2007年 07月 15日
【7324】 《五穀ば実れば首垂れる》 |
★ どんなに工業化されても、日本人の心の底には、”農の心”が潜んでいます。たとえそれが身に付かない観念でしかないとしても、都会人の心は、機械文明に疲れると、田舎への回帰心を掻きたてられます。豊芦原之瑞穂之国に生まれ、育った日本人は常に心底、奥深くに懐き続けている”五穀豊穣”の故郷を理想郷としているのでしょうか。
★ 大型で、非常に強い台風4号が日本列島を縦断しました。その最中、大阪のSNS仲間から”深刻”なメール.。
「我が家の庭のゴーヤが、ゆら~りゆらり、このまま置いておいたら、強風に吹かれて塀にガンガン打ち付けられて、ぐちゃぐちゃにつぶれてしまうかも!それとも、どこかへ飛んでいってしまうかも・・・たった3本のゴーヤで、こんなに心配な私。でも、こんなのは、お百姓さんの心配の1000分の1ぐらいでしょう」
★ 私も同じ心配を抱えていました。幸い庭の植木は先週、完全に剪定してもらったので、風を受けることはありません。倒木は先ず、大丈夫。問題は、グリーン・カーテンです。我が家の窓辺には今、ゴーヤや朝顔、夕顔がつるを伸ばして来ています。つるが茎折れすればオシマイ。気のもめる一晩でした。が、進路が逸れて無事でした。ヤレヤレ。
★ 閑話休題・・ある事柄に奇妙に「コダワリ」を持ち続ける自分に気づき、一人苦笑することがよくあります。私の場合、戦争体験と”飢餓”を口にする時、屡々、ソレを思います。「一億総飢餓の時代、などと簡単に言うが、本当にアレは”飢餓”だったのか?」 ソレにこだわるのは、私自身、飢餓の象徴とされた「稗(ヒエ)や粟(アワ)」を食べた経験が全くないからです。
★ 私たちが少年の頃は、日本は農業国でした。「五穀豊穣」が豊かさの表現でした。豊芦原之瑞穂之国。豊かに実る米は最も神聖な食物でした。麦、大豆、それに粟、稗も収穫して粗末にしませんでした、天災・飢饉に備えたものです。
★ 米を忠臣に日本人の命を支えるのが、この五穀。そうアタマに叩き込まれたものでした。そして、「飢饉を救う稗・粟」が一つの観念としてアタマに刷り込まれていたのです。何時のまにか、「飢饉に稗・粟」 奇妙な先入感が私のアタマを支配していたようです。
★ 戦争末期から終戦直後の3年間、本当に国民は食うに困る”飢餓”を体験したように思います。しかし、多分、誰も「ヒエやアワ」を食べた経験は無かっただろうと思います。
★ 私にとっては、麦と大豆が「代用食」の名でよく食卓に登場した記憶があります。麦はメリケン粉に化けて「すいとん」に、油を絞った残りの”大豆”は「油かす」という食材になりました。
★ あれだけ食糧不足であったのに、ヒエやアワを食べなかったのは何故か? 都会生活の中で刷り込まれた農の知恵などと言うモノは本当に観念を肥大化させるだけですね。
★ 今、思えば、答えは簡単。元気な男はみんな戦争に行って、農村は年寄りと女・子どもだけで田圃を守った。米を作るだけでセイいっぱい。他の4穀に手を出す余裕など無かったのです。
都会の子に刷り込まれたのは、《五穀は”自然の恵み”》のロマン。 労力がアタマに無かったのですね。この辺りの隙間が、手足を使う経験と理屈を転がすアタマの乖離ですね。
★ なにごとにつけても「コダワリ」があります。
しかし、一歩、踏み込んでみると・・・それは、自らのアタマが勝手に肥大化させた観念のオバケ。やっかいな「コダワリ」の呪縛も
「正体、見たり枯れ尾花」
ですね。そこに気づくと、苦笑いせざるを得ません。
★ 辻博士の随想を拝見しながら思います。実際のところ、この人生訓、ひとつ取り上げても、五穀豊穣の想いに発します。身の回りの生活の知恵、格言の数々・・・考えてみれば、人生訓の教えの数々、コレすべて「農作物」だと気づきます。
★ 大型で、非常に強い台風4号が日本列島を縦断しました。その最中、大阪のSNS仲間から”深刻”なメール.。
「我が家の庭のゴーヤが、ゆら~りゆらり、このまま置いておいたら、強風に吹かれて塀にガンガン打ち付けられて、ぐちゃぐちゃにつぶれてしまうかも!それとも、どこかへ飛んでいってしまうかも・・・たった3本のゴーヤで、こんなに心配な私。でも、こんなのは、お百姓さんの心配の1000分の1ぐらいでしょう」
★ 私も同じ心配を抱えていました。幸い庭の植木は先週、完全に剪定してもらったので、風を受けることはありません。倒木は先ず、大丈夫。問題は、グリーン・カーテンです。我が家の窓辺には今、ゴーヤや朝顔、夕顔がつるを伸ばして来ています。つるが茎折れすればオシマイ。気のもめる一晩でした。が、進路が逸れて無事でした。ヤレヤレ。
★ 閑話休題・・ある事柄に奇妙に「コダワリ」を持ち続ける自分に気づき、一人苦笑することがよくあります。私の場合、戦争体験と”飢餓”を口にする時、屡々、ソレを思います。「一億総飢餓の時代、などと簡単に言うが、本当にアレは”飢餓”だったのか?」 ソレにこだわるのは、私自身、飢餓の象徴とされた「稗(ヒエ)や粟(アワ)」を食べた経験が全くないからです。
★ 私たちが少年の頃は、日本は農業国でした。「五穀豊穣」が豊かさの表現でした。豊芦原之瑞穂之国。豊かに実る米は最も神聖な食物でした。麦、大豆、それに粟、稗も収穫して粗末にしませんでした、天災・飢饉に備えたものです。
★ 米を忠臣に日本人の命を支えるのが、この五穀。そうアタマに叩き込まれたものでした。そして、「飢饉を救う稗・粟」が一つの観念としてアタマに刷り込まれていたのです。何時のまにか、「飢饉に稗・粟」 奇妙な先入感が私のアタマを支配していたようです。
★ 戦争末期から終戦直後の3年間、本当に国民は食うに困る”飢餓”を体験したように思います。しかし、多分、誰も「ヒエやアワ」を食べた経験は無かっただろうと思います。
★ 私にとっては、麦と大豆が「代用食」の名でよく食卓に登場した記憶があります。麦はメリケン粉に化けて「すいとん」に、油を絞った残りの”大豆”は「油かす」という食材になりました。
★ あれだけ食糧不足であったのに、ヒエやアワを食べなかったのは何故か? 都会生活の中で刷り込まれた農の知恵などと言うモノは本当に観念を肥大化させるだけですね。
★ 今、思えば、答えは簡単。元気な男はみんな戦争に行って、農村は年寄りと女・子どもだけで田圃を守った。米を作るだけでセイいっぱい。他の4穀に手を出す余裕など無かったのです。
都会の子に刷り込まれたのは、《五穀は”自然の恵み”》のロマン。 労力がアタマに無かったのですね。この辺りの隙間が、手足を使う経験と理屈を転がすアタマの乖離ですね。
★ なにごとにつけても「コダワリ」があります。
しかし、一歩、踏み込んでみると・・・それは、自らのアタマが勝手に肥大化させた観念のオバケ。やっかいな「コダワリ」の呪縛も
「正体、見たり枯れ尾花」
ですね。そこに気づくと、苦笑いせざるを得ません。
《五穀ば実れば首垂れる》
○ 五穀とは、主要な穀類、という意味。だが、どの穀類を指すか、については定説はない。
○ 主に、稲、麦、粟、豆、稗を指すことが多い。これ以外を含めて穀類すべてを指すこともある。
○ 代表格の稲は、実って来ると、稲穂の穂先が重みでて垂れて来る。このことから、本当に偉い人ほど威張ることなく、謙虚であることの例えが生まれた。
○ 天候良く、雨にも恵まれ、日照量も十分だと、五穀は豊穣ととなる。
○ 稲科の穀類は、リジンというアミノ酸が不足するのが欠点。大豆や魚を副食に添えると相性が良い。
★ 辻博士の随想を拝見しながら思います。実際のところ、この人生訓、ひとつ取り上げても、五穀豊穣の想いに発します。身の回りの生活の知恵、格言の数々・・・考えてみれば、人生訓の教えの数々、コレすべて「農作物」だと気づきます。
by zenmz
| 2007-07-15 09:44
| 食生活:今日の一戒