2008年 09月 03日
【8162】 家庭の教育力って何でしょう? |
★ 古い友人が訪ねて来ました。大学で教育学を教えています。未だ若い人。「昔と今と、教育の何が、どう違うのでしょう。ご体験の実感として感じておられることを・・・」とのご注文です。今の学校制度は戦後、出来たものです。私はその前の旧制。多分、この友人の言う意味は、旧制と、今と、教育を取り巻く状況はどう違うのか? それが聴きたいのだと思いました。
★ 制度としての学校の比較は、もう語り尽くされています。私自身の教育体験については、もうこのブログでも、かなり体系的にお話し、多くの皆さんにご披露済みです。
《にわか教師の教育実践》
でも、未だ一つ、語り残した問題があります。それは、家庭教育に関するものです。家族の中で、昔の子どもはどう育ったか? それを思い起こしてお話しました。
★ ざっと、このようなお話を申し上げました。
でも・・・もう遅い。ニホンを知らない文化的無国籍人の親たちに、子育ての中で大切な文化継承を、と、訴えて見たところで、何が出来るでしょう。今となっては、所詮、トシヨリの繰り言ですね。
★ メートル法を強制したお役人さんたち・・・ゴルフでヤード、ポンド法をお楽しみの節、是非、あなた達が犯した自国文化の破壊の後遺症の大きさに思いを致してください。何ヤード、飛んだ、などと言う前に、「メートル法に直せ」とアメリカに文句を言ってください。
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** ご挨拶 ** ブログ【彷徨人生・・・喜寿から傘寿へ】公開に当たって
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★ 制度としての学校の比較は、もう語り尽くされています。私自身の教育体験については、もうこのブログでも、かなり体系的にお話し、多くの皆さんにご披露済みです。
《にわか教師の教育実践》
でも、未だ一つ、語り残した問題があります。それは、家庭教育に関するものです。家族の中で、昔の子どもはどう育ったか? それを思い起こしてお話しました。
◎ 例えば、3度の食事。日本人なら誰でも「いただきます」と言いますね。それが作法。両手を合わせて、ハイ、イタダキマース。今でも幼稚園でやっています。今は、そのカタチを教えるだけですが、昔は、お爺ちゃん、お祖母ちゃんが、時、折々に、それに関して「言い聞かせ」が伴ったものです。
◎ まあ、この「いただきます」に関してのお爺ちゃんのフォローについては、私自身の体験を既に公開していますので、そちらに譲ります。 《いただきます、と言うこと》 ともかく日常の生活の中で、一つ一つの行儀作法ごとに、その背後にあるココロについての「言い聞かせ」というものが家族の会話の中にありました。
◎ 私は、このトシになっても掃除が好きです。毎朝、庭からアプローチ、植え込みに面した路上まで、掃除を済ませてから朝食を摂ります。「掃除はスミから・・・」 丸く掃いてはいけない、スミから真ん中へ。幼児からの躾は今も身についています。
◎ その気になって思い出しますと、家族の会話そのものが貴重な教育でした。私の身についている知識の中で、このトシになって本当に生きた知恵と結びつくのは両親や、祖父母がそれとなく「言い聞かせて」くれた話が多いように思います。
◎ 例えば、食事の続きですが・・・・
「このご飯。お茶碗一杯が8勺(しゃく)だ。稲刈りの一束(たば)で、一膳のご飯になる」 お百姓だった祖父の「言い聞かせ」です。それだけでは止まらない。
◎ 「人間一人生きて行くのに1年に1石必要だ。おとなの大きな茶碗で一盛りのご飯が一合(ごう) 朝・昼・晩3食、1膳ずつたべれば365日でそれだけになる。計算してみよ」
◎ 「”米”という字を分析すれば、”八十八”と書いてある。つまり、お米が採れるまでには、お百姓の八十八の苦労がある。それを思い、感謝していただくように・・・・一粒たりとも粗末にしてはならぬ」
◎ 日本史の本を読むと、昔の小作人の労賃が出てきます。「1日の労働の謝礼は、稲40束」などと書かれています。今の子どもたちは、これを一所懸命覚えても意味はさっぱりでしょう。でも、私には、その深い意味を読み取る力があります。それは子どもの時から備わっています。
◎ すべてメートル法に変わり、それが定着した今では何のことか?? こんな話を持ち出しても、分からない人も多いでしょう。昔の度量法では、1石(こく)=10斗(と) 1斗(と)=10升(しょう) 1升(しょう)=10合(ごう) 1合(ごう)=10勺(しゃく)でした。
◎ 人間一人1年間生きていくのに必要なお米の量は1石。この家庭教育で刷り込まれた知識は、その後の学校の勉強に非常に役立ちました。習うことが自分の生活と密着して理解できます。
◎ 例えば・・・・
歴史に登場する徳川幕府。財政基盤はどうであったか? 三都(江戸・大坂・京都)の他、商工業地や貿易港、流通拠点などの直轄領からの年貢で賄い、中期以降の安定期には400万石を超えた。 こんな具合にならいますね・・・だが、イマドキの子、分かる?
◎ 昭和ヒトケタ人間だと、直ぐピンと来ます。加賀百万石は破格の大名であることも明白ですね。だからいつまでも”加賀百万石”が垂涎の的として賞賛されるのです。1石あれば人間一人、1年生活出来る、昔の子どもには、それがしっかりアタマに刷り込まれていますから、そこに盛られた情報を読み解く力があります。
◎ 米一袋30キロ、7500円? 高い、安いしか知らない現代人は、余程、勉強しないと、加賀百万石の意味が読み解けないでしょう。この当たりの問題になると、現代のように高度に発達した制度としての学校教育もほぼお手上げです。
◎ 米一袋は30キロ。それは、商行為の取引単位として機能するだけで文化的意味は全くありません。ちょっと大げさかもしれませんが、メートル法では米本位制の江戸幕府経済は分からないです。徳川幕府の政治・経済は米本位の文化尺度を当てないと何も分からない。その辺りの認識がスッポリ抜け落ちたまま、歴史教育がなされています。
◎ その原因は何か? 私は、戦後の文教政策の大失策の結果だと思っています。
元号はイケナイ、西暦が絶対年だ、伝統的な尺貫法は旧来の陋習、近代化の妨げとばかり使用を全面禁止し、メートル法を強制した政府の文化破壊の結果です。世紀の大失策。痛恨の極みです。
◎ 確かに尺貫法が廃止されたのは、敗戦直後の”教育民主化”のためです。戦争責任を問う風潮が一気に高まり、日本占領に”進駐”してきた連合国司令官・マッカーサーを前に「一億総懺悔」 その中で、古いものはみな間違い、アメリカこそ学ぶべきお手本・・・それが日本列島を覆った時代でした。当時の為政者には同情すべき点はあります。
◎ しかし、少なくとも併用を認めるべきでありました。今でもそうですが、何でも「国際標準化」何か、そうしなければならないかのように追い立てられ「世界標準」なるものに擦り寄る政府と御用学者の不定見がもたらした結果は何であったか? 現に金融政策の世界標準化は、我が国経済を大きな不安に陥れていますね。懲りない面々。
◎ ともかく、不定見な向米一辺倒の”民主化”文教政策は、加賀百万石の意味を歴史の遺物として封印してしまい、日本国民は祖先伝来の貴重な文化の継承を次々と断ち切られたのです。そして家庭ではもう、だれも尺貫法が伝えた民族の伝統文化を語ることは無くなりました。
◎ また、こんな祖父の「言い聞かせ」も思い出します。
「タタミ1畳とは何か? 大の男が両手・両足を伸ばして納まる大きさだ。それが3枚で書生部屋になる。4枚半で新婚若夫婦の部屋、6畳で家族団らんの場だ。8枚組み合わせると客間になる・・・おお、そうだった。死ねば母親の胎内に戻る。その姿勢で眠るからお墓の1坪はタタミ半畳だ」 仏像の座禅の姿もにわかに大きな意味を持つような感じになります。
◎ メートル法で建設したマンションを団地サイズのタタミで六畳だの八畳だのと言ってみたところで観念的な郷愁でしかありません。そこには文化的意味合いは全くありませんね。
◎ 世界の建築界で最も美しいと言われる日本建築。その美学の基本は、タタミのココロを組み合わせて織りなす幾何学にあります。その美学をなす哲学のココロは、庶民の家庭で古老から子・孫に、このように伝えられていました。昔は、家族に、このような教育力があったのです。
◎ ところが、戦後の”民主化教育”は、家庭のそんな会話を非教育的と言わんばかりに尺貫法の使用を厳禁しました。私も白状しなければなりません。古い尺貫法で説教を垂れる親たちに、「そんなの古い。学校ではメートル法。試験で困る」などと猛反発したものです。若気の至りとはいえ、大きな過ちを犯しました。
◎ 新しい教育は、その多くを「旧来の陋習」として裁ち切り、新知識の「世界標準」なるもので子どもの頭脳を改造しました。生き生きした生活感のあふれる豊かな尺貫法は抹殺され、すべてを算用数字に置き換えた「国際的世界標準」で合理化生活に誘導された新日本人はニホンを知らない文化的無国籍人になりました。
◎ 日本の家庭の教育力は、こうして急速に失われました。それを行わしめたのは、戦後政府のアメリカ偏重文教政策そのものでありました。それをキチンと認識すべきでしょう。
★ ざっと、このようなお話を申し上げました。
でも・・・もう遅い。ニホンを知らない文化的無国籍人の親たちに、子育ての中で大切な文化継承を、と、訴えて見たところで、何が出来るでしょう。今となっては、所詮、トシヨリの繰り言ですね。
★ メートル法を強制したお役人さんたち・・・ゴルフでヤード、ポンド法をお楽しみの節、是非、あなた達が犯した自国文化の破壊の後遺症の大きさに思いを致してください。何ヤード、飛んだ、などと言う前に、「メートル法に直せ」とアメリカに文句を言ってください。
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** ご挨拶 ** ブログ【彷徨人生・・・喜寿から傘寿へ】公開に当たって
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by zenmz
| 2008-09-03 10:56
| 言霊