2006年 12月 04日
【6329】 ピピと読む『老子』 |
★ 吉備高原も、このところ2,3日、随分、冷え込んできました。正直なもので、もう紅葉は完全に落葉し、街路樹は冬景色になりました。私とピピの午後の散歩は、毎日、欠かさず、6~7キロを歩いています。落葉の散歩道は、また、言い様も無いほど風情のあるものです。これまでですと、かなりピッチを上げた速歩でないとついて行けなかったピピも、右へ、左へと、落葉を鼻先で嗅ぎ分けながら、なかなか前に進みません。確かに・・・この芳しい晩秋の道、踏みしめるのも勿体無い感じです。
★ 私は、昼食後、一休みした後、午後2時ころから1時間半~2時間、ピピと散歩に出かけます。犬好きの友人が伝授してくれた「しつけ」の基本は「付け」の習慣。歩く時には必ず、自分の左に犬が寄り添うように歩かせる。それを徹底的に習慣つけるように・・・。何度もダメ押しされました。
★ しかし、都会ならともかく、この広大な田舎、それも1時間半歩いて、人と出会うことなどまずない、このど田舎で、そんな格好で歩くのはなんとも不恰好です。「ここはオマエの天国、さあ、自由に歩め!」と、かなり自由に歩かせ、そのスピードに私が合わせることにしています。
ピピは、この先、絶対に都会に出ることはないでしょう。野山に慣れきった田舎モンです。
★ 面白いもので、ピピはかなり言うことをよく聴きます。「止まれ」 ピタリと止まって腰を降ろします。広場に出て首輪の留め金を外しても動きません。「よし、行け」で、猛烈な勢いで飛び出します。遠くにいても、右手を挙げて手首を手前に振ると、戻ってきます。お互いの「阿吽(あうん)の呼吸」はかなりいいセンを行っているようです。この秘密は、多分、歩きながら、いつも語りかけているからだろう、と思います。人間の言葉は分からなくても、一緒に歩きながらの私の挙動や語り口で、トータルに私の意図を汲み取るようになっているようです。
★ 最近は、一つ、ピピを”教育”してみよう、と、思い立ちました。犬の訓練をするのではありません。人間の言葉を使って”道”を説くのです。私の散歩コースは住宅地域を抜け出て、都市計画区域の外にある砂防ダムや小高い岡に向かって這い上がっている林間散歩道を歩くのですが、人気が全くない場所で、一冊の本を読んでやります。
★ さあ、ピピ、いいか、今日は、第33章だ。まず、聴け。
★ ピピは、しっかり私に目を停めて聞き入っています。
ピピよ、オマエは犬として在りてある。拙者は人として在りてある。
それを受け入れ、足りるを知ろう・・・
★ 面白いですね。ピピはジッと聞き入っています。
いつもポケットに忍び込ませているこの文庫本は「老子」
小高い岡の頂上や、砂防ダムの上で、これを読み聞かせて、今日で33章まで進みました。多分、今週中には、上巻(道経)36章は読み終わるでしょう。それがすめば、次は下巻(徳経)です。これも、年内には読み終わるだろう、と思っています。
★ 最初は、犬を散歩させる”労役”の空しさを少しでも逃れたい、と、ポケットに文庫本を忍ばせ、山野に犬を放って遊ばせる間、自然の中で本を読んでみようか、と思ったのがきっかけでした。しかし、私が腰を降ろすと、ピピは自然と脇に寄ってきて一緒に腰を降ろします。自然と、声をあげて、ピピに語りかけるようになりました。
★ ところが・・・・それは、思わぬ効果をもたらしたのです。
犬と共に「老子」を読む。
「形無きものの形を見、声なきものの声を聞く」
老子理解に私は新しい感性を与えられたように思いました。
ピピが共に聞き入ってくれることによって、これまで感得出来なかった老子の地声が聞こえ始めたように思うのです。
真に”玄の又玄、衆妙の門”の入り口に導かれた思いに浸っています。
★ 私は、昼食後、一休みした後、午後2時ころから1時間半~2時間、ピピと散歩に出かけます。犬好きの友人が伝授してくれた「しつけ」の基本は「付け」の習慣。歩く時には必ず、自分の左に犬が寄り添うように歩かせる。それを徹底的に習慣つけるように・・・。何度もダメ押しされました。
★ しかし、都会ならともかく、この広大な田舎、それも1時間半歩いて、人と出会うことなどまずない、このど田舎で、そんな格好で歩くのはなんとも不恰好です。「ここはオマエの天国、さあ、自由に歩め!」と、かなり自由に歩かせ、そのスピードに私が合わせることにしています。
ピピは、この先、絶対に都会に出ることはないでしょう。野山に慣れきった田舎モンです。
★ 面白いもので、ピピはかなり言うことをよく聴きます。「止まれ」 ピタリと止まって腰を降ろします。広場に出て首輪の留め金を外しても動きません。「よし、行け」で、猛烈な勢いで飛び出します。遠くにいても、右手を挙げて手首を手前に振ると、戻ってきます。お互いの「阿吽(あうん)の呼吸」はかなりいいセンを行っているようです。この秘密は、多分、歩きながら、いつも語りかけているからだろう、と思います。人間の言葉は分からなくても、一緒に歩きながらの私の挙動や語り口で、トータルに私の意図を汲み取るようになっているようです。
★ 最近は、一つ、ピピを”教育”してみよう、と、思い立ちました。犬の訓練をするのではありません。人間の言葉を使って”道”を説くのです。私の散歩コースは住宅地域を抜け出て、都市計画区域の外にある砂防ダムや小高い岡に向かって這い上がっている林間散歩道を歩くのですが、人気が全くない場所で、一冊の本を読んでやります。
★ さあ、ピピ、いいか、今日は、第33章だ。まず、聴け。
人を知る者は智。自ら知る者は明。
人に勝つ者は力有り。
自ら勝つ者は強し、
足るを知る者は富み
強め行う者は志あり
其の所を失わざる者は久しく、
死して亡びざる者は寿し。
★ ピピは、しっかり私に目を停めて聞き入っています。
よしよし、いい子だ。分かるか?
他を知るのは智者だが己を知る者は明者だ。
他人に勝つ者は確かに力はある。が、本当の強者は己に勝つ。
自分にふさわしい在り方を失わぬ者は永続する。
だから、志ある者は死んでも朽ち果てない永遠に生きるのだ。
ピピよ、オマエは犬として在りてある。拙者は人として在りてある。
それを受け入れ、足りるを知ろう・・・
★ 面白いですね。ピピはジッと聞き入っています。
いつもポケットに忍び込ませているこの文庫本は「老子」
小高い岡の頂上や、砂防ダムの上で、これを読み聞かせて、今日で33章まで進みました。多分、今週中には、上巻(道経)36章は読み終わるでしょう。それがすめば、次は下巻(徳経)です。これも、年内には読み終わるだろう、と思っています。
★ 最初は、犬を散歩させる”労役”の空しさを少しでも逃れたい、と、ポケットに文庫本を忍ばせ、山野に犬を放って遊ばせる間、自然の中で本を読んでみようか、と思ったのがきっかけでした。しかし、私が腰を降ろすと、ピピは自然と脇に寄ってきて一緒に腰を降ろします。自然と、声をあげて、ピピに語りかけるようになりました。
★ ところが・・・・それは、思わぬ効果をもたらしたのです。
犬と共に「老子」を読む。
「形無きものの形を見、声なきものの声を聞く」
老子理解に私は新しい感性を与えられたように思いました。
ピピが共に聞き入ってくれることによって、これまで感得出来なかった老子の地声が聞こえ始めたように思うのです。
真に”玄の又玄、衆妙の門”の入り口に導かれた思いに浸っています。
by zenmz
| 2006-12-04 23:47
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