2008年 10月 19日
【8208】 豊作喜ぶ”神人一体”の祭り |
★ 今日は、私の住む地域の「備前加茂大祭」です。平安時代から940年の伝統のあるお祭りです。旧加茂川郷にある八つの神社から神々が加茂市場というところにある総社宮により集い村人たちと豊作を祝います。
★ 神輿(みこし)の入御(にゅうぎょ)には昔からの作法が決まっており、午前6時に集合の合図。まず鴨神社が午前7時にお入りになり、化気、松尾、日吉、素盞鳴、八幡、天計、三所の各神社が続きます。
★ 行列は、氏子の奏でる笛・太鼓に導かれ、氏子たちは沿道の田んぼで祝宴を張って神々を迎えます。入御は午前中に終わり、正午から樹齢500年のスギ・ヒノキに覆われた総社宮境内で”お遊び”という行事が執り行われます。
★ 太刀舞い、獅子舞、棒使い、といったパフォーマンスが30分、それが終わると、号砲合図に神輿が境内に勢ぞろいして一斉に差し上げられます。お祭りが最大に盛り上がる瞬間です。この後、午後1時半に神輿は一斉に還御(かんぎょ)それぞれの神社に戻ります。
★ 私は、いずれの氏子でもありませんが、敬虔な一家のお招きを受け、この”神事”に「参加」させていただくことになりました。午後11時に所定の場所に集うよう要請されています。単なる”見物”ではなく、”準氏子”気分での"参加”・・・今から出かけます。
★ その次第は、午後に、こちらへ追記いたしましょう。それまで、この祭りの模様を昨年の記録でお楽しみください。 【加茂大祭2007】
【追記】(午後8時半)
★ お招きくださったのは8社のひとつ、素盞鳴神社の氏子代表をなさっている古老ご夫妻でした。もう十数年のお付き合い、戦争中、ビルマ戦線に従軍されたこともあり、戦友供養の旅を計画された時にもお招きを受け、ご一緒した仲です。
★ そういうこともあり、毎年、「親類」付き合いの徴(しるし)にこのお祭りにご招待してくださいます。総社宮への参道は南北にまっすぐのびています。その両脇は稲刈りが終わった田んぼ。一面に各社ごとに氏子たちの桟敷が出来て酒盛りが始まっていました。
★ 早速、私たち夫婦も皆さんの輪の中に入れていただきました。ご馳走を広げて回りの方々と話題が弾みます。次々と訪れる子連れの夫婦・・・「これは2番目の息子夫婦」「こちらは長男の嫁の里のご両親」・・・・そして最後に、ひ孫ももう8人。全国に散った一族が全員、集合して、それぞれに祭りの役割を担当していました。
★ 既に米寿。このご夫妻が、今朝、早く、生まれたばかりの一番若いひ孫を背負って神社詣でを済ませたそうです。片道2キロ、百数十段の階段を登らねばならぬ参詣。「それも、この子の健康祈願のため」 サラリとおっしゃるのにはビックリしました。
★ 実は、私も毎日、片道150段の山道を二つ、合計300段を上り下りしていますが、150段は大変です。それをひ孫を背負って登られ、それから今も祭りに参加とは! 健脚を称えるより、敬神の念に打たれました。
★ フト、気づいたのですが、傍らに釜、柴、薪に炊事用具が備わっています。
「今はこうして出来合い料理で酒盛りですが、昔は、ここでご飯を炊き、料理したもの。その名残を子・孫に伝える教育用です」
★ 秋祭りは五穀豊穣を神と共に称え、喜ぶもの。収穫の秋は食欲の秋。食べ物が天の恵みであることを忘れずに・・・。昔の祭りは、共同で炊事し、料理して、その喜びを分かち合った、とおっしゃいます。深い感動を覚えました。
★ じっと腰を据えて酒盛りを楽しんでいる人はあまりいません。出たり入ったり、何か、随分、忙しそうです。訊けば、幼い子どもたちまで、氏子はほとんど全員が・・・幟係、笛・太鼓のお囃子がかりなど、それぞれ役割があり、出番を見計らって動いているのだそうです。
★ 目に見えるお祭り風景は数時間です。しかし、それが整然と美の様式を整え、奉納されるためには少なくとも1ヶ月前から氏子の皆さんが毎晩のように社に集まって手順の練習をなさる、とか。これだけの伝統を守るには大変な努力があることを知りました。
★ 「1000年続いた、と言われるが、ホンマ言うと、何回も途切れています。途切れて神さんが隠れ、村人が神を呼び戻して祭りを再開した。それを何度も繰り返して来ましたよ。戦争で負けて進駐軍が来りゃ辞めて様子を見る。帰れば神様を呼び戻す。1000年という長さから言えば、神さんにはどうっていうことありゃーしませんよ」
★ 米寿の古老のお話は、ズシンと心に響くものがありました。
神人一体で五穀豊穣を祝う土着の祭り。その本質に触れた想いがいたしました。
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** ご挨拶 ** ブログ【彷徨人生・・・喜寿から傘寿へ】公開に当たって
私がネット交友に寄せる想いをご理解賜りたくご一読をお願い申し上げます。
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★ 神輿(みこし)の入御(にゅうぎょ)には昔からの作法が決まっており、午前6時に集合の合図。まず鴨神社が午前7時にお入りになり、化気、松尾、日吉、素盞鳴、八幡、天計、三所の各神社が続きます。
★ 行列は、氏子の奏でる笛・太鼓に導かれ、氏子たちは沿道の田んぼで祝宴を張って神々を迎えます。入御は午前中に終わり、正午から樹齢500年のスギ・ヒノキに覆われた総社宮境内で”お遊び”という行事が執り行われます。
★ 太刀舞い、獅子舞、棒使い、といったパフォーマンスが30分、それが終わると、号砲合図に神輿が境内に勢ぞろいして一斉に差し上げられます。お祭りが最大に盛り上がる瞬間です。この後、午後1時半に神輿は一斉に還御(かんぎょ)それぞれの神社に戻ります。
★ 私は、いずれの氏子でもありませんが、敬虔な一家のお招きを受け、この”神事”に「参加」させていただくことになりました。午後11時に所定の場所に集うよう要請されています。単なる”見物”ではなく、”準氏子”気分での"参加”・・・今から出かけます。
★ その次第は、午後に、こちらへ追記いたしましょう。それまで、この祭りの模様を昨年の記録でお楽しみください。 【加茂大祭2007】
【追記】(午後8時半)
★ お招きくださったのは8社のひとつ、素盞鳴神社の氏子代表をなさっている古老ご夫妻でした。もう十数年のお付き合い、戦争中、ビルマ戦線に従軍されたこともあり、戦友供養の旅を計画された時にもお招きを受け、ご一緒した仲です。
★ そういうこともあり、毎年、「親類」付き合いの徴(しるし)にこのお祭りにご招待してくださいます。総社宮への参道は南北にまっすぐのびています。その両脇は稲刈りが終わった田んぼ。一面に各社ごとに氏子たちの桟敷が出来て酒盛りが始まっていました。
★ 既に米寿。このご夫妻が、今朝、早く、生まれたばかりの一番若いひ孫を背負って神社詣でを済ませたそうです。片道2キロ、百数十段の階段を登らねばならぬ参詣。「それも、この子の健康祈願のため」 サラリとおっしゃるのにはビックリしました。
★ 実は、私も毎日、片道150段の山道を二つ、合計300段を上り下りしていますが、150段は大変です。それをひ孫を背負って登られ、それから今も祭りに参加とは! 健脚を称えるより、敬神の念に打たれました。
★ フト、気づいたのですが、傍らに釜、柴、薪に炊事用具が備わっています。
「今はこうして出来合い料理で酒盛りですが、昔は、ここでご飯を炊き、料理したもの。その名残を子・孫に伝える教育用です」
★ 秋祭りは五穀豊穣を神と共に称え、喜ぶもの。収穫の秋は食欲の秋。食べ物が天の恵みであることを忘れずに・・・。昔の祭りは、共同で炊事し、料理して、その喜びを分かち合った、とおっしゃいます。深い感動を覚えました。
★ じっと腰を据えて酒盛りを楽しんでいる人はあまりいません。出たり入ったり、何か、随分、忙しそうです。訊けば、幼い子どもたちまで、氏子はほとんど全員が・・・幟係、笛・太鼓のお囃子がかりなど、それぞれ役割があり、出番を見計らって動いているのだそうです。
★ 米寿の古老のお話は、ズシンと心に響くものがありました。
神人一体で五穀豊穣を祝う土着の祭り。その本質に触れた想いがいたしました。
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by zenmz
| 2008-10-19 09:55
| 吉備高原ライフ