2009年 05月 16日
【9132】 傘寿を迎えて「5/15事件」を考える(上) |
★ 私は、昭和5年(1930)生まれです。世界大恐慌の最中、ファシズムが台頭し、テロ、軍事クーデターが続発した時代でした。中国東北では”満州事変”が起こり、政党政治が腐敗し、失望した国民の多くは社会主義運動に走っていました。
★ 正に「内憂外患」の時代。翌昭和6年には「国家改造」を目指して”跳ね上がり”軍人が右翼団体と組んでファッショ政権樹立を画策し、実行しました。首相以下閣僚を殺害して戒厳令の下、軍事政権を樹立しようとしたのです。実行は失敗。後に「三月事件」「十月事件」として明るみに出ましたが、事件処理はヤミに葬られました。
★ しかし、翌年(1932)5月15日、大日本帝国海軍急進派の青年将校らの反乱事件は、実に簡単にファッショ政権を実現させました。首相官邸等を襲撃し、犬養毅首相が射殺した実行犯人は、古賀清志中尉ら海軍将校10人、陸軍士官学校生徒11人、民間右翼20人のたった41人。
★ その行動が、明治維新で確立した立憲政党政治を停止させ、犬養内閣を崩壊させ、海軍大将・斎藤実を首班とする”挙国一致”内閣を発足させて、ファッショ政権を実現させたのです。なぜ??? たった41人の若者が徒党を組んで国家転覆がそう簡単にできるものでしょうか?
★ 当時の世論は、この事件をどうとらえていたのか?
図書館で古い新聞をひっくり返してみました。翌日の東京日々新聞5月16日付け社説「帝都恐怖に襲われる」は、「事件が偶発的なものでない」とし、背後にあるものを告発して「断固たる処置を」と強く要求しています。
ただ、この頃から新聞紙面から【5/15事件】に関わる報道が姿を消します。
★ 改めて新聞が【5/15事件】を取りあげるのは、司法省が事件処理の結末を公表した翌年昭和8年(1933)のこと。それまで約1年間、斎藤新内閣は一切の報道を禁止しました。犬養首相事件を理由に警視庁”特高”(特別高等警察部)が強化され思想弾圧が始まりました。
★ 日本海軍、中国軍と海戦(上海事件) 血盟団員、井上前蔵相、団三井合名理事長射殺、満州国建国宣言・・・古新聞紙面を広げて、当時の社会状況に身を置いて追体験していると、血なまぐさい、衝撃的な事件がいっぱい並んでいます。
★ そんな中で、言論は未だ健全でした。なのに・・・何故? たった41人の若い”跳ね上がり”が国家の運命を変えることが出来たのか? 【5/15事件】は国民の教訓には鳴りませんでした。それから4年後の昭和11年には、軍部による組織的、本格的な軍事クーデター【2/26事件】が発生したのです。
★ 報道統制の1年間に国民世論の組織的操作が行われたのではないか?
誠に正統な、当時の新聞論調を吟味しながら、そんな想いがしてきました。
【注】 この記事は、次の関連記事にリンクされています。引き続きご覧ください。
【9133】 [5/15事件」を考える(中)に続く
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** ご挨拶 ** ブログ【傘寿を生きるロマン日記】公開に当たって
私のネット生活に寄せる想いです。ご理解賜りたくご一読をお願い申し上げます。
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★ 正に「内憂外患」の時代。翌昭和6年には「国家改造」を目指して”跳ね上がり”軍人が右翼団体と組んでファッショ政権樹立を画策し、実行しました。首相以下閣僚を殺害して戒厳令の下、軍事政権を樹立しようとしたのです。実行は失敗。後に「三月事件」「十月事件」として明るみに出ましたが、事件処理はヤミに葬られました。
★ しかし、翌年(1932)5月15日、大日本帝国海軍急進派の青年将校らの反乱事件は、実に簡単にファッショ政権を実現させました。首相官邸等を襲撃し、犬養毅首相が射殺した実行犯人は、古賀清志中尉ら海軍将校10人、陸軍士官学校生徒11人、民間右翼20人のたった41人。
★ その行動が、明治維新で確立した立憲政党政治を停止させ、犬養内閣を崩壊させ、海軍大将・斎藤実を首班とする”挙国一致”内閣を発足させて、ファッショ政権を実現させたのです。なぜ??? たった41人の若者が徒党を組んで国家転覆がそう簡単にできるものでしょうか?
★ 当時の世論は、この事件をどうとらえていたのか?
図書館で古い新聞をひっくり返してみました。翌日の東京日々新聞5月16日付け社説「帝都恐怖に襲われる」は、「事件が偶発的なものでない」とし、背後にあるものを告発して「断固たる処置を」と強く要求しています。
一夜にして黄金世界を作り出さんなどまさに痴人の夢にも等しい。もしテロリズムをもって社会全般の粛清が短時間に出来ると考えればそれはあまりに単純である。★ 青年将校の跳ね上がり行動には根深い軍部の魂胆がある・・・・それをキチンと指摘しています。新聞は、正しく事件の本質を伝えているように思いました。興味を持ち、前後を開いてみると・・・・翌17日付けの同紙社説「不穏事件と政局-国民の前に投げられた問題」 更にズバリ、目を向けるべき焦点をえぐり出しています。
一度、殺伐の風の許されんか、世は凶悪なる途輩の跳梁に委せられ、治安も、秩序もなく、その社会自体の破滅とならざるを得ない。法を破れるものは法の命ずるところに従わねばならぬ。
われ等は今回の事件をもって個人的偶発事件と考えないだけに、これに対する措置において、政府当局の誤らざらんことを望まねばならぬ。
★ この新聞には、もう一つ、注目を惹く社説がありました。翌月6月4日付けの「『不詳事件』と荒木陸相」 この日の社説は、「不祥事を起こしたのは軍規の弛緩だ、なのに何故、軍当局として一言の説明もないのか」と厳しく質しています。
今回の行動中心は文字通りのファッショを企画しつつあるものの如く、従って現在の議会制度とは全然対蹠的政治様式を夢みているものの様である。
われらは秩序ある国家においてかくの如き現状打破の計画が力によって遂行し得られるものでないことを信ずるけれども・・・政党がその政党らしからざるために議会政治に大きな亀裂を生じたことは否定できない。
議会政治を否定することが賢明であるか。
或いは国民相共に議会政治の実をあぐるために心を新たにして努めるべきか。
それが国民の考えねばならぬところであると思う。
国内に不安の事象の生ずることは、政治の中心に力と威信の欠けているためである。われらは政治の本体を強固にしなければならぬ。
★ 77年前の論説・・・今、読んでも、色あせることのない正論ですね。
軍人が党を成して白昼帝都に暴力を振るえるとは、正に軍規の弛緩である。しかし、国民の最大関心はかかる事件の再び起こらないことである。
この点について荒木陸相はこれら軍規を乱せるものに対する軍当局の態度の如何については一言半句の表示がなかったのである。事もとより審議中に属すけれどもこの事件は法規以外に大きな道義的意義を伴う。われ等はこの点について何事も聞き得なかったことを甚だ失望するものである。
ただ、この頃から新聞紙面から【5/15事件】に関わる報道が姿を消します。
★ 改めて新聞が【5/15事件】を取りあげるのは、司法省が事件処理の結末を公表した翌年昭和8年(1933)のこと。それまで約1年間、斎藤新内閣は一切の報道を禁止しました。犬養首相事件を理由に警視庁”特高”(特別高等警察部)が強化され思想弾圧が始まりました。
★ 日本海軍、中国軍と海戦(上海事件) 血盟団員、井上前蔵相、団三井合名理事長射殺、満州国建国宣言・・・古新聞紙面を広げて、当時の社会状況に身を置いて追体験していると、血なまぐさい、衝撃的な事件がいっぱい並んでいます。
★ そんな中で、言論は未だ健全でした。なのに・・・何故? たった41人の若い”跳ね上がり”が国家の運命を変えることが出来たのか? 【5/15事件】は国民の教訓には鳴りませんでした。それから4年後の昭和11年には、軍部による組織的、本格的な軍事クーデター【2/26事件】が発生したのです。
★ 報道統制の1年間に国民世論の組織的操作が行われたのではないか?
誠に正統な、当時の新聞論調を吟味しながら、そんな想いがしてきました。
【注】 この記事は、次の関連記事にリンクされています。引き続きご覧ください。
【9133】 [5/15事件」を考える(中)に続く
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** ご挨拶 ** ブログ【傘寿を生きるロマン日記】公開に当たって
私のネット生活に寄せる想いです。ご理解賜りたくご一読をお願い申し上げます。
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by zenmz
| 2009-05-16 13:13
| 歴史との対話

