2010年 07月 22日
【10069】 学びひたり 教えひたろう 優劣のかなたで |
★ 一昨日(7/20)の日記「我らは同志・・・志縁を確かめ、育み続けた14年」の文中に、
私が、卒業研究ゼミに集まった学生達に
★ それを拝見して、私自身は、内心、忸怩(じくじ)たるものを感じています。
と、申しますのは、この教えは、実は、私自身のオリジナルなものではなく、教師になってからずっと、「大切な教師の心得」として、座右の銘にしてきた偉大な教育者の教えなのです。
その教えを、自分なりの思い入れを盛り込んで実行したに過ぎません。
そのことを、前記記事の補遺として、追加しておきたいと思います。
-------- 偉大なる”情念としての教育” --------
★ 東京女子大学卒業し、1928年(昭和3)年に長野県諏訪高等女学校へ奉職されて以来 1980(昭和55)年の退職まで52年間を一貫して公立中学校教諭を続けて、5年前の2005年4月に96歳の長寿を全うし、永眠されました。
★ 大村はま先生の教育とは何であったのか?
それは、亡くなられる1週間前に書かれた遺作詩『優劣の彼方に』に珠玉の言葉に表現されています。特に最後の結びの3行は、その真髄を凝縮されたものと思います。
★ 私は、新聞記者から大学教師に転身した者です。
何を、どう教えるのか? 何のために?
にわか教師の私は、泥縄式に教育方法論の教科書を開きました。
しかし、どれも、これも、ハウツー論議ばかりです。あまり役に立ちませんでした。
★ そんな時に、出会ったのが、 ”情念としての教育”
現在の教育に見られない
★ 「出来の善し悪しは問題ではない。卒業研究は、これまでの総決算。ゼミではただ学び浸れ! 私も君たちを教え浸る。アルバイトなどやめて、私と共に歩め」
と、激励した言葉は、大村はま先生の「情熱が迸る共に教え・学ぶ真事(まこと)追求」という情念教育を、そのまま受け継いだものであったのです。
★ 先生最後の遺作詩をご覧ください。
皆様にも一度、ジカに先生の心を温ねて頂きたいと願います。
”100年に1度の偉大な教師”の珠玉の教育論です。
『優劣のかなたに』
大村 はま
---------- 頂戴したコメント --------------
みら 2010年07月22日 06時55分
教育に携わるひとにとって、とても大切なことで、
ついハウツーに走りがちなところをめざめさせてくれます。
わたしも昨年夏「教室はちゃんこなべ」小学校の場合
の日記を2回書きましたが、学校は優劣をつけるところ
ではないと・・・その部分は小~大学まで同じだと思い
ました。
カシニョ-ル 2010年7月22日 7時15分
『優劣のかなたに」
非常に感銘を受けました。
こんな先生ばっかりだったら、今の
このような事態に陥ることはなかった
のではないかと思います。
それは『人生」に通じますね。
『学ぶ」を「生きる」に変えて、何回も
読んでみました。
まさに「優劣のかなたに」
毎日、一生懸命に生きなさいと教えて
頂いた気がいたします。
素晴らしい朝をありがとうございました。
ルンバ 2010年07月22日 07時23分
教育とは本来そうあるべきです。
今の学校は、本来家で学ぶべき事を
学校に丸投げの状態だと思います。
今は亡き父も教師でした。
今生きていれば、禅三様と同じぐらいの年齢です。
戦後の混乱の中での教育でした。
何をしてきたか、家で語る事はありませんでしたが、
葬儀の場に集まった教え子の数、言葉で初めで、
教育者としての父の存在の大きさを知りました。
父として、教育者として、今でも一番尊敬する人です。
家で学べる事を、学校に持ち込めば、
学校としてのあるべき姿
「学ぶ場所」は疎かになってしまいます。
もう1度考えて欲しいと思います。
若いお母様方。
少し、話がそれてしまったような・・・ごめんなさい。
☆・どり 2010年07月22日 08時11分
木村はま先生の 詞
感動いたしました。
タキ 2010年07月22日 08時15分
おはようございます
吉備野先生が尊敬してやまない大村はま先生の【優劣のかなたに】を声を出して読んでみました
子を持つ親ならば誰しもが このような教育理念をお持ちの先生に我が子をと思われることでしょう
教育者を志している方、現在教育現場に立たれている方々に ぜひとも受け継がれてほしいと切に感じ入りました
ふーちゃん 2010年07月22日 08時19分
>一心に 学びひたり
>教えひたる,
>それは 優劣のかなた。
>ほんとうに 持っているものを生かし,
>授かっているものに目覚め,
>打ち込んで学ぶ。
>できるできないを
>気にしすぎていて,
>持っているものが
>出し切れていないのではないか。
とても重みのあるお言葉ですね!
一語一語かみ締めたいと思います。
どうも有り難うございました。
藤堂なお 2010年07月22日 08時48分
感動を新たにしました。
大村はま先生の教育論、私も教育大学生時代に習いました。
多分、禅三先生もご指摘の通り、教師であれば、誰でも知っている偉大な教育者ですね。
それなのに・・家庭、地域、学校のすべてについて
現在の教育で欠けているものですね。
「情念の教育」・・・いい言葉、思い起こしました。
今は、親も、教師も、理屈の教育で迷っています。
実は、私が、感動を新たにしましたのは、禅三先生の情熱です。
新聞記者を退職されてから大学教授になられた。
普通だと、そのまま教壇に立たれて第二の人生、というところです。
しかし、禅三先生は、エライです。
教師とは何か? 何を、どうおしえるのか?
それを自らに問い、先輩教師の実践をつぶさに研究され、大村はま先生に出会われた。
そして、大村先生の教えを忠実に実行された・・・・なかなか出来ることではありません。
私が、今日の日記を拝見して、感動を新たにしたのは、禅三先生が本気だ、ということです。
本当に大村先生の精神を受け継いでおられなかったら、
今日のような日記を即座に書くことは出来ないと思ったからです。
禅三先生はホンモノだ、そう思いました。
先生、ありがとうございました。目が覚めた思いがいたします。
私は、ある学校の教師ですが、先生のお教えを受け継いでまいりたいと存じます。
きぃあ 2010年07月22日 09時10分
仕事の関係で大学生に接することが多いのですが、自分に自信の持てない人が何と多いことかといつも感じています。
それまでの学校教育の中で、それぞれの個性を引き出して持てるものを出し切り、生かし切ることがなされず優劣の価値観が蔓延していることを残念に思います。
むさしまま 2010年07月22日 09時11分
禅三さんの日記はもちろんですが、日記にコメントされている
方達の心を揺さぶられた感動にも目頭が熱くなるくらい大いに
感動しました。
ゆうゆう元気 2010年07月22日 09時32分
おはようございます!
“情念としての教育”
「教師も、生徒も、共に無我の境地にひたりきっている営み」
とても素晴らしい教えですね!
太極拳の“立禅”を行うときの心のありよう《無我》と共通します。
ムーサ 2010年07月22日 09時46分
一部のわずかの生徒(学生)以外にはひたすら劣等感を抱かせる教育。
劣等生の大量生産。
そんな教育を受けた私も当然劣等生。
当時培われた劣等感は、何十年経った今も尾を引いています。
私はもしかしたら被害者だったのかもしれない?
今日の日記を読んでふとそう思いました。
せめて孫、ひ孫を私みたいなすね者にしたくはありません。
大村はま先生のような教育理念の時代が、早く来ればいいなと思います。
銭本三千年 2010年07月22日 11時05分
皆様の真摯なコメント、ありがたく拝見致しました。
ここで一つ、どうしても申し添えなければならないことがございます。
大村先生は、教育実践の基本を教えられました。親なら誰もが望む子どもの教育の理想だと信じます。しかし、残念なことに、”大村教育”を実際に行うとなると、制度の大きな壁が前方に立ちはだかります。
何よりも大きな壁は、学舎(まなびや)が工場のように機械管理になっていることです。ちょうど、製造工場が、始業前と、終業後は、全面的に閉鎖され、厳重なカギが掛けられて、誰も出入り出来ない。
それと全く同じ状況に置かれているのが現在の学校です。
ひたむきに学ぶ、ひたむきに教える・・・・その志の教師と生徒は、沢山、います。
しかし集う場はないのです。それを実現する環境は、全くありません。
管理教育の象徴ともいうべき学舎の冷たい機械管理は、”ひたむき”の学ぶ心を許さないのです。
官公・私立・・設置者の如何を問わず、あらゆる学校が授業が終わると生徒・学生・教師を閉め出します。
それが、”ひたむきな学ぶ心”をぶち切っていることに誰も気付きません。
事実、私が、大学・短大で行った”私の教育”は、その”ひたむきな学びの自由”を獲得するために学校管理者と闘わねばなりませんでした。その”学舎での学習の自由”獲得の闘争は10年、退職までつづきました。 小学校から大学まで、現に教職にある方々に、その戦いを要求することは私には出来ません。
それは、教師という身分を賭して闘わねばならぬほど過酷な闘争です。
もし、ご関心がございましたら、私の25年間にわたる、「闘争の教育」の実践記録をご覧いただきたいと存じます。そしてご父兄の皆様には、教師に大村先生のような”情念の教育”をお求めならば、その実践が可能になる条件整備にお力添えをお願いしたいと思います。 【”ひたすら学ぶ自由”獲得への闘争】
きせくん 2010年07月22日 11時37分
先生申し訳ございません
私のような無学者には何もできません
只一生懸命生きるために見よう見真似で働いてきたものにとっては
先生は雲の上の尊い方に写ります
私のような劣等生はどうしたらよいのででしょうか
今後とも宜しくご指導お願いします
先生の足手まといでどうもすみません
yochan 2010年07月22日 13時37分
禅三先生の壮絶な”学びの自由”確保の闘争を拝見し、
改めて現在の「病める教育」に思いをいたしました。
本当に気付かなかったことです。
ひたすら学ぶ、その理想を実現するはずの学校が
機械管理で時間が来ると、子どもと教師を追い出す。
本当に、それでは、どんな教育論を掲げてもダメですね。
最も大事なことを忘れているうちに文部科学省、各地
教育委員会、校長、そして教師まで、それをいいことに、
教育環境整備を放棄しているように思います。
改めて管理教育の怖さを知りました。
これを変えることは、個人の力では到底、ムリですね。
現場第一線の先生方のご苦労が分かりました。
管理強化で理想が潰される教育の実態・・・怖いです。
足尾澄子 2010年07月22日 13時56分
【”ひたすら学ぶ自由”獲得への闘争】から【未来を拓く教育】(Ⅰ)~(3)まで、リンクされている禅三先生の教育実践記録を全部、通しで拝見致しました。
言葉にならない感動に浸っています。スゴイです。
今でも、こんな先生がおられるとは・・・信じられないほど感動しました。
全身全霊を打ちこんでの教育とは何か。
それを教えていただいたような気がいたします。
ありがとうございました。
まりえ♪ 2010年07月22日 17時08分
吉備野禅三さんの日記には、いつも新しい発見があります。
そして、叡智がかもし出す無限の喜びを感じます。
sachiko 2010年7月22日21:12
今日の大村はま先生の記事、興味深く読みました。40歳の息子が小学生の折に大村国語を会得した先生に一年間教えていただきました。ちょうど日教組の嵐が教育界を吹き荒れていた昭和46,7年頃でした。
教員室に赤旗が掲げられ一限目からスト中の先生は児童を教室において校門の外に待機、学校へ入りません。PTA役員が説得し教頭校長は敵視されています。
その折に大村学をまなんだ担任は、堂々と延長補修授業を夏休みに行い、ほかの先生にスト破りとそしられながら卒業までに単元をきっちりと教えてくれました。他の学級は、当時はベビーブーマー世代2世で8学級ありましたが、1単元も終わらないときでした。懐かしく思い出しました。
豪腕プチリンコ 2010年07月23日 05時42分
でもしか先生ではなく、情熱の塊のような先生に出会えた生徒は幸せですね。
ホトトギス 2010年07月23日 06時04分
おはようございます。優劣を忘れて、その人らしく生きる・・ということを追求したいですね!
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
** ご挨拶 ** ブログ【傘寿を生きるロマン日記】公開に当たって
執拗なブログ荒らし排除にコメント欄を閉鎖しました。
ご面倒をお掛けしますが、通信は、zenimoto@gmail.com へお願い致します。
【過去記事一覧】 は、テーマ別にまとめてございます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
私が、卒業研究ゼミに集まった学生達に
「出来の善し悪しは問題ではない。卒業研究は、これまでの総決算。ゼミではただ学び浸れ! 私も君たちを教え浸る。アルバイトなどやめて、私と共に歩め」と激励した、と、紹介しましたが、これについて、感動した、との読後感が多く寄せられました。
★ それを拝見して、私自身は、内心、忸怩(じくじ)たるものを感じています。
と、申しますのは、この教えは、実は、私自身のオリジナルなものではなく、教師になってからずっと、「大切な教師の心得」として、座右の銘にしてきた偉大な教育者の教えなのです。
その教えを、自分なりの思い入れを盛り込んで実行したに過ぎません。
そのことを、前記記事の補遺として、追加しておきたいと思います。
-------- 偉大なる”情念としての教育” --------
「教育は、ただ単に学ぶのではない。全身全霊を集中して学ぶ。★ 教育の本質を、そう教えられたのは、学校の先生なら、だれでもご存じの故・大村はま先生でした。お茶の水女子大学学長だった波多野完治先生が、”100年に一人の偉大な国語教師”と絶賛された大教育者です。
ただ単に教えるのではない。力の限りを尽くしてひたすら教える。
できる、できない。優か、劣か。そんなことは全く問題ではない。
教師も、生徒も、共に無我の境地にひたりきっている営み」
★ 東京女子大学卒業し、1928年(昭和3)年に長野県諏訪高等女学校へ奉職されて以来 1980(昭和55)年の退職まで52年間を一貫して公立中学校教諭を続けて、5年前の2005年4月に96歳の長寿を全うし、永眠されました。
★ 大村はま先生の教育とは何であったのか?
それは、亡くなられる1週間前に書かれた遺作詩『優劣の彼方に』に珠玉の言葉に表現されています。特に最後の結びの3行は、その真髄を凝縮されたものと思います。
「学びひたり / 教えひたろう / 優劣のかなたで」先生長年の重厚な実践が絞り出した珠玉の言葉ですね。
★ 私は、新聞記者から大学教師に転身した者です。
何を、どう教えるのか? 何のために?
にわか教師の私は、泥縄式に教育方法論の教科書を開きました。
しかし、どれも、これも、ハウツー論議ばかりです。あまり役に立ちませんでした。
★ そんな時に、出会ったのが、 ”情念としての教育”
現在の教育に見られない
大村はま先生ご提唱のでした。これだ! 感動した私は、授業を創る」「教室に魅力を」(ともに国土社)などの著書や「大村はま国語教室」(全15巻・筑摩書房)をむさぼり読んだものでした。
「情熱が迸る共に教え・学ぶ真事(まこと)追求」
★ 「出来の善し悪しは問題ではない。卒業研究は、これまでの総決算。ゼミではただ学び浸れ! 私も君たちを教え浸る。アルバイトなどやめて、私と共に歩め」
と、激励した言葉は、大村はま先生の「情熱が迸る共に教え・学ぶ真事(まこと)追求」という情念教育を、そのまま受け継いだものであったのです。
★ 先生最後の遺作詩をご覧ください。
皆様にも一度、ジカに先生の心を温ねて頂きたいと願います。
”100年に1度の偉大な教師”の珠玉の教育論です。
『優劣のかなたに』
大村 はま
優か 劣か
そんなことが 話題になる,
そんなすきまのない
つきつめた。
持てるものを
持たせられたものを
出し切り,
生かし切っている
そんな姿こそ。
優か劣か,
自分はいわゆるできる子なのか
できない子なのか,
そんなことを
教師も子どもも
しばし忘れている。
思うすきまもなく
学びひたり
教えひたっている,
そんな世界を
見つめてきた。
一心に 学びひたり
教えひたる,
それは 優劣のかなた。
ほんとうに 持っているものを生かし,
授かっているものに目覚め,
打ち込んで学ぶ。
優劣を論じあい
気にしあう世界ではない,
優劣を忘れて
持っているものを出し切っている。
できるできないを
気にしすぎていて,
持っているものが
出し切れていないのではないか。
授かっているものが
生かし切れていないのではないか。
成績をつけなければ,
合格者をきめなければ,
それはそれだけの世界。
それがのり越えられず,
教師も子どもも
優劣のなかで
あえいでいる。
学びひたり
教えひたろう
優劣のかなたで。
---------- 頂戴したコメント --------------
みら 2010年07月22日 06時55分
教育に携わるひとにとって、とても大切なことで、
ついハウツーに走りがちなところをめざめさせてくれます。
わたしも昨年夏「教室はちゃんこなべ」小学校の場合
の日記を2回書きましたが、学校は優劣をつけるところ
ではないと・・・その部分は小~大学まで同じだと思い
ました。
カシニョ-ル 2010年7月22日 7時15分
『優劣のかなたに」
非常に感銘を受けました。
こんな先生ばっかりだったら、今の
このような事態に陥ることはなかった
のではないかと思います。
それは『人生」に通じますね。
『学ぶ」を「生きる」に変えて、何回も
読んでみました。
まさに「優劣のかなたに」
毎日、一生懸命に生きなさいと教えて
頂いた気がいたします。
素晴らしい朝をありがとうございました。
ルンバ 2010年07月22日 07時23分
教育とは本来そうあるべきです。
今の学校は、本来家で学ぶべき事を
学校に丸投げの状態だと思います。
今は亡き父も教師でした。
今生きていれば、禅三様と同じぐらいの年齢です。
戦後の混乱の中での教育でした。
何をしてきたか、家で語る事はありませんでしたが、
葬儀の場に集まった教え子の数、言葉で初めで、
教育者としての父の存在の大きさを知りました。
父として、教育者として、今でも一番尊敬する人です。
家で学べる事を、学校に持ち込めば、
学校としてのあるべき姿
「学ぶ場所」は疎かになってしまいます。
もう1度考えて欲しいと思います。
若いお母様方。
少し、話がそれてしまったような・・・ごめんなさい。
☆・どり 2010年07月22日 08時11分
木村はま先生の 詞
感動いたしました。
タキ 2010年07月22日 08時15分
おはようございます
吉備野先生が尊敬してやまない大村はま先生の【優劣のかなたに】を声を出して読んでみました
子を持つ親ならば誰しもが このような教育理念をお持ちの先生に我が子をと思われることでしょう
教育者を志している方、現在教育現場に立たれている方々に ぜひとも受け継がれてほしいと切に感じ入りました
ふーちゃん 2010年07月22日 08時19分
>一心に 学びひたり
>教えひたる,
>それは 優劣のかなた。
>ほんとうに 持っているものを生かし,
>授かっているものに目覚め,
>打ち込んで学ぶ。
>できるできないを
>気にしすぎていて,
>持っているものが
>出し切れていないのではないか。
とても重みのあるお言葉ですね!
一語一語かみ締めたいと思います。
どうも有り難うございました。
藤堂なお 2010年07月22日 08時48分
感動を新たにしました。
大村はま先生の教育論、私も教育大学生時代に習いました。
多分、禅三先生もご指摘の通り、教師であれば、誰でも知っている偉大な教育者ですね。
それなのに・・家庭、地域、学校のすべてについて
現在の教育で欠けているものですね。
「情念の教育」・・・いい言葉、思い起こしました。
今は、親も、教師も、理屈の教育で迷っています。
実は、私が、感動を新たにしましたのは、禅三先生の情熱です。
新聞記者を退職されてから大学教授になられた。
普通だと、そのまま教壇に立たれて第二の人生、というところです。
しかし、禅三先生は、エライです。
教師とは何か? 何を、どうおしえるのか?
それを自らに問い、先輩教師の実践をつぶさに研究され、大村はま先生に出会われた。
そして、大村先生の教えを忠実に実行された・・・・なかなか出来ることではありません。
私が、今日の日記を拝見して、感動を新たにしたのは、禅三先生が本気だ、ということです。
本当に大村先生の精神を受け継いでおられなかったら、
今日のような日記を即座に書くことは出来ないと思ったからです。
禅三先生はホンモノだ、そう思いました。
先生、ありがとうございました。目が覚めた思いがいたします。
私は、ある学校の教師ですが、先生のお教えを受け継いでまいりたいと存じます。
きぃあ 2010年07月22日 09時10分
仕事の関係で大学生に接することが多いのですが、自分に自信の持てない人が何と多いことかといつも感じています。
それまでの学校教育の中で、それぞれの個性を引き出して持てるものを出し切り、生かし切ることがなされず優劣の価値観が蔓延していることを残念に思います。
むさしまま 2010年07月22日 09時11分
禅三さんの日記はもちろんですが、日記にコメントされている
方達の心を揺さぶられた感動にも目頭が熱くなるくらい大いに
感動しました。
ゆうゆう元気 2010年07月22日 09時32分
おはようございます!
“情念としての教育”
「教師も、生徒も、共に無我の境地にひたりきっている営み」
とても素晴らしい教えですね!
太極拳の“立禅”を行うときの心のありよう《無我》と共通します。
ムーサ 2010年07月22日 09時46分
一部のわずかの生徒(学生)以外にはひたすら劣等感を抱かせる教育。
劣等生の大量生産。
そんな教育を受けた私も当然劣等生。
当時培われた劣等感は、何十年経った今も尾を引いています。
私はもしかしたら被害者だったのかもしれない?
今日の日記を読んでふとそう思いました。
せめて孫、ひ孫を私みたいなすね者にしたくはありません。
大村はま先生のような教育理念の時代が、早く来ればいいなと思います。
銭本三千年 2010年07月22日 11時05分
皆様の真摯なコメント、ありがたく拝見致しました。
ここで一つ、どうしても申し添えなければならないことがございます。
大村先生は、教育実践の基本を教えられました。親なら誰もが望む子どもの教育の理想だと信じます。しかし、残念なことに、”大村教育”を実際に行うとなると、制度の大きな壁が前方に立ちはだかります。
何よりも大きな壁は、学舎(まなびや)が工場のように機械管理になっていることです。ちょうど、製造工場が、始業前と、終業後は、全面的に閉鎖され、厳重なカギが掛けられて、誰も出入り出来ない。
それと全く同じ状況に置かれているのが現在の学校です。
ひたむきに学ぶ、ひたむきに教える・・・・その志の教師と生徒は、沢山、います。
しかし集う場はないのです。それを実現する環境は、全くありません。
管理教育の象徴ともいうべき学舎の冷たい機械管理は、”ひたむき”の学ぶ心を許さないのです。
官公・私立・・設置者の如何を問わず、あらゆる学校が授業が終わると生徒・学生・教師を閉め出します。
それが、”ひたむきな学ぶ心”をぶち切っていることに誰も気付きません。
事実、私が、大学・短大で行った”私の教育”は、その”ひたむきな学びの自由”を獲得するために学校管理者と闘わねばなりませんでした。その”学舎での学習の自由”獲得の闘争は10年、退職までつづきました。 小学校から大学まで、現に教職にある方々に、その戦いを要求することは私には出来ません。
それは、教師という身分を賭して闘わねばならぬほど過酷な闘争です。
もし、ご関心がございましたら、私の25年間にわたる、「闘争の教育」の実践記録をご覧いただきたいと存じます。そしてご父兄の皆様には、教師に大村先生のような”情念の教育”をお求めならば、その実践が可能になる条件整備にお力添えをお願いしたいと思います。 【”ひたすら学ぶ自由”獲得への闘争】
きせくん 2010年07月22日 11時37分
先生申し訳ございません
私のような無学者には何もできません
只一生懸命生きるために見よう見真似で働いてきたものにとっては
先生は雲の上の尊い方に写ります
私のような劣等生はどうしたらよいのででしょうか
今後とも宜しくご指導お願いします
先生の足手まといでどうもすみません
yochan 2010年07月22日 13時37分
禅三先生の壮絶な”学びの自由”確保の闘争を拝見し、
改めて現在の「病める教育」に思いをいたしました。
本当に気付かなかったことです。
ひたすら学ぶ、その理想を実現するはずの学校が
機械管理で時間が来ると、子どもと教師を追い出す。
本当に、それでは、どんな教育論を掲げてもダメですね。
最も大事なことを忘れているうちに文部科学省、各地
教育委員会、校長、そして教師まで、それをいいことに、
教育環境整備を放棄しているように思います。
改めて管理教育の怖さを知りました。
これを変えることは、個人の力では到底、ムリですね。
現場第一線の先生方のご苦労が分かりました。
管理強化で理想が潰される教育の実態・・・怖いです。
足尾澄子 2010年07月22日 13時56分
【”ひたすら学ぶ自由”獲得への闘争】から【未来を拓く教育】(Ⅰ)~(3)まで、リンクされている禅三先生の教育実践記録を全部、通しで拝見致しました。
言葉にならない感動に浸っています。スゴイです。
今でも、こんな先生がおられるとは・・・信じられないほど感動しました。
全身全霊を打ちこんでの教育とは何か。
それを教えていただいたような気がいたします。
ありがとうございました。
まりえ♪ 2010年07月22日 17時08分
吉備野禅三さんの日記には、いつも新しい発見があります。
そして、叡智がかもし出す無限の喜びを感じます。
sachiko 2010年7月22日21:12
今日の大村はま先生の記事、興味深く読みました。40歳の息子が小学生の折に大村国語を会得した先生に一年間教えていただきました。ちょうど日教組の嵐が教育界を吹き荒れていた昭和46,7年頃でした。
教員室に赤旗が掲げられ一限目からスト中の先生は児童を教室において校門の外に待機、学校へ入りません。PTA役員が説得し教頭校長は敵視されています。
その折に大村学をまなんだ担任は、堂々と延長補修授業を夏休みに行い、ほかの先生にスト破りとそしられながら卒業までに単元をきっちりと教えてくれました。他の学級は、当時はベビーブーマー世代2世で8学級ありましたが、1単元も終わらないときでした。懐かしく思い出しました。
豪腕プチリンコ 2010年07月23日 05時42分
でもしか先生ではなく、情熱の塊のような先生に出会えた生徒は幸せですね。
ホトトギス 2010年07月23日 06時04分
おはようございます。優劣を忘れて、その人らしく生きる・・ということを追求したいですね!
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
** ご挨拶 ** ブログ【傘寿を生きるロマン日記】公開に当たって
執拗なブログ荒らし排除にコメント欄を閉鎖しました。
ご面倒をお掛けしますが、通信は、zenimoto@gmail.com へお願い致します。
【過去記事一覧】 は、テーマ別にまとめてございます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
by zenmz
| 2010-07-22 01:23
| 一期一会