2008年 06月 18日
【8085】 郷に入りては郷をたのしむ |
★ ここ岡山の吉備高原都市移り住んだのは、忘れもしない昭和天皇が亡くなられた日。JR岡山駅に着いた時、時の官房長官だった小渕さんが大書した「平成」の新年号を開いて記者会見している写真が大きく印刷された新聞の号外を手にしました。
それからまる20年が経ちました。平成の年号そのままの歳月が我が”終の棲家”岡山の歴史に重なりました。
★ 京都生まれの京都育ち、京都弁が培った生活文化の”京男”と、大阪生まれ大阪育ちの”浪速女”の夫婦が岡山のど真ん中の田舎町に来てビックリしたのは文化の違い。僅か西へ100キロしか離れていない目と鼻の先なのに、言葉も、生活習慣も、全く違います。トンチンカンの連続でした。
★ 新生活を築く上で、最優先の克服課題は、車の運転でした。ここに来るまでは、大阪・千里ニュータウン、地下鉄すぐ近くの駅前マンションに住んでいましたから自分で車を運転するなど考えてもみませんでした。しかし、ここでは「ちょっとお隣へ」でも1キロ。買い物となると片道7キロです。車なしでは生きていけません。還暦前の夫婦が自動車学校に通うハメになりました。
★ そこで苦労したのが岡山弁です。教習所の教官が、何をしゃべっているのか?? よく分からないのです。教則本をみながら、「ああ、この辺りのことを言ってるのだろう」と推測しつつ授業を受ける始末。後から分かったことですが、この教官、同じ岡山弁でも、少し奥の美作弁、それもかなり純粋な方言であったため地元の”備中人”にも分かりにくかったのだそうです。
★ 若い人の3倍の時間をかけてやっと、路上教習に出た時のことです。
信号にさしかかると、橙色に変わりました。徐行から停止へ・・・と、ブレーキを踏み込み始めた途端、「そこで、どうするんナラっ」 何か叱られたような気がして、思わずブレーキを精一杯踏み込み急停止しました。
★ 「つまりブレーキは、2,3度、軽く踏んで後ろの車に停止サインを出す。そしてゆっくり絞り込むように停止をかける。その要領を忘れないように・・・」
やっと分かりました。「そこで、どうするんナラっ」と、一息、いれた表現は、「どうするかといえば・・・」という意味だったのです。私は怒声を含んだ質問と受け止めました。だから何の操作が悪かったのか? 咄嗟に分からず急停車したのでした。
★ まあ、一つの典型的なチグハグの例ですが、同じようなチグハグが、毎日いっぱい起こりました。一番、耳障りだったのは、「しねぇー」 「しなさい」という指示言葉ですが、私の耳には「死ね!」と聞こえます。何とエゲツナイお叱り言葉か? と、最初は呆れたものです。
★ 言葉だけではありません。立ち居、振る舞い、仕草まで、違って見えます。その一つ一つを「郷に入りては郷に従え」では神経衰弱になってしまいます。村の人々もよほど私たち夫婦の言葉のやりとりが面白かったようです。「ヨシモトのような夫婦が来た」と一時、有名になりました。
★ しばらくして、私は、出会う人ごとに宣言することにしました。
「私たちは、もう還暦。今更、岡山弁を習って身についた関西弁のアカを落とせない。郷に入りては郷に従う格言は免責していただきたい」
★ そして、土地に”同化する無理な努力”は止めて、関西人の老夫婦そのままに生きることを認めて貰う努力を尽くしました。そして「郷に入りては郷に従う」のではなく、「郷に入りては郷を楽しむ」 つまり違いのおもしろさを徹底的に楽しむことにしました。
★ どこへ行っても生活スタンスを変えない”関西人”は評判が悪いですね。特に東京人には嫌われるようです。今はそれほどでもありませんが、私が若い頃には、面と向かって「”郷に入りては郷に従え”だよ」と、関西弁に嫌悪感を顕わにする上司がいました。
★ 今でも「郷に入りては郷に従え」という格言、この岡山でも、よく耳にします。日本語を教えているアメリカ娘に訊ねますと、英語でも、When in Rome, do as the Romans do. (ローマに入りてはローマ人に従え)と言うのだそうです。そこで調べてみますと、元はと言えば、この格言、ほぼ同じ意味のラテン語"si fueris Romae, Romano vivito more; si fueris alibi, vivito sicut ibi: "が原典。ラテン語の流れを汲む欧米諸国語圏すべてに共通する格言なのでしょうね。
★ でも・・・・私は、はっきり言って、「郷に入りては郷に従え」は、嫌いですね。
この言葉には、多数者が少数者に向かって圧力をかけているような嫌みな響きがあります。更に言い切ってしまえば、部族社会がよそ者に同化を強制し、嫌なら来るな、と、交際を拒否する意思表示に感じ取れます。
★ ごく少数の人が移動していた時代は終わりました。今は、世界のあらゆる人種がグローバルに移動し、結婚、就職、留学そして異国の地に家庭を築く時代です。現に私の住む近くの自動車工業団地にはブラジル人労働者がブラジルコミュニティを作っていて、その子弟たちのため市の教育委員会が特別の小学校を作って、ポルトガル語と日本語のバイリンガル教育を始めることになっています。
★ 私が若い頃、初めて行った外国はオーストラリアでした。今から51年前の1957年のこと。当時は"White Australia"(白豪主義)が国是で、有色人種の移民を受け付けないことで有名でした。そしてロシア人などの"New Commer"(新参者)に強く要求していたのは、アングロ・サクソンへの同化でした。
★ アメリカも同じ。アメリカは”WASP”の国、と言われていました。つまり白人(White)で人種はイングランドの流れを汲むアングロサクソン(Anglo-Saxons)で、しかも宗教はプロテスタント(Protestant) が主流の国。ここに移住した以上、WASPの言葉、風俗・習慣に同化せよ・・・それが強調されていました。
★ こうした多数者の「郷に入りては郷に従え」論理が破綻したのが20世紀後半に世界で起こった一大文化革命でした。ブラック・パンサーの登場です。"Black is beautiful!" (黒人はそれ自体、美しい) 文化に上下はない、白は白、黒は黒でそれぞれ、平等に美しい。後に「多文化主義」と名付けられた文化革命はたちまち世界を覆いました。
★ 「郷に入りては郷に従え」・・・地元への同化を求めた古い格言はたちまち色褪せてしまいました。”少数者”もコミュニティを形成するほどに数が増えれば、そこが”郷” 違いを認めよ、と、社会的認知を求めるアピールを始めています。
★ 1960年代後半から、アメリカも、オーストラリアも、激変しました。白人主導の同化政策は姿を消して、有色人種の移民を積極的に受け入れる方針に大変身しました。島国ニッポンも例外ではありません。”経済大国”に開発途上国の労働者がドッと押し寄せ、全国各地に続々と”外国人コミュニティ”を作り「”新しい郷”を楽しむ」生活をしています。
★ 「きっと20年前の私たちと同じ気持ちなんだろうナ・・・」 そんな想いで、こうした大変化を眺めている私は、「”郷に入りては郷に従う” そんなことでストレス溜めることはない、お互い違いのチグハグを楽しんで笑い合おうよ」と声をかけたい思いです。
★ が、しかし、その反面で、「この国に住む以上、せめて日本語だけは学んで、日本の生活に馴染んで欲しいネ」と注文もつけたくなります。心の底にはやはり「郷に入りては郷に従え」と言うよネ、と、言いたい気持ちもあるのですね。
この矛盾、どう説明したらいいのか? いい加減な自分が未だ整理出来ていません。
** ご挨拶 **
ブログ【彷徨人生・・・喜寿から傘寿へ】公開に当たって
それからまる20年が経ちました。平成の年号そのままの歳月が我が”終の棲家”岡山の歴史に重なりました。
★ 京都生まれの京都育ち、京都弁が培った生活文化の”京男”と、大阪生まれ大阪育ちの”浪速女”の夫婦が岡山のど真ん中の田舎町に来てビックリしたのは文化の違い。僅か西へ100キロしか離れていない目と鼻の先なのに、言葉も、生活習慣も、全く違います。トンチンカンの連続でした。
★ 新生活を築く上で、最優先の克服課題は、車の運転でした。ここに来るまでは、大阪・千里ニュータウン、地下鉄すぐ近くの駅前マンションに住んでいましたから自分で車を運転するなど考えてもみませんでした。しかし、ここでは「ちょっとお隣へ」でも1キロ。買い物となると片道7キロです。車なしでは生きていけません。還暦前の夫婦が自動車学校に通うハメになりました。
★ そこで苦労したのが岡山弁です。教習所の教官が、何をしゃべっているのか?? よく分からないのです。教則本をみながら、「ああ、この辺りのことを言ってるのだろう」と推測しつつ授業を受ける始末。後から分かったことですが、この教官、同じ岡山弁でも、少し奥の美作弁、それもかなり純粋な方言であったため地元の”備中人”にも分かりにくかったのだそうです。
★ 若い人の3倍の時間をかけてやっと、路上教習に出た時のことです。
信号にさしかかると、橙色に変わりました。徐行から停止へ・・・と、ブレーキを踏み込み始めた途端、「そこで、どうするんナラっ」 何か叱られたような気がして、思わずブレーキを精一杯踏み込み急停止しました。
★ 「つまりブレーキは、2,3度、軽く踏んで後ろの車に停止サインを出す。そしてゆっくり絞り込むように停止をかける。その要領を忘れないように・・・」
やっと分かりました。「そこで、どうするんナラっ」と、一息、いれた表現は、「どうするかといえば・・・」という意味だったのです。私は怒声を含んだ質問と受け止めました。だから何の操作が悪かったのか? 咄嗟に分からず急停車したのでした。
★ まあ、一つの典型的なチグハグの例ですが、同じようなチグハグが、毎日いっぱい起こりました。一番、耳障りだったのは、「しねぇー」 「しなさい」という指示言葉ですが、私の耳には「死ね!」と聞こえます。何とエゲツナイお叱り言葉か? と、最初は呆れたものです。
★ 言葉だけではありません。立ち居、振る舞い、仕草まで、違って見えます。その一つ一つを「郷に入りては郷に従え」では神経衰弱になってしまいます。村の人々もよほど私たち夫婦の言葉のやりとりが面白かったようです。「ヨシモトのような夫婦が来た」と一時、有名になりました。
★ しばらくして、私は、出会う人ごとに宣言することにしました。
「私たちは、もう還暦。今更、岡山弁を習って身についた関西弁のアカを落とせない。郷に入りては郷に従う格言は免責していただきたい」
★ そして、土地に”同化する無理な努力”は止めて、関西人の老夫婦そのままに生きることを認めて貰う努力を尽くしました。そして「郷に入りては郷に従う」のではなく、「郷に入りては郷を楽しむ」 つまり違いのおもしろさを徹底的に楽しむことにしました。
★ どこへ行っても生活スタンスを変えない”関西人”は評判が悪いですね。特に東京人には嫌われるようです。今はそれほどでもありませんが、私が若い頃には、面と向かって「”郷に入りては郷に従え”だよ」と、関西弁に嫌悪感を顕わにする上司がいました。
★ 今でも「郷に入りては郷に従え」という格言、この岡山でも、よく耳にします。日本語を教えているアメリカ娘に訊ねますと、英語でも、When in Rome, do as the Romans do. (ローマに入りてはローマ人に従え)と言うのだそうです。そこで調べてみますと、元はと言えば、この格言、ほぼ同じ意味のラテン語"si fueris Romae, Romano vivito more; si fueris alibi, vivito sicut ibi: "が原典。ラテン語の流れを汲む欧米諸国語圏すべてに共通する格言なのでしょうね。
★ でも・・・・私は、はっきり言って、「郷に入りては郷に従え」は、嫌いですね。
この言葉には、多数者が少数者に向かって圧力をかけているような嫌みな響きがあります。更に言い切ってしまえば、部族社会がよそ者に同化を強制し、嫌なら来るな、と、交際を拒否する意思表示に感じ取れます。
★ ごく少数の人が移動していた時代は終わりました。今は、世界のあらゆる人種がグローバルに移動し、結婚、就職、留学そして異国の地に家庭を築く時代です。現に私の住む近くの自動車工業団地にはブラジル人労働者がブラジルコミュニティを作っていて、その子弟たちのため市の教育委員会が特別の小学校を作って、ポルトガル語と日本語のバイリンガル教育を始めることになっています。
★ 私が若い頃、初めて行った外国はオーストラリアでした。今から51年前の1957年のこと。当時は"White Australia"(白豪主義)が国是で、有色人種の移民を受け付けないことで有名でした。そしてロシア人などの"New Commer"(新参者)に強く要求していたのは、アングロ・サクソンへの同化でした。
★ アメリカも同じ。アメリカは”WASP”の国、と言われていました。つまり白人(White)で人種はイングランドの流れを汲むアングロサクソン(Anglo-Saxons)で、しかも宗教はプロテスタント(Protestant) が主流の国。ここに移住した以上、WASPの言葉、風俗・習慣に同化せよ・・・それが強調されていました。
★ こうした多数者の「郷に入りては郷に従え」論理が破綻したのが20世紀後半に世界で起こった一大文化革命でした。ブラック・パンサーの登場です。"Black is beautiful!" (黒人はそれ自体、美しい) 文化に上下はない、白は白、黒は黒でそれぞれ、平等に美しい。後に「多文化主義」と名付けられた文化革命はたちまち世界を覆いました。
★ 「郷に入りては郷に従え」・・・地元への同化を求めた古い格言はたちまち色褪せてしまいました。”少数者”もコミュニティを形成するほどに数が増えれば、そこが”郷” 違いを認めよ、と、社会的認知を求めるアピールを始めています。
★ 1960年代後半から、アメリカも、オーストラリアも、激変しました。白人主導の同化政策は姿を消して、有色人種の移民を積極的に受け入れる方針に大変身しました。島国ニッポンも例外ではありません。”経済大国”に開発途上国の労働者がドッと押し寄せ、全国各地に続々と”外国人コミュニティ”を作り「”新しい郷”を楽しむ」生活をしています。
★ 「きっと20年前の私たちと同じ気持ちなんだろうナ・・・」 そんな想いで、こうした大変化を眺めている私は、「”郷に入りては郷に従う” そんなことでストレス溜めることはない、お互い違いのチグハグを楽しんで笑い合おうよ」と声をかけたい思いです。
★ が、しかし、その反面で、「この国に住む以上、せめて日本語だけは学んで、日本の生活に馴染んで欲しいネ」と注文もつけたくなります。心の底にはやはり「郷に入りては郷に従え」と言うよネ、と、言いたい気持ちもあるのですね。
この矛盾、どう説明したらいいのか? いい加減な自分が未だ整理出来ていません。
** ご挨拶 **
ブログ【彷徨人生・・・喜寿から傘寿へ】公開に当たって
by zenmz
| 2008-06-18 10:01
| 現代社会論