング・センターは、市の中心部・マコタにありました。マラッカ最大・最高級のショッピング・センターだそうで、本当にびっくりする威容です。私たちが滞在しているルネッサンス・ホテルからは、毎日、昼前からほぼ2時間ごとに五往復の無料シャトルバスが出ており、便利です。「そのバスは、ここに停まります。その先は・・・」 ここでは、こうして、ああして・・・行く先々で、トニーさんの説明を受けているうちに、大船に乗った気分になりました。
◆ インターネット接続は、いろいろ手こずりましたが、結局、無線ラン接続決め、必要機材を買い整えました。ホテルの電話回線利用は、1日利用料600円とかなり高価なので、「お勧めできない」とのトニーさんのご意見に従うことにしました。現地事情通のアドバイス、こんな時、本当に貴重な情報に思えます。
****** いよいよ街へ *******
◆ 昼食は、トニーさんのホーム・ページでもご推奨の中華店で2種の麺を食べました。これは二つとも初めての麺ですが、実に美味でした。「おいしい、美味しい」と連発していたら、店の主人が「昔、東京に1年、いたことがある〕などと〕親しげに話しかけてきました。ここは老妻の出番です。たちまち意気投合、「このレシピは?」 盛り上がっていました。マラッカ最初の味の店。何か特別の愛着を感じます。
◆ 鄭和記念館に着くと、本日の私の受け入れにご尽力くださった方々が出迎えてくださいました。いずれもトニーさんのお仲間。向かって左端が建築材製造会社社長の李さんとその夫人。奥さんは飛び切りの美人、とても4人の子持ちとは思えない事業家で、この鄭和記念館の隣で多種多様の手製チーズケーキを並べた喫茶店を経営しておられます。
◆ あいにく不在の館長に代わってご案内くださったのは、現にこの記念館の一角を修復担当された建築技師。私たちの間におられる劉さんがその方。私より5歳も若く、今年、古希を迎えられましたが、今も現場監督として第一線で若者達と一緒に仕事を続けておられるそうです。実に懇切・丁寧にご説明くださいました。
◆ 鄭和記念館では、館員の方も私たちの訪問をすでに承知しておられて大歓迎。受付の女性は日本語も上手に話される方で、たちまち老妻と仲良く手を取り合って延々と話し込んでいました。
◆ 館内見学のことは、別項に譲ります。ここでご紹介しておきたいのは、入り口カウンター上に展示されている4つの新聞記事(写真女性館員の向かって左) 見ると2005年4月25日付けの「毎日新聞」の記事切抜きです。「海洋に向かう中国」の大見出しをつけたこの記事は、この記念館を取材した毎日新聞外信部の鈴木玲子記者署名の記事でした。
◆ 「レイコは、ここに来て鄭和記念館のことを正しく報道してくれた最初の日本人記者です。英語も出来るけど、私とは北京語で話をしました。完璧な北京語を話す記者が日本にいるとは思いませんでした。この記事はすばらしい」とベタホメ。「実は私は、昔、その新聞社で働いていました。このコト、レイコに知らせます。すばらしいコメント、嬉しいね。ありがとう」 「オー、ユー、オールソー・マイニチシンブン!!」 奇縁でした。
◆ 記念館の皆さんが興味を持って私を取り囲みました。最初に出た質問。「もし、これだけのスペースの記事を広告で出したら幾らするか?」 数人が全員、耳をソバダテました。「私が現役時代だった25年前でも300万円、今はよく分からないがそれよりも高いかも」 聞いた途端、全員の目と口が大きく開きました。「10万リンギッド!家1軒、買える」
◆ 「この新聞記事は家、1軒買える程の値打ちモノ」 出I入口にたむろしているご近所の人たちも一緒に、ワイワイ、ガヤガヤ、大いに盛り上がって楽しんでいました。この後、「土地勘の助けに」と、主要観光地ルートを一巡、「ここは是非、お訪ねを」などと道順のルート案内をしていただき、ホテルに戻って夕食まで小休憩。
◆ 夕食は、トニーさんのご接待で、ホテルの直ぐ側にある中華料理店で、トニーさんのお仲間数人と一緒にパーティを楽しみながら3時間半。日本からは出発の日に老妻が焼いた「ママカリ」をプレゼント。意外にもマレーシア人全員が、「美味しい」と絶賛。私たちも見たこともない珍しい手作り料理をいくつかいただきました。 私も滅多に飲まないワインを傾け、次々と英語のダジャレを繰り出して大うけしました。楽しいマラッカの一夜、終わったのは午後10時半、閉店前でした。
「今日の日程です。 先ず、円をマレーシア・リンギッドへ両替、交換率のいい良心的な店にお連れします。次にショッピング・センターへ行ってデジカメやパソコンの環境つくりに必要なアタッチメントを購入し、インターネットが使えるようにしましょう。
それから鄭和文化歴史記念館へご案内します。あいにく館長は不在で、記念館補修を担当しておられる建築技師の劉さんとおっしゃる方が館内案内をしてくださいます。その後、車で観光地の位置をぐるりと廻りますので土地勘を養ってください。夜は現地の友人を招いていますので、ご一緒にパーティを楽しみましょう」
◆ インターネット接続は、いろいろ手こずりましたが、結局、無線ラン接続決め、必要機材を買い整えました。ホテルの電話回線利用は、1日利用料600円とかなり高価なので、「お勧めできない」とのトニーさんのご意見に従うことにしました。現地事情通のアドバイス、こんな時、本当に貴重な情報に思えます。
****** いよいよ街へ *******
◆ 昼食は、トニーさんのホーム・ページでもご推奨の中華店で2種の麺を食べました。これは二つとも初めての麺ですが、実に美味でした。「おいしい、美味しい」と連発していたら、店の主人が「昔、東京に1年、いたことがある〕などと〕親しげに話しかけてきました。ここは老妻の出番です。たちまち意気投合、「このレシピは?」 盛り上がっていました。マラッカ最初の味の店。何か特別の愛着を感じます。
◆ 鄭和記念館に着くと、本日の私の受け入れにご尽力くださった方々が出迎えてくださいました。いずれもトニーさんのお仲間。向かって左端が建築材製造会社社長の李さんとその夫人。奥さんは飛び切りの美人、とても4人の子持ちとは思えない事業家で、この鄭和記念館の隣で多種多様の手製チーズケーキを並べた喫茶店を経営しておられます。
◆ あいにく不在の館長に代わってご案内くださったのは、現にこの記念館の一角を修復担当された建築技師。私たちの間におられる劉さんがその方。私より5歳も若く、今年、古希を迎えられましたが、今も現場監督として第一線で若者達と一緒に仕事を続けておられるそうです。実に懇切・丁寧にご説明くださいました。
◆ 鄭和記念館では、館員の方も私たちの訪問をすでに承知しておられて大歓迎。受付の女性は日本語も上手に話される方で、たちまち老妻と仲良く手を取り合って延々と話し込んでいました。
◆ 館内見学のことは、別項に譲ります。ここでご紹介しておきたいのは、入り口カウンター上に展示されている4つの新聞記事(写真女性館員の向かって左) 見ると2005年4月25日付けの「毎日新聞」の記事切抜きです。「海洋に向かう中国」の大見出しをつけたこの記事は、この記念館を取材した毎日新聞外信部の鈴木玲子記者署名の記事でした。
◆ 「レイコは、ここに来て鄭和記念館のことを正しく報道してくれた最初の日本人記者です。英語も出来るけど、私とは北京語で話をしました。完璧な北京語を話す記者が日本にいるとは思いませんでした。この記事はすばらしい」とベタホメ。「実は私は、昔、その新聞社で働いていました。このコト、レイコに知らせます。すばらしいコメント、嬉しいね。ありがとう」 「オー、ユー、オールソー・マイニチシンブン!!」 奇縁でした。
◆ 記念館の皆さんが興味を持って私を取り囲みました。最初に出た質問。「もし、これだけのスペースの記事を広告で出したら幾らするか?」 数人が全員、耳をソバダテました。「私が現役時代だった25年前でも300万円、今はよく分からないがそれよりも高いかも」 聞いた途端、全員の目と口が大きく開きました。「10万リンギッド!家1軒、買える」
◆ 「この新聞記事は家、1軒買える程の値打ちモノ」 出I入口にたむろしているご近所の人たちも一緒に、ワイワイ、ガヤガヤ、大いに盛り上がって楽しんでいました。この後、「土地勘の助けに」と、主要観光地ルートを一巡、「ここは是非、お訪ねを」などと道順のルート案内をしていただき、ホテルに戻って夕食まで小休憩。
◆ 夕食は、トニーさんのご接待で、ホテルの直ぐ側にある中華料理店で、トニーさんのお仲間数人と一緒にパーティを楽しみながら3時間半。日本からは出発の日に老妻が焼いた「ママカリ」をプレゼント。意外にもマレーシア人全員が、「美味しい」と絶賛。私たちも見たこともない珍しい手作り料理をいくつかいただきました。 私も滅多に飲まないワインを傾け、次々と英語のダジャレを繰り出して大うけしました。楽しいマラッカの一夜、終わったのは午後10時半、閉店前でした。
by zenmz
| 2005-12-03 15:06
| マラッカと鄭和