2006年 09月 20日
【6254】 世界に暗雲広げた法王発言 |
★ ローマ法王・ベネディクト16世が訪問先の母国ドイツの大学で行った講義が、一部で、「イスラム教が本質的に暴力を容認する宗教である。とイスラム批判した」と受け止められ、イスラム諸国が一斉に反発、政治、宗教両方の指導者が陳謝を求める騒ぎになっています。
★ この意味は重大です。世界を宗教人口分布で見ると、どうなるか? とりあえず手元にある「世界なんでもTOP10」(1996.三省堂)によりますと、「世界総人口の約55億人の内、約19億人がキリスト教信者、約10億人がイスラム教信者、約7億人がヒンドゥー教信者、約3億人が仏教信者・・・つまり「これは、地球人間100人のうちキリスト教徒35人、イスラム教徒19人、ヒンドゥー教徒14人が信者、仏教徒6人という分布像になるそうです。
★ 今は、世界人口も65億人に達し、キリスト教信徒の伸び悩みに反してイスラム教への回心者が激増しているそうですから、この比率は、うんと変わっているかもしれません。が、手元に資料がないので、とりあえず、10年前の時点での統計を利用しておきます。
★ 法王の発言が、世界人口の半数以上の54パーセントに影響を与えて、睨み合い、反目を深め、テロ激化に新たな口実を与えかねない緊迫した状況を醸し出しているのです。
日本の新聞は、報道にかなり抑制的ですが、やはり、他人事、と、知らんプリして見過ごすことは出来ません。一体、ローマ法王が何を言い、その結果、何が起こりつつあるのか? 現時点で得られた情報をまとめておきたいと思います。
★ 法王が何を言ったのか? 地球上の半数以上の人間に、これほど大きな衝撃を与えた法王発言とは何であったのか? 何よりもまず、そのことを確認しなければ、コレによって惹起していることの是非の判断のしようもありません。幸い、ローマ法王庁は、法王が行った講演の全文を迅速に公開しました。そして日本のカトリック教会の総まとめ役である「カトリック中央協議会」も日本語の翻訳全文をネット上で、公開していますので誰でも確認出来ます。
★ それによりますと、法王は、カトリック恒例の”司牧訪問”で南ドイツを訪れた4日目の9月12日午後5時から、レーゲンスブルク大学講堂で、大学関係者を対象に講演を行いました。法王・ベネディクト十六世は、以前、1969年から1977年までレーゲンスブルク大学で教義学と教義史の主任教授をし、また同大学副学長を務めたこともあるので、いわば自分の古巣でのくつろいだ講演であったようです。
★ 演題も「信仰、理性、大学――回顧と考察」
問題になっているイスラム教への言及は、挨拶に続き、本論の導入部分に入った直後に出てきます。
そして問題の箇所が出て来ます。
法王は、このローマ皇帝の発言を引用するに当たって、
とコメントしています。
★ さて・・・これが、なぜ、問題になるのか?
どの発言が、どのような問題をはらんでいるのか? キリスト教やマホメット教になじみが少ない我々には、全く感じ取りようがありません。
とりあえず、公開されている講義の文脈のなかで、この引用が用いられた趣旨を忖度(そんたく)し、理解をする以外、ありません。今となっては、法王自身が自ら弁明される説明をお聞きするのが一番、分かりよいでしょう。
ただ、ここでは、それが、世界のイスラム教徒が一斉に反発し、抗議の声を挙げ、法王に陳謝を要求する騒ぎになった。そのとっかかりを考察しておきたいと思います。
★ 日本に最初にそれを伝えたのは、「時事通信」の短信でした。
★ この記事だけをみると、その場に居合わせて講演を聴いていた時事通信記者が、
1) 法王が (600年前に)東ローマ帝国皇帝がしたイスラム批判に触れて(つまりそれを論拠に)
2) 「イスラム教開祖ムハンマドが新たにもたらしたものを見せて欲しい」と、注意を促して
3) 「それは邪悪と残酷だけだ」と、イスラムの教えである「ジハード」(聖戦)の概念を批判した。
と、実際に確認したかのような印象を受けます。
第一の疑問は、果たして日本人記者が実際にその場に居たのか、どうか?
問題になったことを聞いて、関係者の見解を集めて、(その伝聞を)記事にしたのか?
★ ともかく、今、公開されているテキストをみる限り、はっきりとそのように読めそうにありません。そう理解するには、かなりの飛躍が必要です。つまり、刺激的な言葉だけを集めて、整然たる意味・内容を持たせる文章の再構築が必要です。一言でいって、法王が何を言おうとしたのか? 疑問を差し挟む箇所が随分、あります。それを質すことをせず、勝手な解釈で文章化されると、読者は「ああ、そういうことか」と受け入れてしまう。よく分かりませんが、そのような経緯で出てきたような記事かナ、とも思います。
★ しかし、大半のイスラム教徒が、それと同じ聴き方、読み方をし、ローマ法王は「イスラムの聖戦を邪悪と残酷と批判した」と受け止めたようです。日本の新聞も、その後、連日のようにイスラム諸国の抗議行動の広がりを伝えています。日本の新聞はかなり抑制的ですが、現地新聞の報道は、事態が予想以上に深刻であることを伝えています。
例えば、東京外国語大学の中近東地域研究グループがアラビア語・イラン語・トルコ語などの主要現地新聞をリアルタイムに日本語に翻訳してネット上で公開している News from the Middle East をみると、ナマに伝わってきます。
★ イラクのイスラム教スンニ派の過激派組織が次々と非難と攻撃予告の声明を出したり、「イラク・イスラム軍」の名義で「イタリア大使館を攻撃する」との声明など過激行動はかなりエスカレートの兆しを見せていますが、危機感を持ったイスラム教国でも沈静化の努力が始まっているようです。法王は11月にトルコ訪問の予定ですが、現地新聞は、ギュル外相が計画通り招致することを強調し、法王に書簡を送って「キャンセルなさらぬよう」要請した、と伝えています。
★ 幸い、ローマ法王庁はじめ世界のカトリック教会は、かなり冷静に事態の沈静化に努めています。今朝の報道(朝日新聞)によれば、 バチカンは18日、イスラム諸国へ派遣している外交使節(大使に相当)に対し、問題となっているドイツの大学でのローマ法王発言について「政治や宗教の関係者へ(大学での)講義の全文を踏まえた法王の真意を説明するように」と指示した。インターネット上で公開している講義全文に「法王が補足説明を付けた改訂版を出す意向」としており、近く詳細な釈明が法王自身から行われる見込み、だそうです。
★ 教皇無謬(むびゅう)はローマ法王に冠せられた宗教権威の象徴的信頼でした。これまでローマ法王が前言を翻し弁明したことなど聴いたことはありません。その法王が、抗議の声が始まると、時を置かず「真意が伝わっていない」と弁明し、その徹底を外交使節に指示。更には自ら講義に対する釈明補遺を出すと言う異例の事態となっています。
★ 私自身は、法王の弁明がよく理解できます。しかし、一つの疑問は、この講演で、なぜ、わざわざ問題の600年前のテキストを参考に持ち出さねばならなかったのか? この部分を飛ばして、全体を読み通しても、本来の講演の文脈は理解できます。なぜ、このような余分の”挿話”を織り込まれたのか?
★ ”古巣”での気楽さがあって、ひょっとすると・・・・と、思ったりします。宗教とは関係ありませんが、かつて人種、女性、障害者などマイノリティ・グループの人権問題論議が世界中を席巻した折り、これを疎んずる既成社会集団が「目配せ」連帯で、それを跳ね返したことがあります。差別はイケナイ、と、表面上はうなずきながら、言葉とはウラハラの本音を物言わず”目配せ”に乗せて連帯意識を強めて「正論はタテマエ」と実効を骨抜きにしました。
★ 今度の法王発言に、英国の大衆紙「デリー・テレグラフ」紙は、「よくぞ言ってくれた」と大見出しの記事を掲げて法王発言を熱狂的に支持しているそうです。それをみた時、ひょっとすると・・・と、思ったりします。西側キリスト教社会を覆っている忌まわしいイスラム・ジハード。この講演の中に「目配せ」インフォメーションが忍び込ませてあったのではないか? 一部とはいえ、アジテーション悪用効果も出て来ています。
★ イスラム教の国々の新聞論調が、法王の”誠意をつくした”弁明にもかかわらず、その言葉に疑心暗鬼なのは、感じ取った、その「目配せ」に600年前のテキストの持つ「含意」を説くカギを見いだしているのではないか? キリスト教側にそのような反響が広がると、大変なことになります。
イスラム諸国の主要現地新聞の論説をみながら、私は、そのような印象を持っています。是非、この問題は、政治問題をからめず、純粋に宗教論議として、キリスト教、イスラム教の指導者が相集い、冷静に”講演の原点”に立ち戻って、吟味し、「雨降って地固まる」結論に達し、信徒を導かれることを切望します。
【法王発言関連日誌(No.2)はこちらにあります】
★ この意味は重大です。世界を宗教人口分布で見ると、どうなるか? とりあえず手元にある「世界なんでもTOP10」(1996.三省堂)によりますと、「世界総人口の約55億人の内、約19億人がキリスト教信者、約10億人がイスラム教信者、約7億人がヒンドゥー教信者、約3億人が仏教信者・・・つまり「これは、地球人間100人のうちキリスト教徒35人、イスラム教徒19人、ヒンドゥー教徒14人が信者、仏教徒6人という分布像になるそうです。
★ 今は、世界人口も65億人に達し、キリスト教信徒の伸び悩みに反してイスラム教への回心者が激増しているそうですから、この比率は、うんと変わっているかもしれません。が、手元に資料がないので、とりあえず、10年前の時点での統計を利用しておきます。
★ 法王の発言が、世界人口の半数以上の54パーセントに影響を与えて、睨み合い、反目を深め、テロ激化に新たな口実を与えかねない緊迫した状況を醸し出しているのです。
日本の新聞は、報道にかなり抑制的ですが、やはり、他人事、と、知らんプリして見過ごすことは出来ません。一体、ローマ法王が何を言い、その結果、何が起こりつつあるのか? 現時点で得られた情報をまとめておきたいと思います。
★ 法王が何を言ったのか? 地球上の半数以上の人間に、これほど大きな衝撃を与えた法王発言とは何であったのか? 何よりもまず、そのことを確認しなければ、コレによって惹起していることの是非の判断のしようもありません。幸い、ローマ法王庁は、法王が行った講演の全文を迅速に公開しました。そして日本のカトリック教会の総まとめ役である「カトリック中央協議会」も日本語の翻訳全文をネット上で、公開していますので誰でも確認出来ます。
★ それによりますと、法王は、カトリック恒例の”司牧訪問”で南ドイツを訪れた4日目の9月12日午後5時から、レーゲンスブルク大学講堂で、大学関係者を対象に講演を行いました。法王・ベネディクト十六世は、以前、1969年から1977年までレーゲンスブルク大学で教義学と教義史の主任教授をし、また同大学副学長を務めたこともあるので、いわば自分の古巣でのくつろいだ講演であったようです。
★ 演題も「信仰、理性、大学――回顧と考察」
問題になっているイスラム教への言及は、挨拶に続き、本論の導入部分に入った直後に出てきます。
法王は、ここで、600年前に東ローマ帝国の皇帝マヌエル二世パライオロゴスが、教養あるペルシア人とキリスト教とイスラーム教について対話したと言う記録のテキストを引用しています。その趣旨について「この対話は、『信仰と理性』というテーマとの関連で、わたしに興味深く思い、かつまたまた私の考察の出発点として役に立つものです」と、その理由を述べています。
そして問題の箇所が出て来ます。
【皇帝マヌエル二世パライオロゴスが『ジハード(聖戦)』というテーマに言及して、驚くべきぶしつけさをもって、宗教と暴力一般の関係に関する中心的な問いを発します。皇帝はいいます。「ムハンマドが新しいこととしてもたらしたものをわたしに示してください。あなたはそこに悪と非人間性しか見いだすことができません。たとえば、ムハンマドが、自分の説いた信仰を剣によって広めよと命じたことです】。
【皇帝は、これほど強い調子のことばを述べてから、信仰を暴力によって広めることがなぜ不合理なことであるかを、続けて説明します。暴力は神の本性と魂の本性に反します。皇帝はいいます】
【神は血を喜びませんし、理性に従う(シュン・ロゴイ)ことなしに行動することは神の本性に反します。信仰は魂から生まれるものであって、肉体から生まれるものではありません。誰かを信仰に導きたいなら、必要とされるのは、上手に語り、正しく考える能力であって、暴力や脅しではありません。・・・・理性を備えた魂を説得するために、腕力も、いかなる武器も、死をもって人を脅すその他の手段も必要ではありません・・・・】
法王は、このローマ皇帝の発言を引用するに当たって、
【皇帝(マヌエル二世パライオロゴス)は、コーラン第2章(スーラ)256節にある教え「宗教にむり強いがあってはならない」・・・これは、専門家によると、ムハンマドがまだ力をもたず、迫害されていた、初期の時代の教えの一つでだが、当然、知っていたはず」とコメントし、「暴力的な改宗に反対するこの議論の中で、決定的なしかたで述べられているのは、このことです。すなわち、理性に従わない行動は、神の本性に反するということです】
とコメントしています。
★ さて・・・これが、なぜ、問題になるのか?
どの発言が、どのような問題をはらんでいるのか? キリスト教やマホメット教になじみが少ない我々には、全く感じ取りようがありません。
とりあえず、公開されている講義の文脈のなかで、この引用が用いられた趣旨を忖度(そんたく)し、理解をする以外、ありません。今となっては、法王自身が自ら弁明される説明をお聞きするのが一番、分かりよいでしょう。
ただ、ここでは、それが、世界のイスラム教徒が一斉に反発し、抗議の声を挙げ、法王に陳謝を要求する騒ぎになった。そのとっかかりを考察しておきたいと思います。
★ 日本に最初にそれを伝えたのは、「時事通信」の短信でした。
ローマ法王は12日、訪問先の母国ドイツの大学で行った講義で、東ローマ帝国皇帝によるイスラム批判に触れ、「(イスラム教開祖の)預言者ムハンマドが新たにもたらしたものを見せてほしい。それは邪悪と残酷だけだ」などと指摘。その上で、イスラムの教えるジハード(聖戦)の概念を批判した。(時事)
★ この記事だけをみると、その場に居合わせて講演を聴いていた時事通信記者が、
1) 法王が (600年前に)東ローマ帝国皇帝がしたイスラム批判に触れて(つまりそれを論拠に)
2) 「イスラム教開祖ムハンマドが新たにもたらしたものを見せて欲しい」と、注意を促して
3) 「それは邪悪と残酷だけだ」と、イスラムの教えである「ジハード」(聖戦)の概念を批判した。
と、実際に確認したかのような印象を受けます。
第一の疑問は、果たして日本人記者が実際にその場に居たのか、どうか?
問題になったことを聞いて、関係者の見解を集めて、(その伝聞を)記事にしたのか?
★ ともかく、今、公開されているテキストをみる限り、はっきりとそのように読めそうにありません。そう理解するには、かなりの飛躍が必要です。つまり、刺激的な言葉だけを集めて、整然たる意味・内容を持たせる文章の再構築が必要です。一言でいって、法王が何を言おうとしたのか? 疑問を差し挟む箇所が随分、あります。それを質すことをせず、勝手な解釈で文章化されると、読者は「ああ、そういうことか」と受け入れてしまう。よく分かりませんが、そのような経緯で出てきたような記事かナ、とも思います。
★ しかし、大半のイスラム教徒が、それと同じ聴き方、読み方をし、ローマ法王は「イスラムの聖戦を邪悪と残酷と批判した」と受け止めたようです。日本の新聞も、その後、連日のようにイスラム諸国の抗議行動の広がりを伝えています。日本の新聞はかなり抑制的ですが、現地新聞の報道は、事態が予想以上に深刻であることを伝えています。
例えば、東京外国語大学の中近東地域研究グループがアラビア語・イラン語・トルコ語などの主要現地新聞をリアルタイムに日本語に翻訳してネット上で公開している News from the Middle East をみると、ナマに伝わってきます。
★ イラクのイスラム教スンニ派の過激派組織が次々と非難と攻撃予告の声明を出したり、「イラク・イスラム軍」の名義で「イタリア大使館を攻撃する」との声明など過激行動はかなりエスカレートの兆しを見せていますが、危機感を持ったイスラム教国でも沈静化の努力が始まっているようです。法王は11月にトルコ訪問の予定ですが、現地新聞は、ギュル外相が計画通り招致することを強調し、法王に書簡を送って「キャンセルなさらぬよう」要請した、と伝えています。
★ 幸い、ローマ法王庁はじめ世界のカトリック教会は、かなり冷静に事態の沈静化に努めています。今朝の報道(朝日新聞)によれば、 バチカンは18日、イスラム諸国へ派遣している外交使節(大使に相当)に対し、問題となっているドイツの大学でのローマ法王発言について「政治や宗教の関係者へ(大学での)講義の全文を踏まえた法王の真意を説明するように」と指示した。インターネット上で公開している講義全文に「法王が補足説明を付けた改訂版を出す意向」としており、近く詳細な釈明が法王自身から行われる見込み、だそうです。
★ 教皇無謬(むびゅう)はローマ法王に冠せられた宗教権威の象徴的信頼でした。これまでローマ法王が前言を翻し弁明したことなど聴いたことはありません。その法王が、抗議の声が始まると、時を置かず「真意が伝わっていない」と弁明し、その徹底を外交使節に指示。更には自ら講義に対する釈明補遺を出すと言う異例の事態となっています。
★ 私自身は、法王の弁明がよく理解できます。しかし、一つの疑問は、この講演で、なぜ、わざわざ問題の600年前のテキストを参考に持ち出さねばならなかったのか? この部分を飛ばして、全体を読み通しても、本来の講演の文脈は理解できます。なぜ、このような余分の”挿話”を織り込まれたのか?
★ ”古巣”での気楽さがあって、ひょっとすると・・・・と、思ったりします。宗教とは関係ありませんが、かつて人種、女性、障害者などマイノリティ・グループの人権問題論議が世界中を席巻した折り、これを疎んずる既成社会集団が「目配せ」連帯で、それを跳ね返したことがあります。差別はイケナイ、と、表面上はうなずきながら、言葉とはウラハラの本音を物言わず”目配せ”に乗せて連帯意識を強めて「正論はタテマエ」と実効を骨抜きにしました。
★ 今度の法王発言に、英国の大衆紙「デリー・テレグラフ」紙は、「よくぞ言ってくれた」と大見出しの記事を掲げて法王発言を熱狂的に支持しているそうです。それをみた時、ひょっとすると・・・と、思ったりします。西側キリスト教社会を覆っている忌まわしいイスラム・ジハード。この講演の中に「目配せ」インフォメーションが忍び込ませてあったのではないか? 一部とはいえ、アジテーション悪用効果も出て来ています。
★ イスラム教の国々の新聞論調が、法王の”誠意をつくした”弁明にもかかわらず、その言葉に疑心暗鬼なのは、感じ取った、その「目配せ」に600年前のテキストの持つ「含意」を説くカギを見いだしているのではないか? キリスト教側にそのような反響が広がると、大変なことになります。
イスラム諸国の主要現地新聞の論説をみながら、私は、そのような印象を持っています。是非、この問題は、政治問題をからめず、純粋に宗教論議として、キリスト教、イスラム教の指導者が相集い、冷静に”講演の原点”に立ち戻って、吟味し、「雨降って地固まる」結論に達し、信徒を導かれることを切望します。
【法王発言関連日誌(No.2)はこちらにあります】
by zenmz
| 2006-09-20 16:17
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