2006年 09月 08日
【6240】 幻の”真珠湾” |
★ いったん、そうと思い込んだ事柄が、実は、そうではないのだ、と、指摘され、キョットン! 午後のひととき、親しい友達とおしゃべりを楽しんでいる時、ある事柄が話題になり、たまたまそのことに詳しい人が「それは俗説。本当は・・・」と、説明を聞いてヘェー、と驚くことがよくありますね。
★ 「真珠湾はない」
最近、歴史研究家の原徳三さんが、『文藝春秋』9月号の巻頭随筆欄で、こんなタイトルを付けた啓蒙的なエッセーを書いておられます。「ほとんどの日本人は日米戦争が真珠湾攻撃から始まった、と思いこみ、アメリカ人も”リメンバー・パール・ハーバー”と言って日本と戦ったことは知っている。だが、”真珠湾”など無い」とおっしゃいます。
★ ??? と、その先を読みますと、
★ そして、なぜ、日本人は、パールハーバーを真珠湾と思い込んで、この60年間、疑うことも無かったのか? 「ことの発端は・・・」と前置きして、その原因になったエピソードを解き明かしておられます。公文書などを精緻に検討された経緯は、非常に興味深いのですが、あまり細かい引用は著作権に抵触します。興味のある方は、是非、現物でお確かめください。
★ ただ結論だけ引用させて頂きますと、それは、「新聞報道の誤訳だった」そうです。
開戦初日、パールハーバーが攻撃され、これを報道した外電を
「白亜館は日本軍が真珠湾に対して攻撃を開始したと発表」
とパールハーバーを【真珠”湾”】と翻訳掲載し、それが、独り歩きし、60年間、誰も怪しまなかった、と言うのが真相だ、とか。
★ 言われてみれば、その通り。
英語には、bay も gulf も port も harborも・・・多分、もっと「港と湾」を言い表す言葉があるはずです。もし原さんのご指摘通り、「真珠湾」が攻撃されたのであれば、原語は「パール・ベイ」でなけねばならぬ、だが、そんな港は、今も、昔も、ハワイにはない。
★ 原徳三さんは、まさに
「一犬虚に吠ゆれば万犬実を伝う」
と、言っておられます。
★ 「一犬虚に吠ゆれば万犬実を伝う」
原さんの感慨を承って、似たような話を思い出しました。ボストン・マラソンで有名な最後の難所「Heartbreak Hill」のこと。ボストンマラソンは、日本人にもっとも親しいマラソンです。私の年代の者には、敗戦で国民が自信を失っていた頃、海外のスポーツで最初に日本人優勝者を出した大会として、今も鮮明に脳裏に刻み込まれています。
当時の新聞特派員が
【この「心臓破りの丘」を制覇するのが勝負の分かれ目】
と解説して以来、俄然、有名になりました。
★ その”時の英雄”は、日大1年生だった田中繁樹さん。敗戦で日本人が自信を失い魂の抜け殻のようになっていた昭和26(1951)年に初優勝したのです。私とほぼ同年齢。日本中が、この壮挙に熱狂しました。
★ その後、日本人選手の優勝は1987年の瀬古選手が最後。最近では1999年に有森選手が女子の第3位に入る健闘をみせました。そのすべての選手の勝敗を決めるのが最後の急勾配「心臓破りの丘」の制覇。
★ ところで・・・この Heartbreak Hill 実は、マラソン・コース最後の地域に広がる"Newton hills",と呼ばれる4つの丘陵の一つで、見晴らしも良く、ロマンチックなムードを醸し出していることから、地元では「失恋の丘」と呼ばれていたのだそうですね。
それがマラソン大会が始まるようになって、heartbreak に対する参加選手の実感に則して「心臓破り」にイメージが変わって、定着した、とか。
★ ウソか、真か、真偽のほどは定かではありませんが、ともかく、人口に膾炙(かいしゃ)した俗説なるもの、少し、こだわり、まじめに調べ直すと、この類(たぐい)のおもしろい発見がいろいろと出て来そうですね。雑学の楽しみ、と言うべきでしょう。
★ ところで・・・「心臓破りの丘」は、時として思わぬ罪作りをします。1980年に起こった珍事件「キセル・マラソン」・・女子の先頭を切ってゴールしたのは、ロージー・ルイーズ選手でしたが汗一つかいていない。調べてみると、この丘を回避して近道を通ってゴールインした、とか。 1897年創設以来、初めて起こった珍・不祥事でファンを”失恋”させました。元々の原意である失恋イメージを呼び覚ました事件でした。
★ ともかく、”真珠湾”も、”心臓破りの丘”も、今となっては、正確な原語の意味を含ませる日本語に変えることは無理、また、そうする意味もありませんね。「一犬虚に吠ゆれば万犬実を伝」えて、すでに市民権を得た固有名詞になっています。
まあ、雑学の楽しみ。皆様には、今日のお茶の間の話題に供します。
★ 「真珠湾はない」
最近、歴史研究家の原徳三さんが、『文藝春秋』9月号の巻頭随筆欄で、こんなタイトルを付けた啓蒙的なエッセーを書いておられます。「ほとんどの日本人は日米戦争が真珠湾攻撃から始まった、と思いこみ、アメリカ人も”リメンバー・パール・ハーバー”と言って日本と戦ったことは知っている。だが、”真珠湾”など無い」とおっしゃいます。
★ ??? と、その先を読みますと、
「”パール・ハーバー”は”真珠港”でなければいけない。”湾”か”港”か、そんなこと、どうでもいい、と言う人もいるかもしれないが、固有名詞を勝手に言い換えるのは乱暴だ。 ”林”を”森”と言っていいのか?」
★ そして、なぜ、日本人は、パールハーバーを真珠湾と思い込んで、この60年間、疑うことも無かったのか? 「ことの発端は・・・」と前置きして、その原因になったエピソードを解き明かしておられます。公文書などを精緻に検討された経緯は、非常に興味深いのですが、あまり細かい引用は著作権に抵触します。興味のある方は、是非、現物でお確かめください。
★ ただ結論だけ引用させて頂きますと、それは、「新聞報道の誤訳だった」そうです。
開戦初日、パールハーバーが攻撃され、これを報道した外電を
「白亜館は日本軍が真珠湾に対して攻撃を開始したと発表」
とパールハーバーを【真珠”湾”】と翻訳掲載し、それが、独り歩きし、60年間、誰も怪しまなかった、と言うのが真相だ、とか。
★ 言われてみれば、その通り。
英語には、bay も gulf も port も harborも・・・多分、もっと「港と湾」を言い表す言葉があるはずです。もし原さんのご指摘通り、「真珠湾」が攻撃されたのであれば、原語は「パール・ベイ」でなけねばならぬ、だが、そんな港は、今も、昔も、ハワイにはない。
★ 原徳三さんは、まさに
「一犬虚に吠ゆれば万犬実を伝う」
と、言っておられます。
★ 「一犬虚に吠ゆれば万犬実を伝う」
原さんの感慨を承って、似たような話を思い出しました。ボストン・マラソンで有名な最後の難所「Heartbreak Hill」のこと。ボストンマラソンは、日本人にもっとも親しいマラソンです。私の年代の者には、敗戦で国民が自信を失っていた頃、海外のスポーツで最初に日本人優勝者を出した大会として、今も鮮明に脳裏に刻み込まれています。
当時の新聞特派員が
【この「心臓破りの丘」を制覇するのが勝負の分かれ目】
と解説して以来、俄然、有名になりました。
★ その”時の英雄”は、日大1年生だった田中繁樹さん。敗戦で日本人が自信を失い魂の抜け殻のようになっていた昭和26(1951)年に初優勝したのです。私とほぼ同年齢。日本中が、この壮挙に熱狂しました。
★ その後、日本人選手の優勝は1987年の瀬古選手が最後。最近では1999年に有森選手が女子の第3位に入る健闘をみせました。そのすべての選手の勝敗を決めるのが最後の急勾配「心臓破りの丘」の制覇。
★ ところで・・・この Heartbreak Hill 実は、マラソン・コース最後の地域に広がる"Newton hills",と呼ばれる4つの丘陵の一つで、見晴らしも良く、ロマンチックなムードを醸し出していることから、地元では「失恋の丘」と呼ばれていたのだそうですね。
それがマラソン大会が始まるようになって、heartbreak に対する参加選手の実感に則して「心臓破り」にイメージが変わって、定着した、とか。
★ ウソか、真か、真偽のほどは定かではありませんが、ともかく、人口に膾炙(かいしゃ)した俗説なるもの、少し、こだわり、まじめに調べ直すと、この類(たぐい)のおもしろい発見がいろいろと出て来そうですね。雑学の楽しみ、と言うべきでしょう。
★ ところで・・・「心臓破りの丘」は、時として思わぬ罪作りをします。1980年に起こった珍事件「キセル・マラソン」・・女子の先頭を切ってゴールしたのは、ロージー・ルイーズ選手でしたが汗一つかいていない。調べてみると、この丘を回避して近道を通ってゴールインした、とか。 1897年創設以来、初めて起こった珍・不祥事でファンを”失恋”させました。元々の原意である失恋イメージを呼び覚ました事件でした。
★ ともかく、”真珠湾”も、”心臓破りの丘”も、今となっては、正確な原語の意味を含ませる日本語に変えることは無理、また、そうする意味もありませんね。「一犬虚に吠ゆれば万犬実を伝」えて、すでに市民権を得た固有名詞になっています。
まあ、雑学の楽しみ。皆様には、今日のお茶の間の話題に供します。
by zenmz
| 2006-09-08 11:25
| 戦争秘話:平和への戒め