2008年 12月 02日
【8252】 "奇縁" 中高年向けSNSを考える(6) |
★ もう、何度も、何度も、書いていることですが、私は、仮名・匿名に強い拒否感があります。私には、仮名・匿名者との関わり合いは、全く無意味です。仮名か、実名か? どちらをとるかの議論は、多分、ネット生活に何を求めるのか? 求めるものの違いだろう、と思います。私は、老後生活を豊かにしてくれる”知”と”志”の縁を求めています。その他のゲーム、ナンセンス談話、遊芸類は、求めません。全く関心がありません。
★ 姿が見えない仮名や匿名の電脳妖怪相手では何も得るものがありません。先の「知縁」でもご紹介しましたが、老後生活の知恵をいただきたい、と、検索しても「120歳、予備校生」などと称するのがドッと飛び出す。”クズ情報”を振り分けする時間のムダだけではありません。そんな姿を嘲笑している愉快犯人がうようよしているような不快感を覚えます。
★ 実名反対の方は、《プライバシー開示による危険》 を強調します。確かにその危険はあります。しかし、実生活で名刺を配るのと、ネットで実名を流すのと、どう違うのでしょう。私は若い頃、”ニセ記者”事件を経験したことがあります。新聞記者だった私の名刺を悪用したケースです。しかし、31年間に1度だけ、それがあったからと言って名刺全廃など出来ません。
★ 新聞記者は、実際に人に会い、現場を確かめて、足で書く。その取材活動が基本。人に会わねば仕事になりません。名刺を配る数に比例して経験が豊かになり、ジャーナリストとして育ちます。自分の名前や電話番号。相手の方に熟知して頂くのが勝負の分かれ目です。
★ 他の業界のことは知りませんが、多分、ビジネスマン、商店主、中小企業主、銀行・証券などの金融マン・・・およそ営業に携わる方々も、内実は同じではないか、と想像します。実生活で人と交わるのに仮名・匿名などあり得ないです。あるとすれば、それは、実名を憚る悪所だけ。(ああ、そうそう、もう一つありましたね。刑務所・・・実名消して、番号で呼びます)
★ 私は、名刺に自宅住所も明記していました。それがどれほど役だったことか! 31年間の記者生活で、多分、10万枚は配ったでしょう。勿論、初対面の人ばかり。名刺がどこへ、どう流れたか。それは確かめようもありません。悪用する気ならいくらでも出来ます。それを防ぐ方法などありません。
★ 31年の記者生活で、たった1度だけ、私を騙ったニセ記者被害に遭いました。だからといって、名刺を使わない。使う場合も仮名で・・・例えば「ある新聞社のzensan」で、社会に出て、何が出来るでしょう。仮装舞踏会で遊ぶ、悪所で悪友と戯ける、それなら通用します。むしろ仮名が喜ばれるでしょう。実名で、問題が起こると面倒・・・
★ 真面目な人と人の交際で【実名の名刺交換はチョット!、匿名でお願い】ではご縁の結びようもありません。 何よりもそれは無礼な話です。実生活では誰も相手にしません。 不思議なことにネットに向かうと、【そうしなさい、と言われ、それが、常識で、まかり通る】 ネットとは、余程、信用がおけない悪所、と言うことなのでしょうか???。
★ ネット上の色んなサイトを訪れると、殆ど仮名・匿名です。仮名・匿名の電脳妖怪や透明人間がうごめく雰囲気は私には不気味です。この雰囲気がネットを毒しています。つまり、「ネットは危険」と、言い立てる人々が、このネット環境をどんどん悪くしているのです。そして、無意味な、役に立たない”クズ情報”がいっぱい流通しています。
★ ネットは、経済学の有名な”グレシャムの法則”「悪貨は良貨を駆逐する」がズバリ、そのまま検証出来る世界ですね。情報の表示価値と実質価値に乖離が生じると、流通の過程で、どんどん良質情報が駆逐され、悪質情報が氾濫する・・・・軽佻浮薄な文化が流行し、社会不安を増幅させる。
------- 論より証拠、実名で得た"半世紀後の友情” ------
★ これ以上、無意味な議論は止めましょう。
それより、私が実名でネットに参加していたお陰で、予想もしなかった人生最大の幸福と巡り会った実例をご紹介しましょう。
この二つのケースは、実名で、あったからこそ実現した 《我が人生の一大ドラマ》 でありました。それは、私自身、全く想定だにしていなかったネット時代の意外な賜物でした。
★ ご紹介する第一話は、 「半世紀後、オーストラリアから届いた友情」
2006年11月29日にオーストラリアのクイーンズランド州マンスフィールドに住むJ.H.氏から届いた手紙が、その奇跡の第一弾でした。ネット無くして起こりえない奇跡です。
★ 第二話は、 「半世紀後、母校に集った”志縁”の集い」 これも、同じ2006年に起こった奇跡です。一通の手紙から始まりました。
★ この二つの出来事こそ、私がネット生活に求めるものです。
私は、新聞記者の後、大学教員を25年しました。全国に散った教え子たちも最年長者は55歳。最後の一番、若い教え子も、今、30歳。最近、小さなサプライズが続いています。
★ 仮名・匿名で、これに勝る意味ある活動が、果たしてあるのでしょうか?
仮名・匿名論者の方に、是非、実例をお示しいただいて、ご所論の本旨を承りたいと願います。仮名・匿名で、何をお求めでございましょうか?
【次回(7) "陥穽"その1 に続く】
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** ご挨拶 ** ブログ【彷徨人生・・・喜寿から傘寿へ】公開に当たって
私のネット交友に寄せる想いです。ご理解賜りたくご一読をお願い申し上げます。
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★ 姿が見えない仮名や匿名の電脳妖怪相手では何も得るものがありません。先の「知縁」でもご紹介しましたが、老後生活の知恵をいただきたい、と、検索しても「120歳、予備校生」などと称するのがドッと飛び出す。”クズ情報”を振り分けする時間のムダだけではありません。そんな姿を嘲笑している愉快犯人がうようよしているような不快感を覚えます。
★ 実名反対の方は、《プライバシー開示による危険》 を強調します。確かにその危険はあります。しかし、実生活で名刺を配るのと、ネットで実名を流すのと、どう違うのでしょう。私は若い頃、”ニセ記者”事件を経験したことがあります。新聞記者だった私の名刺を悪用したケースです。しかし、31年間に1度だけ、それがあったからと言って名刺全廃など出来ません。
★ 新聞記者は、実際に人に会い、現場を確かめて、足で書く。その取材活動が基本。人に会わねば仕事になりません。名刺を配る数に比例して経験が豊かになり、ジャーナリストとして育ちます。自分の名前や電話番号。相手の方に熟知して頂くのが勝負の分かれ目です。
★ 他の業界のことは知りませんが、多分、ビジネスマン、商店主、中小企業主、銀行・証券などの金融マン・・・およそ営業に携わる方々も、内実は同じではないか、と想像します。実生活で人と交わるのに仮名・匿名などあり得ないです。あるとすれば、それは、実名を憚る悪所だけ。(ああ、そうそう、もう一つありましたね。刑務所・・・実名消して、番号で呼びます)
★ 私は、名刺に自宅住所も明記していました。それがどれほど役だったことか! 31年間の記者生活で、多分、10万枚は配ったでしょう。勿論、初対面の人ばかり。名刺がどこへ、どう流れたか。それは確かめようもありません。悪用する気ならいくらでも出来ます。それを防ぐ方法などありません。
★ 31年の記者生活で、たった1度だけ、私を騙ったニセ記者被害に遭いました。だからといって、名刺を使わない。使う場合も仮名で・・・例えば「ある新聞社のzensan」で、社会に出て、何が出来るでしょう。仮装舞踏会で遊ぶ、悪所で悪友と戯ける、それなら通用します。むしろ仮名が喜ばれるでしょう。実名で、問題が起こると面倒・・・
★ 真面目な人と人の交際で【実名の名刺交換はチョット!、匿名でお願い】ではご縁の結びようもありません。 何よりもそれは無礼な話です。実生活では誰も相手にしません。 不思議なことにネットに向かうと、【そうしなさい、と言われ、それが、常識で、まかり通る】 ネットとは、余程、信用がおけない悪所、と言うことなのでしょうか???。
★ ネット上の色んなサイトを訪れると、殆ど仮名・匿名です。仮名・匿名の電脳妖怪や透明人間がうごめく雰囲気は私には不気味です。この雰囲気がネットを毒しています。つまり、「ネットは危険」と、言い立てる人々が、このネット環境をどんどん悪くしているのです。そして、無意味な、役に立たない”クズ情報”がいっぱい流通しています。
★ ネットは、経済学の有名な”グレシャムの法則”「悪貨は良貨を駆逐する」がズバリ、そのまま検証出来る世界ですね。情報の表示価値と実質価値に乖離が生じると、流通の過程で、どんどん良質情報が駆逐され、悪質情報が氾濫する・・・・軽佻浮薄な文化が流行し、社会不安を増幅させる。
------- 論より証拠、実名で得た"半世紀後の友情” ------
★ これ以上、無意味な議論は止めましょう。
それより、私が実名でネットに参加していたお陰で、予想もしなかった人生最大の幸福と巡り会った実例をご紹介しましょう。
この二つのケースは、実名で、あったからこそ実現した 《我が人生の一大ドラマ》 でありました。それは、私自身、全く想定だにしていなかったネット時代の意外な賜物でした。
★ ご紹介する第一話は、 「半世紀後、オーストラリアから届いた友情」
2006年11月29日にオーストラリアのクイーンズランド州マンスフィールドに住むJ.H.氏から届いた手紙が、その奇跡の第一弾でした。ネット無くして起こりえない奇跡です。
★ 第二話は、 「半世紀後、母校に集った”志縁”の集い」 これも、同じ2006年に起こった奇跡です。一通の手紙から始まりました。
「私は昭和40(1965)年春、同志社大学を卒業した者です。在学中、サークル”盲学生友の会”に在籍した旧会員です。先輩が創始者であることを知り、ご案内を差し上げております。お名前が珍しいので、もしや、と、ネットで検索しましたら、最初のページにヒットし大喜びしてご案内を差し上げている次第です。私たちOBは、来る11月5日、母校のホームカミングの日にOB会を計画しています。是非、ご出席賜り、創設当時のお話をお聞かせ下さい」こうして、私は、半世紀後、老妻を連れて、母校を訪問し、お会いしたこともない息子世代の”志し”を共にした後輩たちと”初対面の再会”という奇妙な体験をしました。
★ この二つの出来事こそ、私がネット生活に求めるものです。
私は、新聞記者の後、大学教員を25年しました。全国に散った教え子たちも最年長者は55歳。最後の一番、若い教え子も、今、30歳。最近、小さなサプライズが続いています。
お元気ですか。検索したら先生のブログがヒットしました。犬連れのお姿を見て懐かしく、メールしています。私は、今、3児の親です。神奈川県でケアマネしてます・・・ネットに上げた我が実名は、日常的に、このような小ドラマを田舎に隠棲した老人に、もたらしてくれています。 ネットは、私の老後に大きな夢を備えて「奇縁」との出会いを実現してくれています。 実名でなければ、絶対に得られない大きな果実です。
★ 仮名・匿名で、これに勝る意味ある活動が、果たしてあるのでしょうか?
仮名・匿名論者の方に、是非、実例をお示しいただいて、ご所論の本旨を承りたいと願います。仮名・匿名で、何をお求めでございましょうか?
私のアピール
皆さんに提案いたします。
ネット生活を楽しむだけでなく、ネットから、「外れて」(オフ)”ナマの本当の”友情を楽しむ。ネットで繋がった”架空”を実生活に持ち込んで交流する「オフ会」が盛んに行われています。いいことですね。私も、つい最近、それに参加しました。そこで訴えたくなりました。
時々、オフ会、というのではなく、その”実生活の真実”を、ネットに「乗せよう」(オン)ではありませんか。私たちは、個人の誇りとしての氏名を持っています。それを消して活動する。実生活では名刺を配るのにネットでは徹底的に隠す、なんてヘンですね。キチンと名乗り、尊厳ある個人として活動しましょう。実生活では、そうしているではありませんか。
仮名・匿名の電脳妖怪が創り出した意味のない、時間つぶしの仮想空間を浄化しましょう。 仮名・匿名で仮想空間・・・・虚名に隠れて、空虚な世界に時間を費やす・・・何と虚しい退廃の営み・・・全く意味はありません。精神の堕落を誘発し、限りなく退廃に身を沈めるだけです。抜け出しましょう
そして、自分の夫、妻、子どもを連れ込んで、安心して一緒に楽しめる健全なネット空間を自らの手で構築しようではありませんか。
《ネットに実生活を乗せて誠実に生きる》
人と人の交わりの始まり。心平らな社会は”礼”に始まります。
虚名の繋がり・・・魂のない電脳妖怪に、礼儀などあろうはずはありません。 ネット人生も、ナマの素顔が交わすご挨拶から・・・
如何でしょうか?
今日のアクセス・データ
アクセス数の左は本日(12月02日)午前0時現在。
括弧内は連載開始時(11月27日午前7時)のアクセス数。
右端の数字は、連載開始後、現在までのアクセス増加数です。
S (遊&遊&遊) 6790 (5999) アクセス 791
M(最大手) 8057 (7993) アクセス 64
G(2番手) 4664 (4587) アクセス 75
B(教養人系) 2754 (2649) アクセス 105
N(経済人系) 6001 (5924) アクセス 77
【次回(7) "陥穽"その1 に続く】
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** ご挨拶 ** ブログ【彷徨人生・・・喜寿から傘寿へ】公開に当たって
私のネット交友に寄せる想いです。ご理解賜りたくご一読をお願い申し上げます。
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by zenmz
| 2008-12-02 00:14
| ネット考現学