2007年 07月 08日
【7313】 ”七夕”のチグハグ |
★ 一旦、そうと決まると、その不合理に煩わされながらも、なかなか変えることが出来ない。何と、我々は、不条理なことに囚われて、苦労しながら生きていることか。昨日一日、朝から晩まで、空を見上げて、しみじみそう感じました。
コトの起こりは、アッシー君出動の待機騒動です。
★ 我が愛しのベトナム娘たちは七夕祭りで日越親善に大活躍でした。夕方、この町の幼稚園で催された七夕祭りに招待されて、短冊にお願いを書いてササに結わえ、子どもたちやその若い父母たちとダンスをしたり、ゲームを楽しんだり、模擬店でタコ焼きをたべたり・・・上達した日本語を用いながら模擬店の売り子もして、すっかり溶け込んでいました。夕暮れとともに無事終了。ホッとしました。
★ 11人居た娘たちも、この4月に二人、帰国しました。一人は日本の風土に馴染めなかったのでしょうか。可哀相に原因不明の奇病に冒され、就業出来なくなりました。もう一人は余儀なく帰国の必要を生じたのです。しかし、残った9人は着実に日本の風土に馴染み、庭にイチゴを植えて収穫を楽しむ生活に入っています。
★ 「オジーチャン、オバーチャン、ゲンキですか? ベトナム料理、作りました。イマ、(持って)イッテイイデスカ?」 「コレ、ベンキョデス。シバラク、お話しシテイイデスカ?」 しょっちゅう電話が掛かりますl。「いいよ、おいで」と答えれば、9人が束になってやって来る。どんなに楽しくても、午後9時には「モット、オジャマしてはいけません。楽しかったです。お休みなさい」 本当にわきまえのある、礼儀正しい娘たちです。どんなに親しくても崩れることがありません。
★ この愛しい娘たちを何とか、地域の皆さんと親しくしてもらって欲しい、と、妻は、老人会、障害者施設、幼稚園、学校など、イベントがある度に主催者にお願いしてご招待して
もらったり、参加させていただく努力を惜しまず続けています。どこでも、この底抜けに明るく、素朴な人柄が受け入れられて大人気。本人たちもその回数を増やすに比例して日本語が上手になって来ています。
★ ところで、今日、聴いていただきたいのは、そのことではありません。
昨日の「七夕」のこと。
実を言えば、老妻は、朝から「どうだろう?」と、何度も空を見上げて、気もそぞろの様子です。朝から吉備高原には黒雲が低く垂れ込め、急に湿気を感じるようになったのです。「雨になったら中止かしら?」 何度も幼稚園に電話。結局、「雨天決行だって」 七夕祭りも、準備なさる皆さんは大変ですね。本当にぎりぎりまでご心労なことです。
★ 幸い雨は降らず、昼頃には、空も明るくなりました。時々、晴れ間も。実は、ベトナム娘たちは、週1回の買い出しにお隣の総社市にある生協スーパーに出かけています。もし中止なら「ゆっくり買い物楽しんで」と連絡してやらねば・・・一番、楽しみにしている買い物だから・・・老妻の心配りも大変です。
★ 「オバーチャン、戻ってきました。大丈夫ですよ。間に合いました」
七夕祭り開始時間の午後4時前、電話が掛かってきた頃、再び暗雲が。今度は大粒の雨もパラパラ。
「これは大変」 老妻はまた気を揉んでいます。ベトナム娘たちの家から幼稚園まで約1キロ。このままだとずぶ濡れになるだろう・・・そしたら、パーティドコロじゃない。そんな思いが脳裏を走ります。
★ 黙って見ておれる状況ではありません。
「心配しないで・・・ボクがピストン運転で3回に分けて送り届ける」
私も、アッシー君を申し出ました。そしてすべて一件落着。また幸いなことに、イベントが終了するまで天気は保ちこたえ大盛況で終わり、”特別出演”の「七夕七姫」ならぬ「ベトナム9姫」もご満悦でした。
★ タナバタと言えば、正月の七草(1月7日) 桃の節句(3月3日) 端午(菖蒲)の節句〔5月5日) 菊の節句(9月9日)と合わせて季節の変わり目を祝う「五節句」の一つ。幼児たちのお祭りとして幼稚園、保育所の欠かせぬ年中行事になっています。日本人の生活に根ざした伝統。日本らしさを語る時、「五節句」は如何にもサマになるイベントです。
★ いつも思うのは季節のずれ。元はと言えば、中国の風習を江戸幕府が持ち込め公認祝日としたのが始まりだそうですが、それぞれの日が庶民の生活の中に定着したのは旧暦のこと。明治のご一新で新暦になってから季節とのズレはほぼ1ヶ月前倒しになりました。例えば、七夕。旧暦なら今年は8月19日。晩夏の星空。カラリと晴れています。
★ しかし、新暦7月7日の”七夕”は、その昔の風情を消しました。妻は、朝から空を見上げてばかり。九州は大雨。吉備高原も夕方近くに黒雲が低く垂れさがってきました。何故、梅雨の最中に持ち込まれた”七夕”を何時までも疑わずに”民族伝統の年中行事”と守り抜くのか? 元もと8月19日頃に行われて来たのに”新暦導入の近代化”でチグハグを起こしました。こんなのを、言葉は悪いが「バカ正直」と言うのでしょうね。
★ 何か、現代社会も、これに似たチグハグを起こしているように思います。とにかく口先の爽やかな弁舌を弄ぶいわゆる国際派知識人の「世界標準論」 グローバル・スタンダードとか言うのだそうですが、実態は、ドル支配のアメリカニズム文化。つまり何事もアメリカ風に、という考え方。アメリカには常にアタマが上がらない日本は恭順姿勢。それこそ「バカ正直」にそれを奉戴して「日本型」をことごとく過去の遺物と捨て去ることばかりに走っています。
★ 生煮えの浅知恵はともかく不条理を招き、我々の日常はチグハグに翻弄させられますね。昨日の「七夕」の教訓。「もし、これが昔通りの8月19日だったら・・・こんな騒動も無かったろうに」
思いを巡らせていると、いろんな事柄に新しい目を向け、見落としていることに気づきます。
★ まあ、そこまで踏み込む必要はありませんが、ともかく、伝統やしきたりについてのこだわり。jほんきでこだわるのなら、五節句のような伝統の年中行事は旧暦にこだわるべきではないか。そう痛感します。
新暦だと形だけで”実感”を伴いません。
夏空に七夕こそお似合い。梅雨の最中ではサマになりませんね。このズレ、誠に疎ましいです。
コトの起こりは、アッシー君出動の待機騒動です。
★ 「オジーチャン、オバーチャン、ゲンキですか? ベトナム料理、作りました。イマ、(持って)イッテイイデスカ?」 「コレ、ベンキョデス。シバラク、お話しシテイイデスカ?」 しょっちゅう電話が掛かりますl。「いいよ、おいで」と答えれば、9人が束になってやって来る。どんなに楽しくても、午後9時には「モット、オジャマしてはいけません。楽しかったです。お休みなさい」 本当にわきまえのある、礼儀正しい娘たちです。どんなに親しくても崩れることがありません。
★ この愛しい娘たちを何とか、地域の皆さんと親しくしてもらって欲しい、と、妻は、老人会、障害者施設、幼稚園、学校など、イベントがある度に主催者にお願いしてご招待して
もらったり、参加させていただく努力を惜しまず続けています。どこでも、この底抜けに明るく、素朴な人柄が受け入れられて大人気。本人たちもその回数を増やすに比例して日本語が上手になって来ています。
★ ところで、今日、聴いていただきたいのは、そのことではありません。
昨日の「七夕」のこと。
実を言えば、老妻は、朝から「どうだろう?」と、何度も空を見上げて、気もそぞろの様子です。朝から吉備高原には黒雲が低く垂れ込め、急に湿気を感じるようになったのです。「雨になったら中止かしら?」 何度も幼稚園に電話。結局、「雨天決行だって」 七夕祭りも、準備なさる皆さんは大変ですね。本当にぎりぎりまでご心労なことです。
★ 幸い雨は降らず、昼頃には、空も明るくなりました。時々、晴れ間も。実は、ベトナム娘たちは、週1回の買い出しにお隣の総社市にある生協スーパーに出かけています。もし中止なら「ゆっくり買い物楽しんで」と連絡してやらねば・・・一番、楽しみにしている買い物だから・・・老妻の心配りも大変です。
★ 「オバーチャン、戻ってきました。大丈夫ですよ。間に合いました」
七夕祭り開始時間の午後4時前、電話が掛かってきた頃、再び暗雲が。今度は大粒の雨もパラパラ。
「これは大変」 老妻はまた気を揉んでいます。ベトナム娘たちの家から幼稚園まで約1キロ。このままだとずぶ濡れになるだろう・・・そしたら、パーティドコロじゃない。そんな思いが脳裏を走ります。
★ 黙って見ておれる状況ではありません。
「心配しないで・・・ボクがピストン運転で3回に分けて送り届ける」
私も、アッシー君を申し出ました。そしてすべて一件落着。また幸いなことに、イベントが終了するまで天気は保ちこたえ大盛況で終わり、”特別出演”の「七夕七姫」ならぬ「ベトナム9姫」もご満悦でした。
★ タナバタと言えば、正月の七草(1月7日) 桃の節句(3月3日) 端午(菖蒲)の節句〔5月5日) 菊の節句(9月9日)と合わせて季節の変わり目を祝う「五節句」の一つ。幼児たちのお祭りとして幼稚園、保育所の欠かせぬ年中行事になっています。日本人の生活に根ざした伝統。日本らしさを語る時、「五節句」は如何にもサマになるイベントです。
★ いつも思うのは季節のずれ。元はと言えば、中国の風習を江戸幕府が持ち込め公認祝日としたのが始まりだそうですが、それぞれの日が庶民の生活の中に定着したのは旧暦のこと。明治のご一新で新暦になってから季節とのズレはほぼ1ヶ月前倒しになりました。例えば、七夕。旧暦なら今年は8月19日。晩夏の星空。カラリと晴れています。
★ しかし、新暦7月7日の”七夕”は、その昔の風情を消しました。妻は、朝から空を見上げてばかり。九州は大雨。吉備高原も夕方近くに黒雲が低く垂れさがってきました。何故、梅雨の最中に持ち込まれた”七夕”を何時までも疑わずに”民族伝統の年中行事”と守り抜くのか? 元もと8月19日頃に行われて来たのに”新暦導入の近代化”でチグハグを起こしました。こんなのを、言葉は悪いが「バカ正直」と言うのでしょうね。
★ 何か、現代社会も、これに似たチグハグを起こしているように思います。とにかく口先の爽やかな弁舌を弄ぶいわゆる国際派知識人の「世界標準論」 グローバル・スタンダードとか言うのだそうですが、実態は、ドル支配のアメリカニズム文化。つまり何事もアメリカ風に、という考え方。アメリカには常にアタマが上がらない日本は恭順姿勢。それこそ「バカ正直」にそれを奉戴して「日本型」をことごとく過去の遺物と捨て去ることばかりに走っています。
★ 生煮えの浅知恵はともかく不条理を招き、我々の日常はチグハグに翻弄させられますね。昨日の「七夕」の教訓。「もし、これが昔通りの8月19日だったら・・・こんな騒動も無かったろうに」
思いを巡らせていると、いろんな事柄に新しい目を向け、見落としていることに気づきます。
★ まあ、そこまで踏み込む必要はありませんが、ともかく、伝統やしきたりについてのこだわり。jほんきでこだわるのなら、五節句のような伝統の年中行事は旧暦にこだわるべきではないか。そう痛感します。
新暦だと形だけで”実感”を伴いません。
夏空に七夕こそお似合い。梅雨の最中ではサマになりませんね。このズレ、誠に疎ましいです。
by zenmz
| 2007-07-08 10:43
| ベトナムの”孫娘”