2008年 07月 06日
【8102】 ヒロシマの語り部として生きる-竹本成徳さん |
★ 「竹本さんがいらっしゃるそうよ!」 大発見をしたように妻が大声をあげました。
「えっ! いつ?」 目の前に差し出されたのは、いつもこの山奥まで日々の食品を届けてくれる生協「おかやまコープ」のパンフレット。 「第27回 市民団体による岡山県民平和のつどいへのお誘い」と2ページに亘って特集が組んであります。
★ 記念講演の講師は、竹本成徳さん。懐かしい名前です。元「コープこうべ」理事長.
後に更にその上部組織である日本生活協同組合連合会会長をした人。生協を全国津々浦々に普及させた功労者として有名な人ですが、実は、私の大学時代の同級生です。
★ すでに引退し、現在は(財)日本ユニセフ協会兵庫県支部会長として飢餓に苦しむ世界の紛争地や開発途上国の児童救援にボランティア活動を続け、その傍ら、夏が近づくと、全国各地を回って「私自身のことばで語る”ヒロシマ”体験」の語り部活動をしています。竹本さんは旧修道中学2年生の時、学徒動員で家屋疎開の作業中に被爆しました。
★ 生協活動一筋に半世紀を生きた信念の人。最も会いたい一人・・・、大学卒業以来、今日まで、何度もそう思い、願い続けながら、すれ違いばかりで会うことが出来なかった旧友です。
★ その人が岡山に来る。まさに天の計らいと言うべきでしょう。「是非、一緒に行こう。竹本さんに紹介したい」 妻は、結婚当初から熱心な生協活動を続けて来ました。だから竹本さんの名前とその偉大な業績は熟知しています。
★ そして昨日(7月5日)の昼過ぎ、JR岡山駅西口近くにある「おかやまコープ」のオルガホールに出かけました。講演まで少し時間があるので挨拶を、と、控え室に行くと、ちょうど食事中でした・・・・・お互い顔を見合わせた途端、「ヨーヨー、元気そうだね。本当に久しぶり」 固い握手を何度も交わし、両手で握りしめあいました。
★ マコト! 54年ぶりです。見れば、竹本さんは前髪がふさふさ、黒々。こちらは禿に白髪が申し訳程度、くっついています。だが、トシはとってもお互い、面影は学生時代そのまま。だから一目で、すぐ分かった!
★ 最初の話題は、その話。竹本さんは
「いやいや、てっぺんから後ろを見れば、同じだ」
お互い、相手のテッペン禿を確かあって大笑いしました。
★ 講演の後、主催者のお計らいで約1時間、お互い旧交を温める時間を頂戴しました。半世紀を1時間に濃縮して語り合っても話題は尽きることはありません。時間はアッという間に過ぎて、竹本さんは次のスケジュールに戻りました。
★ 彼がそれこそ一生を賭けた生協運動について、ご紹介したいことはいっぱいありますが、今日は、それを控えて、”ヒロシマ原爆”の語り部としてのすばらしい講演内容をここに記録しておきたいと思います。
★ 私は、若い頃、約10年間、広島に勤務し、原爆問題の担当記者をしました。ヒロシマ証言は数多く聞いています。しかし、「今日は、ヒロシマを、私自身の「ことば」で、語りたいと思います」で始まった竹本さんの今日の講演ほど感動したものはありません.
★ 竹本さんは、自ら出演で、準備されたビデオを用いて、被爆した場所に実際に立って、なぜ、そこにいたのか? それぞれの場所で何が起こったのか? それから9時間、どのような経路で死の町を彷徨って、その間、何をみたのか? そして父親との再会、爆心地至近距離で被爆した実姉の死の様子などを、当時、あったままの状況を生々しく語りました。
★ 講演の最後を締めくくったエピソードには多くの人々が涙しました。爆心地から僅か500メートルの所にあった日銀広島支店には竹本さんの姉さんが務めていました。被爆から13時間、経った午後9時頃、やっと救出したその姉は全身に大やけどを負っていて、見る影もありませんでした。
「おれは海軍の飛行機乗りになってねえちゃんのかたきを絶対にとってやる」
でした。しかし、竹本さんは、講演の結びにこう言いました。
** ご挨拶 **
ブログ【彷徨人生・・・喜寿から傘寿へ】公開に当たって
「えっ! いつ?」 目の前に差し出されたのは、いつもこの山奥まで日々の食品を届けてくれる生協「おかやまコープ」のパンフレット。 「第27回 市民団体による岡山県民平和のつどいへのお誘い」と2ページに亘って特集が組んであります。
★ 記念講演の講師は、竹本成徳さん。懐かしい名前です。元「コープこうべ」理事長.
後に更にその上部組織である日本生活協同組合連合会会長をした人。生協を全国津々浦々に普及させた功労者として有名な人ですが、実は、私の大学時代の同級生です。
★ すでに引退し、現在は(財)日本ユニセフ協会兵庫県支部会長として飢餓に苦しむ世界の紛争地や開発途上国の児童救援にボランティア活動を続け、その傍ら、夏が近づくと、全国各地を回って「私自身のことばで語る”ヒロシマ”体験」の語り部活動をしています。竹本さんは旧修道中学2年生の時、学徒動員で家屋疎開の作業中に被爆しました。
★ 生協活動一筋に半世紀を生きた信念の人。最も会いたい一人・・・、大学卒業以来、今日まで、何度もそう思い、願い続けながら、すれ違いばかりで会うことが出来なかった旧友です。
★ その人が岡山に来る。まさに天の計らいと言うべきでしょう。「是非、一緒に行こう。竹本さんに紹介したい」 妻は、結婚当初から熱心な生協活動を続けて来ました。だから竹本さんの名前とその偉大な業績は熟知しています。
★ そして昨日(7月5日)の昼過ぎ、JR岡山駅西口近くにある「おかやまコープ」のオルガホールに出かけました。講演まで少し時間があるので挨拶を、と、控え室に行くと、ちょうど食事中でした・・・・・お互い顔を見合わせた途端、「ヨーヨー、元気そうだね。本当に久しぶり」 固い握手を何度も交わし、両手で握りしめあいました。
★ マコト! 54年ぶりです。見れば、竹本さんは前髪がふさふさ、黒々。こちらは禿に白髪が申し訳程度、くっついています。だが、トシはとってもお互い、面影は学生時代そのまま。だから一目で、すぐ分かった!
★ 最初の話題は、その話。竹本さんは
「いやいや、てっぺんから後ろを見れば、同じだ」
お互い、相手のテッペン禿を確かあって大笑いしました。
★ 講演の後、主催者のお計らいで約1時間、お互い旧交を温める時間を頂戴しました。半世紀を1時間に濃縮して語り合っても話題は尽きることはありません。時間はアッという間に過ぎて、竹本さんは次のスケジュールに戻りました。
★ 彼がそれこそ一生を賭けた生協運動について、ご紹介したいことはいっぱいありますが、今日は、それを控えて、”ヒロシマ原爆”の語り部としてのすばらしい講演内容をここに記録しておきたいと思います。
★ 私は、若い頃、約10年間、広島に勤務し、原爆問題の担当記者をしました。ヒロシマ証言は数多く聞いています。しかし、「今日は、ヒロシマを、私自身の「ことば」で、語りたいと思います」で始まった竹本さんの今日の講演ほど感動したものはありません.
★ 竹本さんは、自ら出演で、準備されたビデオを用いて、被爆した場所に実際に立って、なぜ、そこにいたのか? それぞれの場所で何が起こったのか? それから9時間、どのような経路で死の町を彷徨って、その間、何をみたのか? そして父親との再会、爆心地至近距離で被爆した実姉の死の様子などを、当時、あったままの状況を生々しく語りました。
★ 講演の最後を締めくくったエピソードには多くの人々が涙しました。爆心地から僅か500メートルの所にあった日銀広島支店には竹本さんの姉さんが務めていました。被爆から13時間、経った午後9時頃、やっと救出したその姉は全身に大やけどを負っていて、見る影もありませんでした。
わたしは、ずっと姉のそばについていました。姉の意識はしっかりしていて、しばらくすると、「便所にいきたい」といいだしました。便所のむかいに風呂場がありました。風呂場の脱衣所に姿見がありました。四年前に亡くなった母親の形見です。★ 14歳の少年が死にゆく姉に誓った言葉は、
姉は自分の目で、鏡に映る自分の姿を見てしまったのです。全身にやけどを負っているだけではなく、頭に三つぐらい穴のあいた姉の姿は、とても20歳の娘、とても人間の形相《ぎょうそう》とは思えませんでした。
姉は、「これは人間じゃない。人間の顔じゃない」といって泣き出しました。「これは人間じゃない。こんな姿では生きておってもつまらん」
鏡を見たとたん、すっかり弱気になってしまいました。
翌朝、5時過ぎになって救護に走り回っていた父が帰ってきました。いきなり正座をしなおしたかと思うと、私を呼びつけて言いました。
「裏の畑へいって、トマトをもいでこい」
「トマトが好きな子やから……」 父はそうつぶやきながら、ジュースを絞り終えると、枕《まくら》元にいって、吸い口を姉の口にあてました。姉はコクコクとのどを鳴らしながら、「おいしい、おいしい」といって飲みました。9時ごろ、とうとう姉の息づかいがあやしくなってきました。
8月7日午後9時40分、静かな最期でした。
「しっかりせい、ねえちゃん。おれは海軍の飛行機乗りになって、ねえちゃんのかたきは絶対にとってやる。だから頑張れ、ねえちゃん。」
しかし、私の励ましのことばもむなしく、姉は息を引きとりました。
「おれは海軍の飛行機乗りになってねえちゃんのかたきを絶対にとってやる」
でした。しかし、竹本さんは、講演の結びにこう言いました。
広島の平和記念公園に建つ石碑には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」とと書かれてあります。この碑文の「ことば」は、だれが、だれに向かっていったことばか? 大きな議論を巻き起こしたことがあります。私自身もこの碑の前で手を合わせ、姉に誓ったことばを思い返したことは何度もあります。★ 声もなく静まりかえった聴衆はみんな大きく頷きながら感動していました。重い思考の静寂が流れた一瞬、万雷の拍手が湧きあがり、閉会しました。反戦の決意を一人一人の心に刻む、すばらしい講演でした。< 【竹本成徳氏の講演】
しかし、わたしは今、これを素直に読んだほうがいいと思うのです。
たとえば、この姉をうしなったわたし自身の「ことば」として、自分の「こころ」として、語りつづけなければいけないと思います。
冷子ねえさん、安らかに眠ってください。戦争というおろかなことは、わたしを含めて、人類はふたたびこういうことをくりかえしませんから、許してください。安らかに眠ってください。
この「ことば」は人類共通の願いであり、叫びであり、わたしの心からの 「ことば」 でもあります。
** ご挨拶 **
ブログ【彷徨人生・・・喜寿から傘寿へ】公開に当たって
by zenmz
| 2008-07-06 07:02
| 戦争秘話:平和への戒め