2008年 09月 30日
【8189】 夫と妻・・・どう呼び合いますか? |
★ ちょっと気易くなった女性と対談すると、「奥さんのこと、何とお呼びです?」と訊ねられます。昭和ヒトケタ人間、この質問が一番、イヤですね。魂胆が見え透いているように思えます。答え具合で、我ら老夫婦の平素の姿、家庭内政治力学のありようが判じられるような気がします。
★ 言を左右せず、はっきり申します。周りに他人がいなければ、「オイ」です。
結婚生活52年。その最初の日から「オイ」です。戦争が終わって11年目、まだ男性上位、男は「主人」、女房を紹介するのに「愚妻」が伝統作法・・・それが言語生活を支配していました。
結婚式で先輩も言ったものです。
「いいか、結婚生活は最初が大事。女房を呼びつけるのは、オイだ」
★ それを52年間、続けている。ここで終われば、私は、旧来の陋習を全身に詰め込んだ「亭主関白」のように思われるでしょうね。でも、実体はサニ非ず。つづきで、ご確認を・・・・。
★ まあ、正直な話、昭和ヒトケタ人間が生きた青春時代には、それが普通でした。
そのうち子どもが出来て、2,3年もすると、何となく「ママ」と呼ぶようになり、相手も私を「パパ」と呼ぶようになって、人様の前では「パパ」 「ママ」と、ちょっと取り繕った物言い風になりました。多分、我が日本語のアメリカナイズの始まりです。
★ しかし、人目がないと、「オイ」 身についた習慣。チョットやソッとでは直りません。 相手も「アンタァ」と「チョットォー」 まあ、関西人は品がないです。その時々にホンネ丸出し。「オイ」と呼べば、「はい」とは言わない。「ヘェー?」「なんやノ!」と言い返し口調もしばしば。
「チョットォー」と呼ばれた私も「一寸法師! 呼んでるデェ」とつぶやいて素知らぬ顔も。
★ まあ、しかし、それは、夫婦二人だけの時。周りに子どもや孫がおれば、必ず「ママ」 「パパ」ですね。同僚レベルの友人だと「家内」「女房」「亭主」 相手が私のことを「主人」などと呼ぶのは見知らぬ初対面の来客に向かってですね。私もちょっと気取って「妻」などと言い慣れぬコトバを使います。手紙では、必ず「愚妻」でしたね。相手も「ウチの宿六」が・・・・。
★ 古希を超えたころからは、TPOによって「このオジン」 「このオババ」も自然に出るようになりました。品がない、やめなさいよ、と、やんわり批判されることも多いのですが、TPO次第ですね。これを言い交わすときの老夫婦の悦楽。それが分からず、侮蔑語だ、などと目にカド立てるのは、人生修行が足りません。
★ コトのついでに関西弁のユニークな呼びかけ。男も、女も、「アンナァー・ヘェー」と、相手に呼びかけ、同時に自分で返事する、奇妙な「呼びかけコトバ」を用います。私が子どもの頃にはそれが耳慣れた呼びかけでした。岡山へ来て久しいので、今はどうかしりませんが・・・・これなどは、味わいがありましたね。
★ 男女共同参画時代に入って、呼びかけ言葉も随分、変わって来ました。
昭和ヒトケタ人間がビックリ仰天するのは、2、30歳代女性が連れ合いを呼ぶ「ダーリン!」 ウチも外もありません。聴く度に鳥肌が立ちます。そのうら若い女性が、”喜寿”男の私を呼ぶのに「ミチトシさん」 女房も使ったコトのないファーストネームで呼ばれると、ドギマギします。
★ 団塊世代の女性に多い夫の呼びかけ。ファーストネームが多いようですね。但し、他人に言う時には「ウチの主人」ではなく「同居人」が圧倒的です。意識は徹底的に夫婦別姓風です。昭和ヒトケタ、これにも違和感があります。
★ それにしても・・・あまり懇意でもないのに、ヨソの亭主をファースト・ネームで呼ぶ。30歳代の女性に多いのですが、国語のアメリカナイズ。コトバの語法も変わったものです。東洋独特の長幼の序は崩壊し、老弱男女横並び平等の西欧並みになりました。
★ ヨソの亭主をファースト・ネームで呼びながら、自分の亭主を「ウチのご主人様」などと様付きで呼ぶのが20歳前後の若妻。これにはビックリ。そんな亭主に限って、女房の重しで身動き出来ない優男が多いのも皮肉な現象です。
★ 何はともあれ、「奥様を何と?」と訊ねられて、恥ずかしながら「オイ」と答える。必ず「お止めなさいよ」と叱られます。確かにこの言葉、今や女性が最も嫌がる卑語・女性蔑視語の類になりました。反省して、慣れ親しんだ言葉を捨てて今では「ママ」を多用しております。
★ それ、と気づき、改めて夫婦間の呼び合い言葉を観察すると、その家庭における夫婦の政治力学が浮き彫りされますね。しかし、コトバだけで判断してはイケマセン。因みに我が家では私の書斎は2階北西角の6畳の間。妻の書斎は東南角部屋8畳です。その位置と広さが、それぞれの実権を表しています。
★ しかも、より基本的、かつ決定的な、厳然たる事実。
私は、結婚生活のスタートから月給袋を自分の手で切ったことはありません。そのまま妻に手渡してきました。毎日、「出勤手当」をもらって出て行き、毎月、月給を家庭に運ぶ。月給定期運搬人のような生活をしてきました。隠棲後はサイフを持ったことがありません。
★ この現実からすれば、私の「オイ」も徒手空拳、空威張りでしかありません。
でも、夫婦間の事柄ですが、その呼び方で、判じられるものではないでしょう。
「老子」の言葉・・・絶学無憂、唯之與阿、相去幾何、善之與悪、相去何若
★ 「学を絶てば憂い無し、唯(い)と阿(あ)と、相去ること幾何(いくばく)ぞ、善と悪と、相去ること如何?」・・・学問などやめてしまえば、人生に屈託無し。ハイと答えるのと、アアと返事をするのと、どれほどの違いがあるというのか?その善悪にどれほどの違いがあるというのか?
★ 傍目にどんなに汚い、下品な言葉を交わそうと、夫婦の深い情愛がこもっているのが見えぬか。いやはや教養というものは、屈託のない、大らかな人生に邪魔なモンよノー。
2500年前の彼方から、老子が笑っておられるように思います。
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** ご挨拶 ** ブログ【彷徨人生・・・喜寿から傘寿へ】公開に当たって
私がネット交友に寄せる想いをご理解賜りたくご一読をお願い申し上げます。
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★ 言を左右せず、はっきり申します。周りに他人がいなければ、「オイ」です。
結婚生活52年。その最初の日から「オイ」です。戦争が終わって11年目、まだ男性上位、男は「主人」、女房を紹介するのに「愚妻」が伝統作法・・・それが言語生活を支配していました。
結婚式で先輩も言ったものです。
「いいか、結婚生活は最初が大事。女房を呼びつけるのは、オイだ」
★ それを52年間、続けている。ここで終われば、私は、旧来の陋習を全身に詰め込んだ「亭主関白」のように思われるでしょうね。でも、実体はサニ非ず。つづきで、ご確認を・・・・。
★ まあ、正直な話、昭和ヒトケタ人間が生きた青春時代には、それが普通でした。
そのうち子どもが出来て、2,3年もすると、何となく「ママ」と呼ぶようになり、相手も私を「パパ」と呼ぶようになって、人様の前では「パパ」 「ママ」と、ちょっと取り繕った物言い風になりました。多分、我が日本語のアメリカナイズの始まりです。
★ しかし、人目がないと、「オイ」 身についた習慣。チョットやソッとでは直りません。 相手も「アンタァ」と「チョットォー」 まあ、関西人は品がないです。その時々にホンネ丸出し。「オイ」と呼べば、「はい」とは言わない。「ヘェー?」「なんやノ!」と言い返し口調もしばしば。
「チョットォー」と呼ばれた私も「一寸法師! 呼んでるデェ」とつぶやいて素知らぬ顔も。
★ まあ、しかし、それは、夫婦二人だけの時。周りに子どもや孫がおれば、必ず「ママ」 「パパ」ですね。同僚レベルの友人だと「家内」「女房」「亭主」 相手が私のことを「主人」などと呼ぶのは見知らぬ初対面の来客に向かってですね。私もちょっと気取って「妻」などと言い慣れぬコトバを使います。手紙では、必ず「愚妻」でしたね。相手も「ウチの宿六」が・・・・。
★ 古希を超えたころからは、TPOによって「このオジン」 「このオババ」も自然に出るようになりました。品がない、やめなさいよ、と、やんわり批判されることも多いのですが、TPO次第ですね。これを言い交わすときの老夫婦の悦楽。それが分からず、侮蔑語だ、などと目にカド立てるのは、人生修行が足りません。
★ コトのついでに関西弁のユニークな呼びかけ。男も、女も、「アンナァー・ヘェー」と、相手に呼びかけ、同時に自分で返事する、奇妙な「呼びかけコトバ」を用います。私が子どもの頃にはそれが耳慣れた呼びかけでした。岡山へ来て久しいので、今はどうかしりませんが・・・・これなどは、味わいがありましたね。
★ 男女共同参画時代に入って、呼びかけ言葉も随分、変わって来ました。
昭和ヒトケタ人間がビックリ仰天するのは、2、30歳代女性が連れ合いを呼ぶ「ダーリン!」 ウチも外もありません。聴く度に鳥肌が立ちます。そのうら若い女性が、”喜寿”男の私を呼ぶのに「ミチトシさん」 女房も使ったコトのないファーストネームで呼ばれると、ドギマギします。
★ 団塊世代の女性に多い夫の呼びかけ。ファーストネームが多いようですね。但し、他人に言う時には「ウチの主人」ではなく「同居人」が圧倒的です。意識は徹底的に夫婦別姓風です。昭和ヒトケタ、これにも違和感があります。
★ それにしても・・・あまり懇意でもないのに、ヨソの亭主をファースト・ネームで呼ぶ。30歳代の女性に多いのですが、国語のアメリカナイズ。コトバの語法も変わったものです。東洋独特の長幼の序は崩壊し、老弱男女横並び平等の西欧並みになりました。
★ ヨソの亭主をファースト・ネームで呼びながら、自分の亭主を「ウチのご主人様」などと様付きで呼ぶのが20歳前後の若妻。これにはビックリ。そんな亭主に限って、女房の重しで身動き出来ない優男が多いのも皮肉な現象です。
★ 何はともあれ、「奥様を何と?」と訊ねられて、恥ずかしながら「オイ」と答える。必ず「お止めなさいよ」と叱られます。確かにこの言葉、今や女性が最も嫌がる卑語・女性蔑視語の類になりました。反省して、慣れ親しんだ言葉を捨てて今では「ママ」を多用しております。
★ それ、と気づき、改めて夫婦間の呼び合い言葉を観察すると、その家庭における夫婦の政治力学が浮き彫りされますね。しかし、コトバだけで判断してはイケマセン。因みに我が家では私の書斎は2階北西角の6畳の間。妻の書斎は東南角部屋8畳です。その位置と広さが、それぞれの実権を表しています。
★ しかも、より基本的、かつ決定的な、厳然たる事実。
私は、結婚生活のスタートから月給袋を自分の手で切ったことはありません。そのまま妻に手渡してきました。毎日、「出勤手当」をもらって出て行き、毎月、月給を家庭に運ぶ。月給定期運搬人のような生活をしてきました。隠棲後はサイフを持ったことがありません。
★ この現実からすれば、私の「オイ」も徒手空拳、空威張りでしかありません。
でも、夫婦間の事柄ですが、その呼び方で、判じられるものではないでしょう。
「老子」の言葉・・・絶学無憂、唯之與阿、相去幾何、善之與悪、相去何若
★ 「学を絶てば憂い無し、唯(い)と阿(あ)と、相去ること幾何(いくばく)ぞ、善と悪と、相去ること如何?」・・・学問などやめてしまえば、人生に屈託無し。ハイと答えるのと、アアと返事をするのと、どれほどの違いがあるというのか?その善悪にどれほどの違いがあるというのか?
★ 傍目にどんなに汚い、下品な言葉を交わそうと、夫婦の深い情愛がこもっているのが見えぬか。いやはや教養というものは、屈託のない、大らかな人生に邪魔なモンよノー。
2500年前の彼方から、老子が笑っておられるように思います。
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私がネット交友に寄せる想いをご理解賜りたくご一読をお願い申し上げます。
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by zenmz
| 2008-09-30 00:18
| 現代社会論