2010年 08月 17日
【10095】 「自然に逆らわず生きる」ことの”落とし穴 ” |
★ 自然に逆らわずに生きる。言葉として美しく、誰もがそうありたいと願いますね。
しかし、人の道を究めた先哲たちは、逆に、それに対抗する数多くの禁止を掟として生活規範に組み込みました。最近、そのことがとりわけ大事だと思うようになりました。
★ 身近な話をすれば、例えば、食欲。お腹が空くと、ものを食べたくなる。極めて健康な生理現象です。「人間、食べたい時に、食べたいものを、食べるのが、健康に一番、いい」という主張は、健康談義をすれば、必ず飛び出します。
★ ところが、人間社会にはそれを、制限あるいは部分的禁止をする制度があります。特に代表的なのが断食の行。私たちの日常生活には宗教の教典、教義が複雑に織り込まれています。
★ 「食を断つ」ということを信者の掟として制度化していることで有名なのはイスラムですね。イスラム・ビジュアラ暦の第9月は「ラマダン月」 夜明けから日没まで、水を含む一切を口にしない、性行為も厳禁・・・厳しい信徒の義務です。
★ ことしの「ラマダン」は、1週間ほど前の8月11日から始まっています。私もマレーシアで経験しましたが、外国人には適用されないのでホテルに滞在しているのには不自由はありませんが、現地生活に合わせるとなると、いろいろ不便です。
★ 「ラマダンの行」は、実に合理的です。欲望を制御して身を謹んで神に向かう。我執を捨てて謙虚に神のみ言葉に耳を傾ける。その誠の証しに、それで得た余剰の財を貧者に喜捨する。信徒共同体の相互扶助、単なる観念ではなく現実生活に大きな意味を持たせています。
★ 私たちに最も馴染み深い仏教、とりわけ真言仏教では「断食行」が非常に重要視されています。七日間、断食すると”真理”を観たり、感じたりする、という謙虚な自我に立ち戻る宗教的行事、趣旨は同じでしょう。
★ ただより徹底した「即身仏」 食物を断って餓死状態のままミイラになる。宗教も嵩じると極端な”行”が行われます。こちらは、人生、終焉の時、究極の理想とまで言っています。これまた教えとして深いものを感じます。が、とても真似は出来ません。そのココロに感じ入るだけ。
★ ともかく、高等な宗教が、「断食」という異常な行動を聖なるものへの接近に重要な手段、と考えている。しかも、その行動は食欲と性欲の制約・・・人間存在の最も基本的な二つの本能を断つという厳しい禁欲主義が特徴です。
★ 興味深いことですが、どの宗教も、根本義は、「神の摂理に従って自然に逆らわずに生きる」ことを教えています。そう言いながら、今度は逆に自然の人間本能を極度に制御する「行」を戒律として定め、信徒に実行を命じている。 面白いですね、宗教という文化は。
★ では、教えを受けた人間は、現実生活で、どう生きているか?
熱心な信者の方々の多くは、教えに忠実にその「行」を守っておられる。単に精神生活に止まらず、”心身一如”の功徳とでも言うのでしょうか、現代医学も、その治療的効果を認めて積極的に医療に取り入れている例も多いですね。 「断食療法」 いろいろあります。
★ しかし、「断食」という”文明生態”が社会にどのような影響を与えてきたのか?
現代人は、これを、さまざまな”要求貫徹の道具”に利用する知恵を覚えました。「ハンガー・ストライキ」の出現、労働運動でけでなく、政治的に体制への抗議・反対運動の重要な手段として、世界的に一般化しました。
★ かつては反政府行動は、力の抵抗・武力闘争-革命への道でした。しかし、インドの聖者、マハトマ・ガンジーが無抵抗主義の方法として「ハンガー・ストライキ」を提唱し、それがたちまち世界の労働組合運動の「ハンスト」となり、アッという間に世界を覆い尽くしました。
★ 無抵抗主義が生み出したガンジー式ハンストは、植民地解放から労働組合運動、更には反基地闘争、核軍縮・反核実験運動・・・時には刑務所で受刑者の待遇改善要求にまで普及し、”我”貫徹の手段に変わりました。若い時は共鳴しましたが、今は疑問に思います。
★ 「断食」は、本来、「禁欲」の行でした。それが”禁欲”の禁を破り、”我欲”を是認した行動に変わると、ものごとは大きく反転します。「断食」すると、必然的に人間は痩せた体型に導かれます。50年前、1960年代までは日本人はやせ型でした。
★ が、東京オリンピックから大阪万国博が開かれたころから日本社会は急速に「メタポ社会」になりました。大きくなったパイの分け前を寄こせ、とハンスト運動を展開した労働組合運動。私たちは豊かになりました。そして、今、メタポに苦しんでいます。
★ 今、私は、しみじみと感じることがあります。
私たちは、何事も、”我”を中心に、都合のいいように考える。例えば、「自然に逆らわずに生きる」 言葉として美しく、真理に充ちた感じで誰も反対できません。しかし、「食べたいのは人間の本能、それに従って食べる」 もっともらしいことを言っているうちに「食の快楽主義」がはびこみ、文明病”メタポ”に悩むようになりました。
★ 性の解放は、もっと深刻な事態を招いています。食の快楽主義よりも、性の快楽主義はより深刻です。”生殖”と”快楽”を分離した性行為は、止めどない性の快楽の若年化を招き、モラル破壊を起こしました。現役世代の快適生活維持のため、推奨される産児制限は家族、社会を危機に陥れています。
★ 「自然に逆らわずに生きる」 ・・・・ 自分の都合のいいように、これを掲げて「自然に自由に生きた」結果、出現した社会はどうであったのか? 直視すべきは、今、眼前にある食欲と性欲の過剰社会の現実です。
★ 世界の大宗教の創始者は、なぜ、「断食」を重要な「行」として人に命じたのか?
我執貫徹の「ハンスト」にまでねじ曲げられた「断食」の根本義をもう一度、本源に戻って考えねばならぬように思います。
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** ご挨拶 ** ブログ【傘寿を生きるロマン日記】公開に当たって
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しかし、人の道を究めた先哲たちは、逆に、それに対抗する数多くの禁止を掟として生活規範に組み込みました。最近、そのことがとりわけ大事だと思うようになりました。
★ 身近な話をすれば、例えば、食欲。お腹が空くと、ものを食べたくなる。極めて健康な生理現象です。「人間、食べたい時に、食べたいものを、食べるのが、健康に一番、いい」という主張は、健康談義をすれば、必ず飛び出します。
★ ところが、人間社会にはそれを、制限あるいは部分的禁止をする制度があります。特に代表的なのが断食の行。私たちの日常生活には宗教の教典、教義が複雑に織り込まれています。
★ 「食を断つ」ということを信者の掟として制度化していることで有名なのはイスラムですね。イスラム・ビジュアラ暦の第9月は「ラマダン月」 夜明けから日没まで、水を含む一切を口にしない、性行為も厳禁・・・厳しい信徒の義務です。
★ ことしの「ラマダン」は、1週間ほど前の8月11日から始まっています。私もマレーシアで経験しましたが、外国人には適用されないのでホテルに滞在しているのには不自由はありませんが、現地生活に合わせるとなると、いろいろ不便です。
★ 「ラマダンの行」は、実に合理的です。欲望を制御して身を謹んで神に向かう。我執を捨てて謙虚に神のみ言葉に耳を傾ける。その誠の証しに、それで得た余剰の財を貧者に喜捨する。信徒共同体の相互扶助、単なる観念ではなく現実生活に大きな意味を持たせています。
★ 私たちに最も馴染み深い仏教、とりわけ真言仏教では「断食行」が非常に重要視されています。七日間、断食すると”真理”を観たり、感じたりする、という謙虚な自我に立ち戻る宗教的行事、趣旨は同じでしょう。
★ ただより徹底した「即身仏」 食物を断って餓死状態のままミイラになる。宗教も嵩じると極端な”行”が行われます。こちらは、人生、終焉の時、究極の理想とまで言っています。これまた教えとして深いものを感じます。が、とても真似は出来ません。そのココロに感じ入るだけ。
★ ともかく、高等な宗教が、「断食」という異常な行動を聖なるものへの接近に重要な手段、と考えている。しかも、その行動は食欲と性欲の制約・・・人間存在の最も基本的な二つの本能を断つという厳しい禁欲主義が特徴です。
★ 興味深いことですが、どの宗教も、根本義は、「神の摂理に従って自然に逆らわずに生きる」ことを教えています。そう言いながら、今度は逆に自然の人間本能を極度に制御する「行」を戒律として定め、信徒に実行を命じている。 面白いですね、宗教という文化は。
★ では、教えを受けた人間は、現実生活で、どう生きているか?
熱心な信者の方々の多くは、教えに忠実にその「行」を守っておられる。単に精神生活に止まらず、”心身一如”の功徳とでも言うのでしょうか、現代医学も、その治療的効果を認めて積極的に医療に取り入れている例も多いですね。 「断食療法」 いろいろあります。
★ しかし、「断食」という”文明生態”が社会にどのような影響を与えてきたのか?
現代人は、これを、さまざまな”要求貫徹の道具”に利用する知恵を覚えました。「ハンガー・ストライキ」の出現、労働運動でけでなく、政治的に体制への抗議・反対運動の重要な手段として、世界的に一般化しました。
★ かつては反政府行動は、力の抵抗・武力闘争-革命への道でした。しかし、インドの聖者、マハトマ・ガンジーが無抵抗主義の方法として「ハンガー・ストライキ」を提唱し、それがたちまち世界の労働組合運動の「ハンスト」となり、アッという間に世界を覆い尽くしました。
★ 無抵抗主義が生み出したガンジー式ハンストは、植民地解放から労働組合運動、更には反基地闘争、核軍縮・反核実験運動・・・時には刑務所で受刑者の待遇改善要求にまで普及し、”我”貫徹の手段に変わりました。若い時は共鳴しましたが、今は疑問に思います。
★ 「断食」は、本来、「禁欲」の行でした。それが”禁欲”の禁を破り、”我欲”を是認した行動に変わると、ものごとは大きく反転します。「断食」すると、必然的に人間は痩せた体型に導かれます。50年前、1960年代までは日本人はやせ型でした。
★ が、東京オリンピックから大阪万国博が開かれたころから日本社会は急速に「メタポ社会」になりました。大きくなったパイの分け前を寄こせ、とハンスト運動を展開した労働組合運動。私たちは豊かになりました。そして、今、メタポに苦しんでいます。
★ 今、私は、しみじみと感じることがあります。
私たちは、何事も、”我”を中心に、都合のいいように考える。例えば、「自然に逆らわずに生きる」 言葉として美しく、真理に充ちた感じで誰も反対できません。しかし、「食べたいのは人間の本能、それに従って食べる」 もっともらしいことを言っているうちに「食の快楽主義」がはびこみ、文明病”メタポ”に悩むようになりました。
★ 性の解放は、もっと深刻な事態を招いています。食の快楽主義よりも、性の快楽主義はより深刻です。”生殖”と”快楽”を分離した性行為は、止めどない性の快楽の若年化を招き、モラル破壊を起こしました。現役世代の快適生活維持のため、推奨される産児制限は家族、社会を危機に陥れています。
★ 「自然に逆らわずに生きる」 ・・・・ 自分の都合のいいように、これを掲げて「自然に自由に生きた」結果、出現した社会はどうであったのか? 直視すべきは、今、眼前にある食欲と性欲の過剰社会の現実です。
★ 世界の大宗教の創始者は、なぜ、「断食」を重要な「行」として人に命じたのか?
我執貫徹の「ハンスト」にまでねじ曲げられた「断食」の根本義をもう一度、本源に戻って考えねばならぬように思います。
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** ご挨拶 ** ブログ【傘寿を生きるロマン日記】公開に当たって
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by zenmz
| 2010-08-17 07:37
| 現代社会論