2006年 10月 26日
【6291】 旅にも想う”身土不二” |
★ 晩生の稲も完全に刈り取られ、伝統の秋祭りも終わって吉備高原も静寂になりました。我が家でも、既に恒例になった新米を都会の子・孫、親戚に送り終えて、ホッと一息。この田舎に来て、「命の源であるお米は、やはり顔が見えるお百姓さんから」と、評判の篤農家を捜し当ててもう18年。毎日、ご飯をいただくたびに苗床から田植え、そしてたわわに実った稲穂まで、丹精込めて育てられた「稲作70年」の老夫婦を思います。
★ 経済成長時代の大量生産、大量消費への反省でしょうか。最近は、「スローライフ」、「地産地消」、そして「身土不二」 もう死語になってしまっている言葉が華々しく甦ってきています。「人と土は一体。命の健康はその土地で採れた食物を摂ることで守られる」 私たち昭和ヒトケタ族は、そう教わって育ちました。「医食同源」と同じ”四字熟語”でした。
★ 思わず口元がほころんでしまいます。私にとって「身土不二」は、少々、苦い思い出と共にあります。12歳の時、京都から父の故郷である広島の田舎町に移りました。太平洋戦争が激化、米軍の日本本土爆撃が始まり、都会の小学生を田舎に移す「学童疎開」です。京都がその始まりでした。田舎に身寄りがある者は縁故疎開が奨励され、私は祖父母の元へ行きました。
★ 疎開先の学校で待ち受けていたのは農作業。都会育ちが田圃に入って、たちまち両足に群がるヒルの吸血に泣きました。バナナなど口にするのは御法度。「贅沢は敵だ」の罵声が浴びせかけられました。そして教えられたのが「身土不二」 「人間、四里四方(16平方キロ)で採れる旬の物を食べているのが一番、健康。先ず、食糧増産。お米だ。暗渠排水作業にセイを出せ」
★ 私にとって、「身土不二」は、今、「スローライフ」というハイカラな言葉と抱き合わせて語られるロマンの世界の響きはありません。それは、凍てつく冬の田圃を掘り起こして山で刈った柴を埋める”暗渠排水”工事をした12歳~15歳の過酷な労働を思い起こさせる言葉でした。
★ ところが、それから60有余年。再び、田舎に住むようになって、その深い意味合いをしみじみと味わうようになりました。本当に我が身に、時代に連れて変化する文化変容の典型を体験しつつあります。
お米に野菜、日々の3度の食卓に並ぶ食材は、肉、魚類を除くと、ほとんどすべてが「身土不二」食物です。それも、青空市場。一人一人の生産者が顔なじみの人ばかりです。思えば、何という贅沢、何という幸せでしょう。「身土不二」本来の意味を実感として味わう毎日です。
★ 朝夕、めっきり冷え込むようになりました。吉備高原では一足早く、冷秋の候の訪れを感じます。そろそろ南の島への脱出準備を・・・と、昨夜も老妻と語り合いました。今冬は、ベトナムにするか、昨年同様、マレーシアか? マラッカで親しくなった旧友達との再会もいいけど、先に帰国したベトナム娘達を訪問したいね・・・などと語り合っているうちに論議はいつの間にか、「身土不二」に立ち戻っていました。
★ 東南アジアは、グルメの宝庫を言われます。確かに食生活の豊かなこと。それぞれの土地独特の料理に加えて上海、四川、北京、広東など多種多様な中華料理や西洋各国料理もズラリ。本当に豊かな食生活が楽しめます。けれど、一つ、致命的な欠陥があります。化学調味料の多用です。 私たち夫婦には、それが耐えられない苦痛です。
★ 昨年も、「結婚50年、3食外食で老妻を家事から解放を」などと言ってカッコ良く出かけたのですが、結局、毎日、スーパーで買い物して自炊する有様で、老妻は「騙された」と、会う人ごとにコメントしまくっていました。しかし、犯人は私ではありません。化学調味料です。3度3度、毎日、あの強烈な、独特の”美”味がまといついた食事など、毎回となると、とてもガマン出来ません。
★ 現地の人々は、「何故? 一振りするだけでこんなに美味しくなるのに・・・」と、不審顔です。「知らないの? これ、日本から来た味ですよ」と、ご親切なコメント付きです。まあ、ともかく、外食するたびに、直ぐ、その後で
何度も「お茶漬け、食べたいね」を繰り返し、老妻が「アンタ、何しに来たン?」と笑っていました。
★ 「身土不二」・・・いい言葉ですね。その深い意味、しみじみと身に迫ってきます。四海を海に囲まれた日本列島。そこにほぼ均等に四等分されて訪れる春夏秋冬。それぞれの季節が運ぶ旬の味。本当に日本は世界でも例のない食材に恵まれた国です。山の幸、海の幸、ただ心の赴くままに身を運び、訪れた先で「身土不二」を実行するだけで、最高の味覚を楽しむことが出来ます。絶対に調味料など不要。特に海の幸は冬場が最高・・・そんな時に日本脱出もあるまい。
★ いつの間にか、「寒い冬場、南の島に逃げ出そう」と始めた旅の計画も先細りになったきました。
「九州南部、沖縄などもいいんじゃない。未だ二人とも行ってないし・・・・まあ、未だ時間はたっぷりある。マレーシア、ベトナムにこだわる必要もあるまい」
「身土不二」にコダワリ始めますと、旅の計画もまた、異なる展開になっていきますね。
ともかく、老齢の砌(みぎり) ”身土不二”は、断ち切れない憧憬として私の心をとらえて諸行動を規制します。
オレも、年寄りになったもんだ・・・正直な実感です。
★ 経済成長時代の大量生産、大量消費への反省でしょうか。最近は、「スローライフ」、「地産地消」、そして「身土不二」 もう死語になってしまっている言葉が華々しく甦ってきています。「人と土は一体。命の健康はその土地で採れた食物を摂ることで守られる」 私たち昭和ヒトケタ族は、そう教わって育ちました。「医食同源」と同じ”四字熟語”でした。
★ 思わず口元がほころんでしまいます。私にとって「身土不二」は、少々、苦い思い出と共にあります。12歳の時、京都から父の故郷である広島の田舎町に移りました。太平洋戦争が激化、米軍の日本本土爆撃が始まり、都会の小学生を田舎に移す「学童疎開」です。京都がその始まりでした。田舎に身寄りがある者は縁故疎開が奨励され、私は祖父母の元へ行きました。
★ 疎開先の学校で待ち受けていたのは農作業。都会育ちが田圃に入って、たちまち両足に群がるヒルの吸血に泣きました。バナナなど口にするのは御法度。「贅沢は敵だ」の罵声が浴びせかけられました。そして教えられたのが「身土不二」 「人間、四里四方(16平方キロ)で採れる旬の物を食べているのが一番、健康。先ず、食糧増産。お米だ。暗渠排水作業にセイを出せ」
★ 私にとって、「身土不二」は、今、「スローライフ」というハイカラな言葉と抱き合わせて語られるロマンの世界の響きはありません。それは、凍てつく冬の田圃を掘り起こして山で刈った柴を埋める”暗渠排水”工事をした12歳~15歳の過酷な労働を思い起こさせる言葉でした。
★ ところが、それから60有余年。再び、田舎に住むようになって、その深い意味合いをしみじみと味わうようになりました。本当に我が身に、時代に連れて変化する文化変容の典型を体験しつつあります。
お米に野菜、日々の3度の食卓に並ぶ食材は、肉、魚類を除くと、ほとんどすべてが「身土不二」食物です。それも、青空市場。一人一人の生産者が顔なじみの人ばかりです。思えば、何という贅沢、何という幸せでしょう。「身土不二」本来の意味を実感として味わう毎日です。
★ 朝夕、めっきり冷え込むようになりました。吉備高原では一足早く、冷秋の候の訪れを感じます。そろそろ南の島への脱出準備を・・・と、昨夜も老妻と語り合いました。今冬は、ベトナムにするか、昨年同様、マレーシアか? マラッカで親しくなった旧友達との再会もいいけど、先に帰国したベトナム娘達を訪問したいね・・・などと語り合っているうちに論議はいつの間にか、「身土不二」に立ち戻っていました。
★ 東南アジアは、グルメの宝庫を言われます。確かに食生活の豊かなこと。それぞれの土地独特の料理に加えて上海、四川、北京、広東など多種多様な中華料理や西洋各国料理もズラリ。本当に豊かな食生活が楽しめます。けれど、一つ、致命的な欠陥があります。化学調味料の多用です。 私たち夫婦には、それが耐えられない苦痛です。
★ 昨年も、「結婚50年、3食外食で老妻を家事から解放を」などと言ってカッコ良く出かけたのですが、結局、毎日、スーパーで買い物して自炊する有様で、老妻は「騙された」と、会う人ごとにコメントしまくっていました。しかし、犯人は私ではありません。化学調味料です。3度3度、毎日、あの強烈な、独特の”美”味がまといついた食事など、毎回となると、とてもガマン出来ません。
★ 現地の人々は、「何故? 一振りするだけでこんなに美味しくなるのに・・・」と、不審顔です。「知らないの? これ、日本から来た味ですよ」と、ご親切なコメント付きです。まあ、ともかく、外食するたびに、直ぐ、その後で
何度も「お茶漬け、食べたいね」を繰り返し、老妻が「アンタ、何しに来たン?」と笑っていました。
★ 「身土不二」・・・いい言葉ですね。その深い意味、しみじみと身に迫ってきます。四海を海に囲まれた日本列島。そこにほぼ均等に四等分されて訪れる春夏秋冬。それぞれの季節が運ぶ旬の味。本当に日本は世界でも例のない食材に恵まれた国です。山の幸、海の幸、ただ心の赴くままに身を運び、訪れた先で「身土不二」を実行するだけで、最高の味覚を楽しむことが出来ます。絶対に調味料など不要。特に海の幸は冬場が最高・・・そんな時に日本脱出もあるまい。
★ いつの間にか、「寒い冬場、南の島に逃げ出そう」と始めた旅の計画も先細りになったきました。
「九州南部、沖縄などもいいんじゃない。未だ二人とも行ってないし・・・・まあ、未だ時間はたっぷりある。マレーシア、ベトナムにこだわる必要もあるまい」
「身土不二」にコダワリ始めますと、旅の計画もまた、異なる展開になっていきますね。
ともかく、老齢の砌(みぎり) ”身土不二”は、断ち切れない憧憬として私の心をとらえて諸行動を規制します。
オレも、年寄りになったもんだ・・・正直な実感です。
by zenmz
| 2006-10-26 10:03
| 健康・医療