2006年 01月 17日
【6017】 「まっぴら君」と共に生きた半生 |
★ 漫画家の加藤芳郎さんが亡くなられました。昨日夜のテレビで訃報を知って感無量。私は昭和29年(1954年)に毎日新聞に入社したのですが、同じ年に、その新聞で、加藤芳郎さんの不朽の名作「まっぴら君」の連載が始まったのです。
★ それまでの漫画は、個人生活や、家庭内の剽軽(ひょうきん)を題材にしたダジャレ・レベルのものが大半でしたが、そこに本格的な社会派のマンガが登場したのです。
★ ”パッカードに乗った森の石松”と言われた「新聞記者」は、当時の大学生あこがれの的でした。新入社員は「まっぴら君」を自分自身の化身のように共感しながら育ったように思います。
★ 私は、大阪本社勤務が永かったのですが、社務で東京本社に出張すると、編集局でよく加藤さんの姿を拝見しました。なにしろ当時としては非常に珍しかった「ニュースを素材に社会評論」という野心的な試みに挑戦されたのですから、よく編集局の片隅でニュースの動きを追ってヒントを得ておられました。
★ その後の姿を、今日(1月17日)の毎日新聞朝刊『余録』子は、こう伝えています。
★ 新聞記者だったら誰しも同じ経験を持っています。私も毎日、取材を終えると、出先の記者クラブでナイフを動かしながら鉛筆を何本も削っていたものです。「あの加藤さんも?!・・・」 思わず微笑みます。たしかに、それは執筆の”儀式”でした。そして続いた連載は、何と47年間。
★ 同じ20代の独身男で出発して私が新聞記者をしたのは31年間。「まっぴら君」は、社長さんになった後、ヒゲのお坊さんやアパートの管理人をして、私が退職した後も更に16年間も社会風刺の”現役”を続けて、平成13年(2001年)6月23日に引退しました。
★ 加藤さんの漫画で、もう一つ、忘れられない名作は「オンボロ人生」でした。もう知る人も少ないでしょうが、「まっぴら君」とほぼ同時に、週刊誌『サンデー毎日』に毎週連載されたもので、55,6年も前、未だ戦後の貧しい生活を引きずっていた時代に底辺に生きる人の姿をユーモアとペーソス豊かに描いて爆発的な人気を博しました。
★ 体調を崩した加藤さんは、それからずっと療養生活を続けられたそうです。丁度1年前から胃ガンで入退院を繰り返しておられたのだそうですが、年末に風邪を引かれて呼吸困難となり、呼吸不全で亡くなられた、と言われます。マスコミが知ったのは近親者だけで葬儀が済んだ後。加藤さんはひっそりと80年の人生を閉じられました。
★ ナンセンス漫画創始者らしい、ひょうひょうとした生き方、そして終焉(しゅうえん)ではありませんか。心からご冥福をお祈りしたいと思います。
★ それまでの漫画は、個人生活や、家庭内の剽軽(ひょうきん)を題材にしたダジャレ・レベルのものが大半でしたが、そこに本格的な社会派のマンガが登場したのです。
★ ”パッカードに乗った森の石松”と言われた「新聞記者」は、当時の大学生あこがれの的でした。新入社員は「まっぴら君」を自分自身の化身のように共感しながら育ったように思います。
★ 私は、大阪本社勤務が永かったのですが、社務で東京本社に出張すると、編集局でよく加藤さんの姿を拝見しました。なにしろ当時としては非常に珍しかった「ニュースを素材に社会評論」という野心的な試みに挑戦されたのですから、よく編集局の片隅でニュースの動きを追ってヒントを得ておられました。
★ その後の姿を、今日(1月17日)の毎日新聞朝刊『余録』子は、こう伝えています。
▼自宅2階の仕事場は「独房」と呼んでいた。夕方こもると、まずは鉛筆を5~6本、丁寧に削る。ナイフを動かしながら精神を統一させる儀式を終え、それからさまざまなアイデアが浮かんでは消える苦しい数時間が始まった。 ▼「つらくて『おまえはプロだ』と自分をしかりつるのは午後8時15分頃。すると8時半ごろには『これだ!』というアイデアが出てくる」 加藤芳郎さんが夕刊の「まっぴら君」を描いていたのは前の日の夜である。全国紙連載漫画最長の1万3615回のほとんどはこうして生まれた。
★ 新聞記者だったら誰しも同じ経験を持っています。私も毎日、取材を終えると、出先の記者クラブでナイフを動かしながら鉛筆を何本も削っていたものです。「あの加藤さんも?!・・・」 思わず微笑みます。たしかに、それは執筆の”儀式”でした。そして続いた連載は、何と47年間。
★ 同じ20代の独身男で出発して私が新聞記者をしたのは31年間。「まっぴら君」は、社長さんになった後、ヒゲのお坊さんやアパートの管理人をして、私が退職した後も更に16年間も社会風刺の”現役”を続けて、平成13年(2001年)6月23日に引退しました。
★ 加藤さんの漫画で、もう一つ、忘れられない名作は「オンボロ人生」でした。もう知る人も少ないでしょうが、「まっぴら君」とほぼ同時に、週刊誌『サンデー毎日』に毎週連載されたもので、55,6年も前、未だ戦後の貧しい生活を引きずっていた時代に底辺に生きる人の姿をユーモアとペーソス豊かに描いて爆発的な人気を博しました。
★ 体調を崩した加藤さんは、それからずっと療養生活を続けられたそうです。丁度1年前から胃ガンで入退院を繰り返しておられたのだそうですが、年末に風邪を引かれて呼吸困難となり、呼吸不全で亡くなられた、と言われます。マスコミが知ったのは近親者だけで葬儀が済んだ後。加藤さんはひっそりと80年の人生を閉じられました。
★ ナンセンス漫画創始者らしい、ひょうひょうとした生き方、そして終焉(しゅうえん)ではありませんか。心からご冥福をお祈りしたいと思います。
by zenmz
| 2006-01-17 11:22