2005年 12月 14日
【5219】 マラッカの象徴・スタダイス |
★ マラッカ観光の出発点は、マラッカ海峡に面した小高い丘陵と、その北側にある「スタダイス広場」です。ここは、連日、内外の観光客で賑わっています。どこへ行っても観光にはあまり興味がない私たち夫妻ですが、地元の人たちも、「ここだけは是非」とお薦めになるので出かけました。
★ この丘の頂には、1521年建立の「セントポールチャーチ」があります。聖フランシスコ・ザビエルが1545~1552年にここを拠点として日本までの北東アジア地域にキリスト教を布教しました。1549年8月15日、鹿児島へ上陸したザビエル師を日本に導いたのは、この教会で知り合った「アンジロー」と名乗る日本人との出会いだったことはよく知られています。
★ 外壁だけ残し、廃墟のまま放置されている内部では、ヒッピー風の青年がギターを奏で、その脇では観光みやげ店が商売をしていました。マラッカ海峡の絶景が一望出来、沈む夕陽をここから眺めるのがマラッカッ子のデートの定番。若い男女が幾組も厚い芝生で語り合っていました。
★ 丘の北に広がる広場「スタダイス」はオランダ語で「議事堂・市役所」を意味するそうです。1650年に当時マラッカを植民地化に置いていたオランダが行政を指揮する役所として建設しました。周囲には1886年に建立された時計台や1753年建立の「クライストチャーチ」 など、歴史的建造物が軒を並べて建っています。
★ この丘の反対側には「マラッカ王国文化博物館」や「独立記念博物館」が立ち並んでいます。特に見落とせないのは、「文化博物館」 その巨大な建物は、15世紀~16世紀にかけて繁栄したマラッカ王朝の絢爛豪華な生活を復元した宮廷です。設計図は残されていなかった(多分、存在しなかったのだろう、と言われています) そのため、500年もの前に記された宮廷記録「マラヤ年代誌」や「マラヤ王統記」を元に設計図を作成して復元したそうです。
★ 館内には王朝の歴史的文化・文明を伝える博物が展示されていますが、思わず唸るのは、その巨大な建築物。マラヤ伝統の建築様式を忠実に守って復元されており、釘、金具類は一切、用いず、組木技術だけで建設されています。何とも見事な建物です。私は、母校・同志社大学に隣接してあった京都御所を毎年春に拝観しておりましたが、その大きさ、展示物の豪華さは数等、こちらが優れているように思います。
★ 広場の目抜き場所に日本語の掲示板があったので、説明文を控えてきました。短いので全文を掲載して、ここの見所をお伝えします。
★ この丘の頂には、1521年建立の「セントポールチャーチ」があります。聖フランシスコ・ザビエルが1545~1552年にここを拠点として日本までの北東アジア地域にキリスト教を布教しました。1549年8月15日、鹿児島へ上陸したザビエル師を日本に導いたのは、この教会で知り合った「アンジロー」と名乗る日本人との出会いだったことはよく知られています。
★ この丘の反対側には「マラッカ王国文化博物館」や「独立記念博物館」が立ち並んでいます。特に見落とせないのは、「文化博物館」 その巨大な建物は、15世紀~16世紀にかけて繁栄したマラッカ王朝の絢爛豪華な生活を復元した宮廷です。設計図は残されていなかった(多分、存在しなかったのだろう、と言われています) そのため、500年もの前に記された宮廷記録「マラヤ年代誌」や「マラヤ王統記」を元に設計図を作成して復元したそうです。
★ 館内には王朝の歴史的文化・文明を伝える博物が展示されていますが、思わず唸るのは、その巨大な建築物。マラヤ伝統の建築様式を忠実に守って復元されており、釘、金具類は一切、用いず、組木技術だけで建設されています。何とも見事な建物です。私は、母校・同志社大学に隣接してあった京都御所を毎年春に拝観しておりましたが、その大きさ、展示物の豪華さは数等、こちらが優れているように思います。
★ 広場の目抜き場所に日本語の掲示板があったので、説明文を控えてきました。短いので全文を掲載して、ここの見所をお伝えします。
スタダイス
この赤い建物は、マラッカの最も有名な建造物の一つであり、単純にスタダイス、またはスタッドハウスとして知られている。スタダイスとは、”タウンホール”という意味である。1641年にポルトガルからマラッカをダッシュした後、最初に立てられた建物である。
この建物は、1650年代、ポルトガルの没落をしり目に建設されたものであり、東南アジアで最も古いオランダ建築であると信じられている。
完全な複合建築としてのスタダイスは、4.57平方キロメートルに及ぶ。この建造物はオランダ人統治者と副統治者の住居、及び行政の場として18世紀まで用いられた。主となる建物は1961年までマレーシア政府の役所として使用された。赤い建物として知られているわけであるが、本来の色は白であった。
スタダイスは、多くの変化を受けたが、がっちりと厚く、真っ直ぐな壁、重厚な梁、大きな扉、窓、地下の下水システムなどは、今もなおオランダ建築学の特色を色濃く表しているものである。スタダイスは、土焼きブロック、さんごブロック、煉瓦、花崗岩の欠片をしっくいを塗るのと同様の手法で粘土で固めて建造されている。統治者の執務室はまだ、それらしく花模様が刻まれており、裏手のパン焼き場もまた典型的なオランダ式デザインの構造であるが、統治者の寝室には驚くべきことに壁に中国神話が描かれている。
スタダイスの修復には完成までに4年半かけられた。そして、その過程のなかで、多くのこれまで知られていなかった要素が発見された。スタダイスは完全に壁に囲まれたポルトガルであり、それを包んでいる要素がオランダであり、英国なのだ。この建物は未だ発見されていない幾つかの謎を秘めている。
by zenmz
| 2005-12-14 23:40
| マレーシア慕情