2006年 09月 22日
【6256】 定年後田舎暮らしへの提言 |
★ 国土交通省の「平成18年都道府県地価調査」が公表されました。「総じて見れば、下落傾向が継続しているものの、三大都市圏及び地方ブロックの中心都市の都心部を中心に、平成18年地価公示で見られた地価の持ち直し傾向がより鮮明になった」そうです。若者の新卒者雇用も、求人-求職がほぼ均衡し、一部業種には求人難現象も出てきた、とか。
★ 今度の地価調査で、特に目立ったのが団塊世代の大量退職の影響だそうです。定年後田舎暮らしを希望する人が多く、全国各地の避暑地、別荘地が軒並み地価をあげており、中でも100年の伝統を誇る軽井沢別荘地はダントツに地価ウナギ上りだそうです。その原因は退職を前にした団塊世代の自然の中でのんびりと、と願う”移住計画”
★ 団塊世代は働き蜂。「いよいよあこがれの年金生活」と、定年を楽しみにしている人が多いです。と、いっても、便利な都会暮らしに慣れた人間には、田圃の中の一軒家は無理。土地の人たちとの交流は煩わしい。出来るだけご勘弁を・・・の気持ちが強いですね。そこで向かうのが、インフラも完備し、都会人がこだわるプライバシー確保の生活文化ができあがっている別荘地。都心と1時間の新幹線と結ばれている軽井沢は最適地です。
★ 団塊世代の大量退職・・・一口に700万人と言われますが、その多くが、退職を機に都会を離れて地方に移住するだろう、と言われています。地方レベルの公的支援団体も次々と作られて誘致に拍車がかかっています。しかし、「定年後は田舎暮らし」は、言われるほど”バラ色の新人生”を保証するものではありません。人によって「あこがれと現実」の乖離(かいり)が、これほどはっきりするものはないでしょう。
★ まあ、自分のことで恐縮ですが、私たち夫妻は共に都会生まれの都会育ち、大阪千里ニュータウンに15年も住みなれた時、定年になりました。そのころから政府が「田舎暮らし」と「海外移住」のメニューを作って定年者の第二の人生支援に乗り出していました。私も、50歳代中頃に関心を寄せていましたが、偶然、岡山に招かれて教員生活に入り、造成中だった現在の「吉備高原都市」に居を移しました。結果として田舎暮らしに入ったのです。
★ それからはや18年。幸い、地元の方々とも親しく交わり、地域に受け入れていただいて、今ではかなり”地元民化”、その度合いが深まるのと比例して生活の楽しみも豊富に、深まりも出てきています。
ここまで来るのに、移住当初から自分に言い聞かせてきた言葉があります。
「私は新入り。未開に地に先住者が作り上げたムラ文化に敬意を。土地にとけ込め」
だが、それは、私にとって、緊張続きの一大文化革命でした。
★ 土地に深く根ざした田園生活文化は、岡山弁と共に何百年もの伝統に根ざしています。地域にとけ込む・・・その決意は口先だけで治まるものではない。まず関西人夫婦にとって困ったのは冗談が通じないこと。関西人の日常生活は冗談の応酬で動きます。その文化は、ここにはない。
★ 未だに苦労しているのですが・・・・とりわけ老妻の関西弁のノリが引き起こす珍騒動。例えば・・・
58歳で3ヶ月かけて、やっと自動車免許を取った時のこと。
「ああ、トーダイより難しかった」
と、しみじみ述懐したら・・あの人、東大出じゃゲナ、と、たちまちウワサが広まって大あわてで消しまくって歩いてました。
★ また、何時もお米を買っている実直なお百姓さん。
「あんたとこのお蔭でウチ、餓死セエヘンワ。アリガト」
最大のお礼の言葉のつもりが・・・・
「お宅がそんなことなかろーガ?」 と、半信半疑で同情のカオ。
????? 通じてない。
★ その「ヨシモトみたいなおばあさん」もビックリした「オキャーマ弁」が「シネ」 この地では、日常会話で、「しね」が連発されます。ちょっと気をつけると、「シネェ」と聞こえるのですが、「して下さい」と言う意味。老妻には「死ね」に聞こえていたのです。
「こっち睨んで、死ね、言うたはる。ああ、コワ!」
★ それよりも深刻なのは、お付き合いの風習ですね。意に添わぬネバナラヌことが多くあります。「なぜ?」と、問えば、必ず「ヌカに釘」 「ノレンに腕押し」・・・・議論にはなりません。しかし、時として神経を逆撫でし、不合理に見える事柄も、全体をまとめて見れば渾然一体。見事にムラ人の心をつないで地域の堅固な和を作り上げているものです。今では全く気にならなくなりました。が、時間がかかったネェー、と言うのもホンネ。
★ 勢い込んで移住してきたものの、土地と人になじめず、「もうこりごり」と、早々に引き揚げる人もいました。自分の意に叶わぬ時にはことごとく”正論”をぶちまけ、論破する。それが故に孤立し、門戸を閉ざして周囲との交渉を断つ人も出てきます。中には、「都会で稼いで過疎地にカネを落としてやっているのに・・・・」と、とんでもない論理を振りかざす人もいて周囲をシラケさせることも・・・ともかく都会人が田舎に住むことのむずかしさをいくつも見聞きしてきました。
ともかく、人間関係は煩わしい、と言う方は、最初から田舎暮らしはお止めになった方がいいです。
★ 率直に申し上げて、気張って、がんばって田舎に生きていく悲壮な決意も邪魔ですね。
よく「郷に入り手は郷に従え」などと言いますが、私は、それは出来ません。やはり都会人の身に染みついた合理主義が手放せないです。自分を押し殺して生き方を変えるなど出来っこない。
私の知恵のお薦めは、
「郷に入りては郷を楽しめ」 「ところ変われば・・・ああ、そうか!」
そして、 ニコニコ、楽しめば済むこと。目に角立ててがんばる必要はありません。
★ この私が住む吉備高原都市も都会の定年退職者の第二の人生を・・・と呼びかけています。しかし、いくらパンフレットを配布しても、効果がありません。団塊世代の皆さんが、田舎暮らしをお考えになるなら、是非、吉備高原都市に、とお勧めしたいのですが、自分の体験から、一つ、私が提案したいのは、本腰で誘致したいのなら、「試験的に田舎に滞在してもらう」支援事業をキチンと公共施策として位置づけて始めてみてはどうか、と思います。
★ 両者をつなぐためにもっとも、いい手だては、希望者に実体験をしてもらうことです。それが一番、いい方法だとおもいます。とにかく移住の前に生活を体験してみる。それも、3ヶ月、6ヶ月、出来ることなら1年間、ともかく一定期限を限って、空き家を提供し、現地実際に住んでもらう。村人と交わるチャンスも事業として計画し、その土地になじんでもらう。そのような仕組みはどうか?
★ 一般論として、「定年後田舎暮らし」を本気で支えるのであれば、そのような行政による公的支援事業が不可欠だと思います。
しかし、もし、団塊世代の方が移住先に「吉備高原都市」をお考えになるならば、そのような公的準備を待つまでもなく、視察小旅行、短期滞在など、とりあえず下見旅行をなさっては如何でしょう。
★ 地元の吉備中央町には公民共同で、町を挙げて行っている「ふるさと夢体験」というユニークな事業があります。
★ どんなことをしているのか?
これまでの取り組み実績はホーム・ページをごらんください。
申し込みはネットで「夢町民申し込み」手続きをすれば、受け付けてくれます。是非、お試しを。
★ 今度の地価調査で、特に目立ったのが団塊世代の大量退職の影響だそうです。定年後田舎暮らしを希望する人が多く、全国各地の避暑地、別荘地が軒並み地価をあげており、中でも100年の伝統を誇る軽井沢別荘地はダントツに地価ウナギ上りだそうです。その原因は退職を前にした団塊世代の自然の中でのんびりと、と願う”移住計画”
★ 団塊世代は働き蜂。「いよいよあこがれの年金生活」と、定年を楽しみにしている人が多いです。と、いっても、便利な都会暮らしに慣れた人間には、田圃の中の一軒家は無理。土地の人たちとの交流は煩わしい。出来るだけご勘弁を・・・の気持ちが強いですね。そこで向かうのが、インフラも完備し、都会人がこだわるプライバシー確保の生活文化ができあがっている別荘地。都心と1時間の新幹線と結ばれている軽井沢は最適地です。
★ 団塊世代の大量退職・・・一口に700万人と言われますが、その多くが、退職を機に都会を離れて地方に移住するだろう、と言われています。地方レベルの公的支援団体も次々と作られて誘致に拍車がかかっています。しかし、「定年後は田舎暮らし」は、言われるほど”バラ色の新人生”を保証するものではありません。人によって「あこがれと現実」の乖離(かいり)が、これほどはっきりするものはないでしょう。
★ まあ、自分のことで恐縮ですが、私たち夫妻は共に都会生まれの都会育ち、大阪千里ニュータウンに15年も住みなれた時、定年になりました。そのころから政府が「田舎暮らし」と「海外移住」のメニューを作って定年者の第二の人生支援に乗り出していました。私も、50歳代中頃に関心を寄せていましたが、偶然、岡山に招かれて教員生活に入り、造成中だった現在の「吉備高原都市」に居を移しました。結果として田舎暮らしに入ったのです。
★ それからはや18年。幸い、地元の方々とも親しく交わり、地域に受け入れていただいて、今ではかなり”地元民化”、その度合いが深まるのと比例して生活の楽しみも豊富に、深まりも出てきています。
ここまで来るのに、移住当初から自分に言い聞かせてきた言葉があります。
「私は新入り。未開に地に先住者が作り上げたムラ文化に敬意を。土地にとけ込め」
だが、それは、私にとって、緊張続きの一大文化革命でした。
★ 土地に深く根ざした田園生活文化は、岡山弁と共に何百年もの伝統に根ざしています。地域にとけ込む・・・その決意は口先だけで治まるものではない。まず関西人夫婦にとって困ったのは冗談が通じないこと。関西人の日常生活は冗談の応酬で動きます。その文化は、ここにはない。
★ 未だに苦労しているのですが・・・・とりわけ老妻の関西弁のノリが引き起こす珍騒動。例えば・・・
58歳で3ヶ月かけて、やっと自動車免許を取った時のこと。
「ああ、トーダイより難しかった」
と、しみじみ述懐したら・・あの人、東大出じゃゲナ、と、たちまちウワサが広まって大あわてで消しまくって歩いてました。
★ また、何時もお米を買っている実直なお百姓さん。
「あんたとこのお蔭でウチ、餓死セエヘンワ。アリガト」
最大のお礼の言葉のつもりが・・・・
「お宅がそんなことなかろーガ?」 と、半信半疑で同情のカオ。
????? 通じてない。
★ その「ヨシモトみたいなおばあさん」もビックリした「オキャーマ弁」が「シネ」 この地では、日常会話で、「しね」が連発されます。ちょっと気をつけると、「シネェ」と聞こえるのですが、「して下さい」と言う意味。老妻には「死ね」に聞こえていたのです。
「こっち睨んで、死ね、言うたはる。ああ、コワ!」
★ それよりも深刻なのは、お付き合いの風習ですね。意に添わぬネバナラヌことが多くあります。「なぜ?」と、問えば、必ず「ヌカに釘」 「ノレンに腕押し」・・・・議論にはなりません。しかし、時として神経を逆撫でし、不合理に見える事柄も、全体をまとめて見れば渾然一体。見事にムラ人の心をつないで地域の堅固な和を作り上げているものです。今では全く気にならなくなりました。が、時間がかかったネェー、と言うのもホンネ。
★ 勢い込んで移住してきたものの、土地と人になじめず、「もうこりごり」と、早々に引き揚げる人もいました。自分の意に叶わぬ時にはことごとく”正論”をぶちまけ、論破する。それが故に孤立し、門戸を閉ざして周囲との交渉を断つ人も出てきます。中には、「都会で稼いで過疎地にカネを落としてやっているのに・・・・」と、とんでもない論理を振りかざす人もいて周囲をシラケさせることも・・・ともかく都会人が田舎に住むことのむずかしさをいくつも見聞きしてきました。
ともかく、人間関係は煩わしい、と言う方は、最初から田舎暮らしはお止めになった方がいいです。
★ 率直に申し上げて、気張って、がんばって田舎に生きていく悲壮な決意も邪魔ですね。
よく「郷に入り手は郷に従え」などと言いますが、私は、それは出来ません。やはり都会人の身に染みついた合理主義が手放せないです。自分を押し殺して生き方を変えるなど出来っこない。
私の知恵のお薦めは、
「郷に入りては郷を楽しめ」 「ところ変われば・・・ああ、そうか!」
そして、 ニコニコ、楽しめば済むこと。目に角立ててがんばる必要はありません。
★ この私が住む吉備高原都市も都会の定年退職者の第二の人生を・・・と呼びかけています。しかし、いくらパンフレットを配布しても、効果がありません。団塊世代の皆さんが、田舎暮らしをお考えになるなら、是非、吉備高原都市に、とお勧めしたいのですが、自分の体験から、一つ、私が提案したいのは、本腰で誘致したいのなら、「試験的に田舎に滞在してもらう」支援事業をキチンと公共施策として位置づけて始めてみてはどうか、と思います。
★ 両者をつなぐためにもっとも、いい手だては、希望者に実体験をしてもらうことです。それが一番、いい方法だとおもいます。とにかく移住の前に生活を体験してみる。それも、3ヶ月、6ヶ月、出来ることなら1年間、ともかく一定期限を限って、空き家を提供し、現地実際に住んでもらう。村人と交わるチャンスも事業として計画し、その土地になじんでもらう。そのような仕組みはどうか?
★ 一般論として、「定年後田舎暮らし」を本気で支えるのであれば、そのような行政による公的支援事業が不可欠だと思います。
しかし、もし、団塊世代の方が移住先に「吉備高原都市」をお考えになるならば、そのような公的準備を待つまでもなく、視察小旅行、短期滞在など、とりあえず下見旅行をなさっては如何でしょう。
★ 地元の吉備中央町には公民共同で、町を挙げて行っている「ふるさと夢体験」というユニークな事業があります。
★ どんなことをしているのか?
これまでの取り組み実績はホーム・ページをごらんください。
この事業の特徴は、「あなたのわがままを実現する」こと。何でも、この町でやってみたいことを申し出れば、町を挙げて、それを叶えます、というのですから「吉備高原で定年後田舎暮らしをしてみたい」と申し込めば、いろいろ希望を聞いてくれて、希望に副ったプランを立ててくれます。
申し込みはネットで「夢町民申し込み」手続きをすれば、受け付けてくれます。是非、お試しを。
by zenmz
| 2006-09-22 13:03
| 現代社会論