2010年 09月 04日
【10116】 "快適生活”を考える |
★ この暑さを逆手にとってのコトでしょうか。新聞やテレビのコマーシャル、更には折り込み広告にと、盛んに出ている「快適生活をお約束する・・・”アーバン・ライフ”」 都会で売れ残ったマンションの在庫整理に、アノ手コノ手の「快適生活」が氾濫し始めています。
★ マンション生活に限らず、また、都会に住もうと、田舎であろうと、誰でも快適な生活を願っています。でも、都会生活で、本当に”快適性”追求は可能なのでしょうかね? 一体、そこで言われている”快適性”とは何か?
★ これを正面から取り上げて研究された学者は、環境学の第一人者・宮崎良文先生だろうと思います。 独立行政法人森林総合研究所の生理活性チーム長をなさっている医学博士。日本で初めて森林浴を提唱された方です。
★ 私の頭にこびりついているのは、
★ そうだとすると、すべての人が”暑くも寒くもない”と感じるような、”快適空間”を個々人について計量出来る自動気温調整装置内蔵エアコンでも発明されねばなりませんね。厳密に言えば、万人に共通する快適性などはない、と断言せざるを得なくなります。快適感覚、それこそ、人様々です。
★ しかし、そこは、森林浴を健康に良い、と、医学的立場から提唱された宮崎先生のこと。そのままではひきさがりません。先生は、自らの所論として、
★ 深い考察は 「ヒト」 の誕生に遡ります。
★ やがてヒトは、自然適合だけで満足せず、住居を建て、衣を身に付け暖を取る。適度の刺激を受けながらプラスαの”快適性”取得に向けて成長欲求を膨らませます。
★ こうして受け身ではなく、主体的・能動的に森林環境に働きかけて適合し、それを自らの快適生活の増進に結びつけながら満足感を高揚させてきたのではないか? だからこそ、我々、現代人も500万年のその営みの記憶の奥底から森林浴に快適性を感じ取ることができるのだ。という論法に進みます。
★ この辺りは未だ入り口、まだまだ興味深い話題を拾いあげながら広く、深く、進むのですが、本当にそうですね。説得力があります。先生のご研究になる「木の快適性を科学する」という名論分があります。是非、この機会にご一読を・・・ 『木と快適性』
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★ 先生の卓越したお話、私は全面的に大賛成ですが、実際に、岡山県のど真ん中で、その森の生活に親しんでいて、心配な現実をご説明したい気持ちに駆られます。宮崎先生の仰る「森林の快適性」は、自然と人間、双方から、どんどん破壊し始めている現実があります。
★ 今、私は、岡山県のど真ん中の、いわゆる中山間地域、壊滅寸前の限界村落が、あちこちに幾つも散在する地域に住んでいます。中国山脈の尾根から瀬戸内海になだらかに下る南丘陵地に造成されたニュータウンの中に住宅がありますが、豊かな緑の森に包まれて、どの家も樹木の中でゆったり建っています。
★ ここに移住してはや22年、ここに来た当初は、訪ねてくる都会の友人たちを森林散歩に連れ出すのが何よりのおもてなしでした。 ところが、間もなく・・・そうですね。数年、経った頃から、家族連れの来客を森林公園にお連れすることが出来なくなりました。
★ 「ご親切はありがたいが・・・」と、断る方が増えたのです。理由は花粉症。最初は子どもさんが多かったのですが、最近は大人も多い。今では、都会からの来客を森林散歩に誘うことは、ほとんど無くなりました。あまり喜ばれない現実があります。
★ もはや多くの都会人にとって森林浴はタブーになっているのでしょうか。文明生活は自然人の生体改造を起こし、多くの人々が回復不能のアレルギー体質になってしまったのですね。
★ その原因は分からぬままですが、食品の冷凍保存の普及、加工食品の腐敗防止添加剤、鉱工業排出物や自動車排気ガスによる空気汚染、工業有機物による河川汚染等など、文明発展がもたらした自然破壊が人体に複合的な影響を及ぼしていることは間違いありません。
★ 文明と自然の対立。思えば、このすべてが、私が生きた時代に起こったことでした。その目で改めて吟味し直すと、すべては自分たちの”快適性”を追及した結果がもたらした悲劇と言えます。その始まりはどこにあったか?
★ 思い当たることが一つあります。「暑さ、寒さをしらぬ生活」 ・・・・ それが実現した今、奇妙な苦悩にあえぐようになりました。冷房病から冷房アレルギー。そして、そこから脱却するために自然に求めた森林浴転地療法もアレルギー体質者を寄せ付けなくなったのです。
★ この恵まれた、豊かな自然がありながら・・・・と、いつも思います。
どこまで行けば、我々は、その先に待ち受けるより大きな危険に気づくのか?
★ 例えば・・・・毎年、中国・ゴビ砂漠からやってくる黄砂が問題です。地球温暖化抑制に無関心な中国。工業排気物質は確実にジェット気流に乗って日本列島に舞い降りてきます。私は更に危惧します。もし、中国が大規模な核実験を行ったら・・・黄砂が運ぶのは核放射能粉塵。すべて日本列島にばらまかれます。
★ 夏は暑く、冬は寒い。それへの適切な適応が自然の摂理です。
それに逆らうような「快適性」の追及は、自然の理に逆らうことなくしては実現出来ません。それに挑戦した過去半世紀。その結果はどうであったか?
★ 今こそ、私たちは、自ら行った愚かな選択の結末を直視すべきではないか。
せめて個人生活を自然の理に合わせましょう。夏は暑く、冬は寒い、太陽とともに起き出でて、夜は静寂の中に眠る。不夜城は人類退廃の兆し、悪魔の巣窟です。 そこに気付かねば、本当の”快適性”は絶対に得られないのではないでしょうか。
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**** ご挨拶 **** ブログ【傘寿を生きるロマン日記】公開に当たって
**** お願い **** 【傘寿の知憲運動】 是非、一度、ご披見ください
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★ マンション生活に限らず、また、都会に住もうと、田舎であろうと、誰でも快適な生活を願っています。でも、都会生活で、本当に”快適性”追求は可能なのでしょうかね? 一体、そこで言われている”快適性”とは何か?
★ これを正面から取り上げて研究された学者は、環境学の第一人者・宮崎良文先生だろうと思います。 独立行政法人森林総合研究所の生理活性チーム長をなさっている医学博士。日本で初めて森林浴を提唱された方です。
★ 私の頭にこびりついているのは、
「快適性を研究したが、結局、定義できない。学会が合意するのは、というご指摘でした。
《”暑くも寒くもない感覚、つまり熱的環境に満足する心理状態》
だけだった」
★ そうだとすると、すべての人が”暑くも寒くもない”と感じるような、”快適空間”を個々人について計量出来る自動気温調整装置内蔵エアコンでも発明されねばなりませんね。厳密に言えば、万人に共通する快適性などはない、と断言せざるを得なくなります。快適感覚、それこそ、人様々です。
★ しかし、そこは、森林浴を健康に良い、と、医学的立場から提唱された宮崎先生のこと。そのままではひきさがりません。先生は、自らの所論として、
「快適性とは、環境に対する身体リズムの同調である」
との仮説を提示し、積極的に、あるべき快適性を追及されます。
「例えば、私たちは日常的に”波長が合う”とか”雰囲気が良い”といった状況に出会います。そう感じるのは、その場の環境と同調しているのです」
人々が、樹木や花といった自然のものがあると近寄ってみたくなる。 この感覚は、すべての人間がもともと、持っているものです。人はなぜ、自然を求め、自然は人に対して精神的な安らぎを与えるのか? それは、今のところ未解明の現象ですが、その有りようこそが”快適性”と深い関係がある、と仰います。
★ 深い考察は 「ヒト」 の誕生に遡ります。
ヒトがこの世に出現して500万年の間、 そのほとんどを自然環境の中で暮らしてきた。 人間の生理機能は自然環境の中で進化し、 脳から内臓に至るまで、すべて周辺環境に合わせてつくられたはず、その中で、ヒトは、体の安全や健康の維持する選別行動を行って来た。”不快の除去”を目的に環境に適合して来たはず、だ。と考えられるのです。
★ やがてヒトは、自然適合だけで満足せず、住居を建て、衣を身に付け暖を取る。適度の刺激を受けながらプラスαの”快適性”取得に向けて成長欲求を膨らませます。
★ こうして受け身ではなく、主体的・能動的に森林環境に働きかけて適合し、それを自らの快適生活の増進に結びつけながら満足感を高揚させてきたのではないか? だからこそ、我々、現代人も500万年のその営みの記憶の奥底から森林浴に快適性を感じ取ることができるのだ。という論法に進みます。
★ この辺りは未だ入り口、まだまだ興味深い話題を拾いあげながら広く、深く、進むのですが、本当にそうですね。説得力があります。先生のご研究になる「木の快適性を科学する」という名論分があります。是非、この機会にご一読を・・・ 『木と快適性』
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★ 先生の卓越したお話、私は全面的に大賛成ですが、実際に、岡山県のど真ん中で、その森の生活に親しんでいて、心配な現実をご説明したい気持ちに駆られます。宮崎先生の仰る「森林の快適性」は、自然と人間、双方から、どんどん破壊し始めている現実があります。
★ 今、私は、岡山県のど真ん中の、いわゆる中山間地域、壊滅寸前の限界村落が、あちこちに幾つも散在する地域に住んでいます。中国山脈の尾根から瀬戸内海になだらかに下る南丘陵地に造成されたニュータウンの中に住宅がありますが、豊かな緑の森に包まれて、どの家も樹木の中でゆったり建っています。
★ ここに移住してはや22年、ここに来た当初は、訪ねてくる都会の友人たちを森林散歩に連れ出すのが何よりのおもてなしでした。 ところが、間もなく・・・そうですね。数年、経った頃から、家族連れの来客を森林公園にお連れすることが出来なくなりました。
★ 「ご親切はありがたいが・・・」と、断る方が増えたのです。理由は花粉症。最初は子どもさんが多かったのですが、最近は大人も多い。今では、都会からの来客を森林散歩に誘うことは、ほとんど無くなりました。あまり喜ばれない現実があります。
★ もはや多くの都会人にとって森林浴はタブーになっているのでしょうか。文明生活は自然人の生体改造を起こし、多くの人々が回復不能のアレルギー体質になってしまったのですね。
★ その原因は分からぬままですが、食品の冷凍保存の普及、加工食品の腐敗防止添加剤、鉱工業排出物や自動車排気ガスによる空気汚染、工業有機物による河川汚染等など、文明発展がもたらした自然破壊が人体に複合的な影響を及ぼしていることは間違いありません。
★ 文明と自然の対立。思えば、このすべてが、私が生きた時代に起こったことでした。その目で改めて吟味し直すと、すべては自分たちの”快適性”を追及した結果がもたらした悲劇と言えます。その始まりはどこにあったか?
★ 思い当たることが一つあります。「暑さ、寒さをしらぬ生活」 ・・・・ それが実現した今、奇妙な苦悩にあえぐようになりました。冷房病から冷房アレルギー。そして、そこから脱却するために自然に求めた森林浴転地療法もアレルギー体質者を寄せ付けなくなったのです。
★ この恵まれた、豊かな自然がありながら・・・・と、いつも思います。
どこまで行けば、我々は、その先に待ち受けるより大きな危険に気づくのか?
★ 例えば・・・・毎年、中国・ゴビ砂漠からやってくる黄砂が問題です。地球温暖化抑制に無関心な中国。工業排気物質は確実にジェット気流に乗って日本列島に舞い降りてきます。私は更に危惧します。もし、中国が大規模な核実験を行ったら・・・黄砂が運ぶのは核放射能粉塵。すべて日本列島にばらまかれます。
★ 夏は暑く、冬は寒い。それへの適切な適応が自然の摂理です。
それに逆らうような「快適性」の追及は、自然の理に逆らうことなくしては実現出来ません。それに挑戦した過去半世紀。その結果はどうであったか?
★ 今こそ、私たちは、自ら行った愚かな選択の結末を直視すべきではないか。
せめて個人生活を自然の理に合わせましょう。夏は暑く、冬は寒い、太陽とともに起き出でて、夜は静寂の中に眠る。不夜城は人類退廃の兆し、悪魔の巣窟です。 そこに気付かねば、本当の”快適性”は絶対に得られないのではないでしょうか。
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**** ご挨拶 **** ブログ【傘寿を生きるロマン日記】公開に当たって
**** お願い **** 【傘寿の知憲運動】 是非、一度、ご披見ください
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by zenmz
| 2010-09-04 18:15
| 吉備高原ライフ