2010年 11月 11日
【10184】 11/11 退職老教師の「悔悟の日」 |
★ 今日、11月11日は、「介護の日」です。 マスコミは、各種のコラムでも採り上げ、その意味づけもして、国民啓発に一役買っています。 しかし、「カイゴの日」などと言われると、私の思いは、「悔悟の日」に行ってしまいます。
★ 介護保険のような貧しい制度を作った悔悟、 介護福祉士のような夢のない国家資格制度を作って若者を引きずり込んだ悔悟、 そして”介護”を「社会福祉制度」(公費責任)から切り離して「社会保険制度」(利用者拠出)に移した愚策の悔悟、 我が身を削って人のために尽くすはずの福祉をビジネスに堕落させた悔悟・・・
★ 私は、1990年から15年間、大学、短大で社会福祉、とりわけ新しく出来た国家資格「介護福祉士」の養成コースで学生の教育を担当して来ました。最初の学生が巣立って20年。そのベテランが未だに結婚できないでいます。訪れて来て漏らす述懐;
「自分一人が食えないです。結婚なんて・・・トテモ、トテモ」
★ そもそも「介護」なる概念が飛び出したのは、1988年(昭和63年)竹下内閣時に、消費税が導入され、大きな政治問題になった時、その理由説明を求められ、当時の厚生省がドロ縄式に持ち出した「ゴールド・プラン」で初めて登場したシロモノです。消費税導入の理由付けに「介護」概念が社会政策として飛び出して来たのです。
★ 以来、消費税の引き上げが政治問題として持ち上がるたびに政府は「老人介護の危機」を掻きたてて来ました。”老人介護”が増税の理由付けに持ち出されるようになって、ついに2000年に、それまで”国家の直接責任”で税金で賄う社会福祉であった”老人介護”を「介護保険」という別立ての社会保険制度に移すことに成功。”厄介なお荷物”を「民間活力に委ねる規制緩和」とかの美名の下、投げ出しました。
★ その基本的な原理転換は、
「国・地方公共団体の直接責任(公費)で”社会福祉”の枠組みで行われてきた《介護》を新たに「強制徴集する」社会保険料で賄う”社会保険”に移し、民営化」したことにあります。そのモデルになったのが、医療保険制度。 いずれも”任意加入保険”ではありません。国家権力による強制加入です。
★ 2000年4月に介護保険制度が始まる前まではいわゆる「行政による措置制度」でした。 そこで問われたのは、その本人が「現に要介護の状態にある」ことと、「家にその介護が出来る家族がいない」の二つだけ。それが確認されれば、”行政の責任”で、老人施設に「措置費」(公費)をつけて介護を依頼しました。
★ ところが、2000年4月からは、何よりも先ず、助けを求める高齢者本人に、介護保険に入っているかどうか? 保険料を納めているかどうか? 介護の必要があるかどうか? その程度の認定。 介護費用の自己負担の導入・・・さらに過酷な”在宅介護”原則の強調・・・・ チェック、チェック、チェックで、老人本人を締め上げます。
★ なによりも大きなモラル・ハザードを招いたのが、介護業務の民営化です。”福祉”であった介護は、”介護ビジネス”となり、保険運用は「出来高払い」で民間競争に移されました。その結果、起こったこと。「コレは出来ない、これもダメ」 介護報酬表で決められたこと以外のことをやって欲しければ、全額自弁で・・・。
★ さらに深刻な問題は、介護報酬の不正・・・行ってもいない介護を作文申請し多額の報酬を受け取る”ペーパー介護”事件が続発しました。悪徳業者は事業規模の大小を問わず、全国あちこちで続発。ついには一部上場、これからの成長株と証券界で話題になった”優良・有望”企業が全国の支店で”ペーパー介護”していた事実が発覚し、大きな社会問題になりました。
★ その度にチェック制度を強化するための事務管理機構ばかりが巨大化し、オカネが監督事務経費に流れる。肝腎の介護の現業事業費が極端に圧縮される結果を生みました。そのしわ寄せは、実際にオムツを取り替え、24時間、絶え間なく要介護老人を支えている介護人の給与にのしかかって来たのです。
「20年経っても月給は手取り20万円。給与が上がればボーナス下がる。20年経っても年間の給与はずっと横ばい。結婚出来ません」
★ 一体、「介護の日」などというものを、政府は、今、なぜ、創ったのか?
★ 《利用者、家族、介護従事者、それらを取り巻く地域社会における支え合いや交流を促進する》 ??? あまりにも現実と乖離している「介護の日」の設定。そんなことより、一番、大事なのは、巨大化した介護制度管理機構を簡素化し、カネを現場に回すこと。 オカミの人々が管理だけで高額を取り、定年後は特殊法人や民間施設に天下りして、ヌクヌクと食う仕組みは一番、いけません。
★ オムツを取り替えたこともない役人が大いばりして高額給与をむさぼり、他方で”3K職場”とレッテル貼られた介護現場で黙々と働く介護人。その中で介護ビジネスをマネージメントしてメシを食う事業管理者・・・これをナントカする日でなければ意味ない、です。
★ 政府が法律でそんな日を決めると、都道府県・市町村まで、”公務員の仕事”を増やし、どれだけ税金を使うハメになるか? 計算すると恐ろしくなります。
「だから・・・適当に一過性の精神運動で帳尻合わせをしてます」
そんな声が聞こえそうです。シラケますね。
★ 実際に熱心な啓発活動は、あれも、これも、来るべき消費税引き上げの舞台装置。
厄介な老人介護、マンパワー、費用負担、制度運用コストの高騰・・・大変、大変、と、国民の啓発をしているのを見る・・・・80歳の砌、我が身を振り返り、「オレのことか?」 そんな声を聞くたびに、長生きするカイゴ(悔悟)の念に取り憑かれます。 そんな「日」など 要らん! 正直、そう叫びたいです。
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**** ご挨拶 **** ブログ【傘寿を生きるロマン日記】公開に当たって
**** お願い **** 【傘寿の知憲運動】 是非、一度、ご披見ください
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★ 介護保険のような貧しい制度を作った悔悟、 介護福祉士のような夢のない国家資格制度を作って若者を引きずり込んだ悔悟、 そして”介護”を「社会福祉制度」(公費責任)から切り離して「社会保険制度」(利用者拠出)に移した愚策の悔悟、 我が身を削って人のために尽くすはずの福祉をビジネスに堕落させた悔悟・・・
★ 私は、1990年から15年間、大学、短大で社会福祉、とりわけ新しく出来た国家資格「介護福祉士」の養成コースで学生の教育を担当して来ました。最初の学生が巣立って20年。そのベテランが未だに結婚できないでいます。訪れて来て漏らす述懐;
「自分一人が食えないです。結婚なんて・・・トテモ、トテモ」
★ そもそも「介護」なる概念が飛び出したのは、1988年(昭和63年)竹下内閣時に、消費税が導入され、大きな政治問題になった時、その理由説明を求められ、当時の厚生省がドロ縄式に持ち出した「ゴールド・プラン」で初めて登場したシロモノです。消費税導入の理由付けに「介護」概念が社会政策として飛び出して来たのです。
★ 以来、消費税の引き上げが政治問題として持ち上がるたびに政府は「老人介護の危機」を掻きたてて来ました。”老人介護”が増税の理由付けに持ち出されるようになって、ついに2000年に、それまで”国家の直接責任”で税金で賄う社会福祉であった”老人介護”を「介護保険」という別立ての社会保険制度に移すことに成功。”厄介なお荷物”を「民間活力に委ねる規制緩和」とかの美名の下、投げ出しました。
★ その基本的な原理転換は、
「国・地方公共団体の直接責任(公費)で”社会福祉”の枠組みで行われてきた《介護》を新たに「強制徴集する」社会保険料で賄う”社会保険”に移し、民営化」したことにあります。そのモデルになったのが、医療保険制度。 いずれも”任意加入保険”ではありません。国家権力による強制加入です。
★ 2000年4月に介護保険制度が始まる前まではいわゆる「行政による措置制度」でした。 そこで問われたのは、その本人が「現に要介護の状態にある」ことと、「家にその介護が出来る家族がいない」の二つだけ。それが確認されれば、”行政の責任”で、老人施設に「措置費」(公費)をつけて介護を依頼しました。
★ ところが、2000年4月からは、何よりも先ず、助けを求める高齢者本人に、介護保険に入っているかどうか? 保険料を納めているかどうか? 介護の必要があるかどうか? その程度の認定。 介護費用の自己負担の導入・・・さらに過酷な”在宅介護”原則の強調・・・・ チェック、チェック、チェックで、老人本人を締め上げます。
★ なによりも大きなモラル・ハザードを招いたのが、介護業務の民営化です。”福祉”であった介護は、”介護ビジネス”となり、保険運用は「出来高払い」で民間競争に移されました。その結果、起こったこと。「コレは出来ない、これもダメ」 介護報酬表で決められたこと以外のことをやって欲しければ、全額自弁で・・・。
★ さらに深刻な問題は、介護報酬の不正・・・行ってもいない介護を作文申請し多額の報酬を受け取る”ペーパー介護”事件が続発しました。悪徳業者は事業規模の大小を問わず、全国あちこちで続発。ついには一部上場、これからの成長株と証券界で話題になった”優良・有望”企業が全国の支店で”ペーパー介護”していた事実が発覚し、大きな社会問題になりました。
★ その度にチェック制度を強化するための事務管理機構ばかりが巨大化し、オカネが監督事務経費に流れる。肝腎の介護の現業事業費が極端に圧縮される結果を生みました。そのしわ寄せは、実際にオムツを取り替え、24時間、絶え間なく要介護老人を支えている介護人の給与にのしかかって来たのです。
「20年経っても月給は手取り20万円。給与が上がればボーナス下がる。20年経っても年間の給与はずっと横ばい。結婚出来ません」
★ 一体、「介護の日」などというものを、政府は、今、なぜ、創ったのか?
その目的は? 担当の厚生労働省社会・援護局福祉基盤課のホームページを開いてみました。その趣旨は、★ 国が進めている介護保険制度の政策を国民各層に浸透させる啓発活動のために設けた、と言うのですね。「いい日、いい日、毎日、あったか介護ありがとう」と語呂合わせで覚えやすいとPRまでしています。しかし、”啓発”したいのは、「出来ることは自分の家族がヤレ、それが出来なければ取り巻く地域社会の支え合い」です。
“介護について理解と認識を深め、介護従事者、介護サービス利用者及び介護家族を支援するとともに、利用者、家族、介護従事者、それらを取り巻く地域社会における支え合いや交流を促進する観点から、高齢者や障害者等に対する介護に関し、国民への啓発を重点的に実施するための日”
★ 《利用者、家族、介護従事者、それらを取り巻く地域社会における支え合いや交流を促進する》 ??? あまりにも現実と乖離している「介護の日」の設定。そんなことより、一番、大事なのは、巨大化した介護制度管理機構を簡素化し、カネを現場に回すこと。 オカミの人々が管理だけで高額を取り、定年後は特殊法人や民間施設に天下りして、ヌクヌクと食う仕組みは一番、いけません。
★ オムツを取り替えたこともない役人が大いばりして高額給与をむさぼり、他方で”3K職場”とレッテル貼られた介護現場で黙々と働く介護人。その中で介護ビジネスをマネージメントしてメシを食う事業管理者・・・これをナントカする日でなければ意味ない、です。
★ 政府が法律でそんな日を決めると、都道府県・市町村まで、”公務員の仕事”を増やし、どれだけ税金を使うハメになるか? 計算すると恐ろしくなります。
「だから・・・適当に一過性の精神運動で帳尻合わせをしてます」
そんな声が聞こえそうです。シラケますね。
★ 実際に熱心な啓発活動は、あれも、これも、来るべき消費税引き上げの舞台装置。
厄介な老人介護、マンパワー、費用負担、制度運用コストの高騰・・・大変、大変、と、国民の啓発をしているのを見る・・・・80歳の砌、我が身を振り返り、「オレのことか?」 そんな声を聞くたびに、長生きするカイゴ(悔悟)の念に取り憑かれます。 そんな「日」など 要らん! 正直、そう叫びたいです。
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**** ご挨拶 **** ブログ【傘寿を生きるロマン日記】公開に当たって
**** お願い **** 【傘寿の知憲運動】 是非、一度、ご披見ください
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by zenmz
| 2010-11-11 02:07
| 現代社会論