2007年 03月 10日
【7152】 【マスコミ見聞禄】(2007/03/10) |
《ニュースを読んで”吉備談語”》
忘れまじ、東京大空襲の教訓
◎ 3月10日は、東京大空襲の日です。3日後の大阪大空襲、8月6日の広島原爆、8月9日の長崎原爆とともに、私は忘れることは出来ません。それは、太平洋戦争中に米軍によって行われた戦略爆撃・・・つまり、前線の兵士間の戦闘ではなく、一般市民が生活する都市部や工業地帯に爆撃を加え、産業基盤を破壊し、住民を無差別殺傷する事で、日本の経済力や戦意を削ぎ、戦争を継続する能力を減ずることを目的に行われた残虐行為、との思いとともにあります。
▼ その日から62年経って、東京大空襲の被害者や遺族ら112人が国に一人当たり1100万円(総額12億3200万円)の損害賠償と謝罪を求めて、東京地裁に提訴しました。戦争中の空襲被害者が集団訴訟を起こすのは初めてです。新聞報道によれば、原告の人々は、57歳から最高齢は88歳の老人たちで東京、大阪、北海道など全国20都道府県に住んでいます。この人々を支えるため弁護団も総数110人という異例の訴訟となりました。
▼ 訴状によれば、戦争被害についてはこれまで、旧軍人・軍属やその遺族は国家補償を受けているのに、空襲などの民間被害者には全く補償制度がない。これは、「法の下の平等に著しく反する」と主張しています。特に注目されるのは、日本全土にわたった米軍の戦略空襲の原因をなしているのは、日本軍が重慶(中国)に行った戦略空爆の先行行為の結果として受けた被害である点から国に重大な責任がある、と主張していることでしょう。
▼ また、空襲被害の実態調査や国立の追悼施設建設を求めて、首相名での謝罪文を官報に掲載することを求めています。新聞報道によれば、空襲訴訟は、名古屋市の二人の女性が国家賠償を求めた訴訟で、1987年に最高裁判所が「戦争は非常事態であり、犠牲や損害は国民が等しく受忍しなければならなかった」と判示し、原告敗訴が確定しているそうです。ならば何故、軍人・軍属は受忍せず、国家賠償を行うのか? 憲法が保障する「法の下の平等」とは何か? 庶民感覚では非常に筋の通った主張に思えます。「公務だから・・・」などという形式論では承服できないでしょう。
*********** 戦略爆撃の残虐性について *********
◎ 私は、この訴訟を心から支援したいと思います。国家賠償として一人当たり1100万円という具体的な損害賠償額を示しているのは、そうしなければ提訴できない法技術上でのこと。カネが目当てでないことは誰でもわかります。問題は、訴状に一人1ページづつ具体的に記された被災状況とその後の生活史です。戦場での戦闘ではなく、非戦闘員である一般市民が、大規模な”絨緞(じゅうたん)爆撃”で無差別殺傷された責任を問い質すのが目的です。これは、明らかにされねばなりません。
▼ アメリカは、常に「戦争を早く終結させるため」と、その理由をいいます。しかし、その実相は、どうであったのか?
何よりもうれしいことに、今日、1945年3月10日に米軍爆撃機が行った東京大空襲を記録した「東京大空襲・戦災資料センター」が東京都江東区に新装開館しました。戦争を知らない世代の人に、少なくとも何があったか? その実相を伝える貴重な施設が出来ました。ネットでもみることが出来ます。
▼ 館長は、作家・早乙女勝元さん。日本ジャーナリスト会議奨励賞を受賞したベストセラー『東京大空襲』の筆者として有名です。1970年に「東京空襲を記録する会」を結成し、まとめられた『東京大空襲・戦災誌』は菊池寛賞をも受賞しました。早乙女館長は、新装なったセンター開館の意味について次のように述懐しておられます。
▼ そして、このセンターは、東京大空襲の惨状を次代に語り継ぎ、平和の研究と学習に役立てようと、4000名を超える有志の募金で設立された「民立・民営の資料センター」なのです。4年前の3月9日に戦禍のもっとも大きかった江東区北砂に開館しましたが更に充実し、新たな装いでお目見えしたのです。
****** 改めて問う、民間人の無差別大量虐殺の意味 *******
◎ 米軍による民間人への無差別爆撃は、戦後も、ベトナム、アフガニスタンなどの紛争地で行われ、今も、イラクで続いています。「戦略爆撃」 戦場ではなく、無辜(むこ)の市民が生活する場に猛爆撃を加えて女性、こども、老人の区別なく殺傷する蛮行を繰り返しています。それは、一体、何であるのか? 私たちは、イラク戦争の本質を見極めるためにも半世紀前の米軍による日本大空襲を振り返ってみる必要があります。
▼ 幸い、上に挙げた早乙女さんの二冊の労作のほか、 原田良次氏著「日本大空襲」(1973年・中公新書上下 ) 「図説アメリカ軍の日本焦土作戦」(太平洋戦争研究会刊)など名著があります。これらの著書を読めば、「絨緞(じゅうたん)爆撃」と言われたすさまじい日本列島焼き尽くし作戦の実相が分かります。
▼ ネット上でも国立公文書館のホームページに「全国主要都市戦災概況図」が公開されていて、青森 秋田 仙台 郡山 水戸 宇都宮 前橋 浦和 千葉 東京 横浜 長岡 長野 京都 大阪 神戸 岡山 広島 徳島 高知 小倉 長崎 の戦災概況図で、被災地域が一目で確認できます。
▼ 私の妻は、東京大空襲の三日後、大阪・市岡元町で被災しました。「明日は卒業式」と言うので疎開先から戻ってきたその夜、学校も、家も丸焼けして命からがら逃げ出しました。それが、1945年3月13日23時57分~14日3時25分の約3時間半にわたり行われ、当時としてはビックリするほどの巨体だったB29爆撃機が274機も来襲し、焼夷弾の「絨緞(じゅうたん)爆撃」を行ったのを確認し、感、無量のものがあります。大阪は、結局、33回の空襲を受け全滅しました。
▼ それは、恐ろしい体験でした。先導機がナパーム弾(大型の焼夷弾)を港区市岡の照準点に投下し大火災を発生させます。他の機はそれを目印に次々と内蔵した48個の小型焼夷弾が空中で分散して落下するようになっている焼夷弾を投下したのでした。照準点の真下、港区市岡に妻の実家があったのです。
▼ 実に
○ 東京空襲は、大空襲を含めて106回。特に1945年3月10日の大空襲では、一夜に26万8千戸が焼失し、死者約10万人。負傷者11万人。
○ 名古屋は軍需工業地帯が集中していたため、63回の空襲を受けて死者約1万人、負傷者1万1千名、罹災者52万人。
○ 神戸は、83日・128回、死者8841名、負傷18404名、焼失家屋12万8千戸。
○ 特筆しておかねばならないのは京都。文化財が多いので、京都は目標から外した米軍の”美談”が繰り返し登場しますが、実際は、合計20回以上の空襲を受けて死者302人、負傷者561人の被害を出しています。
▼ 現代戦争は、戦闘員による戦場での交戦ではありません。誰も抵抗できない最新鋭兵器で武装した戦闘員が非戦闘地域に「戦略攻撃」を加えて女性、子ども、老人を含む非戦闘員である市民をその生活の場で殺傷する、新しいタイプの戦争に大変貌しています。このような戦争は、第二次世界大戦から始まり、旧日本軍が中国・重慶攻略に用いた「戦略爆撃」などが始まりだ、とされています。
▼ アメリカの日本本土消滅作戦は、その報復だ、とも言われます。しかし、戦後、ベトナムに始まり、イラクへと続いている侵攻作戦は何なのか? 私は15歳で広島原爆被災を体験しました。その意味をいつも問い続けています。 私は、アメリカに大きな疑問と、恐怖を感じています。
忘れまじ、東京大空襲の教訓
◎ 3月10日は、東京大空襲の日です。3日後の大阪大空襲、8月6日の広島原爆、8月9日の長崎原爆とともに、私は忘れることは出来ません。それは、太平洋戦争中に米軍によって行われた戦略爆撃・・・つまり、前線の兵士間の戦闘ではなく、一般市民が生活する都市部や工業地帯に爆撃を加え、産業基盤を破壊し、住民を無差別殺傷する事で、日本の経済力や戦意を削ぎ、戦争を継続する能力を減ずることを目的に行われた残虐行為、との思いとともにあります。
▼ その日から62年経って、東京大空襲の被害者や遺族ら112人が国に一人当たり1100万円(総額12億3200万円)の損害賠償と謝罪を求めて、東京地裁に提訴しました。戦争中の空襲被害者が集団訴訟を起こすのは初めてです。新聞報道によれば、原告の人々は、57歳から最高齢は88歳の老人たちで東京、大阪、北海道など全国20都道府県に住んでいます。この人々を支えるため弁護団も総数110人という異例の訴訟となりました。
▼ 訴状によれば、戦争被害についてはこれまで、旧軍人・軍属やその遺族は国家補償を受けているのに、空襲などの民間被害者には全く補償制度がない。これは、「法の下の平等に著しく反する」と主張しています。特に注目されるのは、日本全土にわたった米軍の戦略空襲の原因をなしているのは、日本軍が重慶(中国)に行った戦略空爆の先行行為の結果として受けた被害である点から国に重大な責任がある、と主張していることでしょう。
▼ また、空襲被害の実態調査や国立の追悼施設建設を求めて、首相名での謝罪文を官報に掲載することを求めています。新聞報道によれば、空襲訴訟は、名古屋市の二人の女性が国家賠償を求めた訴訟で、1987年に最高裁判所が「戦争は非常事態であり、犠牲や損害は国民が等しく受忍しなければならなかった」と判示し、原告敗訴が確定しているそうです。ならば何故、軍人・軍属は受忍せず、国家賠償を行うのか? 憲法が保障する「法の下の平等」とは何か? 庶民感覚では非常に筋の通った主張に思えます。「公務だから・・・」などという形式論では承服できないでしょう。
*********** 戦略爆撃の残虐性について *********
◎ 私は、この訴訟を心から支援したいと思います。国家賠償として一人当たり1100万円という具体的な損害賠償額を示しているのは、そうしなければ提訴できない法技術上でのこと。カネが目当てでないことは誰でもわかります。問題は、訴状に一人1ページづつ具体的に記された被災状況とその後の生活史です。戦場での戦闘ではなく、非戦闘員である一般市民が、大規模な”絨緞(じゅうたん)爆撃”で無差別殺傷された責任を問い質すのが目的です。これは、明らかにされねばなりません。
▼ アメリカは、常に「戦争を早く終結させるため」と、その理由をいいます。しかし、その実相は、どうであったのか?
何よりもうれしいことに、今日、1945年3月10日に米軍爆撃機が行った東京大空襲を記録した「東京大空襲・戦災資料センター」が東京都江東区に新装開館しました。戦争を知らない世代の人に、少なくとも何があったか? その実相を伝える貴重な施設が出来ました。ネットでもみることが出来ます。
▼ 館長は、作家・早乙女勝元さん。日本ジャーナリスト会議奨励賞を受賞したベストセラー『東京大空襲』の筆者として有名です。1970年に「東京空襲を記録する会」を結成し、まとめられた『東京大空襲・戦災誌』は菊池寛賞をも受賞しました。早乙女館長は、新装なったセンター開館の意味について次のように述懐しておられます。
それまでの戦史にはこれだけ短時間に10万人もの兵が死んだ例はない。民間人に向けての、人類始まって以来の大量無差別殺戮だった。その後は沖縄の南部戦線や、広島・長崎へとつづいていくわけです。
死者は何も語る術をもっていません。かれらは私たちの心の中にしか存在しないのです。生き残った者とその後に生きてきた者が、犠牲者たちの無念さを引き継いで、未来を人間らしく平和に生きたいと思う。
私は谷川俊太郎さんの詩の一節を思い出します。
死んだ彼らが残したものは
生きてるわたし
生きてるあなた
ほかには誰も残っていない
ほかには誰も残っていない
広島・長崎にはそれなりの記念館がある。沖縄には平和の礎があるが、東京にはない。
▼ そして、このセンターは、東京大空襲の惨状を次代に語り継ぎ、平和の研究と学習に役立てようと、4000名を超える有志の募金で設立された「民立・民営の資料センター」なのです。4年前の3月9日に戦禍のもっとも大きかった江東区北砂に開館しましたが更に充実し、新たな装いでお目見えしたのです。
****** 改めて問う、民間人の無差別大量虐殺の意味 *******
◎ 米軍による民間人への無差別爆撃は、戦後も、ベトナム、アフガニスタンなどの紛争地で行われ、今も、イラクで続いています。「戦略爆撃」 戦場ではなく、無辜(むこ)の市民が生活する場に猛爆撃を加えて女性、こども、老人の区別なく殺傷する蛮行を繰り返しています。それは、一体、何であるのか? 私たちは、イラク戦争の本質を見極めるためにも半世紀前の米軍による日本大空襲を振り返ってみる必要があります。
▼ 幸い、上に挙げた早乙女さんの二冊の労作のほか、 原田良次氏著「日本大空襲」(1973年・中公新書上下 ) 「図説アメリカ軍の日本焦土作戦」(太平洋戦争研究会刊)など名著があります。これらの著書を読めば、「絨緞(じゅうたん)爆撃」と言われたすさまじい日本列島焼き尽くし作戦の実相が分かります。
▼ ネット上でも国立公文書館のホームページに「全国主要都市戦災概況図」が公開されていて、青森 秋田 仙台 郡山 水戸 宇都宮 前橋 浦和 千葉 東京 横浜 長岡 長野 京都 大阪 神戸 岡山 広島 徳島 高知 小倉 長崎 の戦災概況図で、被災地域が一目で確認できます。
▼ 私の妻は、東京大空襲の三日後、大阪・市岡元町で被災しました。「明日は卒業式」と言うので疎開先から戻ってきたその夜、学校も、家も丸焼けして命からがら逃げ出しました。それが、1945年3月13日23時57分~14日3時25分の約3時間半にわたり行われ、当時としてはビックリするほどの巨体だったB29爆撃機が274機も来襲し、焼夷弾の「絨緞(じゅうたん)爆撃」を行ったのを確認し、感、無量のものがあります。大阪は、結局、33回の空襲を受け全滅しました。
▼ それは、恐ろしい体験でした。先導機がナパーム弾(大型の焼夷弾)を港区市岡の照準点に投下し大火災を発生させます。他の機はそれを目印に次々と内蔵した48個の小型焼夷弾が空中で分散して落下するようになっている焼夷弾を投下したのでした。照準点の真下、港区市岡に妻の実家があったのです。
▼ 実に
○ 東京空襲は、大空襲を含めて106回。特に1945年3月10日の大空襲では、一夜に26万8千戸が焼失し、死者約10万人。負傷者11万人。
○ 名古屋は軍需工業地帯が集中していたため、63回の空襲を受けて死者約1万人、負傷者1万1千名、罹災者52万人。
○ 神戸は、83日・128回、死者8841名、負傷18404名、焼失家屋12万8千戸。
○ 特筆しておかねばならないのは京都。文化財が多いので、京都は目標から外した米軍の”美談”が繰り返し登場しますが、実際は、合計20回以上の空襲を受けて死者302人、負傷者561人の被害を出しています。
▼ 現代戦争は、戦闘員による戦場での交戦ではありません。誰も抵抗できない最新鋭兵器で武装した戦闘員が非戦闘地域に「戦略攻撃」を加えて女性、子ども、老人を含む非戦闘員である市民をその生活の場で殺傷する、新しいタイプの戦争に大変貌しています。このような戦争は、第二次世界大戦から始まり、旧日本軍が中国・重慶攻略に用いた「戦略爆撃」などが始まりだ、とされています。
▼ アメリカの日本本土消滅作戦は、その報復だ、とも言われます。しかし、戦後、ベトナムに始まり、イラクへと続いている侵攻作戦は何なのか? 私は15歳で広島原爆被災を体験しました。その意味をいつも問い続けています。 私は、アメリカに大きな疑問と、恐怖を感じています。
by zenmz
| 2007-03-10 23:04