2009年 03月 09日
【9068】 ”ヤネコイ爺ッツアン”からの離脱 |
★ 昨日は、如何に私が世間離れしている人間であることか! それを思い知らされる一日でした。「見てますか?」 「見ましたよ!」 「いい所のようですね・・・」
全く見知らぬ方からいただいたメッセージは38通。それを手にした私は、「何? なんで!??」
★ 実は、日曜日恒例の「NHKのど自慢」が私の住む岡山・吉備中央町で行われ、その全国中継が昨日の正午過ぎに流れた、それだけのコトなのですが・・・私自身は、”歌自慢”も、カラオケも、全く興味なく、この番組を見ることも、ほとんどありません。
★ 折角、”お喜び”メッセージをいただいた方には悪いのですが、予想もしなかった”大反響”に私はキョットン。ただただNHKテレビの威力に驚くばかりでした。今は、少々、ヘソ曲がりで、見向きもしない番組ですが、マスコミで働いていた頃には、この番組・・・”世相チェック・ゼヒモノ”の一つではありました。
★ しかし、いただいた38通のメッセージを前に、私は、自らの”頑なさ”を反省しております。「演歌・流行歌ナンカ・・・」 「カラオケ大会の親分」 「音楽するなら、もっとキチンとバッハを」 子育ての中で我が子に言い含めてきた過ちへの反省も込めて・・・。
★ 「NHKのど自慢」は、終戦の翌年、昭和21年(1946)にラジオ番組「のど自慢素人音楽会」として始まり、その後、テレビが登場すると、昭和28年(1953)からテレビ・ラジオ同時放送が始まりました。
★ その当時、NHKの顔として人気絶頂だったのが丸顔の宮田輝アナウンサー。”人寄せパンダ”がこの番組のお陰で政治家(参院議員)に転身、「タレント議員」の先駈けになりました。まあ、私もその頃は新聞記者のハシクレ、世相の動きにアンテナを張り巡らせる商売でしたから、否応なく、流行を追いました。
★ でも、社会人としての”自我の確立”が出来はじめると、好き嫌いもはっきりしてきます。マスコミ人は、社会ダネ、スポーツ、芸能・娯楽などの「軟派」 政治・経済・外交・選挙などの「硬派」に分かれていきますが、私はその中間の「人権・福祉」の道を歩みました。
★ 仕事が地味で、やがて流行に無頓着になり、娯楽・芸能に目もくれなくなって、今日に至っています。特にカラオケは”無視”を通り越して、「大嫌い」 カラオケと二重写しになる「のど自慢」大嫌い・・・ なぜ?との質問に、「好き嫌いの問題ですから、理屈はありません」と、門前払いを通して来ました。
★ 思い返せば、アホでした。音楽と言えば西洋のクラシック。バッハでなくっちゃ、などとほざいて来ました。アホな教養主義に毒されていました。五感が感応する音ではなく、楽譜に書かれた記号が奏でる音の合理性に理屈を乗せて音の分析を楽しみました。
★ 「だから、アンタはこうなった」 両手をコメカミの両方に持ち上げて広げながら老妻が口を極めて批判する「人間としての魅力に欠ける」私の欠点。 「広島弁で”ヤネコイ爺ッツアン”言うネ。アンタのこと」 言ってみれば、どうでもいい、あまり意味のないことに「頑なに拒否反応を示す」 そんなアホさ加減をたしなめます。
★ 確かに・・・・。 老妻のバカ演技はともかく、38通のお顔も知らぬ方々からのメッセージには私は感じ入りました。これに呼応出来ないキョットン爺・・・世間離れした”ヤネコイ爺ッツアン” 我が身の姿を見る想いがします。
★ 《敗戦直後→一億総懺悔→焦土に立って自信喪失→所得倍増→経済大国》
全く方向を見失っていた国民の心を歌で奮い立たせた”のど自慢” 戦後の62年間、まさに名言「歌は世につれ世は歌につれ」の通りでした。
★ 『NHKのど自慢』が辿った足跡は、時勢の影響を受けて流行歌を掘り起こし、世相の移り変わりを敏感に反映して新しい歌を創造させました。戦後の62年間、国民の素直な喜怒哀楽を掘り起こし国民に希望と活力を与えてきたのは確か。その偉大な功績を称えるにやぶさかではありません。
★ 孫には、こう申しましょう。「バッハやヘンデルはトシとってからでいい。歌は感動して歌うがいい。こみ上げる涙を拭わず、歓びは爆発させて、歌うがいい。クラッシック、演歌、流行歌・・・ジャンルがどうの・こうのは関係ない。喜怒哀楽を爆発させよ」と。
その前に、先ず、自分に言い聞かせています。
★ 傘寿への道。また一つ課題が増えました。
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** ご挨拶 ** ブログ【傘寿を生きるロマン日記】公開に当たって
私のネット生活に寄せる想いです。ご理解賜りたくご一読をお願い申し上げます。
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全く見知らぬ方からいただいたメッセージは38通。それを手にした私は、「何? なんで!??」
★ 実は、日曜日恒例の「NHKのど自慢」が私の住む岡山・吉備中央町で行われ、その全国中継が昨日の正午過ぎに流れた、それだけのコトなのですが・・・私自身は、”歌自慢”も、カラオケも、全く興味なく、この番組を見ることも、ほとんどありません。
★ 折角、”お喜び”メッセージをいただいた方には悪いのですが、予想もしなかった”大反響”に私はキョットン。ただただNHKテレビの威力に驚くばかりでした。今は、少々、ヘソ曲がりで、見向きもしない番組ですが、マスコミで働いていた頃には、この番組・・・”世相チェック・ゼヒモノ”の一つではありました。
★ しかし、いただいた38通のメッセージを前に、私は、自らの”頑なさ”を反省しております。「演歌・流行歌ナンカ・・・」 「カラオケ大会の親分」 「音楽するなら、もっとキチンとバッハを」 子育ての中で我が子に言い含めてきた過ちへの反省も込めて・・・。
★ 「NHKのど自慢」は、終戦の翌年、昭和21年(1946)にラジオ番組「のど自慢素人音楽会」として始まり、その後、テレビが登場すると、昭和28年(1953)からテレビ・ラジオ同時放送が始まりました。
★ その当時、NHKの顔として人気絶頂だったのが丸顔の宮田輝アナウンサー。”人寄せパンダ”がこの番組のお陰で政治家(参院議員)に転身、「タレント議員」の先駈けになりました。まあ、私もその頃は新聞記者のハシクレ、世相の動きにアンテナを張り巡らせる商売でしたから、否応なく、流行を追いました。
★ でも、社会人としての”自我の確立”が出来はじめると、好き嫌いもはっきりしてきます。マスコミ人は、社会ダネ、スポーツ、芸能・娯楽などの「軟派」 政治・経済・外交・選挙などの「硬派」に分かれていきますが、私はその中間の「人権・福祉」の道を歩みました。
★ 仕事が地味で、やがて流行に無頓着になり、娯楽・芸能に目もくれなくなって、今日に至っています。特にカラオケは”無視”を通り越して、「大嫌い」 カラオケと二重写しになる「のど自慢」大嫌い・・・ なぜ?との質問に、「好き嫌いの問題ですから、理屈はありません」と、門前払いを通して来ました。
★ 思い返せば、アホでした。音楽と言えば西洋のクラシック。バッハでなくっちゃ、などとほざいて来ました。アホな教養主義に毒されていました。五感が感応する音ではなく、楽譜に書かれた記号が奏でる音の合理性に理屈を乗せて音の分析を楽しみました。
★ 「だから、アンタはこうなった」 両手をコメカミの両方に持ち上げて広げながら老妻が口を極めて批判する「人間としての魅力に欠ける」私の欠点。 「広島弁で”ヤネコイ爺ッツアン”言うネ。アンタのこと」 言ってみれば、どうでもいい、あまり意味のないことに「頑なに拒否反応を示す」 そんなアホさ加減をたしなめます。
★ 確かに・・・・。 老妻のバカ演技はともかく、38通のお顔も知らぬ方々からのメッセージには私は感じ入りました。これに呼応出来ないキョットン爺・・・世間離れした”ヤネコイ爺ッツアン” 我が身の姿を見る想いがします。
★ 《敗戦直後→一億総懺悔→焦土に立って自信喪失→所得倍増→経済大国》
全く方向を見失っていた国民の心を歌で奮い立たせた”のど自慢” 戦後の62年間、まさに名言「歌は世につれ世は歌につれ」の通りでした。
★ 『NHKのど自慢』が辿った足跡は、時勢の影響を受けて流行歌を掘り起こし、世相の移り変わりを敏感に反映して新しい歌を創造させました。戦後の62年間、国民の素直な喜怒哀楽を掘り起こし国民に希望と活力を与えてきたのは確か。その偉大な功績を称えるにやぶさかではありません。
★ 孫には、こう申しましょう。「バッハやヘンデルはトシとってからでいい。歌は感動して歌うがいい。こみ上げる涙を拭わず、歓びは爆発させて、歌うがいい。クラッシック、演歌、流行歌・・・ジャンルがどうの・こうのは関係ない。喜怒哀楽を爆発させよ」と。
その前に、先ず、自分に言い聞かせています。
★ 傘寿への道。また一つ課題が増えました。
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** ご挨拶 ** ブログ【傘寿を生きるロマン日記】公開に当たって
私のネット生活に寄せる想いです。ご理解賜りたくご一読をお願い申し上げます。
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by zenmz
| 2009-03-09 10:45
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