2009年 05月 12日
【9127】 「”ゼロ”歳児」って? ”カゾエ-マン”「年齢論議」の落とし子 |
★ タカが年齢のコト、ではありますが、やはりコダワル方も少なくありません。他人の事でも気になる。そのようなお方もあるのですね。
「昭和5年で傘寿? 私は4年ですが未だ傘寿ではありません」
ほぼ同年齢のご婦人からメールをいただきました。もう4年のお付き合い。気の置けない仲です。私をややヤユして、楽しんでいます。
★ まあ、前後に絵文字がいっぱい貼ってあるミーハーまがいのメールですから、ネット特有のユーモアですね。ご本人はクリスマスのご誕生。いつもご自慢で私も十分、承知しております。この人・・・傘寿を迎えるのは今年の年末頃だそうで、「マダマダ手が届かない遙か先の話・・・」とか。”傘寿の女心”に、思わずニンマリしてしまいました。
★ 指折り数えると、ご主張、スジが通っています。満年齢で言うならその通りですね。自分より一つ若いオトコが「傘寿を生きる」などと書いているのでカラカッテみたくなったのでしょう。「ワッハッハ! ともども大爆笑! 楽しい一日、ありがとう 」と、返信メールを送りました。
★ 数え(トシ)か、満(ネンレイ)か。ちょっと込み入った年齢に関わる話になると、「マン?」 「カゾエ?」と、よくダメ押ししますね。学校、会社、官公庁などでは満年齢が常識ですが、やはり年配者には数え年を使う人が随分、います。そう言う私自身、「数え年」派ですから、「マン? カゾエ?」と訊かれることがよくあります。
★ 私が「数え年」派に転向したのは、この岡山の吉備高原に来てからでした。
20年前、ちょうど還暦を迎える直前でしたが未だ現役であったことも関連し、”私の還暦祝い”を何時にするのか? 周りがいろいろと取り沙汰してくれました。
★ 「何時にしましょう?」・・・相談されて答えた一言がその後の自分を縛ることになりました。「慶事の祝いは数え年が常識。満年齢でヤルのは弔事だけだョ」
実は、咄嗟の冗談でした。でも、よほどインパクトがあったようで、冗談とは受け止められず、言葉通りにカゾエの60歳で祝賀のパーティとなりました。
★ ところで、この”冗談”、後で「慶弔事典」で調べたら、どうやら正解のようです。
還暦(60)に始まり古希(70)→喜寿(77)→傘寿(80)→米寿(88)→卒寿(90)→白寿(99) そして百寿(100)に至る。長寿、コレすべてカゾエで祝うべし、とあります。
★ 「もともと古くからの伝承行事。昔流の数え年で祝うのが自然です」とも書いてあります。ただ続いて「最近は満年齢も普及している」との但し書きも・・・実際のところ、どちらでもいいのですね。ならば、慶事、先に立てて喜べ。それが私の主張です。
**** 奇怪!? ”ゼロ”歳児などいませんョ ****
★ まあ、コレなどは笑い話でいいですが、ちょっと深刻になってしまうのが「ゼロ歳児」。昔はなかった言葉ですから、多分、《満年齢が全国に普及して》 ”マン”では数えようのない赤ちゃんに被せた”新年齢”なのでしょうね。
でもヘンです。とても違和感があります。
★ 早い話、他の事柄を表現する場合、「ゼロ」は無を意味します。ベア回答ゼロ、投資効果ゼロ・・・その存在のカケラも姿を見せない無です。言葉本来の意味・内容からすれば、「”ゼロ”歳児」などと言うと「”無”歳児」を連想するのが自然ですね。
★ しかし、新生児は《歳のカケラも無い》存在ではありません。「とつきとうか」(10月10日)母親の胎内にあって生命を育み、この世に生まれ出て来ました。誕生と共に「1歳」を付与しても決して矛盾しません。ましてや、この世に生まれ出てからは「日一日、長足の成長」ぶりを見せます。この時期、早“歳食い“のチャンピオンです。
★ それを言い出すと、モノの分かった人々は、「そんなの時代錯誤、満年齢は、もう明治時代から日本の近代化に合わせて習慣化している」とあきれ顔をします。確かに、古くからあった数え年で年齢を現す長い習慣は、国の法律で変えられたのですね。
★ 調べてみると、今から107年も前に施行された「年齢計算ニ関スル法律(明治35年12月2日 法律第50号)」で、そう決められました。でも・・・戦後になっても国民の多くは数え年を捨てませんでした。赤ちゃんに「ゼロ歳」などというトシを与えたのは、それからズーッと後のこと。ごく最近ではないでしょうか。
★ 今では、保育・教育・福祉などの広い分野で「ゼロ歳児保育」 「ゼロ歳児教育」 などと使われ、表示も「0歳児」 「零歳児」といろいろ。 英字新聞などを見ると、英語にはそんな単語発想はないようで、babies under the age of one と説明的表現を用いています。もし、zero aged baby ? などと言ったらどんな顔をするでしょうかね。
★ 何でも理屈に合わないと納得できない現代人は、満年齢が合理的だ、と主張します。12月31日に出生した場合、出生時に1歳で、翌日(1月1日)に2歳となる。また、1月1日に出生した場合は、2歳になるのは翌年の1月1日になる。たった一日違いで1年の年齢差はオカシイ、と仰る。
★ たった一つの極端な一例でオカシイ、と言うのであれば、誕生1日から364日までをすべてゼロ歳と言う方がよほどオカシイのではありませんかね。民俗伝承の諸行事を抹殺して、徹底的に合理主義を貫くならそれは、それはそれで一つの見識でしょう
★ しかし、「七五三」は祝いたい、「還暦祝い」は無視出来ない、等など・・・それを言うのなら数え年が最も相応しいです。カゾエ、マン、両用でいいのではないでしょうか。
それを別にして、「マンでなけねば」などと頑なになるから「ゼロ歳児」などというワケの分からぬ意味不明、しかも全く用をなさない造語を作り出すことになります。
★ 少なくとも意味のない「ゼロ歳児」だけは日本語から抹殺してほしい。
合理的名称を言うなら、「3ヶ月児」 「6ヶ月児」の方がウンと、科学的、実用的です。重厚な文化遺産を内包している日本社会では、現代社会システムにはマン年齢、伝承文化生活にはそれ相応のカゾエ年齢、両方の数え方を認めれば、それで、すべて円満解決、じゃないでしょうかネ。
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** ご挨拶 ** ブログ【傘寿を生きるロマン日記】公開に当たって
私のネット生活に寄せる想いです。ご理解賜りたくご一読をお願い申し上げます。
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「昭和5年で傘寿? 私は4年ですが未だ傘寿ではありません」
ほぼ同年齢のご婦人からメールをいただきました。もう4年のお付き合い。気の置けない仲です。私をややヤユして、楽しんでいます。
★ まあ、前後に絵文字がいっぱい貼ってあるミーハーまがいのメールですから、ネット特有のユーモアですね。ご本人はクリスマスのご誕生。いつもご自慢で私も十分、承知しております。この人・・・傘寿を迎えるのは今年の年末頃だそうで、「マダマダ手が届かない遙か先の話・・・」とか。”傘寿の女心”に、思わずニンマリしてしまいました。
★ 指折り数えると、ご主張、スジが通っています。満年齢で言うならその通りですね。自分より一つ若いオトコが「傘寿を生きる」などと書いているのでカラカッテみたくなったのでしょう。「ワッハッハ! ともども大爆笑! 楽しい一日、ありがとう 」と、返信メールを送りました。
★ 数え(トシ)か、満(ネンレイ)か。ちょっと込み入った年齢に関わる話になると、「マン?」 「カゾエ?」と、よくダメ押ししますね。学校、会社、官公庁などでは満年齢が常識ですが、やはり年配者には数え年を使う人が随分、います。そう言う私自身、「数え年」派ですから、「マン? カゾエ?」と訊かれることがよくあります。
★ 私が「数え年」派に転向したのは、この岡山の吉備高原に来てからでした。
20年前、ちょうど還暦を迎える直前でしたが未だ現役であったことも関連し、”私の還暦祝い”を何時にするのか? 周りがいろいろと取り沙汰してくれました。
★ 「何時にしましょう?」・・・相談されて答えた一言がその後の自分を縛ることになりました。「慶事の祝いは数え年が常識。満年齢でヤルのは弔事だけだョ」
実は、咄嗟の冗談でした。でも、よほどインパクトがあったようで、冗談とは受け止められず、言葉通りにカゾエの60歳で祝賀のパーティとなりました。
★ ところで、この”冗談”、後で「慶弔事典」で調べたら、どうやら正解のようです。
還暦(60)に始まり古希(70)→喜寿(77)→傘寿(80)→米寿(88)→卒寿(90)→白寿(99) そして百寿(100)に至る。長寿、コレすべてカゾエで祝うべし、とあります。
★ 「もともと古くからの伝承行事。昔流の数え年で祝うのが自然です」とも書いてあります。ただ続いて「最近は満年齢も普及している」との但し書きも・・・実際のところ、どちらでもいいのですね。ならば、慶事、先に立てて喜べ。それが私の主張です。
**** 奇怪!? ”ゼロ”歳児などいませんョ ****
★ まあ、コレなどは笑い話でいいですが、ちょっと深刻になってしまうのが「ゼロ歳児」。昔はなかった言葉ですから、多分、《満年齢が全国に普及して》 ”マン”では数えようのない赤ちゃんに被せた”新年齢”なのでしょうね。
でもヘンです。とても違和感があります。
★ 早い話、他の事柄を表現する場合、「ゼロ」は無を意味します。ベア回答ゼロ、投資効果ゼロ・・・その存在のカケラも姿を見せない無です。言葉本来の意味・内容からすれば、「”ゼロ”歳児」などと言うと「”無”歳児」を連想するのが自然ですね。
★ しかし、新生児は《歳のカケラも無い》存在ではありません。「とつきとうか」(10月10日)母親の胎内にあって生命を育み、この世に生まれ出て来ました。誕生と共に「1歳」を付与しても決して矛盾しません。ましてや、この世に生まれ出てからは「日一日、長足の成長」ぶりを見せます。この時期、早“歳食い“のチャンピオンです。
★ それを言い出すと、モノの分かった人々は、「そんなの時代錯誤、満年齢は、もう明治時代から日本の近代化に合わせて習慣化している」とあきれ顔をします。確かに、古くからあった数え年で年齢を現す長い習慣は、国の法律で変えられたのですね。
★ 調べてみると、今から107年も前に施行された「年齢計算ニ関スル法律(明治35年12月2日 法律第50号)」で、そう決められました。でも・・・戦後になっても国民の多くは数え年を捨てませんでした。赤ちゃんに「ゼロ歳」などというトシを与えたのは、それからズーッと後のこと。ごく最近ではないでしょうか。
★ 今では、保育・教育・福祉などの広い分野で「ゼロ歳児保育」 「ゼロ歳児教育」 などと使われ、表示も「0歳児」 「零歳児」といろいろ。 英字新聞などを見ると、英語にはそんな単語発想はないようで、babies under the age of one と説明的表現を用いています。もし、zero aged baby ? などと言ったらどんな顔をするでしょうかね。
★ 何でも理屈に合わないと納得できない現代人は、満年齢が合理的だ、と主張します。12月31日に出生した場合、出生時に1歳で、翌日(1月1日)に2歳となる。また、1月1日に出生した場合は、2歳になるのは翌年の1月1日になる。たった一日違いで1年の年齢差はオカシイ、と仰る。
★ たった一つの極端な一例でオカシイ、と言うのであれば、誕生1日から364日までをすべてゼロ歳と言う方がよほどオカシイのではありませんかね。民俗伝承の諸行事を抹殺して、徹底的に合理主義を貫くならそれは、それはそれで一つの見識でしょう
★ しかし、「七五三」は祝いたい、「還暦祝い」は無視出来ない、等など・・・それを言うのなら数え年が最も相応しいです。カゾエ、マン、両用でいいのではないでしょうか。
それを別にして、「マンでなけねば」などと頑なになるから「ゼロ歳児」などというワケの分からぬ意味不明、しかも全く用をなさない造語を作り出すことになります。
★ 少なくとも意味のない「ゼロ歳児」だけは日本語から抹殺してほしい。
合理的名称を言うなら、「3ヶ月児」 「6ヶ月児」の方がウンと、科学的、実用的です。重厚な文化遺産を内包している日本社会では、現代社会システムにはマン年齢、伝承文化生活にはそれ相応のカゾエ年齢、両方の数え方を認めれば、それで、すべて円満解決、じゃないでしょうかネ。
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** ご挨拶 ** ブログ【傘寿を生きるロマン日記】公開に当たって
私のネット生活に寄せる想いです。ご理解賜りたくご一読をお願い申し上げます。
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by zenmz
| 2009-05-12 00:15
| 現代社会論