2006年 07月 05日
【6183】 ”客観報道”を超えてえぐる社会 |
★ 恐らく、日本の新聞で、最もユニークな紙面改革は、毎日新聞の「記者の目」という企画だろうと思います。「公正・中立、客観報道」を新聞の使命、と、そればかり金科玉条としてきた、それまでの報道姿勢を根本から見直し、「読者、国民が心の底に抱いている疑念に答え、読者と共に考える新聞」の新しい試みとして、記事の執筆を担当した記者が、「誰の規制も受けず」自由闊達に自分の見方、考え方を本音で書く、長文の署名記事を登場させたのです。それが、今年で30年を迎えました。
★ 今日(7月4日)の毎日新聞朝刊は、22~23面の見開きで「社会えぐるこだわり、多様な主張、活発に」との大見出しをつけた「記者の目」30年総括座談会を掲載しています。毎日新聞を読んでいない人には、何のことか? お分かりになりにくいと思いますが、同社の愛読者サイト「まいまいくらぶ」には「記者の目・読者の目」が公開されていて、本紙と同じ内容のものを読むことが出来ます。
★ ともかく、新聞報道のあり方に関心をお持ちの方には、是非、この「記者の目」30年総括座談会をお読み頂きたいと思います。マスコミ評論の有識者として、どなたも納得されるであろう五百旗頭真(神戸大教授) 中村圭子(JT生命誌研究館館長) 玉木明(フリージャーナリスト) 吉永春子(TVプロデューサー) 田島泰彦(上智大教授) 柳田邦男(作家)の錚々たるメンバーが参加し、その意義を評価しておられます。
★ それは、ともかく、私は、「記者の目」誕生の秘話をご紹介しておきたいと思います。
「記者の目」は、昭和51(1976)年7月6日に第1回がスタートしました。最初の執筆者は、現在、毎日新聞の編集顧問で、毎日新聞の看板政治評論「近聞遠見」欄を執筆している岩見隆夫さんです。当時は、政治部記者。テーマは「ロッキード逃れ 露骨」でした。
★ 既に「点字毎日」編集長の職にあった私は、大阪本社の編集幹部会の1員に名を連ねていました。「記者の目」は、その年に東京本社編集局長に就任した平野勇夫さんが発想し、編集幹部会に提案したものでしたが、あまりにも”奇抜”なアイディアに積極的に賛同するものはなかったように思います。
★ ただ、それは、平野局長が切羽詰まって考え抜いた新しい挑戦でした。当時、毎日新聞は経営的危機に立たされ、社員のボーナスも凍結。更には幹部社員の給与カットまでせざるを得ない所まで追い込まれていました。この苦境を跳ね返すため、他社と紙面で勝負出来るものはないか? そこで思いついたのが「記者の主観を押し出す紙面作り」だったのです。
★ 新聞、と、いえば、今でも、多くの人々が「公正・中立、客観報道」が使命、と、考えています。社説などが少しでも強い主張を述べようものなら、直ぐ、「偏向」のレッテル貼りがなされます。その結果、現在では、「朝日は赤、左翼」 「サンケイは右翼」 「読売は保守」 そして「毎日は中道」と、”なんとなく”そう思っている印象の持ち主が多いですね。
★ まあ、ともかく、新聞と言えば、作る側も、読む側も、「公正・中立、客観報道」と思いこんでいるところへ、「担当記者の主観を表面に出す」 「建前を排し、読者、国民が心の底に抱いている疑念に真正面から答える」 そんな紙面を作ろう、と言うのです。結局、平野局長提案は、各部副部長で構成するデスク会で具体化の構想が練られました。
★ 最終的に固まったのは、「従来の客観報道の枠をはみ出し、記者の本音をぶっつける」基本。問題接近への記者の視座・視点および問題意識を熟成させた記者の個性を尊重し、自由な執筆を保証する」というものでした。
★ こうして登場したのが、政治部の花形記者、岩見隆夫さんの「ロッキード逃れ 露骨」でした。田中角栄首相のロッキード疑獄事件が発覚、その捜査が大詰めを迎えている最中で、「くろ」 「灰色」と目される政府高官たちのなりふり構わぬ隠蔽工作を痛烈に批判したものでしたが、爆発的な注目と、人気を集めました。
★ こう書いてしまいますと、何か、一握りの花形記者の”手柄ばなし”が並んでいるような印象を持たれるかもしれません。事実は逆で、普通だと、なかなか日の当たらない過疎・僻地でがんばっている地方支局や通信部記者たちが続々と登場し、「読者の心の底にわだかまっている疑念」に答える見解を述べ始めたのです。
★ 与えられた紙面の大きさ・・・それは、朝刊オピニオン欄10段全部、4400字と言うボリューム、しかも、所属部署とフルネームの署名入りです。そこで何が起こったか? 社内の記者同士が異なる見解を論争しあい、また、正反対の意見を持つ関連担当記者が社説にかみつく、読者の反響をふまえて問題の核心にさらに踏み込む・・・実に面白い紙面展開となりました。
★ 具体的な例を一つ、ご紹介しましょう。「記者の目」が生まれた翌年、昭和52年頃の話です。
今、禁煙ー嫌煙バトルは、どうやら禁煙派優勢のまま、議論が止んでいますね。「記者の目」が誕生した当時、いわゆる”嫌煙”運動が始まっていました。社会面記事が続いた後、議論は当然、「記者の目」のテーマに移って来ました。
★ 先ず火をつけたのが社会部の水野順右記者。「くたばれ”嫌煙権” 押しつけられると叫びたくなる」と声をあげ、愛煙家の心底によどむ気持ちを「正しい人の正しい言い分ぐらい疑ってかからねばならないものはない」と”正義のおしつけ”に立ちはだかりました。
★ すると、たばこを吸わない牧野賢治記者(編集専門委員)が「くたばるもんか”嫌煙権”」で応酬。「たばこの煙で生理的、心理的に苦難を感じている人は多い。その人々の気持ちにお構いなくタバコ飲みは空気を煙で汚しまくる。”押しつけている”のは、喫煙者ではありませんか」 水野記者はヒラ、牧野記者は部長記者。同じ土俵で、読者の前で取り組んでいます。
★ 「記者の目」は、他のどの新聞も追随出来ないユニークなものです。ともかく面白い。毎日新聞を購読しておられない方も、ネット上で読むことが出来ます。ついでに30年前、この「記者の目」第1回執筆の栄誉を担い、今や毎日新聞の編集顧問・名物大記者となった岩見隆夫さんの政治コラム「近聞遠見」もご覧になれます。共にお薦めしたいコラムです。是非、一度、ご覧ください。
★ 今日(7月4日)の毎日新聞朝刊は、22~23面の見開きで「社会えぐるこだわり、多様な主張、活発に」との大見出しをつけた「記者の目」30年総括座談会を掲載しています。毎日新聞を読んでいない人には、何のことか? お分かりになりにくいと思いますが、同社の愛読者サイト「まいまいくらぶ」には「記者の目・読者の目」が公開されていて、本紙と同じ内容のものを読むことが出来ます。
★ ともかく、新聞報道のあり方に関心をお持ちの方には、是非、この「記者の目」30年総括座談会をお読み頂きたいと思います。マスコミ評論の有識者として、どなたも納得されるであろう五百旗頭真(神戸大教授) 中村圭子(JT生命誌研究館館長) 玉木明(フリージャーナリスト) 吉永春子(TVプロデューサー) 田島泰彦(上智大教授) 柳田邦男(作家)の錚々たるメンバーが参加し、その意義を評価しておられます。
★ それは、ともかく、私は、「記者の目」誕生の秘話をご紹介しておきたいと思います。
「記者の目」は、昭和51(1976)年7月6日に第1回がスタートしました。最初の執筆者は、現在、毎日新聞の編集顧問で、毎日新聞の看板政治評論「近聞遠見」欄を執筆している岩見隆夫さんです。当時は、政治部記者。テーマは「ロッキード逃れ 露骨」でした。
★ 既に「点字毎日」編集長の職にあった私は、大阪本社の編集幹部会の1員に名を連ねていました。「記者の目」は、その年に東京本社編集局長に就任した平野勇夫さんが発想し、編集幹部会に提案したものでしたが、あまりにも”奇抜”なアイディアに積極的に賛同するものはなかったように思います。
★ ただ、それは、平野局長が切羽詰まって考え抜いた新しい挑戦でした。当時、毎日新聞は経営的危機に立たされ、社員のボーナスも凍結。更には幹部社員の給与カットまでせざるを得ない所まで追い込まれていました。この苦境を跳ね返すため、他社と紙面で勝負出来るものはないか? そこで思いついたのが「記者の主観を押し出す紙面作り」だったのです。
★ 新聞、と、いえば、今でも、多くの人々が「公正・中立、客観報道」が使命、と、考えています。社説などが少しでも強い主張を述べようものなら、直ぐ、「偏向」のレッテル貼りがなされます。その結果、現在では、「朝日は赤、左翼」 「サンケイは右翼」 「読売は保守」 そして「毎日は中道」と、”なんとなく”そう思っている印象の持ち主が多いですね。
★ まあ、ともかく、新聞と言えば、作る側も、読む側も、「公正・中立、客観報道」と思いこんでいるところへ、「担当記者の主観を表面に出す」 「建前を排し、読者、国民が心の底に抱いている疑念に真正面から答える」 そんな紙面を作ろう、と言うのです。結局、平野局長提案は、各部副部長で構成するデスク会で具体化の構想が練られました。
★ 最終的に固まったのは、「従来の客観報道の枠をはみ出し、記者の本音をぶっつける」基本。問題接近への記者の視座・視点および問題意識を熟成させた記者の個性を尊重し、自由な執筆を保証する」というものでした。
★ こうして登場したのが、政治部の花形記者、岩見隆夫さんの「ロッキード逃れ 露骨」でした。田中角栄首相のロッキード疑獄事件が発覚、その捜査が大詰めを迎えている最中で、「くろ」 「灰色」と目される政府高官たちのなりふり構わぬ隠蔽工作を痛烈に批判したものでしたが、爆発的な注目と、人気を集めました。
★ こう書いてしまいますと、何か、一握りの花形記者の”手柄ばなし”が並んでいるような印象を持たれるかもしれません。事実は逆で、普通だと、なかなか日の当たらない過疎・僻地でがんばっている地方支局や通信部記者たちが続々と登場し、「読者の心の底にわだかまっている疑念」に答える見解を述べ始めたのです。
★ 与えられた紙面の大きさ・・・それは、朝刊オピニオン欄10段全部、4400字と言うボリューム、しかも、所属部署とフルネームの署名入りです。そこで何が起こったか? 社内の記者同士が異なる見解を論争しあい、また、正反対の意見を持つ関連担当記者が社説にかみつく、読者の反響をふまえて問題の核心にさらに踏み込む・・・実に面白い紙面展開となりました。
★ 具体的な例を一つ、ご紹介しましょう。「記者の目」が生まれた翌年、昭和52年頃の話です。
今、禁煙ー嫌煙バトルは、どうやら禁煙派優勢のまま、議論が止んでいますね。「記者の目」が誕生した当時、いわゆる”嫌煙”運動が始まっていました。社会面記事が続いた後、議論は当然、「記者の目」のテーマに移って来ました。
★ 先ず火をつけたのが社会部の水野順右記者。「くたばれ”嫌煙権” 押しつけられると叫びたくなる」と声をあげ、愛煙家の心底によどむ気持ちを「正しい人の正しい言い分ぐらい疑ってかからねばならないものはない」と”正義のおしつけ”に立ちはだかりました。
★ すると、たばこを吸わない牧野賢治記者(編集専門委員)が「くたばるもんか”嫌煙権”」で応酬。「たばこの煙で生理的、心理的に苦難を感じている人は多い。その人々の気持ちにお構いなくタバコ飲みは空気を煙で汚しまくる。”押しつけている”のは、喫煙者ではありませんか」 水野記者はヒラ、牧野記者は部長記者。同じ土俵で、読者の前で取り組んでいます。
★ 「記者の目」は、他のどの新聞も追随出来ないユニークなものです。ともかく面白い。毎日新聞を購読しておられない方も、ネット上で読むことが出来ます。ついでに30年前、この「記者の目」第1回執筆の栄誉を担い、今や毎日新聞の編集顧問・名物大記者となった岩見隆夫さんの政治コラム「近聞遠見」もご覧になれます。共にお薦めしたいコラムです。是非、一度、ご覧ください。
by zenmz
| 2006-07-05 00:00
| 現代社会論