2007年 07月 13日
【7322】 水がもたらす「生死の不条理」 |
★ 10年に一度の大型台風が日本列島を縦断する、と、テレビが警告しています。沖縄、九州の被害実況を見ながら、水の不条理を想います。地球は青かった。人類最初に宇宙に飛び出した人間が初めて肉眼で見たのは水で覆われた星でした。そこに住む人と動植物・・・生き物すべてを形作る細胞は水で満たされています。正に水は命の本源。
★ しかし、テレビが映し出している情景は、地獄図絵です。「アッ、もう道路と海の境が分かりません。危険です!前に進めません」 「ここは舗装道でした。アッ、ここに家があったのですね。屋根だけが残っています」 絶叫するアナウンサーの声も台風の唸りが消しています。《自然と共に生きる》ロマンなど人間の勝手な観念であることを思い知らされますね。
★ その1滴が無ければ生物は死滅します。しかし、温度差が空気を動かし、風を作ると大気に充満した1滴一滴が結び合い、みるみるウチに膨大なエネルギーが南の大洋から膨大な水を吸い上げ、巨大な台風に成長して日本列島を荒らしまくり、人はもとより多種多様の生物の命を奪います。何という不条理でありましょう。
★ たまたま開いていた「老子」の言葉:
★ 何とも、眼前に展開する地獄絵を見事に解説しています。
なんとも、味わい深いですね。
★ 面白いことに気づきました。中国で「老子」がこの言葉を残した2500年前、ちょうどその頃、ギリシャで哲学が始まり、物の根源物質を探求する学問が芽生えました。
そして、現在の「哲学」と「科学」の創始者の栄誉を得たのがイオニア・ミレストのタレス。
タレスは、「自然とは自ら生きて繁殖し、自ら動く」もので、その「根源物質は水である」と喝破しました。何とも含蓄に満ちた言葉ではありませんか。
”生”とは「自ら動くもの」 そして「生ある物の根源物質は水」 森羅万象、およそ”生”あるものすべてに普遍的に存在するのが「命の水」。
★ だからこそ、古代、治山治水は、最も重要な”政”(まつりごと)であり、私心の無い「天の子」が行う崇高な事業とされて来ました。君子の徳が天子の資質として求められ、それに背馳する者は天の罰を受ける、と信じられてきました。
★ しかしこの国では明治維新のどさくさに上り詰めた一握りの権力覇者と、その後継者が”政”を「家業」と為し、世継ぎする邪心がはびこり、台風街道・日本列島を、その「家業繁栄」のため気の赴くままに大改造してしまいました。”政”が「政治」という特権階級の「家業」になって荒廃しました。
★ 古来、豊芦原之瑞穂之国にあっては、「山間(やまあい)に家を建てるな」の言い伝えがありました。これを無視し、山肌を削り、山間を造成して、道路、住宅を這い上がらせ、日本列島大改築を行い、土建屋を太らせました。そして、台風の度に繰り返される”人災”の声・・・2500年も前の「老子」の警告を思います。
★ しかし、テレビが映し出している情景は、地獄図絵です。「アッ、もう道路と海の境が分かりません。危険です!前に進めません」 「ここは舗装道でした。アッ、ここに家があったのですね。屋根だけが残っています」 絶叫するアナウンサーの声も台風の唸りが消しています。《自然と共に生きる》ロマンなど人間の勝手な観念であることを思い知らされますね。
★ その1滴が無ければ生物は死滅します。しかし、温度差が空気を動かし、風を作ると大気に充満した1滴一滴が結び合い、みるみるウチに膨大なエネルギーが南の大洋から膨大な水を吸い上げ、巨大な台風に成長して日本列島を荒らしまくり、人はもとより多種多様の生物の命を奪います。何という不条理でありましょう。
★ たまたま開いていた「老子」の言葉:
天地不仁。以萬物爲芻狗。
天地は不仁。万物を以て芻狗(すうく・麦わら製の犬)と為す。
聖人不仁。以百姓爲芻狗。
成人は不仁。百姓(ひゃくせい・万人)を以て芻狗と為す。
天地之間。其猶籥乎。
天地の間は、其れ猶お籥乎(たくやく)のごときか。
虚而不屈。動而愈出。
虚にして屈(つ)きず。動きて愈(いよいよ)出ず。
多言數窮。不如守中。
多言なれば數(しば)しば、窮す。中を守るに如かず。
★ 何とも、眼前に展開する地獄絵を見事に解説しています。
天地自然は人のためにあるのでも、人を守るべきものでもない。人の生命などワラ人形同然、簡単に打ち捨ててしまう。
聖人とても人の生命を守ろうとはしない。時にその全ての生命をも打ち捨てる。
自然と人とをつなぐものは”賢しらな人の知識”などではない。「鞴」(ふいご)のようなものであろうか。中は空っぽながら無尽蔵の力を秘め、地上の生命を生み出す。動けば動くほど万物が限りなく現象してくる。
だから・・・おしゃべりは行き詰まりの元。空っぽでもの言わぬままでいるのが最高の処世。
なんとも、味わい深いですね。
★ 面白いことに気づきました。中国で「老子」がこの言葉を残した2500年前、ちょうどその頃、ギリシャで哲学が始まり、物の根源物質を探求する学問が芽生えました。
そして、現在の「哲学」と「科学」の創始者の栄誉を得たのがイオニア・ミレストのタレス。
タレスは、「自然とは自ら生きて繁殖し、自ら動く」もので、その「根源物質は水である」と喝破しました。何とも含蓄に満ちた言葉ではありませんか。
”生”とは「自ら動くもの」 そして「生ある物の根源物質は水」 森羅万象、およそ”生”あるものすべてに普遍的に存在するのが「命の水」。
★ だからこそ、古代、治山治水は、最も重要な”政”(まつりごと)であり、私心の無い「天の子」が行う崇高な事業とされて来ました。君子の徳が天子の資質として求められ、それに背馳する者は天の罰を受ける、と信じられてきました。
★ しかしこの国では明治維新のどさくさに上り詰めた一握りの権力覇者と、その後継者が”政”を「家業」と為し、世継ぎする邪心がはびこり、台風街道・日本列島を、その「家業繁栄」のため気の赴くままに大改造してしまいました。”政”が「政治」という特権階級の「家業」になって荒廃しました。
★ 古来、豊芦原之瑞穂之国にあっては、「山間(やまあい)に家を建てるな」の言い伝えがありました。これを無視し、山肌を削り、山間を造成して、道路、住宅を這い上がらせ、日本列島大改築を行い、土建屋を太らせました。そして、台風の度に繰り返される”人災”の声・・・2500年も前の「老子」の警告を思います。
by zenmz
| 2007-07-13 17:36
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