2008年 05月 15日
【8052】 淀む水は腐る |
★ 社会の表舞台から降り、隠居生活を妻と愉しむ。
老後生活は、やはり田舎が相応しいです。大自然に囲まれ、小鳥のさえずりで目を覚ます。庭の草木に語りかけ、地産地消・・・お互い知り合いの篤農家自慢の農作物を中心に「少欲多施」に生きる。 土地に親しみ機械音のない静寂を愉しむ日々の幸福を想います。
★ 隠居生活でありがたいのは、フットワークが軽くなったこと。
社会の柵(しがらみ)が解けた個人生活は、何よりも先ず、自分の意に染まないいろんな執着から完全自由になります。「少欲多施」の心がけ一つで、身も、心も本来、自分の器量に合ったあるべき姿のサイズにスリムに戻せます。
★ このところ、一番、心がけておりますのはオカネの執着を断ちきること。
意識的にそれを実行することで、私自身は本当に心豊かになりました。
誤解のないよう申し添えますが、決してオカネなど要らぬ、と、言うのではありません。どこの国に住もうと、最小限、税金、各種公課は支払わねばなりません。それだけの稼ぎも必要です。
★ 毎日の生活にも、食料、衣服、住居の確保から電信・電話、ガス・水道・電気・・・基本的なライフ・ラインにもオカネは必要。植木の手入れや物品の運搬などちょっとしたサービスにも料金がかかります。
現代社会はそうしたモノ・サービスの交換で成り立っており、オカネで決済する仕組みになっている。そこから逃れられないのは分かっています。
★ でも、極端に言えば、それは・・・そのように流れておればいい。
自然の水が流れるようにオカネが私の周りを回って日々の生活を支障なくしてくれれば、それでいいのです。
私が「オカネの執着を断ちきる」と申し上げたいのは、その先の話です。
★ 問題にしたいのは余剰を求めるココロです。
その流れを堰き止め、蓄えて、抱え込む。その動機は、不慮の病気・事故に備える。定年を迎えてちょっとまとまった退職金が入る。それを将来の備えにする。まあ、それまではいいです。
★ 危険なのは、その先の悪魔のささやき
「それを増やしたい」
ココロが利殖に向いた途端に、私たちは欲に囚われた生活に連れ込まれます。
数多の金融機関がそのココロに向けてオイシそうな金融商品をぶら下げて誘いをかけて来ます。銀行、証券、貴金属、商品取引それに各種の動産・不動産・・・オカネ転がしを商売にしている人たちが群がります。
★ 私も20数年前、バブルの時代にそういう人たちから随分、勧誘されました。
ちょうど最初の新聞社を退職して多少、まとまった退職金を手にしたことと、岡山移住をきめて土地を購入し、家を新築した折りのことです。
★ 銀行各社が群がって来ました。カネを転がして稼ぐ人たちの武器はさわやかな弁舌だ、としみじみ思いましたね。計算機片手に数字をはじいてまくし立てます。
「大阪の一等地、こんないい物件はお売りになってはいけません。岡山の新築費用はいくらでもご融資できます。大阪・千里のこのマンションは賃貸しにして、その賃貸料で融資返済をなさいますと・・・コレコレ、シカジカ」
★ 数字のマジック、というものですね。みるみる数字が自己増殖します。
黙って聞いていると、10年もすると、2億円単位の資産が出来上がる話になります。
でも私は、その当時からそんなオカネは信用していませんでした。
「自分が使わない不動産は持たない。管理が面倒。とにかく借金大嫌い」
と、全員、追っ払いました。いまから思えば大正解でしたね。あのとき、その話に乗っていたら、私は、今、確実に破産しています。
★ そして今、すべての仕事を整理して、年金だけが頼りの隠居生活に入って、もう4年が経ちました。折ある度に妻と語り合ってきたのがこの「オカネの執着を断ちきる」話でした。
「余剰のカネを持たず、不動産も出来れば、我らが一生で使い切る。子・孫に財は残さない。この一事に徹すれば、子・孫に世話をかけることもなく、我らもココロ豊かに生きられるはず・・・」 それが理想で、その形を作る努力を重ねています。
★ 何度も、何度も、繰り返して来たこの会話ですが、”言霊効果”とでも言うのでしょうか? かけ声がいつしか、そのように生活様式を整えるようになってきます。
「財を残さず、使い切る。オカネは水が自然に流れるように動いているのが正常」
マコト、「カネは天下の回りモノ」を実感します。
★ 生活の周りから、どんどんモノが姿を消しました。不用のものは捨て去る。不用な物品も溜め込まないと住居空間も広がり、実に居心地が良くなります。とにかく「少欲多施」 この一事の原則が、心身共にスリムにします。間食全廃がメタポ防止の特効薬です。余剰はすべて社会救済に。 「多施」の精神も本当の意味がよく分かるようになりました。
★ 例えば今、テレビは盛んに中国・ミャンマーの未曾有の天災救援に電話寄付を募っています。救援基金番号に電話すれば自動的に105円を寄付出来る仕組み。私も早速、ダイヤルを回しました。これより先、被災者の状況を見守りながら、何度も応援したいと思います。我が身を削って人を助ける。「貧者の一灯」こそ「多施」のココロですね。
★ 一つ腹立たしいこと。
経済系新聞の記事を見ていると、中国・ミャンマーの未曾有のこの天災が投機の一大チャンスと言わんばかりの先物取引関連解説が次々と掲載されています。そしてデカデカと報じられるのが軍事政権や共産党政権の”頑なな救援拒否”といったしたり顔な解説記事。本当にウンザリします。
★ 皆さんのお宅に、この世界的な一大災害を理由に商品相場の勧誘電話がかかってきませんでしょうか? 私の家には2社から「今が千載一遇の好機」との熱心な勧誘が来ました。
もちろん、お引き取り願いましたが、恐ろしい悪魔のささやきではあります。
★ とやかく言ってさかしらの議論を楽しんでいる事態ではありません。
何万人もの人が瓦礫の下で救援を待っている。72時間が生死の境、と言われる緊急事態です。食料、医薬品、飲み水、そして伝染病防止。すべてに先立ち、為さねばならぬのはその対策。救援物資、救助隊を一刻も早く現地へ・・・世界の良心は、その一点にむかっています。
★ なのに、それを尻目に、そろばん片手に商品先物の動向にのみ関心を向けている市場関係者・・・その情報を売る経済新聞。何というココロ貧しい群像ではありませんか。この冷徹な群像が動かしているのは、実は、我々の余剰なオカネであることを思わずにはいられません。
★ 天災発生と同時に欲に動かされたココロが提供したオカネが、商品先物取引にドッと流れ込み、巨万のカネを稼ぎ出します。必然的に起こる物価高騰、それは何よりも先ず、被災地の人々を直撃します。それには素知らぬ顔で巨万のカネを手にして、次の商機を狙う巨悪の存在。
★ 私は、いわゆる市場主義なるものに強い疑念と不信感を持っていますが、今日ほど、その本性としてある”悪”を思い知らされることはかつてありませんでした。
それは、しかし、余剰なオカネが飽くなき欲に向かった結果でもあるのです。自分の生き方の問題として、我々も一人一人、考え直さねばならないのかもしれません。
★ 投機商人は失敗したとき、絶対に責任をとることはありません。責任回避の逃げの弁舌・・詭弁の才に長けています。だから国家規模で、何らかの法的規制をかけるべきだと強く主張したいです。焦眉の対策が必要な時期にきているように思います。
★ 水は、流れてこそ清流になります。オカネも同じですね。生身の人間が生きていく上に必要を生じた時に流れる。スムーズに必要なすべての人の周りを流れるから人をハッピーにする。さかしらの才覚がそれを溜め込み、流れが淀み始めると、もういけません。
「溜まる水は腐る」例えを思い起こしています。マコト、腐った水は人を毒しますね。
***** ブログ【彷徨人生・・・喜寿から傘寿へ】公開に当たって *****
老後生活は、やはり田舎が相応しいです。大自然に囲まれ、小鳥のさえずりで目を覚ます。庭の草木に語りかけ、地産地消・・・お互い知り合いの篤農家自慢の農作物を中心に「少欲多施」に生きる。 土地に親しみ機械音のない静寂を愉しむ日々の幸福を想います。
★ 隠居生活でありがたいのは、フットワークが軽くなったこと。
社会の柵(しがらみ)が解けた個人生活は、何よりも先ず、自分の意に染まないいろんな執着から完全自由になります。「少欲多施」の心がけ一つで、身も、心も本来、自分の器量に合ったあるべき姿のサイズにスリムに戻せます。
★ このところ、一番、心がけておりますのはオカネの執着を断ちきること。
意識的にそれを実行することで、私自身は本当に心豊かになりました。
誤解のないよう申し添えますが、決してオカネなど要らぬ、と、言うのではありません。どこの国に住もうと、最小限、税金、各種公課は支払わねばなりません。それだけの稼ぎも必要です。
★ 毎日の生活にも、食料、衣服、住居の確保から電信・電話、ガス・水道・電気・・・基本的なライフ・ラインにもオカネは必要。植木の手入れや物品の運搬などちょっとしたサービスにも料金がかかります。
現代社会はそうしたモノ・サービスの交換で成り立っており、オカネで決済する仕組みになっている。そこから逃れられないのは分かっています。
★ でも、極端に言えば、それは・・・そのように流れておればいい。
自然の水が流れるようにオカネが私の周りを回って日々の生活を支障なくしてくれれば、それでいいのです。
私が「オカネの執着を断ちきる」と申し上げたいのは、その先の話です。
★ 問題にしたいのは余剰を求めるココロです。
その流れを堰き止め、蓄えて、抱え込む。その動機は、不慮の病気・事故に備える。定年を迎えてちょっとまとまった退職金が入る。それを将来の備えにする。まあ、それまではいいです。
★ 危険なのは、その先の悪魔のささやき
「それを増やしたい」
ココロが利殖に向いた途端に、私たちは欲に囚われた生活に連れ込まれます。
数多の金融機関がそのココロに向けてオイシそうな金融商品をぶら下げて誘いをかけて来ます。銀行、証券、貴金属、商品取引それに各種の動産・不動産・・・オカネ転がしを商売にしている人たちが群がります。
★ 私も20数年前、バブルの時代にそういう人たちから随分、勧誘されました。
ちょうど最初の新聞社を退職して多少、まとまった退職金を手にしたことと、岡山移住をきめて土地を購入し、家を新築した折りのことです。
★ 銀行各社が群がって来ました。カネを転がして稼ぐ人たちの武器はさわやかな弁舌だ、としみじみ思いましたね。計算機片手に数字をはじいてまくし立てます。
「大阪の一等地、こんないい物件はお売りになってはいけません。岡山の新築費用はいくらでもご融資できます。大阪・千里のこのマンションは賃貸しにして、その賃貸料で融資返済をなさいますと・・・コレコレ、シカジカ」
★ 数字のマジック、というものですね。みるみる数字が自己増殖します。
黙って聞いていると、10年もすると、2億円単位の資産が出来上がる話になります。
でも私は、その当時からそんなオカネは信用していませんでした。
「自分が使わない不動産は持たない。管理が面倒。とにかく借金大嫌い」
と、全員、追っ払いました。いまから思えば大正解でしたね。あのとき、その話に乗っていたら、私は、今、確実に破産しています。
★ そして今、すべての仕事を整理して、年金だけが頼りの隠居生活に入って、もう4年が経ちました。折ある度に妻と語り合ってきたのがこの「オカネの執着を断ちきる」話でした。
「余剰のカネを持たず、不動産も出来れば、我らが一生で使い切る。子・孫に財は残さない。この一事に徹すれば、子・孫に世話をかけることもなく、我らもココロ豊かに生きられるはず・・・」 それが理想で、その形を作る努力を重ねています。
★ 何度も、何度も、繰り返して来たこの会話ですが、”言霊効果”とでも言うのでしょうか? かけ声がいつしか、そのように生活様式を整えるようになってきます。
「財を残さず、使い切る。オカネは水が自然に流れるように動いているのが正常」
マコト、「カネは天下の回りモノ」を実感します。
★ 生活の周りから、どんどんモノが姿を消しました。不用のものは捨て去る。不用な物品も溜め込まないと住居空間も広がり、実に居心地が良くなります。とにかく「少欲多施」 この一事の原則が、心身共にスリムにします。間食全廃がメタポ防止の特効薬です。余剰はすべて社会救済に。 「多施」の精神も本当の意味がよく分かるようになりました。
★ 例えば今、テレビは盛んに中国・ミャンマーの未曾有の天災救援に電話寄付を募っています。救援基金番号に電話すれば自動的に105円を寄付出来る仕組み。私も早速、ダイヤルを回しました。これより先、被災者の状況を見守りながら、何度も応援したいと思います。我が身を削って人を助ける。「貧者の一灯」こそ「多施」のココロですね。
★ 一つ腹立たしいこと。
経済系新聞の記事を見ていると、中国・ミャンマーの未曾有のこの天災が投機の一大チャンスと言わんばかりの先物取引関連解説が次々と掲載されています。そしてデカデカと報じられるのが軍事政権や共産党政権の”頑なな救援拒否”といったしたり顔な解説記事。本当にウンザリします。
★ 皆さんのお宅に、この世界的な一大災害を理由に商品相場の勧誘電話がかかってきませんでしょうか? 私の家には2社から「今が千載一遇の好機」との熱心な勧誘が来ました。
もちろん、お引き取り願いましたが、恐ろしい悪魔のささやきではあります。
★ とやかく言ってさかしらの議論を楽しんでいる事態ではありません。
何万人もの人が瓦礫の下で救援を待っている。72時間が生死の境、と言われる緊急事態です。食料、医薬品、飲み水、そして伝染病防止。すべてに先立ち、為さねばならぬのはその対策。救援物資、救助隊を一刻も早く現地へ・・・世界の良心は、その一点にむかっています。
★ なのに、それを尻目に、そろばん片手に商品先物の動向にのみ関心を向けている市場関係者・・・その情報を売る経済新聞。何というココロ貧しい群像ではありませんか。この冷徹な群像が動かしているのは、実は、我々の余剰なオカネであることを思わずにはいられません。
★ 天災発生と同時に欲に動かされたココロが提供したオカネが、商品先物取引にドッと流れ込み、巨万のカネを稼ぎ出します。必然的に起こる物価高騰、それは何よりも先ず、被災地の人々を直撃します。それには素知らぬ顔で巨万のカネを手にして、次の商機を狙う巨悪の存在。
★ 私は、いわゆる市場主義なるものに強い疑念と不信感を持っていますが、今日ほど、その本性としてある”悪”を思い知らされることはかつてありませんでした。
それは、しかし、余剰なオカネが飽くなき欲に向かった結果でもあるのです。自分の生き方の問題として、我々も一人一人、考え直さねばならないのかもしれません。
★ 投機商人は失敗したとき、絶対に責任をとることはありません。責任回避の逃げの弁舌・・詭弁の才に長けています。だから国家規模で、何らかの法的規制をかけるべきだと強く主張したいです。焦眉の対策が必要な時期にきているように思います。
★ 水は、流れてこそ清流になります。オカネも同じですね。生身の人間が生きていく上に必要を生じた時に流れる。スムーズに必要なすべての人の周りを流れるから人をハッピーにする。さかしらの才覚がそれを溜め込み、流れが淀み始めると、もういけません。
「溜まる水は腐る」例えを思い起こしています。マコト、腐った水は人を毒しますね。
***** ブログ【彷徨人生・・・喜寿から傘寿へ】公開に当たって *****
初めてご来訪の方にお願い申し上げます。
このブログは、喜寿を終えた老人が傘寿を目指す日々の記録です。
もともと身内や親しい友人に向けて我が日常を発信しています。
それを一般公開する存念につきましてはこちらに説明しております。
ご理解くださいました上でご厚誼の程、お願い申し上げます。
by zenmz
| 2008-05-15 12:04
| 奴雁の目