2008年 12月 26日
【8276】 1552年、人々は周防で夜を徹してデウスを賛美した |
★ 歳末恒例のクリスマスが終わりました。宗教の如何を問わず、皆さん、それぞれに”自分のクリスマス”を楽しまれたことでしょう。まあ、それでいい。人間の生活の彩りというもの。どんな宗教もウエルカム。大らかな、その寛大さが日本の良さ、デスね。
★ でも、折角の機会。一体、日本人にとって、もともとクリスマスとは何であったのか? ちょっと、整理しておくのも、無益ではありません。私自身、少々、感ずる所もあり、今日は、【2008年のクリスマス】を見送る感想を綴ることにしました。
----------------------
★ そもそも日本で最初のクリスマスは、だれが、どこで祝ったのか?
この設問、楽しいとお思いになりませんか?
実は、答えがはっきりしています。今から456年前のことです。有名な日本・戦国時代の記録、クロニック[戦国全史](講談社)に、大要、次の記録があります。
★ ついでに言えば、明治維新後、近代国家になった日本で、初めてクリスマスを祝った日本人は、元幕府与力の原田胤昭という人物。1875年(明治8年)のことで、これが、日本人によるクリスマス祝祭の原点。1877年(明治10年)に東京・丸善がクリスマス用品を輸入したのがキッカケで民間に「文明開化のファッション」として広く全国の裕福家庭に普及しました。
★ これは、非常に大切な歴史的意味を持ちます。すなわち、クリスマスは、日本で、この時に「聖」から「俗」へと2分したのです。「聖」なるクリスマスは、神と向かい合った”本当の教会”で厳粛に守られ、「俗」なるクリスマスは、大衆迎合の”ファッション教会”がコマーシャリズムと合体して広めました。
★ 以来、商業主義と結んでサンタクロースが登場、デパートが歳末大売り出しに利用して華やかな飾り付けをするようになって一気に大衆化し、近年では大都会だけでなく全国各地の繁華街や、一般街路樹まで豆電球のイルミネーションが夜空を輝かすようになりました。
★ そして、今や国民こぞって「メリー・クリスマス」
昨日まで、あっちを向いては「地球温暖化防止・地球は危機に立っている・石油依存から脱却する抜本対策を・・・」と訴えていた人々も、この日になると、電光クリスマス・ツリーを愛で、ニコニコとケーキぶら下げ、ご機嫌にグルメ談議・・・挙げ句の果ては、クリスマス商戦が景気底上げにドウトカコウトカ・・・・まことに無邪気なことです。
★ これも平和な時代の風物詩。と、軽く、受け止めておきましょう。だが、一つ、キチンと見ておかねばなりません。「悪貨(心)は良貨(心)を駆逐する」 グレシャムの経済法則通りの結末。 ”クリスマス”は、この国では、宗教原理で動かず、経済原理で動いて、それが勝利しました。
★ だから、どうなんだ、何が言いたい、このジイサン! と、胡散臭い昭和ヒトケタ”原理主義者”に、冷たい眼が向けられるのは承知の上で申し上げますが・・・・
どうか、その日本の若者たちよ。魂だけは抜かれぬように・・・・
----------------------
★ 日本最初のクリスマスは、もっと、もっと気高い魂の営みだった。それは、命をかけた全身全霊の信仰の証しであったのです。それは、日本人が、史上初めてキリスト教を信仰として受け入れた最初の歴史的一大事でした。
★ 古来、日本は、「八百万(やおよろず)の神々」の国でした。そこへ、突然、現れた「全知全能なる唯一神」 未だかつて想像もしなかった異国の神が現れたのです。”八百万神”を棄てて、その唯一神「デウス」を信じた日本人たち。それは、かつてなかった魂の大文化革命でした。
★ そして、信徒たちは、やがて吹き荒れたキリスト教弾圧の中で、その信仰の故に殉教し、その信仰の真実を証ししました。その厳粛な事実は、やはり「メリークリスマス」を口にする人は覚えておいた方がいい。長崎・大浦天主堂には「日本二十六聖殉教者聖堂」の別名があります。
★ 慶長元年12月19日(グレゴリオ暦1597年2月5日)、豊臣秀吉の命令によって長崎で処刑された26人のカトリック信徒たち。日本人は20人、スペイン人が4人、そしてメキシコ、ポルトガルの宣教師が一人ずつ。その人々の名はここにあります。
★ クリスマス・・・この日を、神が自らの姿を人間としてこの世に現された・・・そう信じて疑わず、執拗に鞭打ち勧める役人の棄教説得に耳をかさずにデウスへの信仰に殉じました。この人々にとって、クリスマスは、神が、この世に自ら人間の姿をとってこの世の救済に現れ給うた聖なる日であったのです。
------------------------
★ ついでにもう一つ、我々自身が体験した、現代の重要な歴史的事実も覚えておいて欲しい。63年前の1945年8月9日のこと。アメリカの爆撃機は、この日本最初のキリスト教殉教者を祭る聖堂の真上に原爆を投下し、聖堂を破壊し、悲劇の町を全滅させました。 何故か? なぜ、「日本二十六聖殉教者聖堂」の上にか?
私は、もう何年も、アメリカにそれを問い続けています。死ぬまで問い続けます。
★ アメリカは、過去60年以上、”予想される多くの犠牲者を出さないため”と、原爆投下を正当化する発言を繰り返しています。しかし、何故、広島の僅か三日後に長崎を・・・・どうして続けて2発が、必要だったのか? しかも両市とも目標は、軍事施設ではなく一般市民の居住地であったのか?
★ 更に何故、長崎では選びも選んで、日本最初のキリスト教殉教者を祭る聖堂に落としたのか? 今も、常に軍隊が赴くところ、あらゆる場所に付き添っているアメリカのキリスト教従軍教会と従軍牧師よ、答えて欲しい。
★ あなた達は、今日も、望まれずに侵攻したイラクでクリスマス・ミサを執り行っています。私は、あなた達の”全知全能”なる神の心を知りたい、です。何故、イラクにいるのか?
--------------------------
★ 以上、2008年のクリスマスを見送るに当たり、我が魂が慟哭の中で絞り出した「クリスマス挽歌」です。最後まで、ご覧いただきありがとうございました。今宵は是非、クリスマスを純粋に祝ったが故に哀しい運命を辿った人々のため、ご一緒に、”クリスマス”殉教者を覚えて、鎮魂の祈りを捧げましょう。
==== いただいたコメント ====
【お断り】 私は、キリスト教を尊敬しますが、クリスチャンではありません。特定宗教に属してもいません。森羅万象に精霊を認めるアニミズムに心寄せる人間です。
キリスト教徒ではございませんのでお間違いのないようお願いいたします。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
** ご挨拶 ** ブログ【彷徨人生・・・喜寿から傘寿へ】公開に当たって
私のネット生活に寄せる想いです。ご理解賜りたくご一読をお願い申し上げます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★ でも、折角の機会。一体、日本人にとって、もともとクリスマスとは何であったのか? ちょっと、整理しておくのも、無益ではありません。私自身、少々、感ずる所もあり、今日は、【2008年のクリスマス】を見送る感想を綴ることにしました。
----------------------
★ そもそも日本で最初のクリスマスは、だれが、どこで祝ったのか?
この設問、楽しいとお思いになりませんか?
実は、答えがはっきりしています。今から456年前のことです。有名な日本・戦国時代の記録、クロニック[戦国全史](講談社)に、大要、次の記録があります。
天文21年(1552)12月9日(旧暦・西暦では12月24日)周防(山口)の宣教師コメス・デ・トルレスらが、司祭館に日本人信徒を招いてクリスマスの祝を催した。★ この記録によれば、日本最初に日本人が参加して祝われたクリスマスは、キリスト教が伝来した3年後の1552年のクリスマスに宣教師たちが周防国(山口)で信徒を招いてのミサだった。ことがはっきりします。
修道士のジョアン・フェルナンデスがデウスの話を人々に聞かせ、疲れてくるとローマ字のわかる日本人信徒の少年が、かわりに朗読した。2人が話をやめると、日本人信徒たちはもっと創造主の話をしてほしいと催促した。一同は夜を徹してデウスを賛美し、翌朝、ふたたびミサと説教を聞いたのち、全員に食事がふるまわれた。
トルレスらにとっては来日して以来4回目のクリスマスだったが、この日はじめて日本人信徒とともに祝うことができた。これには、先にインドに戻ったフランシスコ・ザビエルが派遣し8月にインドから豊後の大友宗麟のもとに到着していた宣教師パルタザール・カーゴも列席した。トルレスは、最初の教会堂となる大道寺創建の許可を8月28日に大内義長から得ていたが、落成は3年後のことで、この日のクリスマスは仮住まいの司祭館で行われた。
こののち、カーゴらは京都に向かうが、山口は1556年毛利元就によって兵火にかかるまでの5年間、キリスト教布教の本拠となる。
★ ついでに言えば、明治維新後、近代国家になった日本で、初めてクリスマスを祝った日本人は、元幕府与力の原田胤昭という人物。1875年(明治8年)のことで、これが、日本人によるクリスマス祝祭の原点。1877年(明治10年)に東京・丸善がクリスマス用品を輸入したのがキッカケで民間に「文明開化のファッション」として広く全国の裕福家庭に普及しました。
★ これは、非常に大切な歴史的意味を持ちます。すなわち、クリスマスは、日本で、この時に「聖」から「俗」へと2分したのです。「聖」なるクリスマスは、神と向かい合った”本当の教会”で厳粛に守られ、「俗」なるクリスマスは、大衆迎合の”ファッション教会”がコマーシャリズムと合体して広めました。
★ 以来、商業主義と結んでサンタクロースが登場、デパートが歳末大売り出しに利用して華やかな飾り付けをするようになって一気に大衆化し、近年では大都会だけでなく全国各地の繁華街や、一般街路樹まで豆電球のイルミネーションが夜空を輝かすようになりました。
★ そして、今や国民こぞって「メリー・クリスマス」
昨日まで、あっちを向いては「地球温暖化防止・地球は危機に立っている・石油依存から脱却する抜本対策を・・・」と訴えていた人々も、この日になると、電光クリスマス・ツリーを愛で、ニコニコとケーキぶら下げ、ご機嫌にグルメ談議・・・挙げ句の果ては、クリスマス商戦が景気底上げにドウトカコウトカ・・・・まことに無邪気なことです。
★ これも平和な時代の風物詩。と、軽く、受け止めておきましょう。だが、一つ、キチンと見ておかねばなりません。「悪貨(心)は良貨(心)を駆逐する」 グレシャムの経済法則通りの結末。 ”クリスマス”は、この国では、宗教原理で動かず、経済原理で動いて、それが勝利しました。
★ だから、どうなんだ、何が言いたい、このジイサン! と、胡散臭い昭和ヒトケタ”原理主義者”に、冷たい眼が向けられるのは承知の上で申し上げますが・・・・
どうか、その日本の若者たちよ。魂だけは抜かれぬように・・・・
----------------------
★ 日本最初のクリスマスは、もっと、もっと気高い魂の営みだった。それは、命をかけた全身全霊の信仰の証しであったのです。それは、日本人が、史上初めてキリスト教を信仰として受け入れた最初の歴史的一大事でした。
★ 古来、日本は、「八百万(やおよろず)の神々」の国でした。そこへ、突然、現れた「全知全能なる唯一神」 未だかつて想像もしなかった異国の神が現れたのです。”八百万神”を棄てて、その唯一神「デウス」を信じた日本人たち。それは、かつてなかった魂の大文化革命でした。
★ そして、信徒たちは、やがて吹き荒れたキリスト教弾圧の中で、その信仰の故に殉教し、その信仰の真実を証ししました。その厳粛な事実は、やはり「メリークリスマス」を口にする人は覚えておいた方がいい。長崎・大浦天主堂には「日本二十六聖殉教者聖堂」の別名があります。
★ 慶長元年12月19日(グレゴリオ暦1597年2月5日)、豊臣秀吉の命令によって長崎で処刑された26人のカトリック信徒たち。日本人は20人、スペイン人が4人、そしてメキシコ、ポルトガルの宣教師が一人ずつ。その人々の名はここにあります。
★ クリスマス・・・この日を、神が自らの姿を人間としてこの世に現された・・・そう信じて疑わず、執拗に鞭打ち勧める役人の棄教説得に耳をかさずにデウスへの信仰に殉じました。この人々にとって、クリスマスは、神が、この世に自ら人間の姿をとってこの世の救済に現れ給うた聖なる日であったのです。
------------------------
★ ついでにもう一つ、我々自身が体験した、現代の重要な歴史的事実も覚えておいて欲しい。63年前の1945年8月9日のこと。アメリカの爆撃機は、この日本最初のキリスト教殉教者を祭る聖堂の真上に原爆を投下し、聖堂を破壊し、悲劇の町を全滅させました。 何故か? なぜ、「日本二十六聖殉教者聖堂」の上にか?
私は、もう何年も、アメリカにそれを問い続けています。死ぬまで問い続けます。
★ アメリカは、過去60年以上、”予想される多くの犠牲者を出さないため”と、原爆投下を正当化する発言を繰り返しています。しかし、何故、広島の僅か三日後に長崎を・・・・どうして続けて2発が、必要だったのか? しかも両市とも目標は、軍事施設ではなく一般市民の居住地であったのか?
★ 更に何故、長崎では選びも選んで、日本最初のキリスト教殉教者を祭る聖堂に落としたのか? 今も、常に軍隊が赴くところ、あらゆる場所に付き添っているアメリカのキリスト教従軍教会と従軍牧師よ、答えて欲しい。
★ あなた達は、今日も、望まれずに侵攻したイラクでクリスマス・ミサを執り行っています。私は、あなた達の”全知全能”なる神の心を知りたい、です。何故、イラクにいるのか?
--------------------------
★ 以上、2008年のクリスマスを見送るに当たり、我が魂が慟哭の中で絞り出した「クリスマス挽歌」です。最後まで、ご覧いただきありがとうございました。今宵は是非、クリスマスを純粋に祝ったが故に哀しい運命を辿った人々のため、ご一緒に、”クリスマス”殉教者を覚えて、鎮魂の祈りを捧げましょう。
==== いただいたコメント ====
【お断り】 私は、キリスト教を尊敬しますが、クリスチャンではありません。特定宗教に属してもいません。森羅万象に精霊を認めるアニミズムに心寄せる人間です。
キリスト教徒ではございませんのでお間違いのないようお願いいたします。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
** ご挨拶 ** ブログ【彷徨人生・・・喜寿から傘寿へ】公開に当たって
私のネット生活に寄せる想いです。ご理解賜りたくご一読をお願い申し上げます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
by zenmz
| 2008-12-26 00:01
| 歴史との対話