2006年 09月 23日
【6257】 何故、なさらぬのか?、発言撤回と陳謝 |
★ 世界を揺るがしている”ローマ法王発言”問題で、法王ベネディクト16世は、9月20日(水)午前10時から、サンピエトロ広場で、行われた一般謁見で、集った4万人の信者を前にドイツ訪問の報告を行い、その中で「レーゲンスブルク大学の不幸にして与えた誤解」について弁明をしました。
この中で、法王は、「宗教は暴力とともに歩むのではないこと、宗教は理性とともに歩むのだということを述べようとしたのです」と講義の趣旨を強調し、改めて、そのことが理解されるよう望んでいます。
★ 「わたしがさまざまな大宗教を、特にイスラーム教を信じる人びとを、深く尊敬していることが明らかになることを希望します。イスラーム教を信じる人びとは「唯一の神・・・・を礼拝し」ています。そして、わたしたちは彼らとともに「社会正義、道徳的善、さらに平和と自由を、すべての人のために共同で守り、かつ促進するよう」(第二バチカン公会議『キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言』)努めなければならないからです」と、述べています。
★ 何か、他人事のようです。この人は、イスラム教徒の投げかけている疑問に全く答えていない、と思いました。その宣言に背馳(はいち)する言動があったからこそ、イスラムの人々は発言撤回と陳謝を求めているのです。
「神の代理人である法王は無謬(むびゅう)」
カトリック信徒は法王を「教皇」と呼び、絶対服従します。その信徒を前に、間違いを冒されることなどあり得ない絶対的権威の揺るぎなさを示す、その空疎なポーズとしか思えません。逆らうことがない信徒に語る言葉ならそれで済ませることも出来るでしょう?
しかし、誤解を与えた、と陳謝すべきはイスラム教徒に向けてであらねばなりません。その意識があるのか? これでは、自らの信徒に混乱を招き、心配させてすまなかった、と言っているだけです。それでは、弁明にならないのではないか? これを読んで率直にそう思い、失望しました。
★ 一体、何が問われているのか? その結果、何が求められているのか? 私の疑問は深まるばかりでdす。私を捉えて離れないこの問題を、もう少し突き詰めて行きたいと思います。その理由は、このブログをお読み下さっている友人の皆様にキチンと説明したいと思います。が、当面、起こっていることを忠実に記録し、その推移を考察して参ります。
★ 多くの方々は、宗教問題はタブー、軽々に触れるべきではない、と仰います。確かに宗教はイデオロギーです。本質と言われる信仰がなければ、その論議は、政治論議と同じく、空疎な観念を概念化し、アタマの中で持ち回って義を立てあうことが多いです。信仰は霊の世界。そこに踏み込むには言葉は無力です。
★ しかし、現実から目を逸らすことは出来ません。不幸なことに法王発言がキッカケで既に宗教紛争の兆しが顕在化し、痛ましい犠牲が出始めています。アフリカ・ソマリアではイスラム強硬派のイマームが法王発言を受けて「イスラームを侮辱した者たちを見つけ出して殺害」と呼びかけた直後の17日にイタリアの年老いた修道女が惨殺されました。
★ 更に昨日(22日)にはインドネシア・スラウェシ島で6年前に発生したイスラム教徒とキリスト教徒の宗教抗争を扇動したとして死刑判決を受けていた3人の死刑囚が突如、銃殺されました。ローマ法王ベネディクト16世の減刑嘆願でこれまで執行が延期されていたものです。突然、この執行にバチカンに大きなショックをもたらしました。
★ 今、公開された法王の一般謁見における(信者向け)弁明では、この事態を沈静化出来ないでしょう。法王は、600年前のテキストを持ち出し誤解を与えたのは遺憾としています。ならば、イスラムの人々が求めるように率直に、発言を撤回し、陳謝なさっては如何か? 俗世の常識はそうだろうと思います。が、宗教の教皇ともなると”無謬”(むびゅう)が命なのでしょうか? 「自分の真意が伝わっていない、誤解だ」 ?? ”そう理解した方が間違っている”論法も俗世では詭弁です。
★ 個人的に私は、非常に不思議に思いますことは、神の教えを説くのに聖書に基づかず、世俗の皇帝の古文書を論拠に誤解を与える神学上の解釈を述べられ、それが人々を混迷に陥らせたことの、自らの不明を恥じることなく、”法王無謬”の神話にしがみついておられることです。信仰心のない私には実に滑稽に見えます。
★ 事態は切迫しています。すでにカトリック信者4人が死亡しています。今、大切なことは、なによりも、第三の犠牲者を出さない。それはひとえに法王の対応に関わっているのです。
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★ 私は、この数日、法王発言と、それが全世界に与えた憂慮すべきインパクトに関する情報を出来るだけ集めて吟味する作業を行っています。法王が何を言い、なぜそれをイスラム教が問題にするのか? それを突き止めたいのです。先に、それは、9/11同時発生テロ事件の記念日翌日と言う、非常に微妙な時期に「ジハード」(イスラム聖戦)という極めて微妙な問題を持ち出した。それは、法王のキリスト教社会への「目配せ」メッセージではなかったか? と、私の感想を記しました。
★ アメリカ・ニューヨークに長くお住いの「クマ」さんも、【zensanの「subliminal message」(潜在意識を呼び覚ますメッセージ)として忍ばせた解釈、同感です!】と賛成して下さいましたが、その印象を更に強めています。と、同時に、なぜ、これほどまでにイスラム側が、それに敏感なのか? 以前にも触れましたが、問題になってから法王の講義全文を読んでも、私には、なぜ、これが、そんなに問題になるのか? なかなか理解できなかったのも事実です。とりようによっては、どちらにでも解釈出来ます。それほどに問題のテキストの取り扱いも、文脈が辿りにくいです。
★ イスラムの人々は、なぜ、そんなに敏感なのか? 昨夜、その問題関心を抱いて、出来るだけ多く、過去の報道をチェックし直して見ました。そして、出くわしたのが、9月10日付けのトルコの主要新聞「ミリエット」紙です。法王が故郷ドイツの大学で神学講義をなさる2日も前の記事です。タイトルは『ローマ法王曰く、”コンスタンティノープル”・・・』
★ ローマ法王は、11月にトルコを訪問する予定になっています。そのこともあってのことでしょう。ミュンヘン空港での歓迎の模様を詳細に報じた後、実に奇妙な記事を掲げています。
「ドイツの「N24」テレビは、ベネディクト16世が今後、イスタンブルとブラジルを訪問する予定であることを報じたが、飛行機で行った会見では”イスタンブル”の代わりに”コンスタンティノープル”という言葉を用いた」
★ これを見た瞬間、ああ、これだ! これがすべての始まり、と、疑問が氷解したように思いました。
これは、まあ、いってみれば、東京を江戸と言ったようなもの。そう言っただけで、法王はトルコのイスラム社会に不快な感情を与えてしまったようです。その意味を理解するためにはタイム・トンネルを550年遡らねばなりません。
★ トルコのイスタンブールが誇る観光遺跡は旧聖ソフィア寺院です。6世紀半ば、東ローマ帝国の皇帝、ユスチニアヌス1世が帝国の全領土から選り抜きの建築材料を集めて、延べ16万人が従事した大事業。祭壇は2トンの銀と50万個の真珠で飾り,内部は総て大理石を敷き詰めました。
★ 高さ54m,直径34mのドーム屋根を持つ巨大な寺院が完成した時、皇帝はすべての財宝を使い果たしたといわれます。その後900年間にわたってキリスト教寺院として存在し繁栄しました。しかし、1453年にオスマントルコ軍がコンスタンチノープルを包囲し,ついに東ローマ帝国を滅亡させました。聖ソフィア寺院もイスラム軍に占拠され、その後、500年近く、今日まで、イスラム教のモスクとして存続して行くことになります。
★ トルコ共和国が誕生後,聖ソフィア寺院は博物館として一般に公開され、今ではイスタンブールの観光名所になっています。イスラム諸国は、この地を「イスタンブール」と呼び、決してキリスト教支配時代の「コンスタンチノープル」の地名を絶対に用いません。この地名は、イスラム社会の人々の感情を逆撫でするものなのです。ところが法王は、ドイツの後、予定している訪問先を自ら「ブラジルと”コンスタンチノープル”」と言った・・・・次の訪問先のトルコの有力新聞「ミリエット」紙は見逃しませんでした。これをニュースとしてトルコ全土に報じたのです。
★ 例えて言えば、「東京を江戸」と言っただけのことではありますが、歴史的経緯を踏まえて、「キリスト教の教皇」が口にされると、重大な意味を内包するメッセージとして受け止められた。トルコ社会に不快感が漂い始めた、正に、その時に、法王発言があったのです。こともあろうに、600年前のテキストを持ち出し、「1394年から1402年にわたるコンスタンチノープル包囲の折に皇帝自身がこの対話を記したと思われます」とのコメント付きです。
★ それは、正にキリスト教国であった東ローマ帝国滅亡の直前に皇帝がイスラムの賢者と語り合ったと言うテキスト。その主題は「ジハード」(イスラム・聖戦) イスラム社会が激高したのはむしろ当然かもしれません。イスラム全土にまかれた油に火を注いだのです。
★ この事実を知って、改めて法王のドイツでの講義を読み直すと、実に、すんなりアタマに入ってきます。イスラムの人々は、この文脈で読んだのですね。
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★ トルコの有力新聞「ミリエット」紙は、9月15日付け紙面で、中近東各地でわき上がった抗議行動を特集しています。中でも 注目されるのは、トルコ宗務庁のバルダクオウル長官の見解です。「法王は憎しみや悪意に満ちた言葉を口にすべきではない」と論評し、法王のトルコ訪問は「文明間の和平に貢献することはないだろう」としており「来ないで欲しい」との意向を示唆した、と報じています。イスラム側の受け止めを知る上で非常に貴重な資料と思いますので少々、くどくなりますが、要旨を採録します。
★ そして、イスラムは何を望むのか? 同長官は、
「人は時に言葉に訴え、自分を抑えきれなくなることがある」として、ローマ法王が発言を撤回し、イスラム世界に対し謝罪することを期待する」と述べています。コトが問題化した当座から、イスラム側は、発言撤回と陳謝を求めているのです。改めて、コトの発端と経過を踏まえて、吟味し直すと、イスラム教の側が何を問題にしているのか? 実によく理解できます。
★ 抗議の連鎖はたちまち広がりました。9月15日だけで、カトリック教国、フランスの通信社AFPの報道した記事はこれだけあります。
★ 西側、キリスト教国で、比較的カトリックに好意的だったマスコミにも変化が出てきました。これは、敢えて、ここでは紹介しませんが、ベネディクト16世の若い日の過去を暴露し、タカ派法王の資質を問う告発的な記事が表面化しています。しかし、何よりも焦眉の課題は両者の和合の実現です。第三の犠牲者を出す前に、全力挙げての紛争爆発を防ぐ努力がなされるべきでしょう。共に同じ、「唯一無二の全知全能の神」を戴く兄弟宗教がなぜ、争うのか?
★ 一神教が、その誕生から今日まで、多教団に別れて相争い、互いに最も従順な信徒を死に追いやる。何とも不可解な不条理です。法王は20日の一般謁見でこう述べておられます。
「わたしたちは(第二バチカン公会議『キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言』)にあるように彼ら(イスラム教徒)とともに”社会正義、道徳的善、さらに平和と自由を、すべての人のために共同で守り、かつ促進するよう”努めなければならない」
★ カトリックの正道はそのとおりでありましょう。だが・・・・
それを他人に求めるのではなく、何よりも先ず、法王ご自身が実行されることが、現在、望まれる緊急の事柄です。どうぞ、あなたの忠実な信徒が、犠牲者となる前に和合を実現されることを願います。それは、実に簡単なことです。先の発言を撤回し、陳謝なさる。それだけで、世界に平安が戻ります。
★ 私は、カトリックでもイスラムでもありません。ユダヤ教を含めて一神教は信徒の方々の信仰は最大限、尊重しております。だが、私の宗教ではありません。だけど、異教徒である私が、こうして見て参りましても、法王の今回の発言は、キリスト教徒への”目配せメッセージ”だと、強い印象を抱きます。イスラムの人々の怒りに同情します。
宗教イデオロギーで意固地になって紛争を拡大されないことを切望します。年末にはトルコ訪問を控えておられる重大な時期だけに特にお願いしたい気持ちです。宗教紛争の危機を世界に広げないで下さい。
【法王発言問題の初出日記はこちらにあります】
この中で、法王は、「宗教は暴力とともに歩むのではないこと、宗教は理性とともに歩むのだということを述べようとしたのです」と講義の趣旨を強調し、改めて、そのことが理解されるよう望んでいます。
★ 「わたしがさまざまな大宗教を、特にイスラーム教を信じる人びとを、深く尊敬していることが明らかになることを希望します。イスラーム教を信じる人びとは「唯一の神・・・・を礼拝し」ています。そして、わたしたちは彼らとともに「社会正義、道徳的善、さらに平和と自由を、すべての人のために共同で守り、かつ促進するよう」(第二バチカン公会議『キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言』)努めなければならないからです」と、述べています。
★ 何か、他人事のようです。この人は、イスラム教徒の投げかけている疑問に全く答えていない、と思いました。その宣言に背馳(はいち)する言動があったからこそ、イスラムの人々は発言撤回と陳謝を求めているのです。
「神の代理人である法王は無謬(むびゅう)」
カトリック信徒は法王を「教皇」と呼び、絶対服従します。その信徒を前に、間違いを冒されることなどあり得ない絶対的権威の揺るぎなさを示す、その空疎なポーズとしか思えません。逆らうことがない信徒に語る言葉ならそれで済ませることも出来るでしょう?
しかし、誤解を与えた、と陳謝すべきはイスラム教徒に向けてであらねばなりません。その意識があるのか? これでは、自らの信徒に混乱を招き、心配させてすまなかった、と言っているだけです。それでは、弁明にならないのではないか? これを読んで率直にそう思い、失望しました。
★ 一体、何が問われているのか? その結果、何が求められているのか? 私の疑問は深まるばかりでdす。私を捉えて離れないこの問題を、もう少し突き詰めて行きたいと思います。その理由は、このブログをお読み下さっている友人の皆様にキチンと説明したいと思います。が、当面、起こっていることを忠実に記録し、その推移を考察して参ります。
★ 多くの方々は、宗教問題はタブー、軽々に触れるべきではない、と仰います。確かに宗教はイデオロギーです。本質と言われる信仰がなければ、その論議は、政治論議と同じく、空疎な観念を概念化し、アタマの中で持ち回って義を立てあうことが多いです。信仰は霊の世界。そこに踏み込むには言葉は無力です。
★ しかし、現実から目を逸らすことは出来ません。不幸なことに法王発言がキッカケで既に宗教紛争の兆しが顕在化し、痛ましい犠牲が出始めています。アフリカ・ソマリアではイスラム強硬派のイマームが法王発言を受けて「イスラームを侮辱した者たちを見つけ出して殺害」と呼びかけた直後の17日にイタリアの年老いた修道女が惨殺されました。
★ 更に昨日(22日)にはインドネシア・スラウェシ島で6年前に発生したイスラム教徒とキリスト教徒の宗教抗争を扇動したとして死刑判決を受けていた3人の死刑囚が突如、銃殺されました。ローマ法王ベネディクト16世の減刑嘆願でこれまで執行が延期されていたものです。突然、この執行にバチカンに大きなショックをもたらしました。
★ 今、公開された法王の一般謁見における(信者向け)弁明では、この事態を沈静化出来ないでしょう。法王は、600年前のテキストを持ち出し誤解を与えたのは遺憾としています。ならば、イスラムの人々が求めるように率直に、発言を撤回し、陳謝なさっては如何か? 俗世の常識はそうだろうと思います。が、宗教の教皇ともなると”無謬”(むびゅう)が命なのでしょうか? 「自分の真意が伝わっていない、誤解だ」 ?? ”そう理解した方が間違っている”論法も俗世では詭弁です。
★ 個人的に私は、非常に不思議に思いますことは、神の教えを説くのに聖書に基づかず、世俗の皇帝の古文書を論拠に誤解を与える神学上の解釈を述べられ、それが人々を混迷に陥らせたことの、自らの不明を恥じることなく、”法王無謬”の神話にしがみついておられることです。信仰心のない私には実に滑稽に見えます。
★ 事態は切迫しています。すでにカトリック信者4人が死亡しています。今、大切なことは、なによりも、第三の犠牲者を出さない。それはひとえに法王の対応に関わっているのです。
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★ 私は、この数日、法王発言と、それが全世界に与えた憂慮すべきインパクトに関する情報を出来るだけ集めて吟味する作業を行っています。法王が何を言い、なぜそれをイスラム教が問題にするのか? それを突き止めたいのです。先に、それは、9/11同時発生テロ事件の記念日翌日と言う、非常に微妙な時期に「ジハード」(イスラム聖戦)という極めて微妙な問題を持ち出した。それは、法王のキリスト教社会への「目配せ」メッセージではなかったか? と、私の感想を記しました。
★ アメリカ・ニューヨークに長くお住いの「クマ」さんも、【zensanの「subliminal message」(潜在意識を呼び覚ますメッセージ)として忍ばせた解釈、同感です!】と賛成して下さいましたが、その印象を更に強めています。と、同時に、なぜ、これほどまでにイスラム側が、それに敏感なのか? 以前にも触れましたが、問題になってから法王の講義全文を読んでも、私には、なぜ、これが、そんなに問題になるのか? なかなか理解できなかったのも事実です。とりようによっては、どちらにでも解釈出来ます。それほどに問題のテキストの取り扱いも、文脈が辿りにくいです。
★ イスラムの人々は、なぜ、そんなに敏感なのか? 昨夜、その問題関心を抱いて、出来るだけ多く、過去の報道をチェックし直して見ました。そして、出くわしたのが、9月10日付けのトルコの主要新聞「ミリエット」紙です。法王が故郷ドイツの大学で神学講義をなさる2日も前の記事です。タイトルは『ローマ法王曰く、”コンスタンティノープル”・・・』
★ ローマ法王は、11月にトルコを訪問する予定になっています。そのこともあってのことでしょう。ミュンヘン空港での歓迎の模様を詳細に報じた後、実に奇妙な記事を掲げています。
「ドイツの「N24」テレビは、ベネディクト16世が今後、イスタンブルとブラジルを訪問する予定であることを報じたが、飛行機で行った会見では”イスタンブル”の代わりに”コンスタンティノープル”という言葉を用いた」
★ これを見た瞬間、ああ、これだ! これがすべての始まり、と、疑問が氷解したように思いました。
これは、まあ、いってみれば、東京を江戸と言ったようなもの。そう言っただけで、法王はトルコのイスラム社会に不快な感情を与えてしまったようです。その意味を理解するためにはタイム・トンネルを550年遡らねばなりません。
★ トルコのイスタンブールが誇る観光遺跡は旧聖ソフィア寺院です。6世紀半ば、東ローマ帝国の皇帝、ユスチニアヌス1世が帝国の全領土から選り抜きの建築材料を集めて、延べ16万人が従事した大事業。祭壇は2トンの銀と50万個の真珠で飾り,内部は総て大理石を敷き詰めました。
★ 高さ54m,直径34mのドーム屋根を持つ巨大な寺院が完成した時、皇帝はすべての財宝を使い果たしたといわれます。その後900年間にわたってキリスト教寺院として存在し繁栄しました。しかし、1453年にオスマントルコ軍がコンスタンチノープルを包囲し,ついに東ローマ帝国を滅亡させました。聖ソフィア寺院もイスラム軍に占拠され、その後、500年近く、今日まで、イスラム教のモスクとして存続して行くことになります。
★ トルコ共和国が誕生後,聖ソフィア寺院は博物館として一般に公開され、今ではイスタンブールの観光名所になっています。イスラム諸国は、この地を「イスタンブール」と呼び、決してキリスト教支配時代の「コンスタンチノープル」の地名を絶対に用いません。この地名は、イスラム社会の人々の感情を逆撫でするものなのです。ところが法王は、ドイツの後、予定している訪問先を自ら「ブラジルと”コンスタンチノープル”」と言った・・・・次の訪問先のトルコの有力新聞「ミリエット」紙は見逃しませんでした。これをニュースとしてトルコ全土に報じたのです。
★ 例えて言えば、「東京を江戸」と言っただけのことではありますが、歴史的経緯を踏まえて、「キリスト教の教皇」が口にされると、重大な意味を内包するメッセージとして受け止められた。トルコ社会に不快感が漂い始めた、正に、その時に、法王発言があったのです。こともあろうに、600年前のテキストを持ち出し、「1394年から1402年にわたるコンスタンチノープル包囲の折に皇帝自身がこの対話を記したと思われます」とのコメント付きです。
★ それは、正にキリスト教国であった東ローマ帝国滅亡の直前に皇帝がイスラムの賢者と語り合ったと言うテキスト。その主題は「ジハード」(イスラム・聖戦) イスラム社会が激高したのはむしろ当然かもしれません。イスラム全土にまかれた油に火を注いだのです。
★ この事実を知って、改めて法王のドイツでの講義を読み直すと、実に、すんなりアタマに入ってきます。イスラムの人々は、この文脈で読んだのですね。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
★ トルコの有力新聞「ミリエット」紙は、9月15日付け紙面で、中近東各地でわき上がった抗議行動を特集しています。中でも 注目されるのは、トルコ宗務庁のバルダクオウル長官の見解です。「法王は憎しみや悪意に満ちた言葉を口にすべきではない」と論評し、法王のトルコ訪問は「文明間の和平に貢献することはないだろう」としており「来ないで欲しい」との意向を示唆した、と報じています。イスラム側の受け止めを知る上で非常に貴重な資料と思いますので少々、くどくなりますが、要旨を採録します。
◎ 問題の法王発言については、
「法王の発言は、法王自身とヴァチカン市国双方にとって得るところはない。もしこれが悪意と敵意を持った故意の発言ならば、受け入れることはできない。人類の歴史における重大な恥辱であり、危惧すべきものだ。イスラム教の預言者をこのような形で中傷することは、批判ではなく、まさに傲慢であり、悪意であり、敵意である」と厳しく批判。
◎ 「この発言は十字軍精神の再生だ。キリスト教会はイスラム教を常に敵対視し、それゆえ預言者ムハンマドとイスラム教をおとしめるような宣伝活動を行った。およそ10 回にわたる十字軍遠征で被害を受けたのはイスラム教徒だけではない。ユダヤ教徒も被害を受けた。現在の歪んだ理解は過去に起因する」
◎ 「4 世紀、キリスト教神学者らは世界を二つに分けた。”キリスト教世界”と ”悪魔の世界”だ。(キリスト教会は)常に聖なる戦いを続けてきた。これが遺産として受け継がれることになった。キリスト教会は、信仰のもとおこなった破壊を知性の結果と考えている。しかし、キリスト教そのものをも破壊してしまったようだ。教会は、知性を働かせず、批判を抑え、自ら神の名のもと人々の心の中を支配したため、西欧には啓蒙時代が訪れたのだ」。
◎ 「西欧のこうした姿勢の背景には、技術力や軍事力の点で自らを先進的と見ていることが影響している。技術や軍事の分野で先を行くことが、他の人々の文化や信仰生活に対し批判を加える権利を得ることになると考えているのだ。それが、今回のように上から見下した、すべてを知り尽くしたような、横柄な態度を取ることにつながる」。
★ そして、イスラムは何を望むのか? 同長官は、
「人は時に言葉に訴え、自分を抑えきれなくなることがある」として、ローマ法王が発言を撤回し、イスラム世界に対し謝罪することを期待する」と述べています。コトが問題化した当座から、イスラム側は、発言撤回と陳謝を求めているのです。改めて、コトの発端と経過を踏まえて、吟味し直すと、イスラム教の側が何を問題にしているのか? 実によく理解できます。
★ 抗議の連鎖はたちまち広がりました。9月15日だけで、カトリック教国、フランスの通信社AFPの報道した記事はこれだけあります。
▼ パキスタン議会が全会一致で「宗教間の調和の観点から、法王は発言を撤回すべき」という決議を採択。^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
▼ 「インド少数民族委員会」のハミッド・アンサリ会長声明
「11世紀末に十字軍を提唱した教皇ウルパヌス2世の言葉を思い起こさせる」
【注】中世ヨーロッパ時代、ローマカトリック教会は聖地エルサレム回復を目指して十字軍を8次にわたり遠征させ、大勢のイスラム教徒を殺した。
▼ 「北米イスラム組織」のイングリッド・マットソン理事長コメント
「キリスト教の名の下に行われた暴力の歴史と、イスラム教の名の下に行われた暴力の歴史を比較しようとすれば、長い時間がかかるはずだ。ユダヤ教も含めて全ての宗教は例外なく、その歴史の中で暴力を行使している」
▼ エジプト「ムスリム同胞団」が批判
「今年2月、預言者ムハンマドの風刺漫画がヨーロッパ各国の新聞に掲載され、世界中のイスラム教徒から激しい抗議が起こったが、今回の法王発言の問題はそれよりも深刻だ。多くの信者がいる宗教の指導者から出た言葉だけに、ジャーナリストが描いた風刺漫画よりもイスラム教徒の感情をより深く傷つけた」
▼ パレスチナ自治区ガザ市で簡易爆弾4個がキリスト教会付近で爆発、死傷者はなかった。 イスマイル・ハニヤ首相は「法王の発言は事実に反しているし、信者の感情を逆なでするものだ。法王は発言を考え直し、世界中に15億人の信者がいるイスラム教への攻撃をやめるべきだ」と述べた。
▼ トルコ政府宗教庁Ali Bardakoglu師
「悪意と怨恨に満ちたもの」として、今年予定されるトルコ訪問を見直すよう求めた。
▼ イラン強硬派聖職者Ahmad Khatami師
「キリスト教の指導者が、イスラム教について無知であるがために、このような配慮のない発言に至ったことを遺憾に思う」
▼ イラクのスンニ(Sunni)派指導者
法王が発言を撤回するまで、バチカン市国の駐在大使を呼び戻すよう、同国政府に要請した。
★ 西側、キリスト教国で、比較的カトリックに好意的だったマスコミにも変化が出てきました。これは、敢えて、ここでは紹介しませんが、ベネディクト16世の若い日の過去を暴露し、タカ派法王の資質を問う告発的な記事が表面化しています。しかし、何よりも焦眉の課題は両者の和合の実現です。第三の犠牲者を出す前に、全力挙げての紛争爆発を防ぐ努力がなされるべきでしょう。共に同じ、「唯一無二の全知全能の神」を戴く兄弟宗教がなぜ、争うのか?
★ 一神教が、その誕生から今日まで、多教団に別れて相争い、互いに最も従順な信徒を死に追いやる。何とも不可解な不条理です。法王は20日の一般謁見でこう述べておられます。
「わたしたちは(第二バチカン公会議『キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言』)にあるように彼ら(イスラム教徒)とともに”社会正義、道徳的善、さらに平和と自由を、すべての人のために共同で守り、かつ促進するよう”努めなければならない」
★ カトリックの正道はそのとおりでありましょう。だが・・・・
それを他人に求めるのではなく、何よりも先ず、法王ご自身が実行されることが、現在、望まれる緊急の事柄です。どうぞ、あなたの忠実な信徒が、犠牲者となる前に和合を実現されることを願います。それは、実に簡単なことです。先の発言を撤回し、陳謝なさる。それだけで、世界に平安が戻ります。
★ 私は、カトリックでもイスラムでもありません。ユダヤ教を含めて一神教は信徒の方々の信仰は最大限、尊重しております。だが、私の宗教ではありません。だけど、異教徒である私が、こうして見て参りましても、法王の今回の発言は、キリスト教徒への”目配せメッセージ”だと、強い印象を抱きます。イスラムの人々の怒りに同情します。
宗教イデオロギーで意固地になって紛争を拡大されないことを切望します。年末にはトルコ訪問を控えておられる重大な時期だけに特にお願いしたい気持ちです。宗教紛争の危機を世界に広げないで下さい。
【法王発言問題の初出日記はこちらにあります】
by zenmz
| 2006-09-23 13:29
| 現代社会論