2007年 03月 05日
【7141】 「笑うて、争わず、また努めず」立つ枝垂れ梅 |
★ 私は、梅が大好きです。桜より梅ですね。我が家の中庭、それこそ敷地の中央に、どっかり居座った紅梅は、枝垂れ梅です。別の場所にある白梅が散り始めると、それを合図に蕾(つぼみ)を急に膨らませ見る見るうちに、3分咲き、五分咲き、8分咲き・・・数日の間に満開になります。今、満開の寸前です。
★ この梅、樹齢約20年。もう13年も昔の話ですが、64歳になった暮れに、腎臓ガンに冒されて生死の境をさまよいました。その折り、蘇りの哀願を込めて、老妻が植えたものです。万葉の昔から、梅に詠み込まれた歌の多くは、寒風に立つ梅の忍耐強い不思議な力にさまざまな願いを託したものだそうです。
★ ともかく、私は、毎年3月になると、毎朝、この梅を見ながら、万物蘇りの春を確かめるようになりました。今年はいつもより早く、昨日のひな祭りが満開の始まり、これから数日、淡い芳香を四方に放ち、庭の動植物に目覚めを促します。いよいよ春本番。
★ 「流され侍りける時、家の梅の花を見侍て」 こう詠った失意の菅原道真の心を尋ねるとき、似た心境を抱いて、わが家を後にし、「即日、摘出手術」が待つ大学病院に向かった当時を思い起します。子・孫全員が集い、生死の境を彷徨う私を見守りました。
★ この姿・・・昔から、日本人は、この梅に、気品、高潔、清純のイメージを抱き続けて来ました。ほぼ満開の今、庭に立ち、しげしげと、鑑賞すると、不思議なことに 見る角度で、その表情を次々と変えます。万葉の時代から千数百年、人々がいろんな想いを梅に込めて謳ってきた心が伝わってきます。
★ 今、見る姿は艶やかですが、1月、時折、雪が降る厳寒の頃もすばらしいです、あの堅い蕾が寒さに耐えてしがみ付いている枝振り、毎年、それを見る度に、母校・同志社大学の校祖・新島襄先生の漢詩を思い出してきました。
真理似寒梅 (真理は寒梅に似たり)
侵風雪敢開 (風雪を侵して敢えて開く)
純朴だった若い日、入学式当日に目にした新島先生の筆墨に深い感銘を受けました。
梅に寄せる私の熱い想いは、この漢詩に始まります。
★ しかし、最近になって、新島先生が亡くなられる最後の漢詩は、これではなく、これに似た次の「五言絶句」ではなかったか? と、思い直しています。全く迂闊なことに、私は、学生時代、毎年、創立記念日にこの「庭上一寒梅」歌を聞いていたのをすっかり忘れていました。
★ 同志社グリー・クラブといえば、学生男性合唱でかなり有名ですが、グリー・クラブは必ず創立記念日にこの歌を歌うのが同志社の伝統になっています。フト、それを思い出し、原典を探したところ、ありました。
庭上一寒梅 (庭上の一寒梅)
笑侵風雪開 (笑うて風雪を侵して開く)
不争又不努 (争わずまた努めず)
自占百花魁 (自ら占む百花の魁)
★ 前句と比べ、何と言う穏やかな句でしょう。
こちらは、明治23年元旦の数日後、重病の床にあって詠まれた詩で、「五言絶句」の別名があります。
これを残してその年の1月21日早暁、亡くなられました。享年46歳11ヶ月。
★ 同じ”真理”を想われたことでしょうが、同志社創立の苦難の時代の前詩より、新島先生が重篤の病床で終焉(しゅうえん)をお迎えの時の「五言絶句」の方が優しいですね。共に味わい深い詩です。同志社を卒業して53年、喜寿の馬齢を重ねて再び旧師とめぐり合い、教えをいただいた気持ちがします。
今年の枝垂れ梅は「笑うて、争わず、また努めず」
まことに自然体で気品ある艶やかな風情で立っています。
★ ともかく、私は、毎年3月になると、毎朝、この梅を見ながら、万物蘇りの春を確かめるようになりました。今年はいつもより早く、昨日のひな祭りが満開の始まり、これから数日、淡い芳香を四方に放ち、庭の動植物に目覚めを促します。いよいよ春本番。
「東風吹かば匂いおこせよ梅の花 主人なしとて春な忘れそ」
★ 「流され侍りける時、家の梅の花を見侍て」 こう詠った失意の菅原道真の心を尋ねるとき、似た心境を抱いて、わが家を後にし、「即日、摘出手術」が待つ大学病院に向かった当時を思い起します。子・孫全員が集い、生死の境を彷徨う私を見守りました。
真理似寒梅 (真理は寒梅に似たり)
侵風雪敢開 (風雪を侵して敢えて開く)
純朴だった若い日、入学式当日に目にした新島先生の筆墨に深い感銘を受けました。
梅に寄せる私の熱い想いは、この漢詩に始まります。
★ しかし、最近になって、新島先生が亡くなられる最後の漢詩は、これではなく、これに似た次の「五言絶句」ではなかったか? と、思い直しています。全く迂闊なことに、私は、学生時代、毎年、創立記念日にこの「庭上一寒梅」歌を聞いていたのをすっかり忘れていました。
★ 同志社グリー・クラブといえば、学生男性合唱でかなり有名ですが、グリー・クラブは必ず創立記念日にこの歌を歌うのが同志社の伝統になっています。フト、それを思い出し、原典を探したところ、ありました。
庭上一寒梅 (庭上の一寒梅)
笑侵風雪開 (笑うて風雪を侵して開く)
不争又不努 (争わずまた努めず)
自占百花魁 (自ら占む百花の魁)
★ 前句と比べ、何と言う穏やかな句でしょう。
こちらは、明治23年元旦の数日後、重病の床にあって詠まれた詩で、「五言絶句」の別名があります。
これを残してその年の1月21日早暁、亡くなられました。享年46歳11ヶ月。
★ 同じ”真理”を想われたことでしょうが、同志社創立の苦難の時代の前詩より、新島先生が重篤の病床で終焉(しゅうえん)をお迎えの時の「五言絶句」の方が優しいですね。共に味わい深い詩です。同志社を卒業して53年、喜寿の馬齢を重ねて再び旧師とめぐり合い、教えをいただいた気持ちがします。
今年の枝垂れ梅は「笑うて、争わず、また努めず」
まことに自然体で気品ある艶やかな風情で立っています。
by zenmz
| 2007-03-05 10:47
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