2010年 07月 03日
【10042】 郷に入りては郷をたのしむ |
★ 私たち夫婦が、この岡山・吉備高原都市移り住んだのは、忘れもしない昭和天皇が亡くなられたその日でした。1989年(昭和64年)1月7日早朝、危篤のラジオ放送を聞いて大阪を後に・・・そしてJR岡山駅に着いた時には陛下崩御を伝える新聞号外を手にしていました。時の官房長官だった小渕さんが大書した「平成」の新らしい年号を掲げて記者会見している姿が大きく印刷されていたのを思い出します。
★ それから、はや22年が経ちました。平成の年号そのままの歳月が、私たち夫婦の”終の棲家”岡山の歴史に重なりました。いまでは「理想的な終の棲家」と満足している岡山の田舎生活ですが、最初は土地に馴染むのが大変でした。
★ 京都生まれの京都育ち、京都弁が培った生活文化の”京男”と、大阪生まれ大阪育ちの”浪速女”の夫婦が岡山のど真ん中の田舎町に来てビックリしたのは文化の違い。僅か西へ100キロしか離れていない目と鼻の先なのに、言葉も、生活習慣も、全く違います。トンチンカンの連続でした。
★ 新生活を築く上で、最優先の克服課題は、車の運転でした。ここに来るまでは、大阪・千里ニュータウン、地下鉄すぐ近くの駅前マンションに住んでいましたから自分で車を運転するなど考えてもみませんでした。しかし、ここでは「ちょっとお隣へ」でも1キロ。買い物となると片道7キロです。車なしでは生きていけません。還暦前の夫婦が自動車学校に通うハメになりました。
★ そこで苦労したのが岡山弁です。教習所の先生が、何をしゃべっているのか?? よく分からないのです。教則本をみながら、「ああ、この辺りのことを言ってるのだろう」と推測しつつ授業を受ける始末。後から分かったことですが、この教官、同じ岡山弁でも、少し奥の美作弁、それもかなり純粋な方言であったため地元の”備中人”にも分かりにくかったのだそうです。
★ 若い人の3倍の時間をかけてやっと、路上教習に出た時のことです。
信号にさしかかると、橙色に変わりました。徐行から停止へ・・・と、ブレーキを踏み込み始めた途端、怒鳴るような声、「そこで、どうするんナラっ」 何か叱られたような気がして、思わずブレーキを精一杯踏み込み急停止しました。
★ 「つまりブレーキは、2,3度、軽く踏んで後ろの車に停止サインを出す。そしてゆっくり絞り込むように停止をかける。その要領を忘れないように・・・」
やっと分かりました。「そこで、どうするんナラっ」と、一息、いれた表現は、「どうするかといえば・・・」という意味だったのです。私は、何か間違いをして、詰問された、と受け止めました。だから何の操作が悪かったのか? 咄嗟に分からず急停車したのでした。
★ まあ、一つの典型的なチグハグの例ですが、同じようなチグハグが、毎日いっぱい起こりました。一番、耳障りだったのは、「しねぇー」 「しなさい」という指示言葉ですが、私の耳には「死ね!」と聞こえます。何とエゲツナイお叱り言葉か? と、最初は呆れたものです。
★ 言葉だけではありません。立ち居、振る舞い、仕草まで、違って見えます。こんな場合、古人の格言は「郷に入りては郷に従え」 しかし、マトモにそれを受けて実行しようものなら神経衰弱になってしまいます。
★ 村の人々は、よほど私たち夫婦の言葉のやりとりが面白かったようです。「ヨシモトのような夫婦が来た」と一時、有名になりました。どこに住んでも我が家では関西弁が標準語でしたから、関西弁のノリを変えることなど考えられません。
★ しばらくして、私は、出会う人ごとに宣言することにしました。
「私たちは、もう還暦。今更、岡山弁を習って身についた関西弁のアカを落とせない。郷に入りては郷に従う格言は免責していただきたい」
★ そして、土地に”同化する無理な努力”は止めて、関西人の老夫婦そのままに生きることを認めて貰う努力を尽くしました。そして「郷に入りては郷に従う」のではなく、「郷に入りては郷を楽しむ」 つまり違いのおもしろさを徹底的に楽しむことにしました。
★ どこへ行っても生活スタンスを変えない”関西人”は、特に関東で評判が悪いですね。今はそれほどでもありませんが、私が若い頃には、面と向かって「”郷に入りては郷に従え”だよ」と、関西弁に嫌悪感を顕わにする東京育ちの上司がいました。
★ 「郷に入りては郷に従え」という格言、この岡山でも、よく耳にします。日本語を教えているアメリカ娘に訊ねますと、英語でも、When in Rome, do as the Romans do. (ローマに入りてはローマ人に従え)と言うのだそうです。
★ この格言も、元はと言えば、、ほぼ同じ意味のラテン語"si fueris Romae, Romano vivito more; si fueris alibi, vivito sicut ibi: "が原典。ラテン語の流れを汲む欧米諸国語圏すべてに共通する格言なのでしょうね。多分、世界に普遍している生活の知恵なのでしょう。
★ でも・・・・私は、はっきり言って、「郷に入りては郷に従え」は、嫌いですね。
この言葉には、多数者が少数者に向かって圧力をかけているような嫌みな響きがあります。更に言い切ってしまえば、部族社会がよそ者に同化を強制し、嫌なら来るな、と、交際を拒否する意思表示に感じ取れます。
★ ごく少数の人が移動していた時代は終わりました。今は、世界のあらゆる人種がグローバルに移動し、結婚、就職、留学そして異国の地に家庭を築く時代です。現に私の住む近くの自動車工業団地にはブラジル人労働者がブラジルコミュニティを作っていて、その子弟たちのため市の教育委員会が特別の小学校を作って、ポルトガル語と日本語のバイリンガル教育を始めることになっています。
★ 私が若い頃、初めて行った外国はオーストラリアでした。今から53年も前の1957年のこと。当時は"White Australia"(白豪主義)が国是で、有色人種の移民を受け付けないことで有名でした。そしてロシア人などの"New Commer"(新参者)に強く要求していたのは、アングロ・サクソンへの同化でした。
★ アメリカも同じ。アメリカは”WASP”の国、と言われていました。つまり白人(White)で人種はイングランドの流れを汲むアングロサクソン(Anglo-Saxons)で、しかも宗教はプロテスタント(Protestant) が主流の国。ここに移住した以上、WASPの言葉、風俗・習慣に同化せよ・・・それが強調されていました。
★ こうした多数者の「郷に入りては郷に従え」論理が破綻したのが20世紀後半に世界で起こった一大文化革命でした。ブラック・パンサーの登場です。"Black is beautiful!" (黒人はそれ自体、美しい) 文化に上下はない、白は白、黒は黒でそれぞれ、平等に美しい。後に「多文化主義」と名付けられた文化革命はたちまち世界を覆いました。
★ 「郷に入りては郷に従え」・・・地元への同化を求めた古い格言はたちまち色褪せてしまいました。”少数者”もコミュニティを形成するほどに数が増えれば、そこが”郷” 違いを認めよ、と、社会的認知を求めるアピールを始めています。
★ 1960年代後半から、アメリカも、オーストラリアも、激変しました。白人主導の同化政策は姿を消して、有色人種の移民を積極的に受け入れる方針に大変身しました。島国ニッポンも例外ではありません。”経済大国”に開発途上国の労働者がドッと押し寄せ、全国各地に続々と”外国人コミュニティ”を作り「”新しい郷”を楽しむ」生活をしています。
★ 「きっと20年前の私たちと同じ気持ちなんだろうナ・・・」 そんな想いで、こうした大変化を眺めている私は、「”郷に入りては郷に従う” そんなことでストレス溜めることはない、お互い違いのチグハグを楽しんで笑い合おうよ」と声をかけたい思いです。
★ が、しかし、その反面で、「この国に住む以上、せめて日本語だけは学んで、日本の生活に馴染んで欲しいネ」と注文もつけたくなります。心の底にはやはり「郷に入りては郷に従え」と言うよネ、と、言いたい気持ちもあるのですね。 この矛盾、どう説明したらいいのか? いい加減な自分が未だに整理出来ていません。そこを外国人に突っ込まれると、もうお手上げですね。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
** ご挨拶 ** ブログ【傘寿を生きるロマン日記】公開に当たって
私のネット生活に寄せる想いです。ご理解賜りたくご一読をお願い申し上げます。
「にほんブログ村」のシニア日記に参加しました。70歳以上のシニア・ブロガーの素晴らしい日記が多数、あります。是非、ご披見下さい。
にほんブログ村
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【お断り】 下の広告は全く無関係、これに関わる責任はもてません。念のため申し添えます。
★ それから、はや22年が経ちました。平成の年号そのままの歳月が、私たち夫婦の”終の棲家”岡山の歴史に重なりました。いまでは「理想的な終の棲家」と満足している岡山の田舎生活ですが、最初は土地に馴染むのが大変でした。
★ 京都生まれの京都育ち、京都弁が培った生活文化の”京男”と、大阪生まれ大阪育ちの”浪速女”の夫婦が岡山のど真ん中の田舎町に来てビックリしたのは文化の違い。僅か西へ100キロしか離れていない目と鼻の先なのに、言葉も、生活習慣も、全く違います。トンチンカンの連続でした。
★ 新生活を築く上で、最優先の克服課題は、車の運転でした。ここに来るまでは、大阪・千里ニュータウン、地下鉄すぐ近くの駅前マンションに住んでいましたから自分で車を運転するなど考えてもみませんでした。しかし、ここでは「ちょっとお隣へ」でも1キロ。買い物となると片道7キロです。車なしでは生きていけません。還暦前の夫婦が自動車学校に通うハメになりました。
★ そこで苦労したのが岡山弁です。教習所の先生が、何をしゃべっているのか?? よく分からないのです。教則本をみながら、「ああ、この辺りのことを言ってるのだろう」と推測しつつ授業を受ける始末。後から分かったことですが、この教官、同じ岡山弁でも、少し奥の美作弁、それもかなり純粋な方言であったため地元の”備中人”にも分かりにくかったのだそうです。
★ 若い人の3倍の時間をかけてやっと、路上教習に出た時のことです。
信号にさしかかると、橙色に変わりました。徐行から停止へ・・・と、ブレーキを踏み込み始めた途端、怒鳴るような声、「そこで、どうするんナラっ」 何か叱られたような気がして、思わずブレーキを精一杯踏み込み急停止しました。
★ 「つまりブレーキは、2,3度、軽く踏んで後ろの車に停止サインを出す。そしてゆっくり絞り込むように停止をかける。その要領を忘れないように・・・」
やっと分かりました。「そこで、どうするんナラっ」と、一息、いれた表現は、「どうするかといえば・・・」という意味だったのです。私は、何か間違いをして、詰問された、と受け止めました。だから何の操作が悪かったのか? 咄嗟に分からず急停車したのでした。
★ まあ、一つの典型的なチグハグの例ですが、同じようなチグハグが、毎日いっぱい起こりました。一番、耳障りだったのは、「しねぇー」 「しなさい」という指示言葉ですが、私の耳には「死ね!」と聞こえます。何とエゲツナイお叱り言葉か? と、最初は呆れたものです。
★ 言葉だけではありません。立ち居、振る舞い、仕草まで、違って見えます。こんな場合、古人の格言は「郷に入りては郷に従え」 しかし、マトモにそれを受けて実行しようものなら神経衰弱になってしまいます。
★ 村の人々は、よほど私たち夫婦の言葉のやりとりが面白かったようです。「ヨシモトのような夫婦が来た」と一時、有名になりました。どこに住んでも我が家では関西弁が標準語でしたから、関西弁のノリを変えることなど考えられません。
★ しばらくして、私は、出会う人ごとに宣言することにしました。
「私たちは、もう還暦。今更、岡山弁を習って身についた関西弁のアカを落とせない。郷に入りては郷に従う格言は免責していただきたい」
★ そして、土地に”同化する無理な努力”は止めて、関西人の老夫婦そのままに生きることを認めて貰う努力を尽くしました。そして「郷に入りては郷に従う」のではなく、「郷に入りては郷を楽しむ」 つまり違いのおもしろさを徹底的に楽しむことにしました。
★ どこへ行っても生活スタンスを変えない”関西人”は、特に関東で評判が悪いですね。今はそれほどでもありませんが、私が若い頃には、面と向かって「”郷に入りては郷に従え”だよ」と、関西弁に嫌悪感を顕わにする東京育ちの上司がいました。
★ 「郷に入りては郷に従え」という格言、この岡山でも、よく耳にします。日本語を教えているアメリカ娘に訊ねますと、英語でも、When in Rome, do as the Romans do. (ローマに入りてはローマ人に従え)と言うのだそうです。
★ この格言も、元はと言えば、、ほぼ同じ意味のラテン語"si fueris Romae, Romano vivito more; si fueris alibi, vivito sicut ibi: "が原典。ラテン語の流れを汲む欧米諸国語圏すべてに共通する格言なのでしょうね。多分、世界に普遍している生活の知恵なのでしょう。
★ でも・・・・私は、はっきり言って、「郷に入りては郷に従え」は、嫌いですね。
この言葉には、多数者が少数者に向かって圧力をかけているような嫌みな響きがあります。更に言い切ってしまえば、部族社会がよそ者に同化を強制し、嫌なら来るな、と、交際を拒否する意思表示に感じ取れます。
★ ごく少数の人が移動していた時代は終わりました。今は、世界のあらゆる人種がグローバルに移動し、結婚、就職、留学そして異国の地に家庭を築く時代です。現に私の住む近くの自動車工業団地にはブラジル人労働者がブラジルコミュニティを作っていて、その子弟たちのため市の教育委員会が特別の小学校を作って、ポルトガル語と日本語のバイリンガル教育を始めることになっています。
★ 私が若い頃、初めて行った外国はオーストラリアでした。今から53年も前の1957年のこと。当時は"White Australia"(白豪主義)が国是で、有色人種の移民を受け付けないことで有名でした。そしてロシア人などの"New Commer"(新参者)に強く要求していたのは、アングロ・サクソンへの同化でした。
★ アメリカも同じ。アメリカは”WASP”の国、と言われていました。つまり白人(White)で人種はイングランドの流れを汲むアングロサクソン(Anglo-Saxons)で、しかも宗教はプロテスタント(Protestant) が主流の国。ここに移住した以上、WASPの言葉、風俗・習慣に同化せよ・・・それが強調されていました。
★ こうした多数者の「郷に入りては郷に従え」論理が破綻したのが20世紀後半に世界で起こった一大文化革命でした。ブラック・パンサーの登場です。"Black is beautiful!" (黒人はそれ自体、美しい) 文化に上下はない、白は白、黒は黒でそれぞれ、平等に美しい。後に「多文化主義」と名付けられた文化革命はたちまち世界を覆いました。
★ 「郷に入りては郷に従え」・・・地元への同化を求めた古い格言はたちまち色褪せてしまいました。”少数者”もコミュニティを形成するほどに数が増えれば、そこが”郷” 違いを認めよ、と、社会的認知を求めるアピールを始めています。
★ 1960年代後半から、アメリカも、オーストラリアも、激変しました。白人主導の同化政策は姿を消して、有色人種の移民を積極的に受け入れる方針に大変身しました。島国ニッポンも例外ではありません。”経済大国”に開発途上国の労働者がドッと押し寄せ、全国各地に続々と”外国人コミュニティ”を作り「”新しい郷”を楽しむ」生活をしています。
★ 「きっと20年前の私たちと同じ気持ちなんだろうナ・・・」 そんな想いで、こうした大変化を眺めている私は、「”郷に入りては郷に従う” そんなことでストレス溜めることはない、お互い違いのチグハグを楽しんで笑い合おうよ」と声をかけたい思いです。
★ が、しかし、その反面で、「この国に住む以上、せめて日本語だけは学んで、日本の生活に馴染んで欲しいネ」と注文もつけたくなります。心の底にはやはり「郷に入りては郷に従え」と言うよネ、と、言いたい気持ちもあるのですね。 この矛盾、どう説明したらいいのか? いい加減な自分が未だに整理出来ていません。そこを外国人に突っ込まれると、もうお手上げですね。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
** ご挨拶 ** ブログ【傘寿を生きるロマン日記】公開に当たって
私のネット生活に寄せる想いです。ご理解賜りたくご一読をお願い申し上げます。
「にほんブログ村」のシニア日記に参加しました。70歳以上のシニア・ブロガーの素晴らしい日記が多数、あります。是非、ご披見下さい。
にほんブログ村
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【お断り】 下の広告は全く無関係、これに関わる責任はもてません。念のため申し添えます。
by zenmz
| 2010-07-03 00:01
| 吉備高原ライフ