2010年 08月 08日
【10086】 地域に根付いたベトナム娘 |
★ 毎年8月第一土曜日は、私が住む岡山・吉備高原都市北部住区の夏祭りです。
ことしは8月7日。住区中央にある広い公園のなだらかな上り坂に割り竹を組んだ”ソウメン流し”が名物。私の”ベトナム孫娘”たちも、総出で参加しました。
★ 朱、黄、緑、ピンク、青・・・色とりどりの民族衣装、アオザイに身をくるんだ若い娘が30数人、たちまち、人の輪ができ、にぎやかな交流姿が見られました。それも自然、もうこのベトナム娘たちはすっかり地域に溶け込み、お互い”古い親友”気分です。
★ このベトナム娘たちは、とりわけ地域の老人が大好きです。ここの老人会は、何か、行事をする時には、心優しいこの娘たちを招待し、共に食べ、語らうことを常としてきました。本当にベトナムの女性達は、年寄りを尊敬し、優しいです。
★ ベトナム娘たちが、この夏祭りは参加するようになってもう何年になるでしょう。地域の人々とかなり流暢になった日本語で積極的に人々に話しかけて楽しんでいる姿を見ながら、指折り数えてみました。そう、もう6回目です。
★ この娘たちは、岡山・吉備高原都市にある自動車部品工場に研修生として、それぞれ3年間の契約で働いています。寮が我が家の直ぐ近くにあり、私たち夫婦はこれまで6年間、3代代替わりしたこの子らを”孫娘”と呼んで慈しんで来ました。 ★ どの娘たちも目を瞠るのが、お祭りのメイン・イベントである「ソウメン流し」
米麺「フォオ」が主食のベトナム女性にとって、ソウメンはよく馴染む味だそうです。が、常日頃、馴染んでいるのは暖かいソウメン。”冷やし”ソウメンにはビックリ、最初は、全員が腰がひける感じ。でも、郷に入りては郷に従え・・・直ぐ慣れて、「オイシイ! グー!」
★ 私にとりましては、この夏祭りには特別の感慨があります。
岡山のど真ん中、典型的な中山間・過疎地に造成された人工都市に、私たち夫婦が移り住んだのは22年前でした。入居3軒目。辺り一帯は、何も無かった。”お隣”に行くのに歩いて10分かかりました。
★ それから数年経ち、30数軒が寄り集って自治会を結成しました。
公共の集合場所などありません。我が家のリビング・ルームで結成集会を行いました。同時に、30歳前後の若い人々が「夢高原会」(略称・ユメコー)というボランティア・グループを結成し、自治会と協調してこの新都市を自らの手で育てる、と、力強い宣言をしてくれました。
★ そして始まった初仕事が、この夏祭りだったのです。
祭りのメイン・イベントを何にするか? その発想も面白かったですね。誰かが、
「お盆に貰ったソウメンが余って、毎年、処理に困っている。もし、私と同じ悩みの人がいたら、それを集めて、ソウメン流ししたら・・・」
この提言、大受けし、衆議一決。青竹谷の「ソウメン流し」に決まりました。
★ ユメコーのメンバーは器用でした。竹割の名人がいて、たちまち、40メートルもある青竹の水路を組み上げてしまいました。そしてどこからか大釜を仕入れてきて大きなドラム缶で火を熾して、その上に乗せ、大量のソウメンをゆでました。みんな当時は30歳前後。夢一いっぱいの好青年達でした。
★ それから10数年。新しい人々がどんどん移住してきて、この新都市も、この夏祭りが住民の心を繋ぐ最大のイベントに発展しました。今、眼前に繰り広げられているイベントの数々。そこに集う人々の群れ。ドコカラ湧き出て来た!? 驚くほどの数。
★ しかし、祭りの終わりに、櫓の上に勢揃いした自治会の代表の言葉は意外なものでした。「これまでユメコー主催で行って来たこの夏祭りは、来年から自治会主催に移します。ユメコーの支えがないと、とても出来ない。ユメコーのみなさん、どうか来年も助けてください」
★ そうですね。ユメコーの当初メンバーも随分、減りました。有力メンバーが次々と転勤で、この待ちを去り、これほどの大イベントを運営する負担がごく少数の人々の献身に重くのし掛かるようになったのです。
★ 世代の移り変わりを想いました。
聖書にもいい言葉がありますね。まさにユメコーのことです。
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** ご挨拶 ** ブログ【傘寿を生きるロマン日記】公開に当たって
【過去記事一覧】 は、テーマ別にまとめてございます。
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ことしは8月7日。住区中央にある広い公園のなだらかな上り坂に割り竹を組んだ”ソウメン流し”が名物。私の”ベトナム孫娘”たちも、総出で参加しました。
★ 朱、黄、緑、ピンク、青・・・色とりどりの民族衣装、アオザイに身をくるんだ若い娘が30数人、たちまち、人の輪ができ、にぎやかな交流姿が見られました。それも自然、もうこのベトナム娘たちはすっかり地域に溶け込み、お互い”古い親友”気分です。
★ このベトナム娘たちは、とりわけ地域の老人が大好きです。ここの老人会は、何か、行事をする時には、心優しいこの娘たちを招待し、共に食べ、語らうことを常としてきました。本当にベトナムの女性達は、年寄りを尊敬し、優しいです。
★ ベトナム娘たちが、この夏祭りは参加するようになってもう何年になるでしょう。地域の人々とかなり流暢になった日本語で積極的に人々に話しかけて楽しんでいる姿を見ながら、指折り数えてみました。そう、もう6回目です。
★ この娘たちは、岡山・吉備高原都市にある自動車部品工場に研修生として、それぞれ3年間の契約で働いています。寮が我が家の直ぐ近くにあり、私たち夫婦はこれまで6年間、3代代替わりしたこの子らを”孫娘”と呼んで慈しんで来ました。
米麺「フォオ」が主食のベトナム女性にとって、ソウメンはよく馴染む味だそうです。が、常日頃、馴染んでいるのは暖かいソウメン。”冷やし”ソウメンにはビックリ、最初は、全員が腰がひける感じ。でも、郷に入りては郷に従え・・・直ぐ慣れて、「オイシイ! グー!」
★ 私にとりましては、この夏祭りには特別の感慨があります。
岡山のど真ん中、典型的な中山間・過疎地に造成された人工都市に、私たち夫婦が移り住んだのは22年前でした。入居3軒目。辺り一帯は、何も無かった。”お隣”に行くのに歩いて10分かかりました。
★ それから数年経ち、30数軒が寄り集って自治会を結成しました。
公共の集合場所などありません。我が家のリビング・ルームで結成集会を行いました。同時に、30歳前後の若い人々が「夢高原会」(略称・ユメコー)というボランティア・グループを結成し、自治会と協調してこの新都市を自らの手で育てる、と、力強い宣言をしてくれました。
★ そして始まった初仕事が、この夏祭りだったのです。
祭りのメイン・イベントを何にするか? その発想も面白かったですね。誰かが、
「お盆に貰ったソウメンが余って、毎年、処理に困っている。もし、私と同じ悩みの人がいたら、それを集めて、ソウメン流ししたら・・・」
この提言、大受けし、衆議一決。青竹谷の「ソウメン流し」に決まりました。
★ ユメコーのメンバーは器用でした。竹割の名人がいて、たちまち、40メートルもある青竹の水路を組み上げてしまいました。そしてどこからか大釜を仕入れてきて大きなドラム缶で火を熾して、その上に乗せ、大量のソウメンをゆでました。みんな当時は30歳前後。夢一いっぱいの好青年達でした。
★ それから10数年。新しい人々がどんどん移住してきて、この新都市も、この夏祭りが住民の心を繋ぐ最大のイベントに発展しました。今、眼前に繰り広げられているイベントの数々。そこに集う人々の群れ。ドコカラ湧き出て来た!? 驚くほどの数。
★ しかし、祭りの終わりに、櫓の上に勢揃いした自治会の代表の言葉は意外なものでした。「これまでユメコー主催で行って来たこの夏祭りは、来年から自治会主催に移します。ユメコーの支えがないと、とても出来ない。ユメコーのみなさん、どうか来年も助けてください」
★ そうですね。ユメコーの当初メンバーも随分、減りました。有力メンバーが次々と転勤で、この待ちを去り、これほどの大イベントを運営する負担がごく少数の人々の献身に重くのし掛かるようになったのです。
★ 世代の移り変わりを想いました。
聖書にもいい言葉がありますね。まさにユメコーのことです。
一粒の麦だね、地に落ちて死なずば、一粒にてあらん。★ しかし、希望はあります。ことしの夢高原祭りの最後は、この新都市で生まれ、育った子ども達が夢のダンスを踊って締めくくってくれました。やがてこの町の主役になる世代です。夜空にとどろく大拍手。本当に幸せな一夜でした。
死なば、多くの実を結ぶべし。
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by zenmz
| 2010-08-08 08:30
| ベトナムの”孫娘”