2009年 04月 25日
【9110】 『富士山』・・・小学72年生の学習・第15課 |
★ 「富士山」は、日本人の心の故郷。日本列島の真ん中にそびえ立つ標高3776メートルの成層火山。Mount Fuji は、ニッポンの代名詞。かつては外国から飛来する航空旅客機は、この上を迂回して”サービス”を売り物にしたことがありました。
現在は、小学校3年生の歌唱共通教材に指定されていますがタイトルは『ふじ山』
★ 現存する小学校唱歌の中でも「富士山」と「日の丸の旗」ほど政治イデオロギーに翻弄された子どもの歌はありません。この美しい詞を書いた巌谷小波(いわや・さざなみ)自身、『日本昔噺』など名作を残したを明治における児童文学作家として有名。
★ と、同時に、戦争中は「陸軍行進曲」など軍歌を多数、作ったことが戦後になって指弾され、最近ではほとんど知る人もなくなりました。軍国イデオロギーが国威高揚の歌として「富士山」と「日の丸の旗」を用いたのは事実です。その体験者として、それは証言出来ます。
★ 私たちは、「富士山」の意味を、《元々、並ぶものの無い最高峰だから”不二の山”と言った。それが”富士”になったのは”武士が富む”、即ち、大和男の子の優秀性を象徴するものであるからである》と叩き込まれました。
★ ですから、終戦直後に「軍国主義は悪かった」と、”一億国民総懺悔”でやり玉にあがり、その後、民主主義教育が進む中で、教職員組合が「平等教育に反する」と音楽教育から「日の丸」と「富士山」を抹殺するのに情熱を注いだ理由も分からぬでもありません。
でも、「日本一」が平等教育に反するなどと言い出したら・・・・
★ スポーツは全廃。「世界一を競う」オリンピックなどはもっての外。差別化目指して”日本一”商品の開発競争もまかりならぬ・・・と、向上心まで摘み取り兼ねません。物事の発想が、観念コロガシで一つゆがむととんでもない方向に向かいます。
★ 戦争の最中、徹底的な軍国教育の中で、「富士山」を学んだ私の「三つ子の魂」は、この歌声に共感します。まあ、いろいろと議論を立てる前に、この少女の歌声に耳を傾けてみましょう。無色透明。これぞ、霊山・富士山を仰ぎ見る純朴な心です。
★ 私は、一度、聞いたら、すぐ覚えられる、美しいメロディーに惹かれます。もう4年も前のことですが、インドネシアのスラヴェシ島ミナハサ半島を旅した時、地元の老人が歌ってくれた”フジサン”にビックリしました。日本占領当時の国民学校で学んだのだそうです。インドネシア老人も忘れない美しい、しかも簡単な、やさしいメロディー 残念ながら作曲者は不詳。
★ こんな調べこそ、本当の名曲と言うべきでしょうね。現在の子ども達は、この歌をどのように学んでいるのでしょう。今は小学3年生の課題曲ですが、「ようすを思い浮かべて・・・」(東京書籍教科書) 「曲のかんじを生かして」(教育出版教科書)
★ この歌を聴くと、私の脳裏に描かれる世界は、霊山・富士山。葛飾北斎の浮世絵「赤富士」が大写しになります。富士山は活火山。最後に噴火したのは宝永4年(1707年) 噴煙は成層圏まで到達し、江戸では約4cmの火山灰が降り積もった記録があります。
★ それから300年、今は静かに鎮まっています。毎年7月1日の山開きには、私の住む町の小学生が全員、こぞって富士登山するのが長年の学校行事になっており、町民挙げて後援しています。
★ この子ども達にとっては、唱歌「ふじ山」は、また深い体験の感動と共に心身に刻み込まれた調べであることでしょう。平和な時代にジカに触れた霊山の意味は、観念転がしに毒されたイデオロギー教育を超越します。いいことですね。
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** ご挨拶 ** ブログ【傘寿を生きるロマン日記】公開に当たって
私のネット生活に寄せる想いです。ご理解賜りたくご一読をお願い申し上げます。
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一、★ 1911年(明治44年)に刊行された『尋常小学読本唱歌(二)』で採用され、私たち”昭和ヒトケタ前半組”は横長の『新訂尋常小学唱歌 第二学年用』(1932年)の教科書で習いました。
あたまを雲の上に出し、
四方の山を見おろして、
かみなりさまを下に聞く、
富士は日本一の山。
二、
青空高くそびえ立ち、
からだに雪の着物着て、
霞のすそを遠く曳く、
富士は日本一の山。
現在は、小学校3年生の歌唱共通教材に指定されていますがタイトルは『ふじ山』
★ 現存する小学校唱歌の中でも「富士山」と「日の丸の旗」ほど政治イデオロギーに翻弄された子どもの歌はありません。この美しい詞を書いた巌谷小波(いわや・さざなみ)自身、『日本昔噺』など名作を残したを明治における児童文学作家として有名。
★ と、同時に、戦争中は「陸軍行進曲」など軍歌を多数、作ったことが戦後になって指弾され、最近ではほとんど知る人もなくなりました。軍国イデオロギーが国威高揚の歌として「富士山」と「日の丸の旗」を用いたのは事実です。その体験者として、それは証言出来ます。
★ 私たちは、「富士山」の意味を、《元々、並ぶものの無い最高峰だから”不二の山”と言った。それが”富士”になったのは”武士が富む”、即ち、大和男の子の優秀性を象徴するものであるからである》と叩き込まれました。
★ ですから、終戦直後に「軍国主義は悪かった」と、”一億国民総懺悔”でやり玉にあがり、その後、民主主義教育が進む中で、教職員組合が「平等教育に反する」と音楽教育から「日の丸」と「富士山」を抹殺するのに情熱を注いだ理由も分からぬでもありません。
でも、「日本一」が平等教育に反するなどと言い出したら・・・・
★ スポーツは全廃。「世界一を競う」オリンピックなどはもっての外。差別化目指して”日本一”商品の開発競争もまかりならぬ・・・と、向上心まで摘み取り兼ねません。物事の発想が、観念コロガシで一つゆがむととんでもない方向に向かいます。
★ 戦争の最中、徹底的な軍国教育の中で、「富士山」を学んだ私の「三つ子の魂」は、この歌声に共感します。まあ、いろいろと議論を立てる前に、この少女の歌声に耳を傾けてみましょう。無色透明。これぞ、霊山・富士山を仰ぎ見る純朴な心です。
★ 私は、一度、聞いたら、すぐ覚えられる、美しいメロディーに惹かれます。もう4年も前のことですが、インドネシアのスラヴェシ島ミナハサ半島を旅した時、地元の老人が歌ってくれた”フジサン”にビックリしました。日本占領当時の国民学校で学んだのだそうです。インドネシア老人も忘れない美しい、しかも簡単な、やさしいメロディー 残念ながら作曲者は不詳。
★ こんな調べこそ、本当の名曲と言うべきでしょうね。現在の子ども達は、この歌をどのように学んでいるのでしょう。今は小学3年生の課題曲ですが、「ようすを思い浮かべて・・・」(東京書籍教科書) 「曲のかんじを生かして」(教育出版教科書)
★ この歌を聴くと、私の脳裏に描かれる世界は、霊山・富士山。葛飾北斎の浮世絵「赤富士」が大写しになります。富士山は活火山。最後に噴火したのは宝永4年(1707年) 噴煙は成層圏まで到達し、江戸では約4cmの火山灰が降り積もった記録があります。
★ それから300年、今は静かに鎮まっています。毎年7月1日の山開きには、私の住む町の小学生が全員、こぞって富士登山するのが長年の学校行事になっており、町民挙げて後援しています。
★ この子ども達にとっては、唱歌「ふじ山」は、また深い体験の感動と共に心身に刻み込まれた調べであることでしょう。平和な時代にジカに触れた霊山の意味は、観念転がしに毒されたイデオロギー教育を超越します。いいことですね。
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** ご挨拶 ** ブログ【傘寿を生きるロマン日記】公開に当たって
私のネット生活に寄せる想いです。ご理解賜りたくご一読をお願い申し上げます。
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by zenmz
| 2009-04-25 10:27
| ボクは小学81年生