2008年 12月 01日
【8251】 ”志の縁” 中高年向けSNSを考える(5) |
★ 老後人生、ネット生活で、何をするのか? それをお訊ねであれば、私は、ちゅうちょなく申し上げます。残り少ない人生、何よりも先ず、志を繋ぎたい、と。
それで、何の志し?
★ それは、あの悲惨な戦争を、自らの体験を、自らのことばで、子・孫世代に語り、残したい。その志しを繋ぐことです。私も、今、78歳。 ”自らのコトバ”で、それが出来るのは、もう昭和ヒトケタ以上の後期高齢者だけになりました。2度と、子・孫を戦場に送らぬ・・・平和への悲願を込めた遺言を残したいです。
★ その願いを込めて、私は、SNS【遊&遊&遊】(仮称)に、新しいコミュニティ「昭和ヒトケタ族」を立ち上げました。たちまち50人が参加して下さり、その後、着実に数を増やして現在は89人になっています。途中、ちょっと健康を害して、他の方に管理人をお願いしていますが、実に活発な書き込みが続いています。
★ トピックスのテーマはすでに32。貴重な証言が続いています。私も、自分のブログに掲載したヒロシマ原爆体験、軍国少年、核禁・平和運動など幾つかのテーマをご紹介しました。
★ ”最後の語り部”活動・・・わたしは、昭和ヒトケタ人間が果たさねばならぬ、終生の社会的役割は、ただこの一点にあると信じています。コトバを飾らず、自らが経験したありのままを語る。アタマで転がす観念論ではありません。このナマの心身に痛みと共に刻み込まれた実体験を、借り物でない、自らのことばで証言する。
★ 私は、老後人生を「ヒロシマの語り部として生きる」竹本成徳さん(前日本生活協同組合連合会会長)の引退後人生に全幅的な賛同をする者です。竹本さんは、私の大学時代の同級生。今も、子・孫世代に「自分のコトバでかたるヒロシマ体験」の全国行脚を続けておられます。真にわが同志と申し上げております。
★ それが出来る最後の世代。昭和ヒトケタ生まれ以上の後期高齢者しかいないのです。それを想い、私は、思いつくままに拙い文章をブログに綴って、折々に皆様に披露しております。
************ 私の証言 ***********
★ 五日前の11月26日の夕方でした。自分はカトリック信者、と仰る藤山杜人さん から、次のメッセージが届きました。
★ 私は、その15年間を、軍国少年であり、同時にクリスチャン・ボーイでありました。
戦争中のキリスト教徒は、どのような辛酸な苦労を舐めたか? それは問題にしたくはありません。むしろ私は、教会の日曜学校から牧師に引率されて近くの明治天皇桃山御陵にしばしばお参りをしました。現在、それを信じる人はいないでしょう。でも、戦争中、実際にあったことです。
★ 少年時代、私は疑うことを知らない、素直で、従順な子どもでした。ですから、天皇陛下をこの世の生ける神であられる「現人神」を疑わず、かたや「全知全能の神」を戴くクリスチャン・ボーイとして牧師が言うままに明治天皇御陵に疑いもなく参拝し続けました。祈るのは勿論、「大東亜戦争貫徹、勝利」 靖国神社も、キリスト教会も、共に大東亜戦争を”聖戦”としたのです。
★ しかし、15歳で敗戦。天地はひっくり返り、それまでのすべてが否定されて、【一億総懺悔】 私も疑い深い青年期に入っていました。私の心の深奥にあって、少年時代の体験は、大学に進んでから信仰上の大きな問題として我が心の中で浮上し、私を悩ませました。
★ 私は、旧師範学校で学んでいましたが、途中で進路を変えて、同志社大学神学部に進みました。キリスト教倫理学を学び、信仰の道を歩みたい、と願ったのです。しかし、途中で、”その問題”で挫折、神学部を辞して法学部に移り、同時に教会を離れて、やがて信仰を捨てました。
★ 私は、かなり早い時期に、何故、キリスト教会が戦争翼賛に転じたのか? その転機となった文書を手に入れていました。しかし、長い間、それを公表することは差し控えて来ました。
★ 私は、還暦から古希に至る10年間、”その問題”で悩み抜きました。そして、今こそ、すべてを語るべきだと思いました。魂の慟哭に似た想いで綴ったのが「キリスト教徒だった軍国少年」の告白です。
★ 戦争になると、宗教は、どのような態度をとり、どのような役割を演ずるのか? 身をもってそれを体験した事柄を、余生が乏しくなった今、子・孫に残さねばならぬと思いました。
★ たまたま、それを、ご覧になった藤山杜人さんは、深く共感してくださり、「日本人のみんなが考えるべき内容」と、自らのブログに、全文を転載し、ご自身の所感を付け加えながら紹介したい、と仰るのです。ありがたいこと。「志が繋げた」と、深い感動を覚えました。
***** 今、何故、問うのか? 戦争と信仰 *****
★ この告白で、私は、キリスト教会に問い続けています。
なぜ、「汝、殺すなかれ」と神から命じられた宗教教団が、戦争となると、世俗権力と妥協し、従軍教会・牧師を戦場に送り、殺しに向かう兵士に祝福を与えるのか? 私は原爆被爆者です。知人・友人を多く失いました。テニアン島を出撃する爆撃機エノラゲイの乗組員に祝福をあたえている従軍牧師の姿の写真を見て受けたショックは消えません。
★ 従軍牧師が祝福を与えた別の爆撃機は、長崎でカトリック天主堂の真上に原爆を落としました。ここには日本最初のカトリック殉教者188名が眠っています。何というむごい”神意”なのでありましょう。キリスト教の牧師は一体、何を祝福したのでしょう。
★ 1945年夏のこの教訓は、非常に大切です。ベトナムで、アフガニスタンで、イラクで、アメリカのキリスト教は、その後も、世界に繰り出される軍隊に従軍教会・牧師を組み込み、今も、同じ祝福と祈りを出撃兵士に行っています。
★ 祝福を受けた兵士たちは何をしたか? 年寄り、子ども、赤子を抱えた母親たち・・・激増する無辜の民間犠牲者・・・兵士の犠牲者の数と、その名は一人ごとに報道され、慰霊されても、現地人の犠牲者は数さえ数えられることはありません。
★ 戦時国際法の正義も沈黙したままです。宣戦布告のないテロ対策だから法の対象にもされない??? 世界を支配する警察”アメリカ”、何をやっても「強者の正義」で押し通します。世界の隅々まで従軍牧師を付けてキリスト教会はそれを「聖戦」と祝福します。
★ その”聖戦”を信じるアメリカの若者たちに、かつて”軍国少年”だったクリスチャンの私の姿を見る想いがします。キリスト教徒だった私は、同じキリスト教徒の英米を「鬼畜米英」と信じ、”本土決戦”に備えて竹槍テロの訓練に励みました。「大東亜戦争」をアジアを解放し、”現人神”天皇が統治する神聖国家樹立のための”聖戦”と教え込まれました。アメリカ兵も自らの行動を”聖戦”と信じているのでしょう。教会が共に従軍し、神の祝福を与えて、鼓舞激励しているのですから・・・・・
★ だからこそ、今、私は、日本の子・孫だけでなく、世界の子・孫に、我が体験と、日本の神道とキリスト教が、共に、手を携えて、同じ、間違いを、冒した事実を、証言しなければならない、と、強い使命感を感じるのです。靖国神社を告発するキリスト教徒は多いです。私は、彼らに問います。「靖国で会おう」と戦地におもむいたクリスチャン兵士を共に告発するのか? と。
★ 戦時中のキリスト教会の行動にかんしては、あまり語られることがありません。この機会に、皆様にも、二つの神に操られた私の魂の苦悩を聴いて頂きたい、と懇願いたします。
証言の裏付け資料なども添付しておりますので、かなり長文でありますが、ご披見賜り、戦争と平和への戒めとして頂きたいと念願いたします。
【”現人神”と”全知全能の唯一神”・・・・ 「軍国少年」だった私の告白】
【次回(6) "奇縁" に続く】
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** ご挨拶 ** ブログ【彷徨人生・・・喜寿から傘寿へ】公開に当たって
私のネット交友に寄せる想いです。ご理解賜りたくご一読をお願い申し上げます。
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それで、何の志し?
★ それは、あの悲惨な戦争を、自らの体験を、自らのことばで、子・孫世代に語り、残したい。その志しを繋ぐことです。私も、今、78歳。 ”自らのコトバ”で、それが出来るのは、もう昭和ヒトケタ以上の後期高齢者だけになりました。2度と、子・孫を戦場に送らぬ・・・平和への悲願を込めた遺言を残したいです。
★ その願いを込めて、私は、SNS【遊&遊&遊】(仮称)に、新しいコミュニティ「昭和ヒトケタ族」を立ち上げました。たちまち50人が参加して下さり、その後、着実に数を増やして現在は89人になっています。途中、ちょっと健康を害して、他の方に管理人をお願いしていますが、実に活発な書き込みが続いています。
★ トピックスのテーマはすでに32。貴重な証言が続いています。私も、自分のブログに掲載したヒロシマ原爆体験、軍国少年、核禁・平和運動など幾つかのテーマをご紹介しました。
★ ”最後の語り部”活動・・・わたしは、昭和ヒトケタ人間が果たさねばならぬ、終生の社会的役割は、ただこの一点にあると信じています。コトバを飾らず、自らが経験したありのままを語る。アタマで転がす観念論ではありません。このナマの心身に痛みと共に刻み込まれた実体験を、借り物でない、自らのことばで証言する。
★ 私は、老後人生を「ヒロシマの語り部として生きる」竹本成徳さん(前日本生活協同組合連合会会長)の引退後人生に全幅的な賛同をする者です。竹本さんは、私の大学時代の同級生。今も、子・孫世代に「自分のコトバでかたるヒロシマ体験」の全国行脚を続けておられます。真にわが同志と申し上げております。
★ それが出来る最後の世代。昭和ヒトケタ生まれ以上の後期高齢者しかいないのです。それを想い、私は、思いつくままに拙い文章をブログに綴って、折々に皆様に披露しております。
************ 私の証言 ***********
★ 五日前の11月26日の夕方でした。自分はカトリック信者、と仰る藤山杜人さん から、次のメッセージが届きました。
キリスト教をお捨てになった告白の文章を拝見しました。日本人のみんなが考えるべき内容とおもいます。御許しが頂ければ小生のブログで連載形式でご紹介したいと思います。転載のおゆるしが頂けるでしょうか? 小生のカトリック信仰の励みにもなります。★ 私は、生まれ落ちて間もなく、熱心なキリスト教徒だった母の影響で幼児洗礼を受け、幼少時をクリスチャン・ボーイとして育てられました。私が生まれ、育った時代は、日本が中国に侵攻してそれがやがて世界大戦に拡大したいわゆる「15年戦争」が、まるまる重なります。
★ 私は、その15年間を、軍国少年であり、同時にクリスチャン・ボーイでありました。
戦争中のキリスト教徒は、どのような辛酸な苦労を舐めたか? それは問題にしたくはありません。むしろ私は、教会の日曜学校から牧師に引率されて近くの明治天皇桃山御陵にしばしばお参りをしました。現在、それを信じる人はいないでしょう。でも、戦争中、実際にあったことです。
★ 少年時代、私は疑うことを知らない、素直で、従順な子どもでした。ですから、天皇陛下をこの世の生ける神であられる「現人神」を疑わず、かたや「全知全能の神」を戴くクリスチャン・ボーイとして牧師が言うままに明治天皇御陵に疑いもなく参拝し続けました。祈るのは勿論、「大東亜戦争貫徹、勝利」 靖国神社も、キリスト教会も、共に大東亜戦争を”聖戦”としたのです。
★ しかし、15歳で敗戦。天地はひっくり返り、それまでのすべてが否定されて、【一億総懺悔】 私も疑い深い青年期に入っていました。私の心の深奥にあって、少年時代の体験は、大学に進んでから信仰上の大きな問題として我が心の中で浮上し、私を悩ませました。
★ 私は、旧師範学校で学んでいましたが、途中で進路を変えて、同志社大学神学部に進みました。キリスト教倫理学を学び、信仰の道を歩みたい、と願ったのです。しかし、途中で、”その問題”で挫折、神学部を辞して法学部に移り、同時に教会を離れて、やがて信仰を捨てました。
★ 私は、かなり早い時期に、何故、キリスト教会が戦争翼賛に転じたのか? その転機となった文書を手に入れていました。しかし、長い間、それを公表することは差し控えて来ました。
★ 私は、還暦から古希に至る10年間、”その問題”で悩み抜きました。そして、今こそ、すべてを語るべきだと思いました。魂の慟哭に似た想いで綴ったのが「キリスト教徒だった軍国少年」の告白です。
★ 戦争になると、宗教は、どのような態度をとり、どのような役割を演ずるのか? 身をもってそれを体験した事柄を、余生が乏しくなった今、子・孫に残さねばならぬと思いました。
★ たまたま、それを、ご覧になった藤山杜人さんは、深く共感してくださり、「日本人のみんなが考えるべき内容」と、自らのブログに、全文を転載し、ご自身の所感を付け加えながら紹介したい、と仰るのです。ありがたいこと。「志が繋げた」と、深い感動を覚えました。
***** 今、何故、問うのか? 戦争と信仰 *****
★ この告白で、私は、キリスト教会に問い続けています。
なぜ、「汝、殺すなかれ」と神から命じられた宗教教団が、戦争となると、世俗権力と妥協し、従軍教会・牧師を戦場に送り、殺しに向かう兵士に祝福を与えるのか? 私は原爆被爆者です。知人・友人を多く失いました。テニアン島を出撃する爆撃機エノラゲイの乗組員に祝福をあたえている従軍牧師の姿の写真を見て受けたショックは消えません。
★ 従軍牧師が祝福を与えた別の爆撃機は、長崎でカトリック天主堂の真上に原爆を落としました。ここには日本最初のカトリック殉教者188名が眠っています。何というむごい”神意”なのでありましょう。キリスト教の牧師は一体、何を祝福したのでしょう。
★ 1945年夏のこの教訓は、非常に大切です。ベトナムで、アフガニスタンで、イラクで、アメリカのキリスト教は、その後も、世界に繰り出される軍隊に従軍教会・牧師を組み込み、今も、同じ祝福と祈りを出撃兵士に行っています。
★ 祝福を受けた兵士たちは何をしたか? 年寄り、子ども、赤子を抱えた母親たち・・・激増する無辜の民間犠牲者・・・兵士の犠牲者の数と、その名は一人ごとに報道され、慰霊されても、現地人の犠牲者は数さえ数えられることはありません。
★ 戦時国際法の正義も沈黙したままです。宣戦布告のないテロ対策だから法の対象にもされない??? 世界を支配する警察”アメリカ”、何をやっても「強者の正義」で押し通します。世界の隅々まで従軍牧師を付けてキリスト教会はそれを「聖戦」と祝福します。
★ その”聖戦”を信じるアメリカの若者たちに、かつて”軍国少年”だったクリスチャンの私の姿を見る想いがします。キリスト教徒だった私は、同じキリスト教徒の英米を「鬼畜米英」と信じ、”本土決戦”に備えて竹槍テロの訓練に励みました。「大東亜戦争」をアジアを解放し、”現人神”天皇が統治する神聖国家樹立のための”聖戦”と教え込まれました。アメリカ兵も自らの行動を”聖戦”と信じているのでしょう。教会が共に従軍し、神の祝福を与えて、鼓舞激励しているのですから・・・・・
★ だからこそ、今、私は、日本の子・孫だけでなく、世界の子・孫に、我が体験と、日本の神道とキリスト教が、共に、手を携えて、同じ、間違いを、冒した事実を、証言しなければならない、と、強い使命感を感じるのです。靖国神社を告発するキリスト教徒は多いです。私は、彼らに問います。「靖国で会おう」と戦地におもむいたクリスチャン兵士を共に告発するのか? と。
★ 戦時中のキリスト教会の行動にかんしては、あまり語られることがありません。この機会に、皆様にも、二つの神に操られた私の魂の苦悩を聴いて頂きたい、と懇願いたします。
証言の裏付け資料なども添付しておりますので、かなり長文でありますが、ご披見賜り、戦争と平和への戒めとして頂きたいと念願いたします。
【”現人神”と”全知全能の唯一神”・・・・ 「軍国少年」だった私の告白】
今日のアクセス・データ
アクセス数の左は本日(12月01日)午前0時現在。
括弧内は連載開始時(11月27日午前7時)のアクセス数。
右端の数字は、連載開始後、現在までのアクセス増加数です。
S (遊&遊&遊) 6663 (5999) アクセス 664
M(最大手) 8050 (7993) アクセス 57
G(2番手) 4649 (4587) アクセス 62
B(教養人系) 2728 (2649) アクセス 79
N(経済人系) 5989 (5924) アクセス 65
【次回(6) "奇縁" に続く】
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** ご挨拶 ** ブログ【彷徨人生・・・喜寿から傘寿へ】公開に当たって
私のネット交友に寄せる想いです。ご理解賜りたくご一読をお願い申し上げます。
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by zenmz
| 2008-12-01 00:01
| ネット考現学