2010年 07月 18日
【10065】 雑草という草はない |
★ 24節季も、「小暑」(7月7日)が終わり、祇園祭りが始まると、陽気は一気に「大暑」(7月23日)に向かいます。 ”蒸熱酷暑を感ず”候、猛暑入りですね。 ことしの梅雨は、西日本に未曾有の長雨・豪雨をもたらしましたが、東日本は”干ばつ”だ、とか? 床上浸水の畳乾しと雨乞いが同居? 日本列島も 広いですね。
★ 吉備高原は、今朝もどんより曇っています。が、昨日は、温度がぐんぐん上がって、梅雨明け。長かった梅雨の”湿り”が我が家の庭の雑草を生い茂らせましたので、この暑さの中、私も忙しくなります。
★ この1週間ほどの間に”しぶとい”雑草を根絶やししておかねばなりません。が、この庭、270坪、都会暮らしを捨てて、自然に親しもうと、想いの丈を庭につぎ込んだ情熱でしたが・・・22年経過すると、私も馬齢を重ねて80歳。庭が青春の盛りになって、今では、持て余しています。
★ この厄介な庭を占領している雑草をみるにつけ、思い起すのは、昭和天皇のお言葉です。
次の話、ご存知でしょうか?
★ ご自分の留守中に、お住まいである吹上御所の庭の草を刈り取られている。
それに気がつかれた天皇が、侍従・入江相政(すけまさ)さんにお尋ねになりました。
「どうして庭を刈ったのかね」。
★ 入江さんは
「雑草が生い茂ってまいりましたので…」
と答えました。
内心、おほめのお言葉でも、と期待していたのだそうです。
★ ところが、昭和天皇は
★ このお話・・・入江さんが後に『宮中侍従物語』(角川文庫)の中で公開し、一躍、有名になりました。初版本は、もう20年も前に朝日新聞社から出版されましたが、当時、私は還暦。この話を読んで、長い間、心の底でわだかまっていた昭和天皇に対する”恨み”が解けた思いがしました。
★ 幼い頃、”軍国少年”として育った私は、ことごとに「天皇陛下に代わって」とのセリフ付きで、教師や、上級生から殴られた思い出を引きずっていて、恨みを拭いきれませんでした。教育勅語を間違えた、と言って殴られ、姿勢が悪いと殴られた。その暗黒の時代、軍服姿の昭和天皇は白馬に跨って国民を見下ろしていました。
★ しかし、「どんな草にも雑草というものはない」というお言葉に接し、更に「人間の一方的な考え方でこれを雑草としてきめつけてしまう」とご指摘になった、それを知った瞬間、初めて”人間・天皇”に触れた思いがしたものです。
★ 私は、昭和天皇の、このお言葉で、大事な場面で”救われた”経験を持っています。
新聞記者を卒業した後、大学の教師になりました。
ビックリしたのは何度、注意しても止まない授業中の私語・雑談。
「何しにきているオマエたち・・・」
みんなが大学に進む時代・・・眼前の学生、全員が”学問の府に輩出した雑草”に見えました。
絶望感に苛まれていた、ある時、昭和天皇のお諭しを思い出しました。
★ 「雑草という草はない」・・・瞬間、一大覚悟しました。
そうだ、学びの生徒は一人一人、個々別々の人格。
”学生”と束ねて不心得の連帯責任を、詰問してはならぬ。
★ 以来、問題発生ごとに、一人一人の名前を呼んで注意しました。
そして講義のポイントを、一人一人に質問し、回答を求めました。
まもなく、私の教室から、私語・雑談が消えました。
にわか教師にとって、それは、実に素晴らしい体験でした。
★ どんな”雑草”でも、一度、名前を覚えると、愛しくなります。
それと同じで、学生達も、一人一人の名前を覚えれば、愛が芽生えます。
それがないまま、「学生」とひとくくりにして指導しても、何も受け取らないです。
例え、それが、どんなに正論であっても、心に響かず、魂に触れません。
昭和天皇のお言葉をかみ締めて、教師たる者の、あるべき基本を悟りました。
★ 雑草刈りのシーズンになると、それを思い出します。
そして、すくすく生育する若草を根絶やししながら、謝っています。
本当に哀れな雑草たち・・・祈りに似た気持ちを込めています。
「ゴメンね。次からは田んぼの畦(あぜ)に出ておいで、きっと農の心ある人々は、あなたたちを大切に化粧し育てて下さるョ」
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** ご挨拶 ** ブログ【傘寿を生きるロマン日記】公開に当たって
私のネット生活に寄せる想いです。ご理解賜りたくご一読をお願い申し上げます。
「過去記事」は、テーマ別にまとめ、ご案内してありますのでご参照ください。
【過去記事一覧】
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★ 吉備高原は、今朝もどんより曇っています。が、昨日は、温度がぐんぐん上がって、梅雨明け。長かった梅雨の”湿り”が我が家の庭の雑草を生い茂らせましたので、この暑さの中、私も忙しくなります。
★ この厄介な庭を占領している雑草をみるにつけ、思い起すのは、昭和天皇のお言葉です。
次の話、ご存知でしょうか?
★ ご自分の留守中に、お住まいである吹上御所の庭の草を刈り取られている。
それに気がつかれた天皇が、侍従・入江相政(すけまさ)さんにお尋ねになりました。
「どうして庭を刈ったのかね」。
★ 入江さんは
「雑草が生い茂ってまいりましたので…」
と答えました。
内心、おほめのお言葉でも、と期待していたのだそうです。
★ ところが、昭和天皇は
「雑草ということはない。どんな植物でも、みな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる。人間の一方的な考え方でこれを雑草としてきめつけてしまうのはいけない。注意するように」と諭された、そうです。
★ このお話・・・入江さんが後に『宮中侍従物語』(角川文庫)の中で公開し、一躍、有名になりました。初版本は、もう20年も前に朝日新聞社から出版されましたが、当時、私は還暦。この話を読んで、長い間、心の底でわだかまっていた昭和天皇に対する”恨み”が解けた思いがしました。
★ 幼い頃、”軍国少年”として育った私は、ことごとに「天皇陛下に代わって」とのセリフ付きで、教師や、上級生から殴られた思い出を引きずっていて、恨みを拭いきれませんでした。教育勅語を間違えた、と言って殴られ、姿勢が悪いと殴られた。その暗黒の時代、軍服姿の昭和天皇は白馬に跨って国民を見下ろしていました。
★ しかし、「どんな草にも雑草というものはない」というお言葉に接し、更に「人間の一方的な考え方でこれを雑草としてきめつけてしまう」とご指摘になった、それを知った瞬間、初めて”人間・天皇”に触れた思いがしたものです。
★ 私は、昭和天皇の、このお言葉で、大事な場面で”救われた”経験を持っています。
新聞記者を卒業した後、大学の教師になりました。
ビックリしたのは何度、注意しても止まない授業中の私語・雑談。
「何しにきているオマエたち・・・」
みんなが大学に進む時代・・・眼前の学生、全員が”学問の府に輩出した雑草”に見えました。
絶望感に苛まれていた、ある時、昭和天皇のお諭しを思い出しました。
★ 「雑草という草はない」・・・瞬間、一大覚悟しました。
そうだ、学びの生徒は一人一人、個々別々の人格。
”学生”と束ねて不心得の連帯責任を、詰問してはならぬ。
★ 以来、問題発生ごとに、一人一人の名前を呼んで注意しました。
そして講義のポイントを、一人一人に質問し、回答を求めました。
まもなく、私の教室から、私語・雑談が消えました。
にわか教師にとって、それは、実に素晴らしい体験でした。
★ どんな”雑草”でも、一度、名前を覚えると、愛しくなります。
それと同じで、学生達も、一人一人の名前を覚えれば、愛が芽生えます。
それがないまま、「学生」とひとくくりにして指導しても、何も受け取らないです。
例え、それが、どんなに正論であっても、心に響かず、魂に触れません。
昭和天皇のお言葉をかみ締めて、教師たる者の、あるべき基本を悟りました。
★ 雑草刈りのシーズンになると、それを思い出します。
そして、すくすく生育する若草を根絶やししながら、謝っています。
本当に哀れな雑草たち・・・祈りに似た気持ちを込めています。
「ゴメンね。次からは田んぼの畦(あぜ)に出ておいで、きっと農の心ある人々は、あなたたちを大切に化粧し育てて下さるョ」
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** ご挨拶 ** ブログ【傘寿を生きるロマン日記】公開に当たって
私のネット生活に寄せる想いです。ご理解賜りたくご一読をお願い申し上げます。
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by zenmz
| 2010-07-18 06:13
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