2010年 12月 10日
【10210】 傘寿の砌(みぎり)魂が誘う民族のふるさと |
★ 先月、出雲に旅してから、このところ『古事記』を読み直しています。神代の神話をまとめた上巻を読み終え、いよいよ神々から人へ、中巻からは歴史の始まりになります。
★ 「倭(やまと)うるわし」・・・巻頭を飾るのは、英雄・「神倭伊波礼毘古命」(カムヤマトイワレビコノミコト)の東征物語。高千穂宮にいた命が日向を発ち、筑紫、宇佐(九州)安芸(広島) 吉備(岡山) そして浪速(大阪)へと瀬戸内海を東進し、幾多の苦難を乗り越えて、ついに大和(奈良)で天下を平定し、初代天皇、「神武」となる。
★ 強敵、エウカシ、オトウカシ、ナガスネヒコ・・・その名を見るや、私は70年前の「軍国少年」に引き戻されました。そして鼓舞激励の「久米歌」の条。抵抗する「ツチクモ」退治に一計を用いて、一斉攻撃の大号令・・・「今、撃たば宣し」 「撃ちてしやまむ」
★ 「撃ちてしやまむ」 何とも苦々しい想い出を蘇らせる言葉。しかも、3度も、繰り返し出てきます。我がルーツ探検のロマンに満ちた旅も、しばし休止、現実に引き戻されました。
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★ 70年前、小学校では「修身」という教科がありました。徳目を掲げて、そのように生きる。今で言えば道徳教育と言われますが少し違います。あの戦争の時代には、「天皇陛下の御為に殉ずる忠義」のココロを徹底的に叩き込むマインド・コントロールでした。
★ しかし、それを思うのは80歳になった今のハナシ。当時の子ども達には、神武天皇は、列島に蔓延る邪な悪鬼を退治し、神国を建設するため天から降った神の命(みこと)でした。今も脳裏に刻み込まれている、その英雄物語。すべての子どもの尊敬のマト。カッコいい大英雄でした。
言葉の連鎖で、いまわしい想い出が次々と出てきます。
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★ それを取り払って、目を瞑り、幼少の頃の先入観を消去して、ひたすら古代に想いを馳せて虚心に『古事記』の世界に立ち戻る。改めて「久米歌」を読み返してみました。舞台は無政府状態の英雄の時代。部族が互いの生存を賭けて、戦わざるを得なかったその昔に古人が詠った詩です。
戦いの場に立つ古代人の素朴な野生の雄叫びが聞こえそうです。
★ 一つの時代の政治が、古典を悪用し、誤った民族意識を植え付けた。明治、大正、昭和の初期まで約80年・・・そのことが国家による国民教育を通じて行われ、それが破綻し、全面否定。 日本の古典は不幸な経過を辿って、国民の多くに忘れられています。
★ 大正から昭和初期に生まれた“後期高齢者”は、民族の魂である古典に向かい合う時、不幸なトラウマを担っています。そこから抜けだし、何の拘りもなく、記紀・万葉に向かうことがなかなか出来ませんでした。
★ いや、そう言うより、積極的に無視、否定することを奨励された、という方が正しいかも知れません。私たちは、学童の頃、自ら墨汁を含ませた筆で、教科書から「皇国史観」の記述を黒く塗りつぶしました。そしてその徹底否定を教わりました。
★ 敗戦後、GHQの占領政策で、軍国主義色は一掃されました。その中で一時、『古事記』 『日本書紀』 『万葉集』など古典の多くが疎んぜられ、学校教育から姿を消しました。終戦当時、私は、15歳。その影響をモロに受けて、私は日本の古典に親しむことなく、西洋かぶれで育ちました。『古事記』もロクに知らず80歳を迎えた我が身の不幸を思います。
★ が・・・長い空白の後、馬齢を重ねるほどに心が向かうのは、「記紀・万葉の世界」 こうしてナマに接してみると、今なお、民族の魂が躍動しているのを感じます。我が身、やはり日本人・・・古語辞典を横に置き、補いすれば、現代の日本語でも読める日本古典。日本語を母語とする身の幸いを、今、噛み締める思いがいたします。
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庵主の自己紹介とご挨拶・・・【吉備野庵】へようこそ
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★ 「倭(やまと)うるわし」・・・巻頭を飾るのは、英雄・「神倭伊波礼毘古命」(カムヤマトイワレビコノミコト)の東征物語。高千穂宮にいた命が日向を発ち、筑紫、宇佐(九州)安芸(広島) 吉備(岡山) そして浪速(大阪)へと瀬戸内海を東進し、幾多の苦難を乗り越えて、ついに大和(奈良)で天下を平定し、初代天皇、「神武」となる。
★ 強敵、エウカシ、オトウカシ、ナガスネヒコ・・・その名を見るや、私は70年前の「軍国少年」に引き戻されました。そして鼓舞激励の「久米歌」の条。抵抗する「ツチクモ」退治に一計を用いて、一斉攻撃の大号令・・・「今、撃たば宣し」 「撃ちてしやまむ」
★ 「撃ちてしやまむ」 何とも苦々しい想い出を蘇らせる言葉。しかも、3度も、繰り返し出てきます。我がルーツ探検のロマンに満ちた旅も、しばし休止、現実に引き戻されました。
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★ 70年前、小学校では「修身」という教科がありました。徳目を掲げて、そのように生きる。今で言えば道徳教育と言われますが少し違います。あの戦争の時代には、「天皇陛下の御為に殉ずる忠義」のココロを徹底的に叩き込むマインド・コントロールでした。
★ しかし、それを思うのは80歳になった今のハナシ。当時の子ども達には、神武天皇は、列島に蔓延る邪な悪鬼を退治し、神国を建設するため天から降った神の命(みこと)でした。今も脳裏に刻み込まれている、その英雄物語。すべての子どもの尊敬のマト。カッコいい大英雄でした。
◎ 九州から東へ、抵抗する地元族に、奇計、不意打ちなどの策を用いて征服した多くの物語。とりわけ、私たちが目を輝かせたのは、ナガスネヒコとの戦い。「勝つこと能わず」と最大の苦境に陥った時、トビが飛んできて、神武天皇の弓の先に止まった。
◎ そして、見よ! 燦然と輝く金色の光。その光で賊軍はまぶしくなり、戦意を失い、すべて撃たれてしまったではないか・・・。この故事により戦闘で功労のあった兵士に「金鵄(きんし)勲章 」が贈られるようになった。
◎ 神武天皇の大号令「撃ちてしやまむ」・・・それは、「太平洋戦争」の時代に国民総動員の標語になり、図画の時間には、これをテーマにしたポスターを作るのが課題でした。
◎ さらに当時は、「習字」も重要な教科でしたが、そのお手本の教科書も「大君のへにこそ死なめ」。「修身」で習った忠義のココロ。天皇陛下のために殉死する決意を表現しています。音楽の時間にも歌った次の詩の一部でした。
◎ その「音楽」の時間。 私たちは、この歌を歌いながら「死の美学」に酔いました。
海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)
山行かば 草生(くさむ)す屍
大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ
かへりみはせじ
◎ 元々、この詩も、元はと言えば『万葉集』にある、大伴家持の長歌の一部。それが天皇陛下への忠義の証しとして「軍歌」に取り込まれ、戦争末期には「国民歌謡」として聖戦貫徹・国家総動員に鼓舞激励・・・「準国歌」並みに公的に取り扱われていました。
言葉の連鎖で、いまわしい想い出が次々と出てきます。
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★ それを取り払って、目を瞑り、幼少の頃の先入観を消去して、ひたすら古代に想いを馳せて虚心に『古事記』の世界に立ち戻る。改めて「久米歌」を読み返してみました。舞台は無政府状態の英雄の時代。部族が互いの生存を賭けて、戦わざるを得なかったその昔に古人が詠った詩です。
人多に来入り居り「どんなに敵がおおくとも我は久米男、頭椎太刀、石鎚で敵を撃たずにおくものか」
人多に入り居りとも
みつみつし久米の子が
頭椎石椎もち
撃ちてしやまむ
戦いの場に立つ古代人の素朴な野生の雄叫びが聞こえそうです。
★ 一つの時代の政治が、古典を悪用し、誤った民族意識を植え付けた。明治、大正、昭和の初期まで約80年・・・そのことが国家による国民教育を通じて行われ、それが破綻し、全面否定。 日本の古典は不幸な経過を辿って、国民の多くに忘れられています。
★ 大正から昭和初期に生まれた“後期高齢者”は、民族の魂である古典に向かい合う時、不幸なトラウマを担っています。そこから抜けだし、何の拘りもなく、記紀・万葉に向かうことがなかなか出来ませんでした。
★ いや、そう言うより、積極的に無視、否定することを奨励された、という方が正しいかも知れません。私たちは、学童の頃、自ら墨汁を含ませた筆で、教科書から「皇国史観」の記述を黒く塗りつぶしました。そしてその徹底否定を教わりました。
★ 敗戦後、GHQの占領政策で、軍国主義色は一掃されました。その中で一時、『古事記』 『日本書紀』 『万葉集』など古典の多くが疎んぜられ、学校教育から姿を消しました。終戦当時、私は、15歳。その影響をモロに受けて、私は日本の古典に親しむことなく、西洋かぶれで育ちました。『古事記』もロクに知らず80歳を迎えた我が身の不幸を思います。
★ が・・・長い空白の後、馬齢を重ねるほどに心が向かうのは、「記紀・万葉の世界」 こうしてナマに接してみると、今なお、民族の魂が躍動しているのを感じます。我が身、やはり日本人・・・古語辞典を横に置き、補いすれば、現代の日本語でも読める日本古典。日本語を母語とする身の幸いを、今、噛み締める思いがいたします。
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庵主の自己紹介とご挨拶・・・【吉備野庵】へようこそ
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by zenmz
| 2010-12-10 11:24
| 奴雁の目