2007年 07月 02日
【7300】 「信州風樹文庫」開館60年を祝う |
★ 全国にある図書館は、いろいろなタイプがありますが、ただ本を並べるだけでなく、その書籍を蒐集・保存してきた”志”をいつまでも大切にして創設趣旨を守り抜いているユニークなものがあります。今年、開館60年を迎えた長野県諏訪市立の「信州風樹文庫」です。
★ ここは、日本最大の学術本出版の岩波書店の創業者である故岩波茂雄氏の故郷。この文庫は、岩波氏の生地に建てられていて、全国でただ一つ、戦後に岩波書店が刊行したすべての図書など約2万8千冊を所蔵しています。この中には、大正2年から昭和21年までに刊行された全発行書籍の43.7%の現物も含まれており、収集タイトルの数では全国一を誇っています。
★ もう入手不可能の稀覯本も多く、月曜と祝日を除く毎日、一般に開放し、貸し出しサービスを行っています。利用者数は限られていて、数は多くありませんが、東京から出向いてくる学生や研究者が重宝しているユニークな図書館です。
★ 私が学生当時、ほとんど”イワナミ”で育ちました。特に岩波文庫をカッターシャツのポケットに入れて、これ見よがしに歩くのが当時の学生のファッションのようになっていて、《岩波文庫を何冊読んだ》が常に話題になっていました。事実、講義の合間には、学校に隣接していた京都御所の芝生に寝そべり、岩波文庫に読みふけったものでした。
★ この「信州風樹文庫」が誕生した事情については、素晴らしいエピソードが伝わっています。昭和20年代の初め、敗戦直後の混乱期に、この土地で青年団活動をしていた平林忠章さんら、青年団の若者が、この地に文化振興の礎を築こう」と発議し、揃って上京。故郷の大先輩が創った岩波書店に赴き、書籍の提供を要請しました。
★ ところが、茂雄氏は、前年に亡くなっており、岩波側は、「本が欠乏しているのは全国各地にある」と、断られたのに退かず、「岩波先輩ご出身の中州にこそ、今、それが必要なのです」と熱弁を揮い、やっとその熱意がかなえられ、贈られた二百一冊をリュックに入れて持ち帰ったのが始まりでした。
★ 平林忠章さんは、現在、85歳。ご健在で、同文庫の運営委員長をなさっていますが、「青年団の若者たちは、それをむさぼるように読んだ」と述懐しておられます。同時代に本が無い頃、学生時代を送った私には、その気持ちが良く分かります。私自身、昼食のうどんか、この文庫本か? 二者択一で、昼食を抜き、岩波文庫を買い求めた記憶があります。
★ 岩波書店は、その後、新刊本が刊行されるたびに、確実に、1号の欠落もなく、今日まで、贈り続けてくれて、現在の「信州風樹文庫」に成長を遂げたのだそうです。
岩波茂雄生誕の地に文化の礎を築く。
その志を受け継ぐ、若者たちが起こした運動は、確実に故郷に根ずき、60年の歳月を刻み、揺るぎない基盤を築き上げました。
★ 「風樹」の名は岩波茂雄の座右の銘「風樹の歎(たん)」に由来します。
「樹(き)静かならんと欲するも風止(や)まず 子養わんと欲するも親待たざるなり」
中国の「韓詩外伝」にある故事だそうですが、早く両親を失って慈恩に報えなかった茂雄は、風樹の歎を慰めようと世の奉仕に努める志を立てた、と、言い伝えられています。
★ 我が青春の時代、最もお世話になった岩波書店への敬意を込めて「信州風樹文庫」開館60年を心からお祝いしたいと思います。イワナミで育ち、今、トシ老いた人間にとって、あの本は「信州風樹文庫」へ行けばある。それだけで心安らぐ大切な図書館の想いがあります。
***** 初めてご来訪の方にお願い *****
このブログ【彷徨人生・・・喜寿から傘寿へ】の公開趣旨をご一読ください。
★ ここは、日本最大の学術本出版の岩波書店の創業者である故岩波茂雄氏の故郷。この文庫は、岩波氏の生地に建てられていて、全国でただ一つ、戦後に岩波書店が刊行したすべての図書など約2万8千冊を所蔵しています。この中には、大正2年から昭和21年までに刊行された全発行書籍の43.7%の現物も含まれており、収集タイトルの数では全国一を誇っています。
★ もう入手不可能の稀覯本も多く、月曜と祝日を除く毎日、一般に開放し、貸し出しサービスを行っています。利用者数は限られていて、数は多くありませんが、東京から出向いてくる学生や研究者が重宝しているユニークな図書館です。
★ 私が学生当時、ほとんど”イワナミ”で育ちました。特に岩波文庫をカッターシャツのポケットに入れて、これ見よがしに歩くのが当時の学生のファッションのようになっていて、《岩波文庫を何冊読んだ》が常に話題になっていました。事実、講義の合間には、学校に隣接していた京都御所の芝生に寝そべり、岩波文庫に読みふけったものでした。
★ この「信州風樹文庫」が誕生した事情については、素晴らしいエピソードが伝わっています。昭和20年代の初め、敗戦直後の混乱期に、この土地で青年団活動をしていた平林忠章さんら、青年団の若者が、この地に文化振興の礎を築こう」と発議し、揃って上京。故郷の大先輩が創った岩波書店に赴き、書籍の提供を要請しました。
★ ところが、茂雄氏は、前年に亡くなっており、岩波側は、「本が欠乏しているのは全国各地にある」と、断られたのに退かず、「岩波先輩ご出身の中州にこそ、今、それが必要なのです」と熱弁を揮い、やっとその熱意がかなえられ、贈られた二百一冊をリュックに入れて持ち帰ったのが始まりでした。
★ 平林忠章さんは、現在、85歳。ご健在で、同文庫の運営委員長をなさっていますが、「青年団の若者たちは、それをむさぼるように読んだ」と述懐しておられます。同時代に本が無い頃、学生時代を送った私には、その気持ちが良く分かります。私自身、昼食のうどんか、この文庫本か? 二者択一で、昼食を抜き、岩波文庫を買い求めた記憶があります。
★ 岩波書店は、その後、新刊本が刊行されるたびに、確実に、1号の欠落もなく、今日まで、贈り続けてくれて、現在の「信州風樹文庫」に成長を遂げたのだそうです。
岩波茂雄生誕の地に文化の礎を築く。
その志を受け継ぐ、若者たちが起こした運動は、確実に故郷に根ずき、60年の歳月を刻み、揺るぎない基盤を築き上げました。
★ 「風樹」の名は岩波茂雄の座右の銘「風樹の歎(たん)」に由来します。
「樹(き)静かならんと欲するも風止(や)まず 子養わんと欲するも親待たざるなり」
中国の「韓詩外伝」にある故事だそうですが、早く両親を失って慈恩に報えなかった茂雄は、風樹の歎を慰めようと世の奉仕に努める志を立てた、と、言い伝えられています。
★ 我が青春の時代、最もお世話になった岩波書店への敬意を込めて「信州風樹文庫」開館60年を心からお祝いしたいと思います。イワナミで育ち、今、トシ老いた人間にとって、あの本は「信州風樹文庫」へ行けばある。それだけで心安らぐ大切な図書館の想いがあります。
***** 初めてご来訪の方にお願い *****
このブログ【彷徨人生・・・喜寿から傘寿へ】の公開趣旨をご一読ください。
by zenmz
| 2007-07-02 00:36
| 教育論