2006年 12月 27日
【6357】 年賀状全廃の弁 |
★ 年賀状を出す人が年ごとに減っているそうです。例えば、お年玉年賀はがきの販売枚数は1999年用の約42億枚をピークに減り始め、2007年用は38億枚を割る見込みとか。原因は、はっきりしています。メールで新年あいさつを済ませる人が急増しているからです。私も、その一人、もう年賀状を止めて5年以上になります。一枚も出しません。
★ 実際のところ、これほどの虚礼はありませんね。年賀状を出す相手は、大抵、何年も顔を合わすことが無かった人々。年頭のご挨拶はともかく、続く”一筆”は、「長らくのご無沙汰、元気でいますか?」などと、”ご無沙汰”の決まり文句文言が並びます。
★ 私には、その実感は全く無いです。もう10年以上、ホームページに毎日、日々の消息を書いて子・孫・親戚・友人に向けて発信し続けて来ました。多くの場合、これに伴うメール交換が、毎日、あります。
★ それに加えて、今はケイタイの時代。その気になれば、親指を押すだけで、思う人をたちどころに呼び出せます。およそ年賀状なるもの、全く形骸化した虚礼でしか無くなりました。
★ むしろネット時代の”年賀”は、一昔前のように威儀を正して、親しく訪問し、対面でご挨拶申し上げるべきものではないか。その必要が無ければ、年賀状を出す意味は、もう完全に無くなっています。年賀状が減ることに神経を尖らせているのは郵便局だけ。虚礼ビジネス関係者だけです。
★ 事実、今年も残すところ、あと4日。キチンと元旦に配達してもらうためには大体「クリスマス」ごろまでに投函するのが目安。現役時代には、毎年この時期になると、みんな「もう仕上げた? 出した?」が話題になり、憂うつな表情をしています。
もともと筆無精で・・・と、自己弁護する人も多いのですが、本当はそうではないでしょう。
★ 印刷した市販のカードに住所・氏名を書くだけ。中にはそれもパソコンで機械的に刷り出して投函する人もウンと増えました。要するに気が伴っていないのです。虚礼の虚礼たる由縁です。一度、確かめて見て下さい。それを書くのに私を想い、表も裏も自筆の”心が隠る”年賀が一体、何枚あるか? 硬い活字の同一・同文の一斉配布。チラシ並みです。
★ 特に可笑しいのは、年賀状にパソコンやケイタイのメール・アドレスが書き添えてあるもの。ヘェー、この人も! と、思うことが多々、あります。つい、持っているなら日常的に使えばいいものを。年賀状より何故、メールをくれないの? 何も印刷物で送り届けなくても良かろうに・・・一人、モグモグと文句を言いたくなります。
★ 誰もがケイタイ電話を持ち、何時でも、何処でも、親指一つ動かすだけで、思う人を呼び出せる時代・・・もう年賀郵便などは歴史的役割を閉じる時期だと思います。年賀郵便とは何か? どうして始まったのか? それも一度、考えてみる必要もあるでしょう。私は、この機会に岡本綺堂さんの随想「年賀郵便」をご覧になるようお薦めいたします。もう70年も前に書かれたこのエッセーで、年賀郵便がどのように始まったのか? そのルーツを知ることも大切でしょう。
★ 現在、私たちは、「ご無沙汰しております」「長年のご無沙汰ご免」を完全に死語に出来る時代に生きています。この言葉は、ケイタイを持っていても、親指一本動かす気も起こらぬほどあなたと疎遠になりました、と言っているようなもの。ケイタイとネット・・・コミュニケーションの通い道は常時、繋がっています。その気があれば、毎日でも、リアル・タイムにお話出来るのです。
★ それが無いのは気が無いだけのこと。年に1回、印刷したチラシのような年賀状を出す虚礼は全廃しましょう。何故、そんなことに妄執するのか?
お正月にケイタイでおめでとうと、お互い、元気を確かめれば、それが、一番、いいのではありませんか? 本当にいい時代になりました。
IT時代、「親指に心を込め」ましょう。
★ 実際のところ、これほどの虚礼はありませんね。年賀状を出す相手は、大抵、何年も顔を合わすことが無かった人々。年頭のご挨拶はともかく、続く”一筆”は、「長らくのご無沙汰、元気でいますか?」などと、”ご無沙汰”の決まり文句文言が並びます。
★ 私には、その実感は全く無いです。もう10年以上、ホームページに毎日、日々の消息を書いて子・孫・親戚・友人に向けて発信し続けて来ました。多くの場合、これに伴うメール交換が、毎日、あります。
★ それに加えて、今はケイタイの時代。その気になれば、親指を押すだけで、思う人をたちどころに呼び出せます。およそ年賀状なるもの、全く形骸化した虚礼でしか無くなりました。
★ むしろネット時代の”年賀”は、一昔前のように威儀を正して、親しく訪問し、対面でご挨拶申し上げるべきものではないか。その必要が無ければ、年賀状を出す意味は、もう完全に無くなっています。年賀状が減ることに神経を尖らせているのは郵便局だけ。虚礼ビジネス関係者だけです。
★ 事実、今年も残すところ、あと4日。キチンと元旦に配達してもらうためには大体「クリスマス」ごろまでに投函するのが目安。現役時代には、毎年この時期になると、みんな「もう仕上げた? 出した?」が話題になり、憂うつな表情をしています。
もともと筆無精で・・・と、自己弁護する人も多いのですが、本当はそうではないでしょう。
★ 印刷した市販のカードに住所・氏名を書くだけ。中にはそれもパソコンで機械的に刷り出して投函する人もウンと増えました。要するに気が伴っていないのです。虚礼の虚礼たる由縁です。一度、確かめて見て下さい。それを書くのに私を想い、表も裏も自筆の”心が隠る”年賀が一体、何枚あるか? 硬い活字の同一・同文の一斉配布。チラシ並みです。
★ 特に可笑しいのは、年賀状にパソコンやケイタイのメール・アドレスが書き添えてあるもの。ヘェー、この人も! と、思うことが多々、あります。つい、持っているなら日常的に使えばいいものを。年賀状より何故、メールをくれないの? 何も印刷物で送り届けなくても良かろうに・・・一人、モグモグと文句を言いたくなります。
★ 誰もがケイタイ電話を持ち、何時でも、何処でも、親指一つ動かすだけで、思う人を呼び出せる時代・・・もう年賀郵便などは歴史的役割を閉じる時期だと思います。年賀郵便とは何か? どうして始まったのか? それも一度、考えてみる必要もあるでしょう。私は、この機会に岡本綺堂さんの随想「年賀郵便」をご覧になるようお薦めいたします。もう70年も前に書かれたこのエッセーで、年賀郵便がどのように始まったのか? そのルーツを知ることも大切でしょう。
★ 現在、私たちは、「ご無沙汰しております」「長年のご無沙汰ご免」を完全に死語に出来る時代に生きています。この言葉は、ケイタイを持っていても、親指一本動かす気も起こらぬほどあなたと疎遠になりました、と言っているようなもの。ケイタイとネット・・・コミュニケーションの通い道は常時、繋がっています。その気があれば、毎日でも、リアル・タイムにお話出来るのです。
★ それが無いのは気が無いだけのこと。年に1回、印刷したチラシのような年賀状を出す虚礼は全廃しましょう。何故、そんなことに妄執するのか?
お正月にケイタイでおめでとうと、お互い、元気を確かめれば、それが、一番、いいのではありませんか? 本当にいい時代になりました。
IT時代、「親指に心を込め」ましょう。
by zenmz
| 2006-12-27 10:54
| 現代社会論