2009年 02月 19日
【9050】 「中央」で作られる”ご当地ソング”の教訓 |
★ 田舎に住んでいますと、何かの行事を始めると、必ず「地方の時代」の枕詞が用いられます。一番、日常生活に密着した「地産地消」運動から地域興しの行事で歌われるご当地ソング、更には市町村長・議員選挙の演説まで、共通テーマは「地方の時代」
★ もう言葉自体がマンネリ化して、サビついていて、言葉の響きほどには夢を掻きたてる力はありません。が、何かと言えば、必ず持ち出されるこのスローガン。一体、何時、どのような事情で生み出され、一般化したのでしょう。ちょっと調べてみました。
★ 元々は、1978年夏に横浜市で開催された初めての「地方の時代シンポジウム」で、提唱者であった当時の長洲一二・神奈川県知事(元横浜国立大学教授)が基調講演の中で述べた「新しい時代の政治概念」だ、と言われています。
★ それは、国がすべてをコントロールする中央集権に対する反論で地域主導主義とも言うべきもの。長洲知事は、その具体的な姿として次のように説明したそうです。
「政治や行財政システムを委任型集権制から参加型分権制に切り替える。それだけに止まらず、住民の生活様式や価値観の変革をも含む新しい社会システムの探求である」
★ そして、このシンポジウムを共催した「首都圏地方自治研究会」の東京都、埼玉県、神奈川県、横浜市及び川崎市の5つの自治体が翌79年4月の統一地方選挙で、これをスローガンに掲げて、一気に全国に広がり、新しい流行語となりました。
★ こうして見ると、「地方の時代」は、革新知事・政令都市市長が名付け親であることは明らかで、その意図も、政治色が濃厚であったようです。戦後既に35年。焦土から重工業社会に驚異の経済発展を遂げたニッポン。表面の繁栄とは裏腹に負の遺産に悩み始めていました。
★ 環境破壊、資源の大量浪費、人間疎外、人口の都市集中と地方の過疎化促進・・・負の遺産はさまざまの形で手づかずのままに放置されていいました。折から世界的にも「スモール・イズ・ビューティフル」(小さいことはいいことだ)運動や循環型リサイクルなどの動きともマッチし、近未来想像のキーワードとして国民の間に定着したようです。
★ 「地方の時代」は、その後、平松守彦・大分県知事の「一村一品運動」、細川護煕・熊本県知事の「日本一づくり運動」など先駆的な実践活動に結びつき、「地域らしさ」を標榜するのが”良い地方政治”と歓迎されるようになり、2000年頃には革新系知事による「地域から変わる日本」の大運動が展開されることになります。
★ 運動は、1998年に月尾嘉男・東京大学教授の呼びかけではじまったもので、寺田典城(秋田)、増田寛也(岩手)、浅野史郎(宮城)、梶原拓(岐阜)、北川正恭(三重)、橋本大二郎(高知)の各県知事が参加し、「闘う知事会」のスローガンを掲げて人目を惹きました。
★ これに呼応するように、NHKや民放などTV局も「地方の時代」映像祭を開催し、地方文化の掘り起こしを開始、新聞各紙も毎年、大規模な”地方の時代”キャンペーンを展開するようになりました。全国の観光地も、ご当地ソングの掘り起こしや新作に躍起になりました。
★ まあ、権力も、冨も、中央に集中する中央集権。その弊害は今や、誰の目にも明らかです。これからは地域重点主義、「地方の時代」に向かわねばならぬのは必然でしょう。でも・・・・ちょっと、何か変? 私が、いつもバクとした不安感を拭えませんでした。
★ それを思うようになったのは、NHK-BSが毎月、丸1日かけて一つの県を特集する番組「おーい、ニッポン」を見てからです。この番組は、最後にその県の”新曲ご当地ソング”の披露で盛り上げる演出になっています。それはそれでいいのですが・・・・。
★ なぜか、そのすべてが、秋元康氏がつくっています。この人、東京・目黒のご出身です。出身地も、現住所も、文化活動の拠点も、大学副学長としての職場も・・・何よりも身につけられた豊かな文化のふるさとは東京です。その文化内容は、”中央”=中央集権に最も近いものではないでしょうか。
★ 岡山県が取りあげられた時、私は、《東京の人が、岡山の地方文化を創る? なぜ? 岡山には、プロデューサー、作詞・作曲家はいないのか?》 と、思い、妙に白けたことを思い出します。
★ ところが、最近の新聞で、東大の渡辺裕・大学院教授(文化資源学)が、私と全く同じ疑問を抱いておられることを知りました。先生のご研究によると、広く”ご当地ソング”として知られている「新民謡」の大半は、”地方の風物を歌い込んでいる”が、実は「中央」(文化)主導でつくられている、と、鋭く指摘しておられます。
★ 中でも典型的なのは中山晋平氏の”業績?” 全国で普及している相当な数の「新民謡」は殆ど中山氏お一人で作っているそうです。歌詞は各地の風物が歌われているものの曲想はどれも似ていて、地方の特色どころかこれこそ、「中央による全国一律」と喝破しておられます。
★ 渡辺先生は、その他、多くの「中央」で作られるご当地ソング」を明らかにされて、「地域文化も手放しで礼賛するのは危険」と警告を発しておられます。そして、文化面だけでなく、”地方への権限委譲”も、地方都市の「東京化」になる危険性を警告しておられます。
★ その目でみれば、”革新”県知事の「地方の時代」展開も、地方都市の「東京化」ではないか? そのような懸念も多分にああります。誠に傾聴すべきご意見と思いました。
【注】 渡辺教授の論文「考える耳」は、「毎日新聞」(大阪・統合版)の2月17日付文化欄に掲載されています。
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** ご挨拶 ** ブログ【傘寿を生きるロマン日記】公開に当たって
私のネット生活に寄せる想いです。ご理解賜りたくご一読をお願い申し上げます。
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★ もう言葉自体がマンネリ化して、サビついていて、言葉の響きほどには夢を掻きたてる力はありません。が、何かと言えば、必ず持ち出されるこのスローガン。一体、何時、どのような事情で生み出され、一般化したのでしょう。ちょっと調べてみました。
★ 元々は、1978年夏に横浜市で開催された初めての「地方の時代シンポジウム」で、提唱者であった当時の長洲一二・神奈川県知事(元横浜国立大学教授)が基調講演の中で述べた「新しい時代の政治概念」だ、と言われています。
★ それは、国がすべてをコントロールする中央集権に対する反論で地域主導主義とも言うべきもの。長洲知事は、その具体的な姿として次のように説明したそうです。
「政治や行財政システムを委任型集権制から参加型分権制に切り替える。それだけに止まらず、住民の生活様式や価値観の変革をも含む新しい社会システムの探求である」
★ そして、このシンポジウムを共催した「首都圏地方自治研究会」の東京都、埼玉県、神奈川県、横浜市及び川崎市の5つの自治体が翌79年4月の統一地方選挙で、これをスローガンに掲げて、一気に全国に広がり、新しい流行語となりました。
★ こうして見ると、「地方の時代」は、革新知事・政令都市市長が名付け親であることは明らかで、その意図も、政治色が濃厚であったようです。戦後既に35年。焦土から重工業社会に驚異の経済発展を遂げたニッポン。表面の繁栄とは裏腹に負の遺産に悩み始めていました。
★ 環境破壊、資源の大量浪費、人間疎外、人口の都市集中と地方の過疎化促進・・・負の遺産はさまざまの形で手づかずのままに放置されていいました。折から世界的にも「スモール・イズ・ビューティフル」(小さいことはいいことだ)運動や循環型リサイクルなどの動きともマッチし、近未来想像のキーワードとして国民の間に定着したようです。
★ 「地方の時代」は、その後、平松守彦・大分県知事の「一村一品運動」、細川護煕・熊本県知事の「日本一づくり運動」など先駆的な実践活動に結びつき、「地域らしさ」を標榜するのが”良い地方政治”と歓迎されるようになり、2000年頃には革新系知事による「地域から変わる日本」の大運動が展開されることになります。
★ 運動は、1998年に月尾嘉男・東京大学教授の呼びかけではじまったもので、寺田典城(秋田)、増田寛也(岩手)、浅野史郎(宮城)、梶原拓(岐阜)、北川正恭(三重)、橋本大二郎(高知)の各県知事が参加し、「闘う知事会」のスローガンを掲げて人目を惹きました。
★ これに呼応するように、NHKや民放などTV局も「地方の時代」映像祭を開催し、地方文化の掘り起こしを開始、新聞各紙も毎年、大規模な”地方の時代”キャンペーンを展開するようになりました。全国の観光地も、ご当地ソングの掘り起こしや新作に躍起になりました。
★ まあ、権力も、冨も、中央に集中する中央集権。その弊害は今や、誰の目にも明らかです。これからは地域重点主義、「地方の時代」に向かわねばならぬのは必然でしょう。でも・・・・ちょっと、何か変? 私が、いつもバクとした不安感を拭えませんでした。
★ それを思うようになったのは、NHK-BSが毎月、丸1日かけて一つの県を特集する番組「おーい、ニッポン」を見てからです。この番組は、最後にその県の”新曲ご当地ソング”の披露で盛り上げる演出になっています。それはそれでいいのですが・・・・。
★ なぜか、そのすべてが、秋元康氏がつくっています。この人、東京・目黒のご出身です。出身地も、現住所も、文化活動の拠点も、大学副学長としての職場も・・・何よりも身につけられた豊かな文化のふるさとは東京です。その文化内容は、”中央”=中央集権に最も近いものではないでしょうか。
★ 岡山県が取りあげられた時、私は、《東京の人が、岡山の地方文化を創る? なぜ? 岡山には、プロデューサー、作詞・作曲家はいないのか?》 と、思い、妙に白けたことを思い出します。
★ ところが、最近の新聞で、東大の渡辺裕・大学院教授(文化資源学)が、私と全く同じ疑問を抱いておられることを知りました。先生のご研究によると、広く”ご当地ソング”として知られている「新民謡」の大半は、”地方の風物を歌い込んでいる”が、実は「中央」(文化)主導でつくられている、と、鋭く指摘しておられます。
★ 中でも典型的なのは中山晋平氏の”業績?” 全国で普及している相当な数の「新民謡」は殆ど中山氏お一人で作っているそうです。歌詞は各地の風物が歌われているものの曲想はどれも似ていて、地方の特色どころかこれこそ、「中央による全国一律」と喝破しておられます。
★ 渡辺先生は、その他、多くの「中央」で作られるご当地ソング」を明らかにされて、「地域文化も手放しで礼賛するのは危険」と警告を発しておられます。そして、文化面だけでなく、”地方への権限委譲”も、地方都市の「東京化」になる危険性を警告しておられます。
★ その目でみれば、”革新”県知事の「地方の時代」展開も、地方都市の「東京化」ではないか? そのような懸念も多分にああります。誠に傾聴すべきご意見と思いました。
【注】 渡辺教授の論文「考える耳」は、「毎日新聞」(大阪・統合版)の2月17日付文化欄に掲載されています。
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** ご挨拶 ** ブログ【傘寿を生きるロマン日記】公開に当たって
私のネット生活に寄せる想いです。ご理解賜りたくご一読をお願い申し上げます。
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by zenmz
| 2009-02-19 00:00
| 現代社会論