2008年 12月 25日
【8275】 "眠れる造山古墳”に来春、発掘のメス |
★ 100年に1回、などという物騒な枕詞を付けた経済記事が連日、続き、うんざりさせられる歳末気分ですが、私の住む岡山では来春、始まる素晴らしい夢のプロジェクトが話題になっています。
★ 岡山大学・新納(にいろ)泉教授(考古学)率いる研究チームが、いよいよ「古代吉備最大の巨大前方後円墳」についに発掘のメスを入れることになったのです。ほぼ5世紀前半の構築で全長約360メートル。 【国の史跡・造山古墳】
★ 不思議な古墳です。その規模は実に大阪・堺の仁徳陵に匹敵するものと言われ、規模から言えば、全国第四位。その他の類似古墳はすべて宮内庁が管理する天皇陵墓とされて立ち入りさえ出来ないのに、ここの墳墓は立ち入り自由なのです。
★ 言い伝えによれば、大和朝廷成立以前、吉備、出雲両勢力は、長く律令国家成立時まで隠然たる敵対勢力として存在し、吉備は、一個の王朝の姿をとっていた。その勢力の源は鉄器。 中国山脈で産する砂鉄で武器、農具が多くつくられ、兵はつよく、土地は早くから拓かれて豊かであった、と、されています。
★ その「古代吉備国」の栄華を築いた王(豪族)とはだれであったのか? 1500年もの長い間、“眠れる巨墳”のママで、沈黙を守り続けてきた国の史跡・造山古墳に、初めて現代科学のメスが入れられます。同時代の他の類似古墳は、天皇陵墓として聖域になっています。それだけに発掘可能な全国最大の古墳の調査、考古学上画期的と、早くも学界や考古ファンの注目と期待を集めています。
★ 公表された計画によれば、新納教授らは2005―07年度に、既にGPS(衛星利用測位システム)を用いたデジタル測量を行い、同古墳の基本調査に着手しており。基礎データとして精細な墳丘測量図を完成させ、文部科学省の科学研究費補助金を受けいよいよ発掘調査に進むことになった、のだそうです。
★ 古墳時代中期の巨大前方後円墳・・・墳丘の長さ約360メートル、後円部復元径約190メートル、後円部高さ約29メートルの超大型です。仮説計算によれば、墳丘築造には延べ約百五十万人の労力を要したはず、とか。それだけでも一個独立の”王国”に相応しい権勢であったに違いありません。
★ ご興味がお有りの方は、是非、一度、話題の古墳をお訪ね下さい。ただ、ちょっとご注意を。今回の「造山古墳」は岡山市内。お隣の総社市には同音の「作山古墳」があり、紛らわしいので、私たちは、「造山」(ぞうざん) 「作山」(さくざん)と区別して呼んでいます。ともかく、ちょっぴり新年に夢を与えてくれました。
★ この時代の研究では第一人者である考古学者・森浩一教授(同志社大学)は、この地方の古代史について次のように述べておられます。
==== いただいたコメント ====
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** ご挨拶 ** ブログ【彷徨人生・・・喜寿から傘寿へ】公開に当たって
私のネット生活に寄せる想いです。ご理解賜りたくご一読をお願い申し上げます。
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★ 岡山大学・新納(にいろ)泉教授(考古学)率いる研究チームが、いよいよ「古代吉備最大の巨大前方後円墳」についに発掘のメスを入れることになったのです。ほぼ5世紀前半の構築で全長約360メートル。 【国の史跡・造山古墳】
★ 不思議な古墳です。その規模は実に大阪・堺の仁徳陵に匹敵するものと言われ、規模から言えば、全国第四位。その他の類似古墳はすべて宮内庁が管理する天皇陵墓とされて立ち入りさえ出来ないのに、ここの墳墓は立ち入り自由なのです。
★ 言い伝えによれば、大和朝廷成立以前、吉備、出雲両勢力は、長く律令国家成立時まで隠然たる敵対勢力として存在し、吉備は、一個の王朝の姿をとっていた。その勢力の源は鉄器。 中国山脈で産する砂鉄で武器、農具が多くつくられ、兵はつよく、土地は早くから拓かれて豊かであった、と、されています。
★ その「古代吉備国」の栄華を築いた王(豪族)とはだれであったのか? 1500年もの長い間、“眠れる巨墳”のママで、沈黙を守り続けてきた国の史跡・造山古墳に、初めて現代科学のメスが入れられます。同時代の他の類似古墳は、天皇陵墓として聖域になっています。それだけに発掘可能な全国最大の古墳の調査、考古学上画期的と、早くも学界や考古ファンの注目と期待を集めています。
★ 公表された計画によれば、新納教授らは2005―07年度に、既にGPS(衛星利用測位システム)を用いたデジタル測量を行い、同古墳の基本調査に着手しており。基礎データとして精細な墳丘測量図を完成させ、文部科学省の科学研究費補助金を受けいよいよ発掘調査に進むことになった、のだそうです。
★ 古墳時代中期の巨大前方後円墳・・・墳丘の長さ約360メートル、後円部復元径約190メートル、後円部高さ約29メートルの超大型です。仮説計算によれば、墳丘築造には延べ約百五十万人の労力を要したはず、とか。それだけでも一個独立の”王国”に相応しい権勢であったに違いありません。
★ ご興味がお有りの方は、是非、一度、話題の古墳をお訪ね下さい。ただ、ちょっとご注意を。今回の「造山古墳」は岡山市内。お隣の総社市には同音の「作山古墳」があり、紛らわしいので、私たちは、「造山」(ぞうざん) 「作山」(さくざん)と区別して呼んでいます。ともかく、ちょっぴり新年に夢を与えてくれました。
★ この時代の研究では第一人者である考古学者・森浩一教授(同志社大学)は、この地方の古代史について次のように述べておられます。
造山古墳と作山古墳、これはいつからこの名があるのか知らないが、巨大な土木建築の構築物を巧みに表現している。★ そこは、私の住む吉備高原の裾野です。なぜ、私が、このニュースにそれほどまでに興奮するのか? この名解説をみれば、納得して頂けると思います。古代への夢、この吉備国から遙か朝鮮半島加耶にまで飛んで行きます。吉備国人は、今、1500年の長い眠りから目覚めようとしています。吉備野禅三もぼやぼやしておれません。
造山古墳は、日本で四番目の前方後円墳で大和のどの古墳よりも雄大であるが、四番目というのは、考古学上、古墳時代とよぶ約四百年を通じてのことなので、ある時代では、最大だったかもしれない。
そして、最近古墳群を見下ろす鬼の城山頂で朝鮮式山城が発見された。 この山城のあるところは、古代では、賀陽郡であったが、古代朝鮮南部の加耶が共通しているのがおもしろい。
==== いただいたコメント ====
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** ご挨拶 ** ブログ【彷徨人生・・・喜寿から傘寿へ】公開に当たって
私のネット生活に寄せる想いです。ご理解賜りたくご一読をお願い申し上げます。
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by zenmz
| 2008-12-25 00:00
| 現代社会論