2006年 07月 30日
【6208】 琉歌(りゅうか)を掘り起こす沖縄の少女 |
★ 「とぅてぃん かちくむてぃ やみになし うちゆ いちぐ ままならん みちぬ いばさ」
沖縄方言の歌で「琉歌」(りゅうか)という形式の詩だそうです。標準語にすると、
「とてもかき曇て闇になす浮世一期ままならぬ道の狭さ」
その意味は、
「いつまでも思いのままにならない人生なら、いっそひどい闇にしてしまえ」
★ 「沖縄には、古くからこんな歌が伝わっています。今、私は、それを発掘するのに一所懸命です」 沖縄高専の17歳になる女学生。インターネットで知り合った、最も若い友人です。ニック・ネームも、「九年母」(クニブ) 沖縄方言で、「蜜柑」のことだそうで、部活は弓道をやっている、という活発な少女です。
★ 「ちょっと、補足します。文学だけでなく、琉球の音楽も独特です。音階は、”ド・ミ・ファ・ソ・シ・ド”です。西洋音階は、”ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド”ですね。私は”ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド”より”ド・ミ・ファ・ソ・シ・ド”の響きのほうが好きです」
★ 「琉歌」については、かなり詳しい「琉歌基礎講座」 がネット上に公開されています。こちらをご参照ください。
★ 知られざる素晴らしい民族詩です。、「九年母」さんは言います。
「沖縄の小・中学校では琉球音階を教えず、西洋音階しか習わないんですよ。日本は、何故、自分達の伝統を大切にせず、なんでもかんでも外国のもの取り入れるのでしょう」
ドキンと来る言葉で結ばれたメールを見て、76歳の砌(みぎり) 何か、恥じ入る気持ちがしました。「琉歌」 その名すら知りません。言われて見て、「なるほど」と思い出す沖縄民謡の音。
西洋被れ・・・確かに、私の知識にも西洋偏重の大きな欠落があります。
★ 「九年母」さんの「琉歌発掘」は、SNSで公開されています。参加者以外は見られないのが残念ですが、早速、親世代の方が共感して書き込みをしておられます。
「素晴らしい! 読谷の方言で”お父さんはスー” ”お母さんはアンマー” ”おばあさんはハーメー” ”おじいさんはタンメー” ”私はワン” ”私たちはワッター” ”あなたはイヤー” ”あなた方はイッター” ”道はジョー” ”家はヤー” ”井戸や泉はカー”・・・・・ 首里と読谷では単語などは結構違っているけど、北部もさらに違っているところがあるようだね」
★ 沖縄では、相手を姓で呼ぶのではなく、名で呼び捨てにするのが普通、とか。「君」や「さん」をつけると、よそよそしく感じてしまうのです。しかし、沖縄も、最近は、他府県から移住者が増え、この習慣も、どんどん変わって、最近では、姓に「さん」をつけて呼ぶことも増えてきている、そうです。 「九年母」さんの「琉歌発掘」は、そこに失われる美しい伝統への危機感があるのですね。17歳の素晴らしい感性に感動しました。
★ 『日本傳統音楽の研究』(1958)で一躍、有名になった故小泉文夫先生(元東京芸大教授)の学説によれば、沖縄民謡は、すべて「流歌」(るか)の伝統に則っているのだそうです。その「流歌」というのは、【上句八・八、下句八・六、合わせて30音から成る定型詩で、沖縄固有の短歌のこと】とあるので、多分、「琉歌」(りゅうか)と同じことを言っておられるのだろうと思います。
★ それが、「オモロ」という古謡が原型になっていることを初めて明らかにしたのは、「沖縄学の父」と言われる故伊波普猷(いはふゆう 1876~1947)氏で、沖縄に古くから伝わる古謡集『おもしろそうし』を発掘し、世に出しました。旧首里王府が奄美・沖縄地方に伝わっていた「オモロ」(神に申し上げる)を、1531年~1623年にわたって集録集大成したもので、全部で22巻。1554首(重複があり、実数は1248首)が収録されてます。
★ 『おもろさうし』全22巻1554首は、後に外間守善(法政大学名誉教授)氏によって全訳され、同名の「おもろさうし」上・下巻(岩波文庫)として6年前の2000年に出版され、今、手軽に読むことが出来ます。沖縄王国の正史は、「中山世鑑」に記されているが、それ以前の事は 「おもろさうし」でしか知る由が無いと云われるほど、貴重な古文書だと言われます。
★ 原本は1709年首里城の火災で焼失し、現在、国指定重要文化財の指定を受け、沖縄県立博物館に保存されているのは、1710年に再編さんされた写本。アメリカに接収されていたが、「ペルリ来琉100年祭」(1953)を祈念して、アメリカから返還されたそうです。
★ 『おもろさうし』は、非常に難解な琉球古語で書かれており、伊波普猷の解明の努力は、文字通り「無からの出発」、理解者も少なく、独力で苦労を重ね、長い年月をかけて沖縄の歴史、民族、言語を解きほぐして解明が成しとげ、膨大な研究著作を残されて、現在の「沖縄学」体系の基礎を築かれました。
★ 那覇市西村(現在の西町)の浦添の丘、海を見下ろせる場所に普猷をしのんだ石碑がたっているそうです。その碑には、「彼ほど沖縄を識った人はいない。彼ほど沖縄を愛した人はいない。彼ほど沖縄を憂えた人はいない。彼は識ったが為に愛し、愛したために憂えた。彼は学者であり、愛郷者であり、予言者でもあった」と、記されているそうです。
★ 「九年母」(クニブ)さん・・・その遺伝子を受け継いだような少女の熱情を思います。今、私は、魂を揺すぶられる想いで、沖縄に目覚めました。出来れば、今秋にも、沖縄に「九年母」さん訪れ、共に「浦添の丘」に立ち、彼女が次々と新しく発掘しているであろう「琉歌」を聞かせてもらいたい、と夢見ています。心弾む76歳の新しい出会いです。
【追記】(7月31日午前9時)
奄美・八重山姫からいただきましたコメントの中に
「流歌」は、歌(話)の筋に沿って歌っていく形式で、沖縄の「仲順流れ」 奄美の「たばこ流れ」「芭蕉流れ」などが知られています」
とのご指摘がありました。本文に追加させていただきます。
沖縄方言の歌で「琉歌」(りゅうか)という形式の詩だそうです。標準語にすると、
「とてもかき曇て闇になす浮世一期ままならぬ道の狭さ」
その意味は、
「いつまでも思いのままにならない人生なら、いっそひどい闇にしてしまえ」
★ 「沖縄には、古くからこんな歌が伝わっています。今、私は、それを発掘するのに一所懸命です」 沖縄高専の17歳になる女学生。インターネットで知り合った、最も若い友人です。ニック・ネームも、「九年母」(クニブ) 沖縄方言で、「蜜柑」のことだそうで、部活は弓道をやっている、という活発な少女です。
★ 「ちょっと、補足します。文学だけでなく、琉球の音楽も独特です。音階は、”ド・ミ・ファ・ソ・シ・ド”です。西洋音階は、”ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド”ですね。私は”ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド”より”ド・ミ・ファ・ソ・シ・ド”の響きのほうが好きです」
★ 「琉歌」については、かなり詳しい「琉歌基礎講座」 がネット上に公開されています。こちらをご参照ください。
★ 知られざる素晴らしい民族詩です。、「九年母」さんは言います。
「沖縄の小・中学校では琉球音階を教えず、西洋音階しか習わないんですよ。日本は、何故、自分達の伝統を大切にせず、なんでもかんでも外国のもの取り入れるのでしょう」
ドキンと来る言葉で結ばれたメールを見て、76歳の砌(みぎり) 何か、恥じ入る気持ちがしました。「琉歌」 その名すら知りません。言われて見て、「なるほど」と思い出す沖縄民謡の音。
西洋被れ・・・確かに、私の知識にも西洋偏重の大きな欠落があります。
★ 「九年母」さんの「琉歌発掘」は、SNSで公開されています。参加者以外は見られないのが残念ですが、早速、親世代の方が共感して書き込みをしておられます。
「素晴らしい! 読谷の方言で”お父さんはスー” ”お母さんはアンマー” ”おばあさんはハーメー” ”おじいさんはタンメー” ”私はワン” ”私たちはワッター” ”あなたはイヤー” ”あなた方はイッター” ”道はジョー” ”家はヤー” ”井戸や泉はカー”・・・・・ 首里と読谷では単語などは結構違っているけど、北部もさらに違っているところがあるようだね」
★ 沖縄では、相手を姓で呼ぶのではなく、名で呼び捨てにするのが普通、とか。「君」や「さん」をつけると、よそよそしく感じてしまうのです。しかし、沖縄も、最近は、他府県から移住者が増え、この習慣も、どんどん変わって、最近では、姓に「さん」をつけて呼ぶことも増えてきている、そうです。 「九年母」さんの「琉歌発掘」は、そこに失われる美しい伝統への危機感があるのですね。17歳の素晴らしい感性に感動しました。
★ 『日本傳統音楽の研究』(1958)で一躍、有名になった故小泉文夫先生(元東京芸大教授)の学説によれば、沖縄民謡は、すべて「流歌」(るか)の伝統に則っているのだそうです。その「流歌」というのは、【上句八・八、下句八・六、合わせて30音から成る定型詩で、沖縄固有の短歌のこと】とあるので、多分、「琉歌」(りゅうか)と同じことを言っておられるのだろうと思います。
★ それが、「オモロ」という古謡が原型になっていることを初めて明らかにしたのは、「沖縄学の父」と言われる故伊波普猷(いはふゆう 1876~1947)氏で、沖縄に古くから伝わる古謡集『おもしろそうし』を発掘し、世に出しました。旧首里王府が奄美・沖縄地方に伝わっていた「オモロ」(神に申し上げる)を、1531年~1623年にわたって集録集大成したもので、全部で22巻。1554首(重複があり、実数は1248首)が収録されてます。
★ 『おもろさうし』全22巻1554首は、後に外間守善(法政大学名誉教授)氏によって全訳され、同名の「おもろさうし」上・下巻(岩波文庫)として6年前の2000年に出版され、今、手軽に読むことが出来ます。沖縄王国の正史は、「中山世鑑」に記されているが、それ以前の事は 「おもろさうし」でしか知る由が無いと云われるほど、貴重な古文書だと言われます。
★ 原本は1709年首里城の火災で焼失し、現在、国指定重要文化財の指定を受け、沖縄県立博物館に保存されているのは、1710年に再編さんされた写本。アメリカに接収されていたが、「ペルリ来琉100年祭」(1953)を祈念して、アメリカから返還されたそうです。
★ 『おもろさうし』は、非常に難解な琉球古語で書かれており、伊波普猷の解明の努力は、文字通り「無からの出発」、理解者も少なく、独力で苦労を重ね、長い年月をかけて沖縄の歴史、民族、言語を解きほぐして解明が成しとげ、膨大な研究著作を残されて、現在の「沖縄学」体系の基礎を築かれました。
★ 那覇市西村(現在の西町)の浦添の丘、海を見下ろせる場所に普猷をしのんだ石碑がたっているそうです。その碑には、「彼ほど沖縄を識った人はいない。彼ほど沖縄を愛した人はいない。彼ほど沖縄を憂えた人はいない。彼は識ったが為に愛し、愛したために憂えた。彼は学者であり、愛郷者であり、予言者でもあった」と、記されているそうです。
★ 「九年母」(クニブ)さん・・・その遺伝子を受け継いだような少女の熱情を思います。今、私は、魂を揺すぶられる想いで、沖縄に目覚めました。出来れば、今秋にも、沖縄に「九年母」さん訪れ、共に「浦添の丘」に立ち、彼女が次々と新しく発掘しているであろう「琉歌」を聞かせてもらいたい、と夢見ています。心弾む76歳の新しい出会いです。
【追記】(7月31日午前9時)
奄美・八重山姫からいただきましたコメントの中に
「流歌」は、歌(話)の筋に沿って歌っていく形式で、沖縄の「仲順流れ」 奄美の「たばこ流れ」「芭蕉流れ」などが知られています」
とのご指摘がありました。本文に追加させていただきます。
by zenmz
| 2006-07-30 00:00
| 一期一会