2006年 02月 03日
【6036】 万事、”珍しさ”が有効利用資産 |
★ 見知らぬ人たちとのお付き合い・・・この2,3日の経験だけで「珍しい」と言うことが、とりわけ”大きな資産”であることに気づかされています。日本に居ては、決して味あうことがない感慨です。マラッカに来て、最初に感じた印象は、「やはりここは国際都市、観光都市だ」でした。行き交う人々の多くは観光旅行者、店先に座っているのは土地の商売人・・・どちらもが商品やりとりだけの言葉の世界でお互いの存在を構えているように見えました。
★ しかし、そんな中でも、ただ購買だけでなく、向かい合った人と、ちょっと一言、踏み込んだ会話をすると、全く新しい世界が開けます。 昨夜、アパート近くの夜店で「袖ふれ合った人々との出会い」は実に細やかな人間の情感が通いあう感動ものでした。異国の人々にとって私たち夫婦はとても「珍しい人」だったようです。
★ アパートのすぐ近く、海辺の広大な広場を利用して、夜の「フード・センター」が営業していました。軽量鉄骨を組んだかなり本格的なテント張りで、真ん中に数多くのテーブルが置かれていて、これを取り囲むように周囲真四角に屋台がいっぱい出ています。”Dragon Inn Food Court” ほとんど中華風の一品料理ですが、好みのものを注文すると、「何番?」とテーブル番号を尋ねて、調理したての”アツアツ”料理”を届けてくれます。
★ 一巡して、老妻は、麺専門屋台で「雲呑麺」、私は別の屋台で「雉飯」(チキン・ライス)を注文しました。先ず、「雲呑麺」が届きました。運んできたのは未だ14,5歳のあどけない顔をした女の子、「ちょっと待って」と手真似した老妻はハンドバッグから”百均グッズ”を取り出して「トリマカシ」(ありがとう) 受け取ったその笑顔、喜色満面が印象的でした。
★ 50年連れ添った「糟糠の老妻」ですが、このキャラには脱帽です。隣でジッと成り行きを見つめていた男二人連れがいました。何か私たちに興味を持ったようです。私が老妻の写真を撮り始めたのがきっかけでした。「私が撮ってあげます」 パリに住んでいるインド人。春節でマラッカの親戚を訪問に来た、と言います。
★ 「日本人は原爆のこと、どう思いますか」 いきなり高度な政治問題です。「私は原爆被災の生き残りです」 「オオ、オイ聞いたかい。ヒロシマ原爆の生き残りだって!? スゴイ人に出会った。原爆被災の経験とアメリカへの思いを語ってくれませんか?」 かなり本格的な流ちょうな英語です。もう一人、寡黙な人は画家だと言ったままです。
★ 「このところインド洋などでツナミ騒動が起こっているけど、みんな、これは英米の水爆実験のセイだ、と言ってます。そう思いますか?」 質問はとんでもない方向に向かいました。質問のくだらなさにこちらも少々、気が抜けて話題を転じたら、今度は「原爆症は? 75歳と73歳、それで海外旅行? 我が国では考えられない。 wonderful エナジー! 肌も艶々している。何を食べているのですか?」
★ その隣で一家郎党8人が束になって食事をしていましたが、みんな、こちらを向いて興味津々。私の話に耳を澄ませています。
★ 隣の画家は、濃淡が醸し出す「黒と白」だけの芸術・墨絵の話になると、俄然、雄弁になりました。いきなり自分の絵の作品を広げて、「私の画風がそれだ!」と熱弁をふるいます。インド人が話し始めると早口でまくし立てるのが特徴、大抵、こちらは聞き役に回ります。広げられた絵というのは人物画のデッサン。「それとは違う」と言ったら、「是非、本物が見たい」と言うので、「鄭和博物館2階の文化ホールに行けば、巨匠のものがたくさんある」と教えました。
★ こうして話している私たちの背景を人々はもう風の便りで知っているようです。75,6歳にもなる日本人老夫婦が600年前の鄭和大将軍の大航海に魅せられてマラッカにやってきた・・・・インターネットを利用している喫茶店の青年も新情報を伝えてくれました。「鄭和歴史・文化博物館の2階に私の友人がアラビア料理専門のレストランを開店します。行ってやってください」
★ 席を立ち、帰ろうとしたら、遠くからあの少女が手を振っていました。きっと、これから屡々、私たちと、この少女の交流は深まるでしょう。その先にまた、どんな世界が広がるか? マラッカ滞在の始まりにまたひとつ、楽しみが増えました。
★ そして、今朝のこと。老妻が階下のスーパーに雑貨品を購入に出かけました。「スラマッパギ」(おはよう) 昨日まで何となく素っ気なかった店員さんたち。今日は、にこやかに愛想を振りまいてくれたそうです。「やっぱり毎日、顔を合わせるのが一番なんや」 古今東西、時代と場所を問わぬ真実ですね。異国生活の知恵、ここに始まる。老妻の経験則です。
★ ところで・・・今、留守宅の娘から緊急メールが入りました。「YAHOOのトップページで面白い記事発見。マレーシアに3Mの猿人類発見、だと。是非マレーシアの皆さん。もし出くわしたら、ブログにツーショットでアップしてください(笑)」との注文。
★ 娘の挑戦です。これは受けて発たねば、元新聞記者が泣く。ジョホールはすぐ近く、早速、MZ記者は老助手を連れて探検してみた結果、撮影に成功しました。
★ 場所は、上に記した昨夜の ”Dragon Inn Food Court” 後ろに愛用パソコンを背負って立っていました。これ・・・このところ、夜な夜なパソコン背負って現れる新種の「オラン・アスリ・ジュプン」(日本原住民) 残念ながら慎重は167センチ、だが、 そのうちマラッカ名物になります。
★ しかし、そんな中でも、ただ購買だけでなく、向かい合った人と、ちょっと一言、踏み込んだ会話をすると、全く新しい世界が開けます。 昨夜、アパート近くの夜店で「袖ふれ合った人々との出会い」は実に細やかな人間の情感が通いあう感動ものでした。異国の人々にとって私たち夫婦はとても「珍しい人」だったようです。
★ アパートのすぐ近く、海辺の広大な広場を利用して、夜の「フード・センター」が営業していました。軽量鉄骨を組んだかなり本格的なテント張りで、真ん中に数多くのテーブルが置かれていて、これを取り囲むように周囲真四角に屋台がいっぱい出ています。”Dragon Inn Food Court” ほとんど中華風の一品料理ですが、好みのものを注文すると、「何番?」とテーブル番号を尋ねて、調理したての”アツアツ”料理”を届けてくれます。
★ 一巡して、老妻は、麺専門屋台で「雲呑麺」、私は別の屋台で「雉飯」(チキン・ライス)を注文しました。先ず、「雲呑麺」が届きました。運んできたのは未だ14,5歳のあどけない顔をした女の子、「ちょっと待って」と手真似した老妻はハンドバッグから”百均グッズ”を取り出して「トリマカシ」(ありがとう) 受け取ったその笑顔、喜色満面が印象的でした。
★ 50年連れ添った「糟糠の老妻」ですが、このキャラには脱帽です。隣でジッと成り行きを見つめていた男二人連れがいました。何か私たちに興味を持ったようです。私が老妻の写真を撮り始めたのがきっかけでした。「私が撮ってあげます」 パリに住んでいるインド人。春節でマラッカの親戚を訪問に来た、と言います。
★ 「日本人は原爆のこと、どう思いますか」 いきなり高度な政治問題です。「私は原爆被災の生き残りです」 「オオ、オイ聞いたかい。ヒロシマ原爆の生き残りだって!? スゴイ人に出会った。原爆被災の経験とアメリカへの思いを語ってくれませんか?」 かなり本格的な流ちょうな英語です。もう一人、寡黙な人は画家だと言ったままです。
★ 「このところインド洋などでツナミ騒動が起こっているけど、みんな、これは英米の水爆実験のセイだ、と言ってます。そう思いますか?」 質問はとんでもない方向に向かいました。質問のくだらなさにこちらも少々、気が抜けて話題を転じたら、今度は「原爆症は? 75歳と73歳、それで海外旅行? 我が国では考えられない。 wonderful エナジー! 肌も艶々している。何を食べているのですか?」
★ その隣で一家郎党8人が束になって食事をしていましたが、みんな、こちらを向いて興味津々。私の話に耳を澄ませています。
★ 隣の画家は、濃淡が醸し出す「黒と白」だけの芸術・墨絵の話になると、俄然、雄弁になりました。いきなり自分の絵の作品を広げて、「私の画風がそれだ!」と熱弁をふるいます。インド人が話し始めると早口でまくし立てるのが特徴、大抵、こちらは聞き役に回ります。広げられた絵というのは人物画のデッサン。「それとは違う」と言ったら、「是非、本物が見たい」と言うので、「鄭和博物館2階の文化ホールに行けば、巨匠のものがたくさんある」と教えました。
★ こうして話している私たちの背景を人々はもう風の便りで知っているようです。75,6歳にもなる日本人老夫婦が600年前の鄭和大将軍の大航海に魅せられてマラッカにやってきた・・・・インターネットを利用している喫茶店の青年も新情報を伝えてくれました。「鄭和歴史・文化博物館の2階に私の友人がアラビア料理専門のレストランを開店します。行ってやってください」
★ 席を立ち、帰ろうとしたら、遠くからあの少女が手を振っていました。きっと、これから屡々、私たちと、この少女の交流は深まるでしょう。その先にまた、どんな世界が広がるか? マラッカ滞在の始まりにまたひとつ、楽しみが増えました。
★ そして、今朝のこと。老妻が階下のスーパーに雑貨品を購入に出かけました。「スラマッパギ」(おはよう) 昨日まで何となく素っ気なかった店員さんたち。今日は、にこやかに愛想を振りまいてくれたそうです。「やっぱり毎日、顔を合わせるのが一番なんや」 古今東西、時代と場所を問わぬ真実ですね。異国生活の知恵、ここに始まる。老妻の経験則です。
★ ところで・・・今、留守宅の娘から緊急メールが入りました。「YAHOOのトップページで面白い記事発見。マレーシアに3Mの猿人類発見、だと。是非マレーシアの皆さん。もし出くわしたら、ブログにツーショットでアップしてください(笑)」との注文。
★ 娘の挑戦です。これは受けて発たねば、元新聞記者が泣く。ジョホールはすぐ近く、早速、MZ記者は老助手を連れて探検してみた結果、撮影に成功しました。
by zenmz
| 2006-02-03 19:47
| マレーシア慕情